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15,ルスラン編
太陽が今日最後の輝きを放ちながら、眠りに着こうとしている。
僕はそれに照らされたアーシュの姿を呆けたように眺め続けた。
アーシュは気にする風もなく、寝転がっている。
「そろそろ…帰らないと日が暮れてしまうね」
心とは反対の言葉を口にしてしまう自分に呆れながら、僕は腰を上げた。
「校門まで送るよ」と、アーシュも立ち上がる。
「ありがとう」
「そうだ。ねえ、シリウス。ここから下へ飛んで降りてみない?」
「え?」
ここからって…地上までは余裕で八十メートルはあるだろう。
飛ぶ能力が無い限り、試すには相当の度胸がいる。
「シリウスとなら、わけもないだろう」
自信満々で言うアーシュを、別な意味でマジマジと見つめてしまった。
「そう言われても…さすがに怖いよ」と、どんな顔をしていいものかと、僕は苦笑い。
「俺もここから魔法で降りたのは。一度だけだけどさ。ちょっと腕と顔を擦りむいたぐらいだよ。大した怪我もしなかった」
「…」
やったのかよ~。
自分で「魔王」と言うぐらいに魔法には長けているんだろうけれど、僕にはやる勇気は出ない。
「折角のお誘いは嬉しいが、骨折でもして、学園のお世話になるのもみっともないから、今回は遠慮するよ」
「そう?残念」
揶揄うつもりだったのか、執着もせず、アーシュはさっさとエレベーターの方へ向かう。
僕はその後を急いで追った。
古いエレベーターだから、下へ降りるにも時間がかかる。
それに絶えずキーキーと軋む音が耳障りだ。
灯りはなく、時折覗く煉瓦の窓から漏れる夕陽の残り火が籠に映し、フィルムのように動いては消える。
「…今日は会えて嬉しかったよ」
沈黙が怖くて、自分から喋った。
「キスひとつしないで、さよならかい?シリウス。それでいいの?」
アーシュはニコリともせずに僕を睨みつけた
「…」
「もう子供じゃねえよ、俺。こうみえて結構遊んでいるし、あんたが望めば寝てもいいんだがね」
彼の真の姿のように、光と影が交互にアーシュを彩る。
僕は息を飲んだまま、その姿に見惚れるしかない。
「俺はあんたを気に入っている。正直に言えば、セックスであんたを得られるのなら、喜んであんたに抱かれても良い」
「アーシュ…」
「今から俺の部屋に来る?」
「…」
この上もない甘い誘惑。
これは僕を試しているのだろうか…
僕はこの子よりも八つも年上で、常識も分別もある大人で…
「ねえ?シリウス…」
アーシュの身体が僕の胸に寄り添い、その両腕が僕の背に巻き付く。
顔を上げ僕を見つめる黒い瞳に光る無数に星屑。
眩しすぎて、目を瞑った。
「愛してる…」
僕は、無意識にそう呟いていた。
「ありがとう…」
囁きと同時に僕の唇に、温かい感触を得た僕は、ゆっくりと目を開けた。
「セーレ…あんたの真名だ。だけど俺はシリウスと呼ぶ。だって、そっちの方がかっこよいからね」
「…」
「愛されるのは好きだ。優しい気持ちになれる。心があったかくなる。幸せにしたくなる」
「アーシュ…」
「もう一度言う。何があってもシリウスは俺が守るからね」
「…」
アーシュ、君は僕の希望となるのか…
君が呼んだ僕の真の名を、僕は誰にも教えまい。
母さん、僕は今日、真の名を知ったよ。
あなたが予見したように、僕の真の名を呼んだ運命の人は、これからも僕を導いてくれるのだろうね。
その夜は、ホテルへ帰っても落ち着かず、フワフワしたまま一睡もできなかった。
朝早く、ロビーで待っているとリノが現れた。
チェックアウトをして、駅へ向かい、始発の寝台列車に乗り込んだ。
珍しく一等の個室を取ってくれたから、他人を気にすることなくゆっくりと休めた。
何より昨日の余韻は僕の身体から未だに離れがたく、リノに気づかれたらどうしようかと思っていたから、ひとりになれる個室がありがたかった。
窓の外の景色を眺めながら、アーシュとの邂逅を思う。
アーシュと交わした会話、体温、その唇の感触、そして誓ってくれた言葉。
「アーシュ…」
呟くだけで、身体中が熱くなる。
寝たわけでもないのに、今までのどんなセックスよりも、深い喜びが身体中に刻み込まれてしまった。
僕を守ると言ってくれたけれど、誓わされたのは僕の方だ。
僕が彼のモノになってしまったのだ。
それで構わない。
彼の一部になれたのなら、この先何があっても僕は絶望せずに生き続けられる。
「ルスラン、少し早いが夕食にしないか?」
リノの誘いに従い、食堂車に向かった。
