73 ダンジョウの裏切り、そして想い 後編
【サンクトプリエンツェを襲撃するであろう天使の軍団を迎撃しつつ、これを殲滅する】
陰陽師ロロットの情報を元にマスターズ・リーグの「鬼の副長」ニルス・ペータセンは、このシビアな状況下において、希望的観測を一切排除しての迎撃作戦を立案した。
先ずはサンクトプリエンツェ全住民のエクソダス……大量の脱出を最優先し、領主のエノキダ・ヒョウマ率いるサンクトプリエンツェ防衛隊二千名は住民の護衛に専念させる。ーー街の人々のほとんどは人間種なので、襲撃される危険度はさほど高くはないのだが、万が一を考慮すればこれが最善だと判断。住民退避の完遂こそを最優先と位置付ける。
そして、天使がサンクトプリエンツェを攻める理由として考えらる最大の要因は王立フェレイオ学園の存在だ。
学園が天使殲滅のエキスパート養成機関である事からして、天使がそれを破壊する事を目的に襲来するのは自明の理であるし、学園関係者の中に「獣の数字持つ者」がいる事も予想される。
したがって、学園を防御拠点と位置付けておき、徹底した結界展開と消極的な撤退戦による持久戦で時間を稼ぎ、大陸中に散らばっているマスターズ・リーグのメンバーと、彼らに率いられた現地軍がサンクトプリエンツェに合流するのを待つ。
たまたまマスターズ・リーグのコレットとマクスはサンクトプリエンツェを訪れていたのだが、鬼の副長ニルスは王都から先行して団長のローデリッヒをこの地へと派遣させつつ、王都リースタルでシュラッテンフルー国軍の進撃準備に努めていたのであった。
「さてと、もう一時間経ったよな。……そろそろ見えるかな? 」
フェレイオ学園の職員棟の屋上。偵察活動をしていた風紀委員長のビーティーから報告を得たフェレイオ学園有志とマスターズ・リーグ先遣隊の合同部隊は、遥か彼方の地平線からやって来る「死をもたらす軍勢」に対して、早く姿を見せろと前のめりになって待ち構えている。
「アーロン君、講堂の方は準備良いのかい?」
細く長い木の枝を持ち、深緑でボロボロのコートを羽織っているマスターズ・リーグのリーダー、ローデリッヒ・エメラルドが生徒会長に声を掛ける。
地上世界、地上人の頂点に君臨する戦士に話しかけられてもアーロンは一切動ずる事無く「講堂は今、結界が張られました」と涼しげに答えた。
「よろしい。ならばおじさんも張り切って始めちまうか」
おどけているのか、それとも終始こんな調子なのか……。
自らをおじさんと呼んだローデリッヒは、おどけた表情をそのままに、なんら意匠も凝らしていない単なる古木の残骸……木の枝を高々と掲げ、自らの瞳に力を込める。
“貪欲なる狼、ゲーリとフリキは我が足元に集え”
“貪欲なる狼、ゲーリとフリキは我が足元に集え”
“ワタリガラスのフギンとムニンは我が肩に留まれ”
“ワタリガラスのフギンとムニンは我が肩に留まれ”
ローデリッヒが怪しげな詩を口にし始めた途端、その場にいるダンジョウやアーロンたちは空気が変わりゆく事に気付いた。目に見えた変化は無いものの、空気がどんどんと澄んでいくのだ。それも一呼吸一呼吸空気を吸い込む度に、肺に入れた空気が荘厳且つ神秘的に感じられるほどに。
“喜びの世界、宮殿グラズヘイムの頂点に、今我は立つ”
“グラズヘイムの上、すなわちそこはヴァルハラである”
“ここはヴァルハラであり、我こそがヴァルハラの主であり、つまりはヴァルハラとは我の事を指す”
“ここはヴァルハラであり、そうであると高らかに宣言する。”
“ーーそれすなわち、ここはワルキューレに選ばれし戦士のみが入る事を許された我の世界である”
特殊結界【ワールド・オブ・ヴァルハラ】
魔道士や妖術士、魔女やウォーロックが用いる結界魔法とは全く異なる理論によって現世界に発現する、唯一ローデリッヒ・エメラルドだけに与えられた空間変位魔法である。
召喚した悪魔を閉じ込める結界や、魔術理論に沿って構築した遮蔽エリアや、妖術士やウォーロックが駆使する精霊力による結界とも違うこのワールド・オブ・ヴァルハラ。ローデリッヒの命により、指定した空間を「ヴァルハラ」と言う名の偽装天国へと変換させたのである。
ヴァルハラ、それは北欧神話における主神オーディンの居城で死者の館とも呼ばれる、当該神話における最高峰の空間……つまり選ばれた者だけが入る事を許される天国を意味する。
戦場で死んだ戦士の魂を戦女神のワルキューレたちがヴァルハラへと運び、そして来るであろう終末戦争ラグナロクへ向けてヴァルハラで訓練と酒宴を繰り返す……。
マスターズ・リーグのリーダー、ローデリッヒ・エメラルドはそのヴァルハラを王立フェレイオ学園にへと発現させた。
