13
ルスラン 13
揺れる列車の心地よさに、ついウトウトとしてしまう。
目の前に座るリノも、随分と前から頭を振りながら夢の中だ。
リノとの二人旅も二か月を過ぎた。
性格が合うのもあるだろうが、気負う事も気兼ねもない快適な旅に、文句はなかった。ただ、心の憶測にある蟠りは、敢えて避けている。
それが今の二人の間に必要ではないなら、不穏な空気を湧き立たせたくはない…と、僕は思っている。
僕もリノも互いの思考を読ませないように心掛けているから、本音を知る由もない。
窓の外はのどかな田園の景色から家屋が段々と込み始め、緑色から屋根の鮮やかなオレンジ色が目立つようになる。街が近づいてきた証拠だ。
「う~ん、良く寝た~」
伸びをしながら、リノが目を覚ました。
「ちょうど良かった、リノ。次が終点だって、さっきアナウンスで言ってたよ」
「そうか。じゃあ、乗り換えだな」
「今回の列車の旅は、案外長いんだね」
「ああ、次の目的地はサマシティだ」
「え?」
一瞬、僕の呼吸が止まった。
それを見て、リノはしてやったりと笑う。
「鳩が豆鉄砲くらった顔って、今のおまえの顔を言うんだろうな」
「い、きなり…思っても見なかったから…」
「初めから予定に入ってたけど、ルスランが驚くと思って黙ってた」
「酷いな…」
「さあ、終点だ。降りようか」
「うん」
駅で小一時間待ち、それからサマシティ行紀の列車に乗り換える。
「なんとか今日中にサマシティに着きそうで良かった。一日中、箱に揺られて疲れただろう?ホテルはさっき予約しといたから、着いたらすぐに休むといい。ああ、今回、部屋は別々にしておいたから」
「え?」
「なにかと忙しくなるのさ、あの街ではね」
「リノは…よく行くの?」
「用事がある時はね。おまえは卒業以来だろ?三日ほど居る予定だから、思い出巡りでもするといい。学生時代と比べて、違って見えるものも意外とあるもんだぜ。学園にも行ってこいよ。まだ顔見知りの輩もいるだろうしな」
「さあ…卒業して五年になるし…。知り合いはいないよ」
「五年ぐらいなら、おまえに憧れていた後輩…とかさ。居てもおかしくねえだろ?」
「そんなの…いるわけないだろ」
気取られないように、自然に笑った。
僕の頭の中は、五年前のアーシュの姿で一杯になっていた。
サマシティに列車が着いた時は、すでに辺りは暮れ、鮮やかな街灯の光が僕らを歓迎しているかのように思えた。
ホテルは街の一等地にあり、サマシティで知らない者はいないという有名宿だった。
「高いんじゃない?」
「いいの。今回はパトロンの許可がある。それに支配人も顔見知りだし」
「そうなの?」
「この街では『天の王』のOBは、何かと優遇されている。特に俺たちは優秀なアルトだからな」
「そうなんだ」
「世界中でアルトが一番住みやすい場所はサマシティだよ、昔からね」
そう言ってウィンクをしたリノは、自分の部屋へと鼻歌交じりに消えていく。
ご機嫌な後姿を見送りつつ、この街は僕等にとって特別な場所なんだと改めて感じた。
その夜はなかなか寝付けなかった。
五年しか経っていないはずなのに、気分が高揚して落ち着かない。
何度が起き上がって、窓から外を見た。
街灯の灯が思ったよりも明るく、道路の両脇に連なる木々の影を形よく並び映している。
窓を開けると、ひんやりとした空気が肌を包んだ。
春が近いとはいえ、南回りから来た僕たちには、この街はまだ寒く感じる。
「本当に…サマシティに帰ってきたんだ」
帰る?
自分の口から出た言葉に驚いてしまった。
知らぬうちに、自分の故郷は、この街になってしまっていたのかも知れない。
メジェリで待つ父を思うと、後ろめたい気がしてならなかったが、心は嘘を付けない。
僕はこの街を、「天の王」を愛している。
翌日、レストランで遅い朝食を取った。
リノはすでに外出して居ない。勿論どこにいくのかも聞いてはいない。
「天の王」に行ったのかも…と、思うと、僕の心は無性に騒めく。
当てもなく街をぶらついてみる。
街の中心にある「天の王」学園の存在感は、建物が見えなくても、十分に感じられるが、顔を上げれば、高い塀の向こうに覗く聖堂の屋根と古い石の建物、そして構内の端にある高い石塔が否応もなく目に飛び込んでくる。
その威圧感…
五年前まではあの中で暮らしていたんだ、と思うと、なんだか不可思議な気がしてならない。
校門の前まで足を向けてはみたが、門の向こうに構える聖堂の入口を見たら、怖気づいて近づけない。
もし、アーシュと出会ってしまったら…と、考えると足が竦んでしまう。
一番会いたいのに、会うのがこんなにも怖いだなんて。
自分自身が理解できない。
そんな自分が可笑しくてたまらない。
もし、彼に会ってしまったら、どんな顔をしよう、どんな言葉をかけよう。
あの時のまま、健やかに暮らしているだろうか。負けん気の強さも高貴な自惚れも清冽な容姿も…。
時は残酷とは言うが、あの子も無慈悲な時間の狭間に堕落してしまうのだろうか、僕のように。
見上げた先の聖堂のステンドグラスの窓が、キラリと輝く。
その日は、学園には寄らず、昔、行きつけだった喫茶店と古本屋に寄り、ベーカリーでサンドイッチを買ってホテルの部屋で食べた。
