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挿絵(By みてみん)


ルスラン 3


 厳しい冬を乗り越えた後の、春の暖かさの幸福感と言ったら、まるで厳しさを耐えたご褒美のようにさえ思える。

 馬鹿みたいに暢気で穏やかで、寂しさや辛さも忘れてしまえるほどに…


 いつものように城で使う食料や日用品を港に取りに行く。

 荷馬車の扱いにも慣れたもので、年寄りの黒馬、ロビンとも仲良しだ。

 月に二度、決まって通う港町にも知り合いは増えて、僕を見ると「ごきげんよう、白の公子さま」と、お辞儀をしてくれる。

 僕の髪が白いからそう呼ばれるんだが、荷馬車に乗り、汚れたサスペンダーを着ている公子など、どこにいるものかと、笑ってしまいそうになる。けれど、この国では父である公王でさえ、畑でクワを持つ時もあるのだから、嫌味でもなく、彼らは心から僕を公子と崇めているんだ。


 本当は、僕は公子とは認められていない。

 父の妃であるカロリーヌ公妃は、「あなたはメジェリ家とは関係ない血筋です。あなたをここに置くのは温情だと言う事を忘れないで頂戴」と、はっきりと僕に言った。

 僕もこの国の継承など関係ないものと思っていなかったから、彼女の宣言は気にする程ではなかった。寧ろ、縛り付けるものがなくて、ホッとしたくらいだ。


 早く大人になって、この国からも全てのしがらみからも逃げ出して、広い世界を自由に旅したい。


 積荷を終え、城に帰ろうとする時、身なりの良い紳士が僕に声を掛けた。

「ちょうど良かった。お城に行くなら、私を連れていってもらえないでしょうか?」

 訝しがる暇もなく、その人は軽々と飛ぶように手綱を引く僕の横に座った。

 馭者席は戸板を置いただけの粗末なものだったから、彼の綺麗なスーツが汚れてしまわないか心配だったが、荷台に案内するわけにもいかず、取り敢えず布を敷いて、席を譲った。


 荷物が重い為、帰り道ではゆっくりの坂道に、いつもロビンの息は上がり気味。

 陽気にほだされ、ムチを打つ気もならず、ロビンの行くままに任せている。


「すみません。この馬、年寄りだから馬力が無くて…。お城まで少し時間がかかるかも知れません」

「構いませんよ。春の日差しは、どの国に行っても暖かくて優しいから、のんびりしてしまいますしね」と、笑う。


 歳は父と同じ位だろうか。髭は無く、濃いグレーの髪を綺麗に整え、山高帽を被り、ステッキと小さ目の旅行鞄を膝に抱えている。

 …この人、多分魔法使いだ。それも相当に強い。

 でも少しも危険な感じはしない。


「この国は初めて足を運んだのだけれど、どんな感じなのかな?」

「感じ?」

 景色の良い場所や特産物なら言えるけれど、「感じ」と聞かれると…


「悪くない、です。あまりこれと言ってお勧めできる物も場所も無いけど、皆、実直で質素で…」

「楽しい?」

「…」

 楽しいかと問われたら…そうでもないかも知れないけれど、これ以上を望んでも贅沢だと言われそうで…。

 黙り込んでしまったら、彼は気にする風もなく、見渡す限りの景色を褒めてくれた。

 

 半時ほどして慣れない馬車に腰が痛み、少し休みたいと紳士が言うので、僕は馬を止めた。

 木陰に座る彼の隣に座り、遠くに見える城の様子を説明していたら、ふいに彼は僕に問いかけた。


「君は、私が誰なのか、何処から来たのか、ひとつも聞かないのだね」

「そう…ですね。何だか悪い人には見えないんだもの。この国を訪問する人で、そんなに綺麗なスーツを着た人は珍しいし…」

「私は君のお父様に頼まれて、君に会いにきたんだよ、ラファ」

「え?…僕?」

 教えてもいないのに名前を呼ばれたのにも驚いたが、父の頼みって…


「私は『天の王』学園のトゥエ・イェタル。一応ね、学長の仕事に携わっています」

「『天の王』…学長…」

 いつも母が言っていた学校の?


