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 リノとの旅は勝手気ままな放浪旅というよりも、きっちりと予定された様でもあった。

 リノが仕事と言って、ホテルからいなくなる間、僕は行く先々の街や村で様々な出会いを楽しんだ。

 慣れ親しんだ風景もあるけれど、沢山の初めて見る景色は僕を楽しませた。

 どれもこれも僕の心を豊かにさせる。


 リノがホテルに帰らない夜も時折あった。

 朝帰りで疲れた顔を見ても、僕は何も言わなかった。

 僕は彼の仕事について知るのが怖くなってしまう。

 だが彼への信頼は揺るがなかった。


 昔からそうだった。

 人に自分の考えを知られるのが嫌いだし、甘えるのも甘えられるのも、彼は拒んでいた。人当たりは良いのに、心から他人に心を許すこともしなかった彼が、僕を旅に誘ってくれたのが、僕には何よりの喜びだった。

 憧れでもあったリノに選ばれたという自尊心が、その時の僕を幸福にしていた。


 リノは無口ではないが、この旅では僕の方が一方的に話すことが多かった。

 日頃滅多に口にしない城での生活の雑言や愚痴などを、リノは面白そうに聞きながら、僕を労わってくれるのが素直に嬉しかった。

 僕もリノも互いに好意を持っている。それは恋愛というよりも、信頼と呼ぶのがふさわしい気がしていた。

 ひと月経っても、僕たちはお互いを求めなかった。

 寂しい時は、ただ寄り添って、互いの身体を抱きしめ合った。

 それだけで僕は充分だった。

 本当にそれだけで良かったんだ。



 旅の途中、僕は懐かしい街に立ち寄った。

 幼かった頃…父と母と三人で暮らしていた、あの街だ。

 僕はひとり、一人で住んでいたあの裏通りの煉瓦造りの家を探し歩いた。

 昔と変わらない仕立て屋の看板を観た時、懐かしさで胸が締め付けられた。

 父が絵描きとしてここで暮らしていた頃、仕立て屋の大家さんに頼まれて描いた看板がそのままだったからだ。

 あの絵を描いていた父の、楽しそうな顔はぼんやりと覚えている。


 恐る恐るドアを開けて中を覗いて見る。

 …家具の配置も色合いも、匂いも僕の記憶と違いがなかった。


「ラファ?…ラファエルかい?」

「おばちゃん!」

 いつも僕を膝に抱っこしてくれていたアチおばさんが、エプロン掛けの昔の儘の格好で走り寄ってくる。

「ああ、やっぱりラファじゃないか!…あの小さな甘えん坊のラファが、こんなに大きくなって…。ちょっとあんた!おいでよ!懐かしいお客さんだよっ!」

「おばちゃん、お客じゃないから。ちょっと近くまで来たから、寄ってみただけなんだ。お土産も持たずにごめんね」

「何言ってんだよ。あんたが来てくれるだけで、何よりのお土産だよ。そうら、よく顔を見せてごらん。…うん、顔は美人の母さんそっくりだ。背の高いのは父さんだね。声もよく似ているよ。こりゃ、良い男に出来上がったもんだよ。美男美女の両親に感謝するんだね」

「大げさだよ、おばちゃんは相変わらずだなあ」

「おお、これは懐かしいな。ラファエル…大きくなったもんだ」

 主人のラッセおじさんも、すっかり髪は白くなっていたが、元気そうだ。


「おじさん。ご無沙汰してます。店の前の看板を見たら、懐かしくて、ふたりに会いたくなってしまったんだ」

「バカもん。もっと早く会いに来い。子供のいない俺たちには、おまえは孫みたいなもんだ。孫の成長する姿を、どんなにか近くで見守りたかったか…」

 おじさんは僕の背中を強く抱きしめ、ポンポンと叩いてくれた。抱きしめるその力強さは、僕の心を確実に暖めてくれる。

「ごめんね、遅くなって…」


「さあさ、湿っぽい話は止め止め。さっき焼いたばかりのマフィンがあるんだ。あんたの好きだったアプリコットジャムをたっぷりつけてお上がりよ」

「ありがとう、おばちゃん。ご馳走になるよ」


 昔より随分と年老いた夫婦の、昔と変わらぬ愛情に、僕は戸惑いながらも溢れる涙を止められなかった。

 こんなにも歓迎される事が、今まであっただろうか。

 どんなに懸命に仕事をしても、結果を出しても、褒めたたえる言葉を貰っても、僕の心は感動する事がなかったのに、この人たちは何も持たない僕に、無償の喜びを与えてくれる。


「ロレーンのお葬式には行けなくて、本当に悪かったね」

「ううん、いいんだ。遠かったし、僕も小さかったし、何をどうしたらいいのかわからなかったから」

「とうさんは元気なんだろ?一緒に暮らしていると聞いたよ」

「父も随分と歳を取ってね。壮健ではないけど、昔のままの優しい父のままさ。ただ小さいながらも一国の王様だからね。色々と大変なんだ」

「そうかい…。ロレーンが亡くなったと聞いた時ね。あんたをうちらで引き取ろうって、ふたりで話した事もあったんだよ。でもほら、カレルがあんたを連れて行ったって聞いたから、ホッとしたんだ。やっぱり親と一緒に暮らすのに、越したことはないからね」

「心配させてしまって、ゴメンね」

「そんなことはどうでもいいよ。さあ、自分の家と思ってくつろいでくれ。ゆっくりできるんだろ。今日は泊まっていくといいさ」

「ごめん、宿は隣町に取ってあるんだ。ひとり旅ではないしね」

「あら、誰か…良い人がいるのかい?まあ、いてもおかしい歳じゃないんだからさ。恋人なら紹介しておくれよ。歓迎するよ」

「そんなんじゃないよ。学校の先輩で、今は一緒に修学の旅の最中なんだ」

「へえ、勉強の為の旅行かい。ラファも色々と大変だね」

「男にはやらなきゃならない試練ってものがあるのさ。なあ、ラファエル」

「そうだね、おじさん」

「そうだ、おまえたちが暮らしていた二階の部屋を案内しようか」

「本当?それは見てみたいな」

「カレルが残してくれた画材道具があったから、遊びのつもりで描いていたら、すっかり楽しくなってなあ。すっかりアトリエになっちまったんだ」

「おじいさんの老後の生き甲斐になってるのよ。下手の横好きってものだけど」

「ばあさんに言われなくてもわかっとる」

 そう言って、ラッセおじさんは、昔、親子三人で暮らしていた部屋へ連れて行ってくれた。

 あの頃と変わってしまった部屋の模様と、変わっていない日差しの暖かさに、一瞬で記憶が蘇る。


 

 …ラファ、良い魔法使いになってね。その力は自分の為にあるのではなく、他者を幸せにする為のもの。だから、皆に尊敬される人になりなさい…。それがお母さんの願い…

 

 何度も繰り返した僕にとっての呪いのような母の遺言。

 だけど、今、僕の心に響く母の祈りの声は、僕に「生きろ」と、励ましてくれている。


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