どの店も僕を覚えていたくれた事に驚いてしまった。
店主たちは店に来る「天の王」の学生の顔を覚えるのは当然だと言い、OBが来店してくれるのは大歓迎だとまで言われ、当然のようにサービスやおまけをくれ、色々な懐かしい話で盛り上がったりと、僕を飽きさせなかった。
そして最後に「良いアルトにおなりなさい」と、エールをくれる。
その期待はプレッシャーと比例する。それに打ち勝てねば、彼らの望む者にはなりえないのだろう。
二日目はホテルから出ずに、昨日、古本屋でもらった哲学者の善悪論を読む事にした。
学生の頃にも読んだものだが、今になって読み返すと、あの頃とは違った解釈も多々あり、違う自分が見つめられる気がした。
夜、リノに誘われて一緒に夕食を取る。
この二日間、どこでどうしていたのかは、彼は一切話さない。もたないから、先ほどまで読んでいた本の話をすると、リノは自分も読み終えたばかりの本があると、持っていた文庫本を僕にくれた。
「面白いの?」
「意外とね、お勧めだよ」
見たこともないタイトルと作家の名前。どうやら東洋の武士道精神が描かれた本らしい。
「明後日の朝一番に、ここを出発する予定だから、そのつもりでいてくれ」
「わかった」
「明日は最後になるから、せっかくの思い出の地を十分に楽しむことだぜ、ルスラン」
「余計なお世話だよ」と、僕は嗤う。
部屋に戻る時、「明日は、学長に会いに行く約束があるんだ。おまえも来るか?」と、問われ、即座に「やめておく」と答えた。
学長にもアーシュにも無性に会いたいのに、あんな風に言われただけで怯むなんて、アレルギー症状も酷いものだ。
サマシティ滞在の最終日、昼間近くまで部屋でダラダラとしていたが、思い立って外へ出た。
「天の王」学園へ向かって、足が速くなる。
もしこのまま「天の王」に寄らずに、この街を去ったら、僕は永遠に後悔するだろう、と、思った。
こんな意気地なしの僕を、誰も認めてくれるはずもない。だったら「天の王」へ入るなけなしの勇気ぐらいは持ち合わせていたい。
正門から堂々と入る勇気は無かったら、裏門へ回って見学の許可を取った。
守衛の門番は機嫌よく招き入れ「今日と明日は連休だから、学生も先生も外出して少ないんですけど、構内の木々も若葉が芽吹いていますし、ゆっくり散策するには最高ですよ」と、見送ってくれた。
ひとり白樺林の間を歩く。
守衛さんの言う通り、人影は見えない。
聖堂に寄ろうと思ったけれど、もしリノと出くわした時の、バツの悪さを考えると気が引ける。
出来るだけ中央の道は避け、長く続く門の裏側に沿って歩いていたら、ひときわ高い塔の正面出入口が見えた。
学生の頃から気になっていた石造りの高塔だったが、登ったことはない。一握りの選ばれた学生だけがこの塔に上ることが許されていた。
学長トゥエ・イェタルから選ばれた生徒、すなわち「ホーリー」と呼ばれる者たちが集う場所だと、聞いていた。
僕はホーリーではなかったから、縁がなかった。が、興味はあった。
鉄柵の門をくぐり、古い木の扉を押すと、簡単に開いた。
少し躊躇したが、卒業した僕には権威の名など、今は関係ないだろう。
それに鍵もないという事は、誰でも歓迎?と、言う勝手な解釈の末、奥へと入る。
目の前には見るからに脆弱なリフトがある。
ボタンを押したら、案外スムーズにドアが開いた。
「途中で壊れた時は、どうしようかね」と、独り言を吐きつつ、乗り込んでみる。
ガタンと揺れて、籠が動き出す。
上昇していく籠の向こうのシャフトの様子を眺めつつ、不思議な高揚感に包まれていく自分が面白い。
ギィと静かなブレーキ音と共にドアが開き、目の前に広がったのは、何もない屋上。
曇り空の向こう、広大な「天の王」学園の敷地が一望できる。
「これはまた…素晴らしい眺望だな」
初めて見る景色に、感嘆の声もままならず、僕はその中央に静かに立つ。
なんだかざわついた気がして、足元を見ると、石床に魔法陣が描かれている。腰を下ろして指でなぞってみる。
まだ新しい。
しかも描かれているのはゲートの陣。
描くのは難しくはないけれど、扱うにはかなりの魔力がいる。
これを使いこなす学生がいるのか…。
「おい!俺の魔法陣を汚すんじゃねえよ!」
突然、聞いたことのない声がした。
慌てて姿を探す。
シャフトの屋上に人影が見えた。影になって顔が見えない。
「折角の休日にここへくるなんて、よっぽどの暇人…って、え?…」
その影は高台からしなやかに飛び降り、僕を見定めるようにゆっくりと近づいてくる。
「…」
昔、よく似たシチュエーションがあったなあ、などとぼーっと眺めていた僕に、突然その影は一目散に走り寄ってきたのだ。
「シリウスっ!シリウスじゃんか!あんまりでかくなってたから、わかんなかったぜ!わーい!」
「…ア…シュ…」
その身体を受け止めるのに、僕の足腰は持たず、為すがままに彼を抱きしめ、後ろに倒れ込んだのだ。
「久しぶり、シリウス。元気だったか?」
「あ…」
君の笑顔は眩し過ぎて、僕は思わず目を閉じる…
再会を思い描いた事は数知れず。
だが、現実のこの奇跡には、何一つ敵う気がしない。