「父が…頼んだ?」

「丁寧な手紙を貰ってね。とても才能のある息子だから、『天の王』に入れたいのだけど、サマシティまで連れて行く余裕がないから、どうしたらいいのか…ってね。で、直接私が来たわけなんだ。ああ、特別じゃないよ。私は世界中を回って、『天の王』に相応しい子供達を探しているんだ。勿論、趣味の旅行も楽しみながら」

「『天の王』って…魔法使いになる為の学校…なんでしょ?僕にそんな才能があるのかな」

「充分に。それに、今の君には勉強や友人が必要だ。自由な時間もね。違うかい?」

「…」


 この人は、僕が何を求めているのか、知っている。

 この人は、僕の求めているものを与えようとしてくれている。

 

 心から嬉しいと思った。

 この国に来て、僕は誰かから僕を理解しようとしてくれる人には出会わなかった。

 皆、優しかったけれど、僕の欲しいものは、誰一人気づかなかった。

 父は僕を思ってくれたけれど、公妃に遠慮してばかり。一度たりとも家族で食卓を囲む事は無かった。

 僕が居て欲しい時に、父が居てくれたことはほとんどなかった。

 話したい友人も居ず、勉強だって、全然不十分だ。

 母と居た頃の方がどれだけ楽しかったか…それさえ、口に出来なかったのだ。


 トゥエ・イェタル学長の申し出は嬉しかった。でも…


「僕…『天の王』には行けません」

「どうして?」

「だって…僕だけ、この国から逃れて自由になるなんて…出来るわけないもの…。この国は貧しいけれど、この国の人達が嫌いなわけじゃないし、我慢できないこともない。『天の王』は寄宿学校でしょ?とてもお金がかかるって、お母さんが言ってた。僕の為に父が苦労したら…お母さんが悲しむ…」

「でもお母さんは、ラファが『天の王』に通う事を望んでいたんだよね?」

「…うん」

「じゃあ、お父さんもお母さんも君の為に頑張るのは当たり前だと思ったんじゃないかな。親の愛ってそういうものだよ。ラファ」

「…愛?僕は…愛されているの?」

「充分にね。そしてこれからも沢山の愛を知っていく。人はその為に生きて行くと、言っても良いくらいなんだ」

「僕は…人を愛したら駄目だって…お母さんが…。魔力を持つ者は、好きな人の心を強いてしまうからって…」

「そうか…。お母さんはとても賢い人だったのだね」

「…」

この人に母を褒めてもらえた事が、僕は素直に嬉しかった。母が生きていたら、どんなにか喜んだだろう。


「でも大丈夫だよ、ラファ。『天の王』はそれをコントロールする術を教えているんだ。それに…まあ、恋は魔物って言うものだから、強いられるのは、もしかしたらラファの方かも知れないよ」

