08 ローストビーフサンド同盟
一年B組のエステバン・カミネーロは竜族である。
大陸の南西端を生息域とする「クエレブレ種」に分類されるドラゴン一族の少年である。
このクエレブレ種は深い森や洞窟などを好むため、大陸南西端の亜熱帯地方にいながらも比較的標高の高い山岳丘陵地帯に一族のコミュニティを作り、古くからそこを根城としていた。
また、翼竜と違ってドラゴンは知能が高い上に魔力も持っているため、普段は人に化けてローコストの慎ましい生活を送っている事が多く、エステバンの一族もまた余程のトラブルが無い限りは、日々人の姿をしている時間の方が長かった。
その、一族最年少のエステバンは今、長老たちの推薦を得てフェレイオ学園へと進学したのである。
ドラゴン固有の能力があれば、他の種族と肩を並べなくとも圧倒的な火力を持って戦闘行為を継続出来るのだが、第一次天使蹂躙が始まった際の初期段階で、一族の慢心による単独行動から多大な死者を出してしまったのである。
そしてクエレブレは変わったのだ。【持てる力を持ち、得る知識を得て、大陸一丸となって第二次天使蹂躙に備える】と。
ちょうど人間基準の数え歳で言えば、エステバンは今年十六歳。竜の子供ドラゴネットとして親や一族の期待をその双肩に託され、このフェレイオ学園の門をくぐったのだが、彼のイメージしていた環境とは全く違う現実に戸惑いを隠せないでいた。
運悪くなのか、隣の席の少年があまりにも自由過ぎて、学園生活がこんな緩くて大丈夫なのかと真剣に心配になって来たのである。
王立フェレイオ学園には大陸中の猛者や術者が集まり、その能力の限りを競い合った果てに、一部の勇者だけが【マスター】の称号を贈られる。
しかしマスターの称号を得たからと言って喜んではいられない。その大多数の者たちは名前だけ登録されたままそのまま故郷に返されてしまい、非常時や有事に呼ばれるだけの単なる戦闘員として扱われるのだ。つまりは超英雄軍団と現地軍団のつなぎ。
本当に輝くのは、年に数人も選ばれないマスターの中のマスターである。マスターの称号が与えられた面々から更に選別され、超英雄軍団の一員となって初めて、大陸の頂点に立つ戦士だと認められるのである。
つまりその超英雄軍団の名前こそマスターズ・リーグ、騎士王ボードワンが手掛けた【英雄連盟】なのである。
だからエステバンも緊張に緊張を重ねてフェレイオ学園の門をくぐった。
ナメられてはいけないと眉を寄せて厳つい表情を作り、常に刺す様な視線で周りの人間を射殺し「さすがドラゴンは怖ろしい」と、馴れ馴れしい者を寄せ付けないようにしていたのだが……
新学期早々に異臭騒ぎを起こし、人間の貴族の娘のとのロマンス騒ぎでクラスを湧かした少年は、「デラヒエ」の名前を持つ精霊王の息子なのだと言う。
ただ、このシリル・デラヒエと言う少年は、精霊王エリーゼ・フィオ・デラヒエに確かに世話にはなったが、元々は天使蹂躙の際の戦乱孤児であり、実の両親すらわからないのだと説明していた。
デラヒエの真相を問い正そうと躍起になっていたクラスメイトは、触れてはいけない他人の過去を暴いてしまい、ひどく後味の悪い顔をして引き下がって行ったのだが、不思議な事に当のシリルはどこ吹く風でケロっとしており、「七色雷魚の穴場を見つけたから、当分の間は食うに困らない」と笑顔を絶やそうともしない。
何故そんな彼がこの学園にいられるのかと言う心配と疑問と共に、いかついドラゴンを装っている自分が馬鹿馬鹿しくなって来たのである。
そして学園生活の三日目も午前中が終わり昼休みの時間。エステバンの心境に変化が現れるきっかけの瞬間がやって来た。
エステバンが寮母から渡されたドラゴン特製弁当をげんなりしながらつまんでいると、ぐうぐう! と盛大な腹の虫が隣の席から聞こえて来たのだ。それはもちろん隣の席のシリル・デラヒエの腹の虫。
「アンヌフローリア先生ひどいや……没収されたら僕は何を食べれば良いのだ」と机に突っ伏してブツブツと独り言を繰り返している。後で分かったのだが、シリルは学園の裏にある学食用の養魚場を穴場と勘違いして、採った魚を学年主任に取り上げられたのだそうだ。
