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マスターズ・リーグ ~傭兵王シリルの剣~  作者: 振木岳人
◆ 第一部終章 「さようなら」編
71/85

71 闘う者の大義



 サンクトプリエンツェの朝

 深夜には濃い霧に包まれていたこの街も、遠くに見える東の山々から朝陽が差し込み始めると、朝露に濡れる草花がキラキラと反射して輝き始め、高原の爽やかな風と伴ってか、街の人々に朝の素晴らしさを実感させる最高のシチュエーションを演出していた。


 街の南西角に佇む大きな宿舎。

 それは王立フェレイオ学園に通う者たちのためにと、ドワーフやエルフなどの亜人たちが出資して建てた亜人専用の学生寮なのだが、その三階建ての立派な学生寮の一部屋で、生徒会長のアーロン・ミレニアムがベッドの上で眼を覚ます。

 窓にかかったカーテンの隙間から差し込んで来た朝陽に頬を撫でられ、その熱さを感じた彼はゆっくりと眼を開けて美少年らしい優雅なあくびを一つついて起き上がる。

 本来ならば、このままカーテンを開けて朝陽をたっぷりと身体に浴びながら「いやあ、爽やかな朝だね。今日も一日良い日になりそうだ」と微笑みながら思いっきり背伸びするのだが、何故か今日だけは違った。

 ベッドから起き上がり、そのまま窓際に進んでカーテンを開けるのではなく、壁に立て掛けてあった自分の愛刀、愛用の精霊感応型片手剣「ヴィルシーナ」をおもむろに手にしたのだ。


「何だ、何だろうね……これは? 」


 そのままカーテンを開けずに四方八方をゆっくり見渡すアーロン、まるで壁越しに周囲の状況を見測っているようにも見える。


「まさか……ね。だけど準備しておくに越した事はない」


 そう言いながら一度剣を置いて早々に学生服へと着替え始めた。


 目が覚めて気付いた、何やら腹の底から湧き上がる胸騒ぎそれは、肌をピリピリと刺す様な刺激ではなく、ジワジワと身体を包もうとして全方位から押して来る不愉快な圧迫感。


 ーーまだ誰もが眠い目をこすっている、頭の働かない時間帯。下手に手を出すとやぶ蛇になるかもーー


 アーロンの額から左目の脇を通り、一筋の汗が滴り落ちる。それは緊張と戦慄とのせめぎ合いであり、ひとたび心のバランスを崩して異変に飲み込まれてしまえば、自分自身が「恐慌」と言う名のスピーカーに様変わりしてしまい、学園の仲間や街の人々を不幸のどん底に叩き落としてしまう。


 ……だから生徒会長アーロン・ミレニアムはざわつく異変を受け入れながらも、超然とした態度で支度を整えつつ学園へと足を運んだのだ……


 そして「叩き起こされるほどでもないのだが、気付くと物凄い深刻な街の異変」を察知したのはアーロンだけではなかった。

 副生徒会長のエーデルトルト・バルデンも目が覚めるとおもむろに起き上がった後、カーテンを開ける事も無く一糸纏わぬ見事な肢体のまま服を着ようともせずに、いきなり一族の誇りでもある巨大なハンマー「戦神の槌」を手にして周囲を警戒したのだ。

 更に風紀委員長のビーティー・ベアトリクスなどに至っては、目を覚まして起き上がる間すら惜しむ様に、枕の下に手を忍ばせて兇悪なサバイバルナイフを手にしたかと思うと、ワザとそのままベッドを横に転がって床にペタリと落ち、ベッドの影でナイフを構えながら、街の気配を確認するほど。


 アーロンやエーデルトルト、ビーティーだけに限らず、この日の朝に異様な気配を察知した者は他にもたくさんいたのだが、「ならば、その気配とは何か? 」に結論を出せた者は多くはなかった。

 暴力事件を起こした後に停学処分を受け、処分が明けるまであと三日に迫ったシリル・デラヒエも異変を察知したのだが、その正体までは答えが導けなかった者たちの一人であった。


