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マスターズ・リーグ ~傭兵王シリルの剣~  作者: 振木岳人
◆ 第一部終章 「さようなら」編
82/85

82 始まった覚醒



 平野を覆っていた残雪が溶けて畑や大地がちらほらと顔を出し始めたサンクトプリエンツェ周辺。

 肌を刺す様な冷たい空気も穏やかな太陽にほだされて、その険しさを緩め始めたそんな時期。

 サンクトプリエンツェの街の郊外にこじんまりと建っている和風の平屋の家に、一人のサムライが訪れた。


 手入れをしているかしていないかのギリギリを狙ったかの様な庭園を抜けて、庭の軒先に現れたのはサンクトプリエンツェ一帯を治めるサムライマスターのエノキダ・ヒョウマ。

 「相変わらず腑抜けておるな」と苦笑しつつ、縁側で大の字になってひっくり返っていたサムライに向かって手にした陶器のボトルを放り投げる。


「おっとっと! これはこれは……兄者が来るとは珍しいな」


 ボトルが落ちないよう慌てて起き上がり、しっかりと両手で受け止めた人物とはエノキダ・ダンジョウ。ヒョウマの弟である。


「ふふっ、獄門のダンジョウと呼ばれた男も戦が終われば単なる穀潰しだな」

「これはしたり。戦人(いくさびと)が春の陽に居眠りを楽しむ事、それこそ平和の証だとは思いませぬか? 」


 もっともらしい言い訳をしながら、渡されたボトルの蓋を開けるダンジョウ。

 芳醇な香りの漂う上等な日本酒だと分かると、慌てて奥の居間取って返し、持って来た二つの茶碗にそれをなみなみと注いだ。


「聞いたぞダンジョウ。またコランタン王の誘いを断ったそうだな」


 盃ではなく茶碗に注がれた酒に不快感も示さず、ヒョウマはちびちびと美味そうに喉を濡らしながら、終始穏やかに事の真相を尋ねる。


「王家の剣術指南役と言えば、大陸中にあぶれている剣術家たち垂涎の職。あの騎士王の血統であるコランタン王ならば尚更だぞ」

「確かに剣に生きる者にとってはそうでしょう、だが生き方が違う。剣は生計を立てるものではない、剣に生きるとはまさしく切った張ったの世界に身を置く事」

「ふふっ、このひねくれ者め」

「兄者ほどの方だ、既に我が心中を察していてくれるかと思ったが」

「たわけ! 察しているからこそ心配している」


 カラカラと笑いながら弟に空の茶碗を差し出すヒョウマ。ダンジョウもヒョウマに問い詰められながらも不敵な笑みを浮かべておどけている。


「……サムライたるもの、二君に仕えず。その気持ちは変わらん」

「気持ちは分かる。だがなダンジョウ、殉死だけは許さんぞ」


 ダンジョウが咲き乱れる梅の花の隙間から霞がかった空を見詰めて呟いた言葉ーーサムライたるもの二君に仕えずーー

 忠誠を誓った王にに対し自分の生涯を捧げると言う誓いであり、あくまでもその忠誠心は王家や血統に左右されず王個人に対してのみ有効だと言う事。

 当たり前の話、エノキダ・ダンジョウは未だかつて王なる者と主従関係を結んだ事は無い。年明けに終結へと至った未曾有の戦乱【天使蹂躙】の際も、兄ヒョウマの命令に背き単独で戦地へと赴き戦功を上げた浪人の身であった。

 ならば何故ダンジョウはシュラッテンフルー王国の新しい王となったコランタン・クルゼル直々のご指名をこれほどまでに固辞するのか。……それは大吟醸の高級和酒でだいぶ言葉数の多くなって来た兄ヒョウマが、ダンジョウの気持ちに添いながら呟いた次の言葉に垣間見れた。