ともかく、あてにしていた昼食が突如無くなってしまった事で、シリルは何も食べずに空腹のまま午後の授業を受けなくてはならないのだが、それを横目に見ていたエステバンは閃いた。自分の弁当をお裾分けすればと考えたのだ。
実は、エステバンは恐怖の象徴であるドラゴンとは思えないほど、穏やかを通り越して弱気な性格であったのだ。だから“最初が肝心だ”と、いかつい表情で自分を装って学園生活を切り抜けようとしていたのである。
また、ドラゴンだからと寮母は特製の弁当を作ってくれるのだが、それは寮母の勝手な思い込みで弁当の中身は全て肉、ローストビーフだけがぎゅうぎゅうに詰まっている。
朝食に肉を出されて昼の弁当も肉、夕食も肉を出されればさすがの「クエレブレ種」のドラゴンも参ってしまうのだ。(クエレブレ種は雑食で、好物は穀物である)
そして、本人の気持ちの弱さもあってか「寮母さん、僕はパンが食べたいんです! 」と言えない負のループ。
……見るだけでウンザリしてしまうこの肉弁当、シリル君食べてくれないかな……
気弱なエステバンはチラチラと隣に視線をやりながら、彼に話し掛けるチャンスを探していたのだ。いや、言葉を選びながら彼に話し掛ける勇気を充電していたのである。
ーーおう、そこのあんちゃん。しけたツラせんでこれでも食って元気出さんかい! ーー
……いや違う、これじゃドラゴンじゃなくてアウトサイダーの人になってしまう……
ーーこれ、そこな人の子よ。これを食べるでおじゃるよーー
……貴族な人っぽいけどこれじゃ全然荒々しくないし……
ーーこれ、いらないからあんた食べて。べっ、別にあんたの為に用意した訳じゃないんだからね! ーー
……確かに荒々しいけど、確かに荒々しいけど!……
ーーYOU、これ食べちゃえばいいじゃんーー
……なんじゃこりゃ、僕は何を言ってるんだ!?……
なかなかにドラゴンらしいセリフを見い出す事が出来ずに苦悶するエステバンだが、当たり前の話時間だけはどんどん過ぎて行く。
結局何も言い出せずに、後になって後悔するのは嫌だ! そんな後悔だけはしたくない……!
意を決したエステバンは、とにかく渡せば良いんだと、ガバッと背筋を伸ばして弁当を掴んで身体ごとシリルに振り向いた。
「こ、これ食べて! 」
ハッとするエステバン。
まなこを開けてしっかりシリルの方向を見ると何と、シリルは何故か前の席の女生徒の熱い視線を浴びながら、もっしゃもっしゃと食パンにかじりついているではないか。
「え、ええっ!? 」
シリルの前の席は、召喚士の一族だと自己紹介していた背の小さな少女カティア・オーランシェ。どうやらそのカティアが食パンをお裾分けしたらしい。
「下宿先が……パン屋さん……失敗したパン……お腹空いた子に……」
会話が苦手なのか途切れ途切れなのだが、何とか単語を繋ぎ合わせて忖度すると、街でパン屋を営む老夫妻がカティアを同郷のよしみで下宿させているのだと、そして本当かどうかは分からない立派な出来栄えの「失敗したパン」をカティアに持たせて、育ち盛りの少年少女にお裾分けしているらしい。
……カティア・オーランシェ、なるほど。彼女も奥手な性格でパンを持て余していたのかな……
ちょっと気持ちに余裕が出て来たエステバン。
改めてシリルに対して大量のローストビーフを振る舞いながら、カティアの持参したパンを凝視しながらゴクリと喉を鳴らす。
……パンが、パンが食べたいっす……
「……ローストビーフサンド……」
カティアの閃きそして呟きは、シリルとエステバンを雷が打ったかの様に突き動かした。
そう。ローストビーフサンド同盟の誕生である。
「こ、こんな美味いものは初めて食べました。パンって凄い! ローストビーフって凄い! 合わさるともっと凄い! 」
生まれて初めての味覚に嬉しいパニックを起こしながら、シリルはこれ以上無いほどの笑みを浮かべて食べ続け、エステバンもカティアもそれに倣いながら、ひと味上乗せされた昼食を楽しんだ。
臆病なドラゴン
コミュニケーションの苦手な召喚士
精霊王に拾われた自由人
そこはかとなく不安な三人ではあるのだが、やがてこの三人は学園に名前が轟く台風の目となる。しかしそれはまだまだ先の話。
今はまだうたかたの平和を噛み締める時間なのであった。