 保護者で学年主任のアンヌフローリア宅、その庭から「しゅっ! 」「ふしゅっ! 」と気合いのこもった声が轟く。目が覚めた途端に変な胸騒ぎに襲われたシリルは、そのまま居ても立っても居られなくなり、みなぎる力を発散させようと独り庭に出て素振りを始めていたのだ。


 自宅謹慎中のシリルを激励しようと訪れたクロダ・エイジ。彼から譲り受けた小太刀ライトニング丸を一心不乱に振り続けるシリルの手のひらは、マメが出来てそれが潰れた場所に更にマメが出来て潰れてと……素振りを通じて彼がどれだけ立身出世を真剣に考えているのかがうかがえた。


「痛っ! 」


 上着まで汗びっしょりになったシリルが、顔を歪めながら反射的に素振りを中止、小刻みに震える右の手の平を見やる。

 皮が厚く硬くなって来たはずなのに、またマメが出来て潰れてしまったのか、皮がベロベロにめくれて薄いピンクの生皮が見えている。

 剥き出しになった神経がしきりに痛覚を訴えて来るのだが、マメが潰れただけなんだと認識したシリルは、認識した事で満足したのか治療など御構い無しに再び剣を握り、再び一心不乱に素振りを始めた。


「やあ、おはよう」


 その時だ。

 道から庭に向かって大人の男性の声が聞こえる、もちろんそれはシリルに向けた挨拶だ。


「あ、学園長。……おはようございます」

「朝から気合いが入っているね。感心感心」


 現れたのは王立フェレイオ学園の学園長、エノキダ・ダンジョウ。シリルの素性を知る数少ない一人だ。


「気持ちがこもった良い素振りだが、まだちょっと力の使い方がわかってないようだね」


 どうやら、ダンジョウの存在に気付いていなかっただけで、ずっとシリルの素振りを見ていた様だ。


「力の……使い方ですか? 」

「雑念を祓う為に、無心を求めようとするのは大いに有りだ。だが正しい斬撃の姿勢を覚えなければ勿体ないよ」


 ダンジョウはそのまま庭に上がり込み、自身の愛刀「備前スターファイター」をスラリと抜いてシリルに肩を並べた。


「今君がやっているのは、授業でも習う直刀の振り下ろし方だ。いいかい? 良く見ておくんだよ」


 そう言いながらダンジョウは刀をゆっくり振り上げて静止する。剣道で言うところの上段の構えと言う姿勢だ。


「片手剣や両手剣など、おおよそこの大陸に普及している剣は【斬る】事を目的とした武器ではない。あれらは叩きつけて敵の鎧や骨を砕き、肉を裂く武器だ」


 何物にも染まらない強固な白と表現しても良い、清廉且つ残忍なオーラがダンジョウの身体から立ち昇る。並みの者には到底見えないそれが、何故か見えた様にシリルは感じる。

 むしろダンジョウがそれを見せようとしたフシもあるのだが確実なところ、この一撃に全てを託そうとするサムライの生き様が感じられたのは間違い無い。


「馬鹿みたいに自分の両腕に力を込めて、まっすぐ叩きつけてはダメなんだ。和刀は自分の左腕の延長だと思うんだ、そして右手で叩きつけて左手を引く……」


 ゾン! とダンジョウの目の前の空気が切れる……。そんな錯覚を起こす様な強烈な一撃だ。


「す、凄いです」

「踏み出した右足を見てみるんだ。ほら、土にめり込む勢いだろ? 」

「ふあっ、本当だ! 」

「ふふ、ブンブン振り回して叩き付ける剣とは全く違うんだよ。和刀は【薙ぐ】武器であり、刀そのものから扱う人の姿勢や心までに美が求められる芸術的な武器なのさ」


 ーー扱う人の姿勢や心まで美が求められるーー


 この言葉がシリルの胸をカミナリの様に貫いた。

 自分の深淵から溢れ出た悪意に負け、様々な人々や仲間に迷惑や心配を掛けてしまった事。取り返しのつかない事をした自分自身の資質を問う言葉だったからだ。


 もちろん、ダンジョウはシリルを責めるつもりで言った言葉では無い。サムライとして、剣に生きる者として当たり前の事を言ったに過ぎないし、現に自分がシリルに対して何を言ったのかを承知の上で、愛刀をシャリンと静かに収めてシリルと真正面に向き合った。ーー今から言う事を心して聞くんだよと言う合図だ。