「お前が幼い頃から心底憧れた英雄、ボードワン・クルゼル。……惜しい人物を亡くしたな」

「あの方も筋金入りのいくさびとだ、いつかこうなる事は見えていた」

「ぬかせ若造、知った風な口をききおって。コランタン王もなかなかの人物ゆえ、お前の忠誠心は間違いなく満足されるはずだが……それでも嫌か? 」


 よっこいしょと、二十歳そこそこの青年はそう言って立ち上がり、あぐらをかいていた縁側から庭に歩き出す。

 両手を高く高く大きく背伸びをし終わると、目の前の梅の木に手を伸ばして枝を優しく曲げて、梅の花の香りを嗅ぐ。


「乱世の王には乱世の臣下、平時の王には平時の臣下が似合いましょう。天使蹂躙が去った今、肩苦しい王宮で退屈に生きるほど、私は気の長い人間ではありません」


 幼い頃からひたすら騎士王に憧れ、騎士王の旗の下で剣を掲げる事を夢見て来たダンジョウ。だが願いは叶わず天使蹂躙においてはヒョウマ率いるサンクトプリエンツェ軍にも入る事を許されず、勢い余って独断で天使に闘いを挑んだ際には自らが「獄門のダンジョウ」と伝説を残し、入れ替わる様に騎士王ボードワンは永眠の途に着いた。

 結果としてまだ一度も正式に仕官した事の無いダンジョウのその想いの強さを察するからこそ、今の今まで兄ヒョウマは彼の腑抜けた姿を諾々と受け入れて来たのだが、今日のヒョウマは違った。

 普段ならダンジョウのこの言い訳じみた言葉を飲み込んで立ち去ったのだが、今日に限って別の目論見があったのかピシャリとダンジョウに言葉を重ねたのだ。


「天使蹂躙は再び起こる、これは亡き騎士王の言葉ぞ。そして獄門のダンジョウと言う異名は独り歩きし、騎士王に次ぐ伝説となった! ……その意味が分かるかい? 」

「何やら面妖な事を言い出したな。兄者がイタズラっぽい顔をする時は、大抵ロクな事が無い」

「イタズラじゃないさね。獄門のダンジョウと呼ばれる男は、騎士王伝説と共にそれを憧れて来る少年少女に責任を取れと言ってるのさ」

「少年少女に? ……責任を取る? 」

「ウオッホン! おめでとうダンジョウ、今春からお前は学園長……王立フェレイオ学園の学園長だ」


 はあっ!? 何だそりゃ学園長って、どゆ事どゆ事!? と

 ひどく狼狽しながらヒョウマに詰め寄り続けるも、にっこり笑顔で酒をちびちびすするヒョウマが再びピシャリと打った言葉に対して、ぐうの音も出なくなる。


「騎士王の旗を掲げる夢を追い続けて今日のお前がいる。そして今は騎士王や獄門のダンジョウを追い続ける子供たちがいる。その子供たちが迷わない様に導け、夢破れた者の責任を果たすんだ」


 ーーそうすれば、お前自身だっていつまでも騎士王の夢を見ていられるだろ? ーー


 兄の真意に気付いたダンジョウ、無言のまま再び縁側に腰を下ろし、茶碗の中身をぐいと飲み干す。


「ひねくれ者の学園長か、あははは! 好きにやらせて貰うぜ」

「ああ、好きにやれ。ケツは俺が吹いてやる」


 王立フェレイオ学園、初代学園長誕生の瞬間なのだが何故か……能天使エクスシアの錫杖で身体を貫かれた瞬間、ダンジョウの脳裏に浮かんだ光景がこれであった。


「あ、あああ……学園長」


 恐慌の表情でガクガクと膝を震わせながらこちらを見るシリル。意識が遠のく中でダンジョウはシリルを必死に見詰めながら最後の言葉を吐き出した。


「……シリル君……君は不幸じゃない……自分を愛せ……君の父は……」


 最後まで言い終わらぬ内に、ダンジョウは瞳を閉じる。獄門のダンジョウは魂の寝所へと旅立ってしまったのである。


 錫杖を引っ張り、ダンジョウの遺体を無造作に地面に落とすエクスシア。次はいよいよメインディッシュのお前だとばかりにシリルへと向き合う。

 ダンジョウの死を間近に見てしまったアーロンとビーティーは信じられないと愕然としたままだ。


 その時、それまで獣の様だったシリルに劇的な変化が起こる。ダンジョウの死で感情のコントロールが一切出来なくなっていた以上に、髪の毛に隠されて誰も気付いていなかった「666」の痣が何と……ギュルギュルと回転しながら皮膚の中へと潜って消えたのだ。




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