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ルスラン 4
翌日、トゥエ・イェタル学長は、僕にひとりの生徒を紹介した。
新学期から最終学年になるという「リノ」と言う彼は、背が高く、一見して真面目を絵に描いたような男子学生。濃い褐色に眼鏡の奥から垣間見えるヘーゼル色の瞳が知的に輝く。
「彼がルスランだよ、リノ。君の教えで新学期までに、彼に十分な学力を付けて欲しいんだ。やってくれるかな」
「そんなの、本人のやる気次第だと思いますけど、引き受けた限りは、ちゃんとやらせますから、心配ご無用」
「うん、リノに任せていれば、私も安心ですから」
「彼をトップクラスにさせたら、バイト代上げて下さいよ」
「はは、考慮するよ」
「よ、よろしくお願いします」
学長のトゥエ・イェタルへの、リノのぶっきら棒な言い方に戸惑いながら、僕は深々と頭を下げた。
「じゃあ、行こうか」と、リノは学長に挨拶も無く、部屋を出ていく。
僕は慌てて学長にお辞儀をして、彼の後を追った。
大股の早足で歩くリノを追いかけるのにも、こちらは必死。
五分ほど歩いて着いた所は、圧倒するほど立派な図書館。入口の重厚な扉を開けるにも、相当な力がいる。
リノは顔見知りなのか、慣れた態度で司書から鍵を貰うと自習室へ向かい、僕の方を振り返り、顎で部屋に入るように命じた。
自室と同じくらいの部屋には机と数脚の椅子が置いてあるだけ。
リノと対面するようにテーブルを挟んで座ると、間も開けずにリノが口を開く。
「ルスランって言ったっけ。学校は行ってなかったのか?」
「あ…十歳までは公立の学校へ…。でも、その後は、色々と家の事情で…」
「あ、そう。なんでもいいんだが、俺はスパルタで行くから、そのつもりでいるように」
「はい、頑張ります」
「そんなに緊張しなさんな。まあ、気に入った新入生は贔屓したがるのが、トゥエの癖だ。きっとおまえさんにも、相当な能力があるんだろうよ」
「…」
能力って言ったって…僕自身でさえよくわかっていないのに…
「ちょっと待て…」
「は?」
「あのな、おまえ、アルトだろ?」
「…アルト?」
「へ?知らないのか?」
僕は黙って頷いた。
「そこから教えないといけないのかよ~」
リノは頭を抱えながら、それでも丁寧に、説明してくれた。
「天の王」では、魔力を持つ者を「アルト」と呼び、そうでない者を「イルト」と呼ぶ。
これは今では、世界で認められる呼び名として定着しつつあり、どの国でも通用する称号だ。ただ僕の国のような田舎では、ほとんどがそう言う特権階級的なものに関心が無い為か、あまり知られていないのだ。
「天の王」が掲げる理念とは、互いが互いを尊重し、信頼しながら生活する社会を創る為の基礎となるものを学ぶ事。
「要は、アルトとイルトがお互いの能力を認め合い、助け合って生きて行く方法を模索していく…、ぶっちゃけ、ラボみたいなもんさ。見方を変えれば、俺らは哀れなモルモットとも言える」
「そんな…」
「悪いとは言っていない。アルトの能力のコントロールは必要不可欠だし、イルトのカリスマも俗悪に染まっては困るからな」
「…よく、わからないけど…」
「そのうちわかる。それより問題なのは、おまえ!」
「は?」
「おまえねえ!今、言ったろ?アルトならコントロールしろって!」
「え?…何を?」
「おまえの考えてる事、こっちに全部筒抜け!俺みたいな優秀なアルトじゃなくても、おまえの頭の中を見通してしまうっって話だぜ。これがどんなにやばい事かわかるか?」
「…」
考えてることがわかる?今の僕の頭の中が…?僕に触れもしないで?
