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バケツ一杯のリンゴを、食堂のシェフに頼んで、アップルパイを作ってもらった。

 勿論一人で片付けるのは不可能だから、生徒たちの食後のデザートにしてもらったのだけれど。

 出来立てのアップルパイを二切れ貰い、ハルの部屋へ持参した。

 なんとなくだが、ハルに優しくしてやりたかったのだ。

 ハルは意地っ張りだから、折角のアップルパイも予想通りに素直に喜んではくれなかった。

 僕はそういうハルも嫌いじゃない。

 それに…もしかするとアーシュに似ている所があるんじゃないかと、ハルを見て確認したかったのだ。

 驚く程の傲慢さや自己顕示欲の強さ、上目線の強情さと垣間見る無垢さ、など…。

 だが、比べてみると根本的な資質が全く違っていた。

 ハルはいつも誰かに愛されたがっている。

 誰かに必要とされたり、自分と同じ道を歩んでくれる誰かを求め、希っている。

 でもあの子は違う…。

 あの子は、誰も到達した事のない高みをたったひとりで挑んでゆく…孤高の者のような気がする。

 どれほどの孤独も、彼を壊すことはないだろう。

 あの子の持つ天賦は、僕が今まで出会ったことのない感覚だった。


「恋じゃないのか?」と、失笑しつつミカが僕に言う。

 ミカは僕と同じアルトであり、「天の王」で数人しか選ばれないホーリーでもある。

 真名は「ミカル・アンテ・ユーティライネン」。

 因みに僕はホーリーではない。

 学長のトゥエ・イェタルは、僕をホーリーには選ばなかった。だからと言って、僕がミカより劣っているとは全く思っていない。

 勿論、ミカも十分認識している。

 彼はとても優秀なアルトなのだ。


「恋?僕が十歳の子に?さすがにそれはないよ。本当にまだかわいい子供なんだから」

「でもときめいたんだろ?」

「ときめいたわけじゃなく、楽しかったんだよ」

「この上もなく、だろ?そりゃ、恋だな」

「…」

「もっとも、君がそういう話を僕に打ち明けるってことがね、青天の霹靂って話でね…」

「おい、笑うなよ」

「笑っていない。喜んでいる。中々見れない親友の朗らかな顔を見れて、心から喜んでいる」

「勝手に楽しんでいやがるけどね、僕はあの子を欲しいと思ってはいないんだよ。なんというか…あんな年下の子相手に自分でも意外なんだけど、一緒に喋っていると、楽しくてたまらなくなる。ときめくというより、高揚するって感じかな。好奇心をそそられる。あの子と共に生きられるならば、人生に退屈の文字は無いだろう」

「そこまで言うかね。まあ、僕も交際範囲は広い方だから、君のかわいいアーシュ君とやらの身元調査はまかせておきたまえ」

「いらぬおせっかいとも言うけれど、ありがたくお願いするよ。とにもかくにも、ハルにだけは言ってくれるなよ。あの子は嫉妬深いから」

「承知しているよ。言っておくけど、ハルの性分については、君よりマスターだ。それにどうせ、半年もしない内に、僕らはこの天国の監獄から釈放だし。今のうちに外で得られない悪事を経験しなきゃ損ってもんさ」

「君って奴は…」

「ところで、卒業後の行く先は決まった?進学?それとも故郷へ帰るのかい?」

「そうだな…」

 当座の問題は、それだ。


 進学したいのは山々だが、公妃は勿論、父も僕の帰還を望んでいるだろう。

 これ以上、我儘を通すわけにはいくまい。


 三日後の夜、ミカが僕の部屋へ来て、アーシュの事を教えてくれた。

「あの子って、初等科では有名でね。とにかく目立ちまくっているらしい。身体を使ってのケンカは弱くて、つっかかる相手には魔法で徹底的に叩きのめす…周りには恐ろしがられてるよ。その上、トゥエのお気に入りらしく、好き勝手に学長室に入り浸って、おもてなしってね…何をおもてなしされてんだが」

「学長がアーシュを可愛がっているのは、赤ん坊のアーシュを拾ったからなんだろう。学長はあの子の父親代わりなんだから、甘えてもおかしくはない」

「おいおい、この『天の王』で、そんな道徳がまかり通るものかい。あの子はトゥエの特別なお稚児だって噂されてるんだぜ」

「…」

 そんな感じは微塵もなかった。アーシュは誇り高い子だ。

 それに、学長は僕の知る限り、ただ唯一の信頼に値する人だ。


 それからしばらくして、僕は学長に呼び出された。

 聖堂の裏にある階段を登った奥の部屋が学長室だ。

 学長室は「天の王」に入学した以来だったから、懐かしさがこみあげても来たが、それよりもしかしたら、アーシュに会えるのでは、…という淡い期待があった。

 それと言うのも、あの林檎を収穫した日から、アーシュの姿を見つけることができなかった。

 同じ敷地に居て、彼が初等科の生徒だってわかっているのに。

 会いに行こうにも、彼がそれを望んでいないと思ったら、自分から行く勇気が持てない。

 偶然のふりをして、彼を見つけ出したいが、不思議と僕の魔力は彼には通じないのか、役には立たなかった。

 終いには、本当に彼はこの「天の王」にいるのかすら、疑ってしまう。


「ルスラン、今日、君を呼んだのは、君の進路の事なんだ。実は君の国からふたつの手紙を私宛に頂いている。ひとつは君の国元の宰相殿からの訴状。もうひとつは君のお父さんからだ」