テーブルに向かい合い、夕食を取る。
昨日と変わらないように傾いた太陽は美しい輝きに満ちている。それは昨日だけじゃなく、ずっと、昔から続いていたはずなのに。僕の目には、夕陽の輝きは特別な景色になってしまったらしい。
気取られないようにリノを見る。
朝から二日酔いで顔色が悪かったが、今は大分と良くなっていた。それでもそれ程に食は進まないらしく、リノは赤ワインばかり飲んでいる。
「リノには珍しいね。二日酔いなんてさ」
「…ちょっとね。詮索はするなよ、ルスラン。理由を話す気はないから」
「わかった」
彼もまた、ひとりになりたかったのだろう。
それに話を聞いたところで、僕にはなんの力にもなれない。
「それはそうと…おまえとの旅ももうじき終わりだ」
「そう…」
なんとなくそんな気がしていたから、驚きはなかったが、リノの口から聞くと何とも言えない感慨深いものが込み上げてくる。
「目的の駅には明後日の朝には着くから、そのつもりでいてくれ」
「うん…。リノとの旅も終わりと思うと、寂しいけれど、ふたりで色んな場所へ行けて、とても楽しかった。ありがとう」
僕の言葉に、リノは優しい微笑みを返してくれた。
「俺もおまえと一緒に旅が出来て、心から良かったと思っている。おまえは…本当に良い奴だよ」
そう言うリノは、少しだけ寂しげに見えた。
リノと別れて部屋に帰る。
帰り際、リノは僕に「明日は最後の晩餐だから」と、言葉を残した。
リノも僕もアルトだから、お互いの頭の中を覗き見る事は出来ない。
だけど、リノが誰を想っているのとか、何故、僕をこの旅に誘ったのか、理解してしまった。
それが僕の想像の範疇ならいいんだが、時間が経つと共に確信になってしまうものだから、どうしようもない。
救えない他人の心なんて、知るべきじゃない…
ふたりだけの最後の晩餐は、この旅の思い出話ばかりだった。
笑い、懐かしみ、お互いを思いやり、ずっと忘れないと労わった。
寂しさが募るばかりだ…。
翌日の朝、僕らは到着した駅に降り立った。
マントンと言う古く賑やかしい街だった。
港の向こうに海が広がり、背には山々が聳え立つ。
「古くから防衛の為に栄えた街らしい。ほら、あの高い丘に立派なお城が見えるだろ?昔、城塞に使われた建物らしいぜ。なあ、ちょっと行ってみたいと思わないか?」
「それがこの旅の最終目的?」
少しばかり惚けた口ぶりで言うから、リノも観念したように溜息を吐いて続けた。
「実はさ…おまえを待っている人から、連れてくるように頼まれたんだ」
「そうなんだ」
ホテルに荷物を置き、リノはレンタルした自動車に僕を載せて丘の上の城へ向かった。
「旅をするには金が要るからね。俺には打ってつけだった。おまえを騙した様で、あまり心持は良くなかったけれど…」
「リノらしくないね」
この状況に気乗りしないリノの思いが分かったから、ワザと明るく答えた。
もっと早くに打ち明けてくれていれば、僕への気遣いなどいらなかったのに、と思うと、同情してしまう。
「マイスリンガー財団って知ってるか?」
「いや、知らない」
「じゃあ、アルビッサの事件も知らんのだろうな」
「悪いけど、国外のニュースは知らない事が多い。偏狭な国の仕事だけにかまけてきたからね。世間知らずと言われても仕方ないね」
苦笑する僕に、リノは呆れたように溜息を吐いた。
「…ったくおまえがそこまで楽天的な男だとは思わなかった。これからおまえに降りかかる運命に同情しようと思ったんだがな」
「ハールートの事かい?」
「…」
リノの驚きが、真実なのだと知る。
僕自身でさえ、思ってもみなかった名前だった。
ただ、やっかいな事にそういう絶対的な直観と言うべき魔力が僕にはある。
「ハルが…僕を呼んだんだね」
できるだけ穏やかに僕は言う。
「やっこさん、やたらおまえに執着しているのさ。気の毒になるくらいにおまえに夢中なんだよ。で、金に糸目はつけないから、とにかく連れてきて欲しいって頼まれた」
「そうなんだ」
「まあ、あんな綺麗な子に愛想良くされ、頭を下げらたら、誰でも断る理由はないだろ?」
「リノの好みがわかって良かったよ」と、僕は笑った。
古い煉瓦造りのゲートハウスに車を着け、リノは俺をファザードへ案内しながら言う。
「本当は少しばかり心配している」
「大丈夫だよ。ハルの事はリノよりも、僕は良く知っているから」
「うん…。うまくやれるよう祈ってる」
手を振ってリノと別れ、僕は彼の待つ壮麗な宮殿の扉を開けた。
僕を待つものがなんであろうと、何ひとつ怖がるものは無かった。




