1話
ある町の丘の上に立派な屋敷が建っている。
この辺の領主であるマーリッヒ家の屋敷だ。その屋敷の庭で一人の女性が洗濯物を干している。
春の日光が庭に差し込み、洗濯物が今日はすぐに乾きそうだ。
洗濯物が皺にならないように、ピンッと伸ばしながら干していき、全てが干し終わると満足そうに頷く。
「よし!」
彼女の名は、マール=カーラ。
ここ、マーリッヒ家で使用人をしている。マールは空になった洗濯籠を手に取ると勝手口から屋敷の中に入る。
廊下を歩いていると窓から小鳥のさえずりが聞こえる。廊下で足を止めてマールはそのさえずりに耳を傾けていると急に首に冷たい感触が襲ってきた。
「きゃっ!」
マールは驚いて後ろを振り向くと一人の男性が笑顔で立っていた。
「何をぼぉっとしてるんだ?」
「キ、キース様!こういった悪戯はやめてくださいと言ってるではありませんか」
彼の名はキース。マーリッヒ家の長男であり、後継者だ。
マールの言葉にキースはさっきまでの笑顔とは反対にムッとした表情になった。
「その喋り方は止せと何度も言ってるだろう。昔のようにキースと呼んでくれ」
「いえ、そういうわけにはいきません。私はマーリッヒ家に仕える一人の使用人です」
「マール…」
「まだ仕事がありますため、失礼いたします」
マールはそれだけ言うと足早に使用人室を目指して歩き出した。
その後姿をキースが少し悲しそうな眼をして見送った。
キースとマールは俗にいう幼馴染で、今ではマールはキースのことを様付けで呼ぶが、小さい頃は呼び捨てだった。
キースは窓枠に手を置いてマールが来たときのことを思い出した。
あれは、まだキースが5才のときだ。
父親のオータムは公務で外出しており、キースは母親のメイに本を読んでもらっていた。
キースには同年代の知り合いがおらず、大体は家で自分で本を読んでいるか勉強するかのどちらかしかなかった。
たまにオータムが公務のついでにいろんなところに連れて行ってくれているが基本的には家に籠ることのほうが多かった。
その日の夕方。
オータムが帰ってきた。だが、その腕には一人の少女を抱えていた。
「あなた、その子は?」
「道端で倒れていたのだ。凄い熱を出している。すぐに寝床の準備を。それと医者を呼んでくれ」
「は、はい」
オータムの指示に数人の使用人が頷きすぐに行動を開始する。
一番近くの部屋に空きベッドに布団を敷き、医者を呼ぶために一番若い使用人が家を出ていく。
それを見ながらキースはオータムに近づく。
「おとうさま。そのこはだいじょうぶなのですか?」
「大丈夫だ。きっと、助かる」
オータムはそれだけ言うと、準備ができたベッドに寝かせる。
使用人が持ってきた濡れタオルで少女の顔の汗を拭う。
もう一度濡らすと少女のおでこにのせてやった。
「すまないが私は一度着替えてくる」
オータムはそれだけ言うと服を着替えに一度部屋を出る。
メイもその後を追って部屋を出ていくがキースは二人には付いていかずベッドに近寄る。
熱が高いのだろう、苦しそうに少女は魘されている。
そして、片手を上にあげる。夢の中で何かを探しているようだ…。
キースは咄嗟にその少女の手を握った。
「だいじょうぶ…だいじょうぶだよ…」
キースは医者が来るまでずっとその手を握っていた。
その五日後。
少女は熱も下がって元気になっていた。
この五日間キースは少女に会うことができなかった。医者に移りやすい風邪だと聞かされて使用人達に止められていたからだ。
元気になった少女と初めて話すことになった。
少女は恥ずかしそうにうつむいていた。
キースは笑顔で少女に近づくとゆっくりと話しかけた。
「ぼくのなまえはきーす。きみのなまえは?」
「…まーる」
今でもキースは事情を知らないがマールはマーリッヒ家で面倒をみることになった。
同年代の知り合いがいなかったキースにとってマールは遊び相手となりとても楽しい日々を送れた。
マールはキースの一つ下で、小さい頃は本当にどこに行くにしてもずっと一緒だった。
キースはマールのことを呼び捨てで呼び、マールもキースのことを呼び捨てで呼んだ。
一緒に勉強もしたし、図書館で本を読んだ。また、庭で一緒に泥んこになるまで遊ぶこともあった。
叱られるときも一緒に叱られるときや、キースがマールを庇ったり反対にマールがキースを庇ったりとお互いを守ることもあった。
もちろん喧嘩もあった。が、すぐに仲直りできた。
だが、キースが成長するにあたり、一緒に過ごせる時間が少なくなっていった。
キースは後継者としての勉強がはじまり、マールも使用人として少しずつ働き出していた。
それでも少しの時間を見つけては二人で会って話していた。その時はお互いが幼馴染に戻れる時間だった。
キースはマールにいつしか友人以上の好意をもっていた。
そんな時間が壊れたのはキースが15歳、マールが14歳のときだ。
15歳になったキースは他の領国を周り情勢を勉強することになり、マーリッヒ家を出て行った。
一年後に戻った時にはマールはキースを様付けで呼ぶようになっていた。
マールも15歳になり責任感が出て来たのかもしれない。
だけど、キースにとってはマールに線を引かれた感じがした。
今のようにちょっかいをかけても、昔のように話しかけてもマールは使用人という立場でしか返答しなくなっていった。
キースは変わった幼馴染を想い一つ溜息をつくと、自分に与えられている執務室に戻って行った。