「シリル君、君は確か騎士王に憧れて、騎士王の様な立派な人になりたいんだよね? 」

「はい。でも、でも僕……」

「あはは、怒って説教してる訳じゃないよ、そんなに身構えなくて良い」

「すみません」

「いいかね? 騎士王は確かに素晴らしい方だった、彼の英雄伝説が無数に生まれるほどに凄い方だった。だけど、だけどねシリル君。十六年前の天使蹂躙を跳ね除けたのは、騎士王一人の力だと思っているかい? 」

「……確かに……たくさんの兵士や軍団がいましたが……でも騎士王でなければ……」

「そうだ、君の言う通り頂点に立ったのは騎士王だ。彼でなくては間違いなく統率出来なかったよ」


 ーーだがね

 そこから始まるダンジョウの言葉が、シリルの胸を打つ。闘う者の矜持が彼の言葉に宿っていたからだ。


「騎士王も兵士一人も同じ人間、命の価値は同じなんだ」

「命の価値……?」

「そう、命の価値には高いも安いも無い。そして騎士王はこの大陸全ての命を守ろうとして戦い始めたんだ」


 ーー戦いとは殺し合いだ、ワクワクする様な瞬間なんて何処にも無い血みどろの殺し合いだ。騎士王はたくさんの命を守るために、たくさんの命を殺した。時には負け戦で多くの兵士が死ぬ事を分かっていながら、それでもたくさんの命を守るために兵士に死んでくれと命令した。

 分かるかい? 英雄とは決してカッコいいものじゃないと言う事を。より多くの命を救う為には、より多くの命を奪うこの矛盾。騎士王ボードワン・クルゼルは大陸を救った英雄である事は間違い無い、そして大量の命を奪った者でもあるんだ。英雄を目指す者は時に鬼にもなる。シリル君、君にその覚悟があるかい? ーー


 憧れの存在……それも伝説の英雄が実は血塗られていると言われているのだから、普通の人なら馬鹿にするなと立腹する話なのだが、不思議とシリルは腹を立てる事は無かった。闘う為に剣を持つ以上、生き残るために殺すのが戦場だと薄々気付いていたからだ。

 だが、君も血塗られた道を歩く覚悟があるかと問われても、シリルが答えられなかった。自分自身が今の今まで英雄に憧れているだけの夢想人であって、何も分かっちゃいない事に気付いたからだ。


「騎士王の様になりたいなら、どうしてなりたいのか、どうすればなれるのかその理由をしっかり考えるんだ。……それが闘う者の大義になるのだからね」

「大義……ですか? 」

「あはは、きょとんとするな少年! 君には素晴らしいお母さんがいる、そしてちょっと残念な胸だけど綺麗なお姉さんもいる。君を心配する仲間もたくさんたくさんいる。【その人たちがどんな未来を望んでいるのか】 そこから考えれば、答えもおいおい出て来るだろうよ」


 そう茶化しながらウィンクし、シリルの頭をわしゃわしゃと撫でるダンジョウ。最後は冗談ぽく決めようとしたのだが、シリルがそれを許さなかった。


 ーーダンジョウの目の前に立ったまま、涙をぼろぼろとこぼし始めたのである。


 顔をくしゃくしゃにしながらも歯を食いしばり、嗚咽を押し殺すその様は、泣く事をみっともないと認識し、そしてこの人には泣く姿を見せたくないと言う気概。

 我慢出来ずに目頭と目尻からは玉の様な涙がこぼれ、大量の鼻水がダラダラと流れているのだが、ダンジョウの言葉はしっかりと届き、そしてシリルは嗚咽を我慢する事で答えたのだ。


「よせやい、湿っぽいのは苦手だぜ」


 そう言ってダンジョウはもう一度シリルの頭をわしゃわしゃと撫で、それじゃあ朝メシ食いに行って来るよと手を振る。


「まあ、あと数日の我慢だ。謹慎解けたら頑張りな」


 そう背中越しにダンジョウの声が届く。

 シリルはいつまでも「ありがとうございます、頑張ります」と呟き続けながら、その背中を見つめていた。




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