19話
どれだけ時間がたったのか分からない。
数秒…、数分…、数十分…。ずっと…この感触に包まれたい、そうマールは感じていた。
そして、それはキースも同じだった。ずっとこうしたかった。
小さい頃、まだ誰かを好きになるという気持ちがなかったころ。そのときは、こうしてマールとよくくっついていた。
だけど、自分がマールのことを好きだと自覚した時には、こうやって抱き合うことができなくなった。
でも今はこうして最愛の人を抱きしめることができた。諦めの気持ちも何度か抱いたが本当に諦めなくてよかったって思う。
「…マール、戻ってこい」
キースは抱きしめていた手を緩め、マールと目線を合わせる。
そして、キースの言葉にマールはすぐに頷こうとするが目線を下に下げた。
「でも…私が戻ってもマーリッヒ家には何もメリットがないし」
「そんなの気にしなくていいって。父さんも母さんも『いつでも戻ってきてほしい』って言われたんだろ?」
「うん…。でもそれは娘として、だと思うから」
「いや、そんなことないぞ」
マールの言葉をキースはすぐに否定する。
その声は少し笑いを含んでいるようにも聞こえる。マールが顔を上げるとキースはマールを慰めるかのように微笑んでいた。
「父さんも母さんも喜んで迎えてくれるさ。お前は、自分がやりたいようにすればいい」
「でも…、キースは領主になるんだから…いつかはその仕事をサポートできる人が隣に立つんでしょ?それは…見たくないの」
「…そうか。お前は知らないんだっけ。今のところ、それに一番近い人は…お前だぞ?」
「え?」
キースの言葉をマールはすぐには理解することができなかった。
まさに、寝耳に水と言ったところだ。
どうしてキースはそんなことを言うのだろうか、マールには理解できなかった。
「どういうこと…?」
「どういうことってそのまま。父さんと母さんは、マールを俺の婚約者として考えてるんだ」
「え!?それ、どういうこと?そんなの…私聞いたことない」
「まぁ、そりゃそうだろう。とりあえず落ち着け」
キースはマールの肩に手を置き、落ち着かせるようにポンポンと数回たたく。
そして、マールが少し落ち着いたところを見計らって少しずつ話しだす。
「元々父さんと母さんはお前を娘のように思って育てていた。まぁ、それはお前も分かってると思うけど」
「うん、ずっとオータム様とメイ様には感謝してる…」
「でも、俺とお前の姿を見て『このまま二人を一緒にしたらどうか』って思ったらしい。小さい頃からずっと一緒に行動して、気が合うって分かったからって」
「そうなの?でも、私そんなの聞いたことないけど…」
「俺が最初に聞いたのは10歳ぐらいだったかな。最初は『マールのことをどう思ってるか?』って言われて、その頃からお前のことを好きだったから…。そう伝えると、『お前を俺の婚約者として育てて行くから』ってさ」
「でも…私そんな特別なことしてない…」
「それはお前がだなぁ…」
「…私?」
自分の名前が出て来たのでマールは少し驚いた。
今までキースが話していた内容をマールは少しも知らなかった。自分の知らないところでこんな話がされていたのかと驚くほどだ。
それなのに、キースは自分が関係しているという。それも重要なところで…。
「私が…何?」
「…本当はお前が15になった時に父さんと母さんが伝える予定だったんだ。でも、お前が15の時に『使用人として正式に働きたい』って言うから、とりあえず伝えるのを保留にしたんだ。お前が働きたいって言った時父さんがしつこく引きとめると思わなかったか?」
「それは…思ったけど」
「だろ?」
「で、でも…その前から私は使用人として…」
「正式に働かせるってことになると俺と一緒にいれる理由を作るのが難しくなるし、父さん達もお前を娘として扱うことができなくなる。だから、引きとめたんだ。15になる前に使用人を手伝うのを引きとめなかったのは都合が良かったからなんだ」
「都合がいい…?」
「お前も知ってると思うが、屋敷にはたくさんの使用人がいる。けど、他の領主は使用人の仕事や内情を知らないところが多いんだ。最初は父さんが屋敷をまとめていたけど、執務との両立が思ったより難しかったようで今は母さんが手伝っている。でも、最初は母さんも使用人の仕事内容を知らなかったから把握するのに苦労したわけ」
今までマールが知らないことがキースの口からポンポン伝えられる。
知ることがなく、知らなくてもいいことだと思っていた内容でもある。それを告げられるということは、キースの言うとおり自分がキースの隣に立つのだろうか…。
そんなことを考えているマールを横目にキースは話を続ける。
「だったら俺の相手、つまりお前な?お前に内部を早めに把握してもらってまとめてもらい、俺は執務に集中したほうが効率いいだろって父さん達は考えた。だから、一年ぐらいは使用人として働いてもらうつもりだったんだ。もちろん俺の婚約者ってことを伝えた後にな」
「じゃあ、都合がいいっていうのは?」
「15になる前から働いたら、すぐに婚約できるだろうって。他の領国に顔合わせも兼ねて、少しは外交にも付き合ってもらう必要があるから一年ぐらい立ってからだけど。だから、15になる前は止めなかったんだ」
確かに15になる前から使用人として働く、詳しく言えば手伝うだが、ことになったときにオータムとメイはすぐに承諾してくれた。
だが、15になった時に正式に働くことになった時に引きとめられた。何度も何度も説得してやっと、働くことができたのだ。
その理由をマールは知らなかった。まさか、オータムとメイが自分をキースの婚約者として考えていたなんて、思いもつかなかった。
「ということで…、お前は俺の隣に立つことはできる。父さんも母さんも認めてくれる。さぁ、どうする?」
「どうするって…」
「だから、本当に後はお前次第だ。俺と離れて暮らすのか、俺の傍で暮らすのか。お前のやりたいようにすればいい」
「私は…」
マールは眼を瞑ってゆっくりと深呼吸する。
キースはマールの次の言葉を待っている。今から出すマールの答えで自分の将来も変わる。
マールには悟られまいとしているが、キース自身もかなり緊張している。あんなこと言ってはみたが、マールのことを忘れることは無理だろう。
キースがそんなことを考えている間に考えが纏まったのかマールが目を開けて、笑顔になる。
「私は…キースと一緒にいたい」
マールが言い終わると同時にキースがマールの身体を抱き寄せる。
「あぁ、一緒にいよう。俺の隣で、俺を支えてくれ」
もう離したく、離れたくない…。
お互いそう思っているかのようにキースはマールの身体を強く抱きしめ、マールもキースの背中に手を回した。