「全く、そんなことも知らねえで、よく今までのんびり生きて来られたものだ。だがここじゃあ、ロクでもねえ奴らに、すぐに取って食われるぞ。まあ、俺には関係ないけどね」
「あの…」
「とにかく基本中の基本だ!良く聞け!表の思念と裏の思念の使い分け。本音と建て前って事。それから嘘も方便。そして真実は心の奥に!最低限これだけでもすぐに覚えろ!わかったか!」
「わ、わかりました…」
何のことか、どうすればいいのか、わかるはずもなかった。それでも、リノの言葉には信頼させる力を感じた。
僕は彼の教えを懸命に理解しようと努め、乱暴な彼の言葉の中の温かさに触れ、彼を失望させまいと猛勉強した。
リノは勉強だけじゃなく、気が向くと、広大な学園の構内を案内してくれた。
大部分の生徒達が知らない古びた蔵の地下室、鍵のかかった秘密基地、生い茂った林の向こう、その端にある小さな池から湧き出る清水、美味しい果実の見つけ方。
それから、彼は木々の間を魔力で飛んでみせてくれた。
「本当は自由に飛べるようになればいいのだけれど、そこまでの能力は、俺には無いみたいだ。ルスランなら、もしかするとできるかもな」
「僕…無理だよ。リノみたいに上手く木登りもできないし…」
「これくらいは繰り返し練習すればできるさ。問題はその先。おまえがその力を望むか望まないか、だ」
「どういう意味?」
「魔力って奴は、元々備わっているものであり、その力量はひとりひとり違う。だからいくら一生懸命頑張っても、限度があればそこまで。そして、能力がある者は、見えない山の頂上を目指す。だが高みに行こうとすれば、それなりの覚悟がいる。もし足を踏み外せば、己を見失い、狂人に成り果てる…。俺達はいつだって、自分なりの善悪や道徳、理想や絶望を選択する覚悟を持って、己の魔力と対峙しなきゃならないんだ」
「なんだか、大変そう…」
「そうさ。能力をもった者の宿命って事だろうね」
「僕は…母の願いを…。母は人を幸せにする為に魔力を使って欲しいと僕に願った。僕はなれるだろうか…」
「親の願い…重そうだな。人の為の魔法か…。そう考えている奴はこの『天の王』じゃ、奇特だろうが、悪い事じゃないと、俺は思う」
「本当?」
「ああ、俺もさ…能力はさ、俺以外の誰か…、好きな奴だったりするとテンションも上がるけどさ、その為に使って喜んでもらったら、俺が幸せになれるんじゃないかって、思っている。まあ、自己満足って言うんだろうけどさ」
「…」
リノの言葉は僕を勇気づけた。共感してくれたことが、何よりも嬉しい。
いつの間にか、リノは僕の目指すべき「天の王」の生徒になっていった。
誰もいない森の奥の木陰。青い草の匂い。
キラキラと零れ落ちる光の珠。
掬い取ろうと手を伸ばした。
リノは伸ばした僕の掌の中に、幾つかの光を落とした。
虹色に輝く光の眩しさに、僕を思わず目を閉じる…。
新学期が始まり、新しい友人達と過ごす日々に僕はすぐに溶け込んでいた。
どの授業も十分に理解する事ができ、またたく間に成績も上がり、先生方からも褒められた。
すべてリノのおかげだ。
何より、新学期が始まっても、リノは時々、僕の勉強を見てくれたのが嬉しくて…。
リノは、授業料が免除になると言うひとかけらの成績優秀者がなれる名誉なる「特待生」だった。
名誉はいらないが、授業料免除は魅力的だ。
父や公妃へのコンプレックスが少なくて済む。
僕は家の事情を話し、どうしたらリノみたいになれるかを相談した。
「そりゃ、馬鹿みたいに必死に勉強するしかないさ。他の奴らが恋や遊びに浮かれている時、ひたすら図書館で、未知な物事を頭に詰め込む孤独な作業。それに特待生は学習だけじゃなく、すべての科目に『特優』の結果を出さなきゃならない。運動も芸術も万遍なく努力を怠らず…。よって友人は少なくなり、恋をする暇さえなくなる。俺みたいに」
そう言ってリノはあっけらかんと笑った。
リノが友人が少ないなんて嘘だ。
時折構内で彼の姿を見かける時、必ずと言っていいほど、沢山の友人に囲まれているし、恋人だって…
この間、図書室の資料室のロフトで、女子生徒と抱き合ってたのを見た。
衝撃だったけれど、嫌な感じはしなかった。
暗がりの部屋の隅で、女子生徒の綺麗な金の髪が揺れる度に、屋根の窓から差し込む淡い光も揺れ、幻想的ですら思えた。
「リノはあの子が好きなの?」
その女子が帰った後、僕はリノに聞いた。
「好きじゃなかったら抱かないよ。でも、さっき知り合ったばかりだから、先はわからないね」
「会ったばかり?」
「一度でいいから、抱いてくれって。すごく良かったからって、お礼に金までくれた。こっちも良い思いして、ついでに小遣いまでもらったら、嫌いにはなれないだろ?」
「でも、それって恋とか愛じゃないよね」
「じゃあ、ルスランは恋やら愛の定義は知ってるのか?」
「…」
「俺は少なくとも…まあ、十八年生きてきた経験で言うと、『愛』なんてもんはどこにでも転がっている石みたいなもんで、色んな形や色があって、気に入ったもんを拾って懐に温めて満足するようなもんだ。石の感情なんて、俺には関係ない。俺が探して、見つけて、選んで…誰にも渡さなければ、それが俺の『愛』になる。俺の定義でしかないが」
「片思いで終わってしまう。そんなの寂しくない?」
「…片思いでいいんだ。愛されるのは、苦手なんだ…」
そう言って、リノは苦い笑いを浮かべた。
僕はもっとリノを理解したかった。
彼の拾った石ころに、なりたかった。