「父から?」

「君に見せるかどうか迷ったけれど、どちらも大切なことが書かれているから、ここで読みなさい」


 僕はその手紙を受け取り、学長が勧めたソファに座り、手紙を広げた。

 メジェリ国の宰相はアッカドという気の良い老人だが、手紙の文字は公王妃のものだった。言葉は丁寧だが、要するに卒業したらすぐにでも帰国し、「天の王」で身に付けた魔力で、メジェリの役に立つ働きをしてくれと言うことだった。

 彼女の願いは最もだし、嫌な気分にはならなかった。彼女は国の為、自分の大事な息子(ユーク)の為に僕の力が必要だと、頼んでいるのだ。

 だが父の手紙は、彼女とは真逆の事が書かれてあった。

 卒業した後は、国の事は気にせずに、自分の未来をよく考え、好きな道を選びなさい…と。

 父の愛情に僕の野心は負けてしまう。


「…の言うとおりだな」

「え?」

「いえ、あの…初等科の子にしっかりしろって怒られたんです。善人すぎるって…」

「アーシュにかい?」

「…はい」

 やっぱり学長は、すべてお見通しなのだな。


「彼に『シリウス』ってあだ名を貰いました。ペットか何かみたいなノリなんだろうけれど。でも一度会ったっきりなんですけどね」

「名前までもらうとは、気に入られたのだね。そうか…」

「なにか?」

 トゥエは楽し気に私を見ながら笑みを浮かべた。

「アーシュは一度気に入った者は、色々と念の入れようでね。いや、変な意味ではなく。君が彼を求めれば、彼は君の望むものを与えるかもしれない。勿論、彼の気分次第なんだがね。何しろ彼は我儘でね」

「…」


 望み?一体、僕がアーシュに何を望んでいるというのだ。

 僕はただ、彼に会いたいと…

 会って、この窮屈な現実から逃れたいと…?


 その夜、父あてに短い手紙を書いた。

 卒業後はすぐに帰国し、父の仕事を手伝い、メジェリ国の為に生きていくと。


 春が過ぎ、あっという間に卒業の日を迎えた。

 式の翌日、学生寮を去っていく友人を見送り、粗方片付いた部屋を後に、あの林檎の木に会いに行った。

 僕が居なくなった後は、きっとあの子が見守ってくれるだろう。

 それだけで、僕はアーシュと繋がっていけるような気がした。


「さよなら。いつまでも枯れないでくれよ」

 咲き誇る小さな白い花を心に留め、僕は「天の王」を出発する覚悟を決めた。

 荷物を部屋へ取りに行くと、片付いた部屋のベッドに誰かが横になっている。

「君、ここは空室だよ…」と、息を呑む。


「アーシュ…」

 横になり目を閉じた少年が、僕の声でゆっくりと目を開け、僕を見た。


「やあ、シリウス。元気?」

 ニヤリと笑う表情が、とてつもなく僕を楽しませた。

「ここがよくわかったね」

「だって、俺、天才だもん。今日おにーさんが『天の王』から出ていくって聞いたから、会いに来てやったんだ」

「そう、ありがとう。また会えてうれしいよ」

「…」

「ホント!変な意味じゃなく、ね」

「ま、いっか。ほら、卒業祝いに俺の頭撫でさせてやるから」

 そう言って、アーシュはポンと起き上がり、僕の前に立ち、下を向き頭を差し出した。

 

 なんと言ってよいのか…

 予想もしない吉兆ってこんな感じなのかな。

 

 僕はおずおずと、アーシュの頭を撫でる。

 クセのある柔らかい黒髪が、僕の指に絡まり、梳け、また絡み…なんだか楽しくてわちゃわちゃと撫でまわしてみた。アーシュは何も言わない。

 その姿が愛おしくなり、細く小さい身体を引き寄せ、壊れないようにゆっくりと抱きしめた。


 彼は驚きもせず、「ちっ!」と舌打ちした後、暢気な声で「そこまでサービスする気はなかったんだけどなあ~」と。

「僕は自分の国に帰るんだ。そこは、とても遠くて…もう、これきり君には会うこともないだろう。だから、少しだけこのままで…」

「ばーか!」

 アーシュは僕の胸を押しやり、ふてくされた顔を見せた。

「誰がこれっきりって決めた!誰が会えないって決めた!シリウスに会うも会わねえも、俺が決めるんだよ。そんで、今日が最後にならねえって、この魔王さまが予言してやってんのっ!」

「え?」

「だ~か~ら、シリウスが俺を呼べば、ちゃんと会いにきてやるって言ってる。気が向けばの話だけどさ」

「あ…ありがとう、アーシュ。嬉しいよ、そんな言葉を貰えて」

「別に、礼は要らねえし…」

 アーシュは照れ隠しなのか頭を掻きながら、口を尖らせた。

 まるで普通の十歳の子供のように。


「まあ、いっか。じゃあね、シリウス。今度、会った時は本当の名前を呼んでやるよ」

 そう言うとアーシュは空いた窓に足を掛け、いきなり外へ飛びだした。

 二階とはいえ、僕は慌ててアーシュの姿を追う。

 窓の下を見ると、彼は振り向きもせずに脱兎のごとく走り去っていく。


「ありがとう…ありがとう」

 そう何度も言わずにはいられなかった。


 何故なら、アーシュは僕に生きる希望を与えてくれたのだから。




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