「本当に?」

「人は誰かを愛すると、魂を賭けて、その人を自分に振り向けさせたくなる。魔法使いじゃなくても、誰だって…そうなんだよ。だから、今はね、怖がらないでいいんだ」

 そう言って、知らぬうちに流れていた僕の涙を指で優しく拭いてくれた。

 僕は心から信頼に値する人とは、こういう方なのかもしれないと、思った。


 この人が居る「天の王」…。それなら僕も行ってみたい。

 そう願わずにはいられない程の引力が、トゥエ・イェタルにはあった。

 だけど、僕は自身でその意志を父に告げる勇気は持てなかった。

 それに…きっと公妃は反対するだろう。

 僕の為にお金を掛ける事を嫌がる人だ。この国の財政は自分の生まれ育った故郷の国のおかげで賄っていると思っている人だ。

 僕は期待すまい、と、自分に言い聞かせた。


 だが、父はトゥエ・イェタルが帰った次の夜、僕を呼んで「天の王」への入学を勧めてくれた。

 僕は初めて父の前で泣いてしまった。

 父が僕の事を、本当に考えてくれていたのだと、知ったからだ。


「頑張りなさい、ラファ。応援しているよ」

「お父さん…」

「おまえが傍に居なくなるのは、やっぱり寂しいけれどね。これで、やっと、お母さんとの約束を果たせそうだ」

 そう言って、父は母と誓ったマリッジリングを、僕にくれた。


「ずっと大切に持っていたんだ。けれどカロリーヌの手前、もうこれを指にすることもないだろう。君の左指にはお母さんの…ロレーンの指輪があるね。それを見つけた時から、僕はラファに僕の指輪を渡したいと思っていた。これを君の右手に嵌めて、君の両手の中で、僕とロレーンが一緒に居てくれたら…ねえ、幸せになれるだろ?」

「…お父さんは、ロマンチスト過ぎるよ」

「うん、昔からね」

 

 僕は父が好きだった。

 でも父の様になりたいとは、一度も思わなかった。


 

 僕はメジェリ国とはずっと離れた国、サマシティにある「天の王」の寄宿学校の中等部一年へ入学することになった。

 だが、学力不足を補う為、新学期が始まる前の夏休み期間、ひとり特別に勉強をしなければならなくなった。

 勿論、僕には有難かった。

 その頃の僕は、メジェリ国での閉鎖された変わらない日々に飽きていた。

 一刻も早く「天の王」へ行き、新しい世界の息吹きを感じたかった。


 初めて足を踏み入れたサマシティは、僕が想像したよりも素晴らしく立派で、都会で、美しい街並にため息が出た。そして「天の王」はそれ以上に、なんというか…ゴシックであり甘美であり…清冽だった。

 最初に案内された聖堂は見たことも無く荘厳で息が止まるほど。

 どこもかしこもゴミひとつなく美しく、生活の余裕が感じられた。

 石畳の両側に並んだ木々の碧さ、そこから零れる光は様々な文様を見せる。

 建物のひとつひとつが、歴史を刻んでいて、そこから漏れる魔力の欠片に、僕は興奮した。

 ああ、ここは本当に魔法学校なのだ。

 僕はこの学校の生徒として、生きていけるのだ。

 心地良い空気の扇動が、僕の中にある魔力…のようなものを活性化させている気がした。


 トゥエ・イェタルは、言う。

「魔法を操る者等は口々に、この地は故郷のように懐かしいと言うけれど、それは、この場所が様々な星への航行の狭間にあるからなんだ。真実かどうかは、自分で確かめるしかないけれどね」

 この星ではない、どこか遠くの星への航行。

 何だろう。この胸を締めつける高揚感は。

 トゥエの話は、いつも僕に未来を見せてくれる。

 僕は、今までとは違う未来を夢見ることができる。


 トゥエはここで暮らす為の新しい名前を、僕にくれた。

 それは過去に囚われない為の、「天の王」で生きる為の呼び名だと言った。

「ルスラン。あかつきと言う意味だよ。本当なら君には、別の真名があるのだが…」

「真名…」

 母が言っていた僕の本当の名前の事?

「今は告げる時ではなさそうだ」

 トゥエがそう言う以上、問いただす理由は無い。

 トゥエが、僕の為に生きる意味を教えてようとしているのだと、感じていた。

 多分僕だけではなく、彼は「天の王」の生徒達一人ひとりに、人生の道標となるものを教えているのだと思う。

 もし、そうであるなら「天の王」で生きていく事は、幸福に違いない。

 


 案内された学生寮の部屋は、メジェリに居た事とあまり変わりない広さだった。

 だがすべてが違って見えた。

 机やベッド、クローゼットなどアンティークな調度品は使いこなされ、味のある色になっていたし、刺繍を凝らしたカーテンにパッチワークのベッドカバーも決して新しいものではない。けれど、どれもが温かい。なんだか、幼い頃読んだ絵本の挿絵を集めたみたいで、ワクワクした。

 これからの六年間をここで過ごすと思うだけで、天に昇る気持ちになった。


「お父さん、お母さん、ありがとう…」

 僕は見たことも無い象の刺繍が入ったクッションを抱きしめながら、幸せな眠りについた。




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