ダイヤモンドダストが輝いているかの様な神々しく澄んだ空気に包まれたこの場所は、ヴァルキリーに選ばれた者しか足を踏み込む事の出来ない、特殊結界へと姿を変えたのである。
【亜オーディン】
亜種の「亜」を付けた亜オーディン、又はレッサー・オーディン(劣化オーディン)とも呼ばれるローデリッヒ・エメラルドは、人の子として産まれた後に、DNAの奥底に眠るオーディンの遺伝子が突如発動してしまった突然変異体。つまり闇の眷属デモニックに分類される亜人とも亜神とも呼べる存在である。
何故神なのに闇の眷属に属しているのかと言えば、それ以外に分類すべき項目が無い事と、絶対神フェレイオが紡ぐ神々の系譜とは全く異なる存在だからであり、事実、天使を率いて地上世界に干渉する「大いなる父」の教義の元となった十字教では、オーディン以下北欧神話に登場する全ての神々を闇の眷属デモニックと位置付けている。
古来より様々な時代と民族を経て受け継がれて来たオーディンのDNAが偶然にも目を覚ました時、しがない山賊のリーダーだったローデリッヒ・エメラルドは、地上世界の最強戦士に生まれ変わったのである。
「さあ、準備は出来たぜ! 」と、意気揚々とローデリッヒが結界の完成を宣言したと同時に、傍らに並んでいた生徒会副会長のエーデルトルトが叫ぶ。
それは誰もが望んでいない簡単な単語を叫んだだけなのだが、屋上に固まって地平線を睨んでいた仲間たちの背中に、戦慄と冷や汗を流させる重大な言葉だった。
「……来ましてよ! 」
そう。いよいよ地平線の彼方から姿を現し、天使の軍勢が迫って来たのである。
「大抵の天使なら【俺の概念】には入っては来れない。だが六枚翼の上級天使は話が別だ。ワルキューレが戦士だと認めてしまうからな! 」
「安心してください、その為に我々がいるんです」
十六年前に起こった災厄、つまり天使蹂躙において、地上人の逆襲に追い詰められた天使の軍勢の中には、天上界に戻れずにこの大陸に遺された天使たちが少なからず存在する。
今まさにフェレイオ学園に向かって来る天使たちがそれなのだが、二枚翼の一般的な歩兵天使に限らず、十六年前当時は六枚翼の上級天使も地上に遺されている事が確認されている事から、この軍勢の中にも上級天使が混ざっている事が予想される。
ローデリッヒの結界を破って学園に侵入して来る可能性もある事から、ダンジョウやアーロンなどの精鋭がここに集っていたのだ。
だが、ここで天使の軍勢は学園で待ち構える者たちが首を傾げる行動に出る。
北西の丘陵地帯に姿を見せた天使の軍勢は、そのまま真っ直ぐフェレイオ学園に向かって来ると思われたのだが、何故か微妙に進軍して来る方向がズレて来ているのだ。
つまり、「あれ? 連中の目的地……違うんじゃね? 」と言う状態なのだ。
「アーロン、どう言う事? あのままじゃ……」
「そうだね、このままだと奴らの目的地は学園じゃなくてサンクトプリエンツェの街と言う事になる」
この学園を目指していたのではないかと、呆気に取られる戦士たち。
あなたの術で街の人たちは移動したんでしょ? 何であいつら街に向かってるの? と、コレットはマクスに詰め寄るのだが、マクスは術は完璧で誰もいないはずだと答えるのが精一杯。
だが、その時エノキダ・ダンジョウだけがこの事態に反応した。
彼には心当たりがあり、そしてそれは誰にも悟られぬ様に腹の奥底で問題を整理しつつ、解決策を構築する必要があったのだ。
……マクスの術は確かに成功した。だがもし、世にも珍しいサタニックの血を半分受け継ぐあの子が、マクスの闇の操術に耐性があったなら、もしかしてあの子はまだ街にいるのでは? ……
ダンジョウは判断する
一つ、天使の狙いはシリル・デラヒエの殺害
一つ、シリル・デラヒエは地上人に残された最後の希望であり、彼を護る事が至上の命題である
一つ、シリル・デラヒエが騎士王と堕天使の子である事は絶対に口外出来ない。シリルが特別な存在だと悟られてはならない
ーーつまり、天使の狙いがシリルだと誰にも悟られずに彼を護らなくてはならない。そして、それは仲間の助力を得られない事を意味するーー
何故天使の軍勢の行き先がズレているのか喧々轟々と議論を重ねるアーロンたちのからわらで、相変わらず飄々とした出で立ちのダンジョウは誰にも聞こえない声でポツリと呟き、そして誰にも気付かれる事無く口元にニヤリと笑みを浮かべそっと元に戻す。
「あんな泣き顔を見ちまえば、助けない訳にはいかないわな」
スッと仲間の列から身を引くダンジョウ。コレットやアーロンたちが気付き、どこに行くのかと引き止めようとすると、野暮用が出来たから後は頼むわと風の様に階下へ飛び降りる。
異変を感じた教え子たちが何度も彼の背中に学園長と叫ぶも、ダンジョウは一度として振り返る事無く、学園の敷地外へと姿を消した。




