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マスターズ・リーグ ~傭兵王シリルの剣~  作者: 振木岳人
◆ いじめの果てに 編
62/85

62 母たちの想い



 王立フェレイオ学園の昼休み。

 各学年の教室や中庭、学生食堂など至る所に学生が溢れており、賑やかな光景と時間が流れている。


 ここ、職員室や学園長室などの運営側の部屋が並ぶ中央棟の屋上にも、大人の女性が独りでベンチに座り、秋の涼やかな風に髪の毛をふわふわと揺らしながら昼食の時間を取っているのだが、この穏やかな天気とは真逆の表情を浮かべていた。

 屋上に独りいたのは一年生の学年主任兼、シリル・デラヒエの教育及び生活担当のアンヌフローリア・ボーマルシェ。

 エルヴィン・デルクロット暴行事件で目下自宅謹慎中のシリルを一人置いて、この味気の無い殺風景な学園生活で教鞭を取っていたのである。


 自分の犯した罪の重さに苦しんでいるのか、シリルはなかなか自室から出て来ようとはしない。怒りに支配されていたのか暴行事件については全く記憶が無いと言いつつも、しでかした事の重大さには気付いてはいるらしく、うつむいたまま誰とも目を合わせようとはしなかった。

 学園側から正式に自宅謹慎を告げられて即、アンヌフローリア宅の自室に篭りっきりとなっており、それまでの賑やかだった日々は完全に消え失せた。


 膝の上に乗った昼食を凝視するアンヌフローリア。学園の売店で購入したバゲットサンドが目の前にあるのだが、買ってはみたものの……手をつける気にもならないのか、歯型すら付いていない。


 自炊がクソへったくそだった彼女は、昔から朝昼晩と出来合いの食事を購入して済ませていたのだが、料理スキルだけ抜きん出て上昇して行く少年を同居人として迎えた後は、彼の手料理の美味さに感動し、毎日毎日彼の料理に舌鼓を打っていた。

 だがあの事件以降、なかなか部屋から現れない彼は料理を作る意欲すら喪失しているらしく、再び金を払って出来合いの物を食べざるを得ないアンヌフローリアは、彼の心配とともに愛情の無い味覚に心を沈めていたのである。


「……まずい……」


 腹の虫を鎮めようと、バゲットサンドを勢いで一口かじったその時に彼女が漏らした言葉なのだが、そもそも決して不味い訳ではない。切れ目を入れたバゲットに肉やチーズや野菜をぎっしりと挟んだ、ヘルシー且つ味わい深くて腹持ちも良いと、女生徒に人気の商品である事から、アンヌフローリアはあの寂しさ丸出しの独り身生活を再び味わっていたのかも知れない。


 昼飯はもういいやとばかりに、一口しか食べていないバゲットサンドを紙袋に戻して立ち上がり、職員室に戻ろうとした時、意外な人物が出入り口に立っていた事に気付く。

 人の気配に全く気付かなかった事と、その現れた人物に、アンヌフローリアは大いに驚いた。


「……エリーゼ様……」


 その場にいたのは何と、エリーゼ・フィオ・デラヒエ、シリルの養母にして精霊界の頂点に立つ者だ。


「王都の帰りに寄ってみた、話は全てダンジョウから聞いたよ」


 「話は全て」と言う事は言葉通り、事の顛末全てを知っていると言う事。アンヌフローリアは姿勢を糺して深々と頭を下げながら、「保護者として私の力不足が原因です」と謝罪するのだが、エリーゼはそれを笑い飛ばしながら汝にシリルを預けて良かったと、アンヌフローリアの下がった頭を撫でる。

 側から見れば幼女が大人の女性の頭を撫でている奇異な光景なのだが、アンヌフローリアは彼の事を分かってやれなかったと、涙を流しそうなクシャクシャ顔だ。


「これ、気を病むでない、汝は良くやった。私以上にあれの母親だったではないか」

「いえ、結果として悲劇を招いたのです。非難される事はあっても、褒められる事はしていません」

「ふふ……誰が親でもどの道こうなったわい。あれはそう言う運命の子じゃ」


 エリーゼに促されて再びベンチに座るアンヌフローリア。今回の事件について、管理責任を問うどころか感情的になって怒る事もしないエリーゼに対していささかの疑問を抱く様になる。

 そしてその疑問が伝播したのか、エリーゼはそろそろ頃合いだなと呟きながら、自分の代わりだと信じていた者に、誰にも言えない秘密を語り出した。


「あれはな、ほんに優しい子じゃ。事件が起きた後に本人は記憶が無いと申していたじゃろ? 」

「はい。思い返せば今回の事件だけでなく、天使と戦って大怪我をした際も記憶が無いと……」

「ふふ、それはな……ウソじゃ」

「えっ、ウソって!? 」

「全部覚えておるよ。あれは生まれからしてちと訳ありでな、絶えず良心と悪意の闘いが腹の底で渦巻いておる。そして悪意が勝った時の自分を酷く恥じておるのじゃ」


 良心と悪意の闘い

 一見当たり前の様にも聞こえるこの言葉。知的生命体としてこの世に生を受ければ、必然的に正と負、善と悪、陰と陽の葛藤に襲われる。それは当たり前の事であって特殊な事では無いはずーー。

 いまいちピンと来ていないアンヌフローリアを、さもあらんと言った軽い苦笑で返すエリーゼは、いよいよシリル・デラヒエの秘密についての核心を語り出した。


「あれはな、人間と【サタニック(悪魔)】の子。常に善と悪に思い悩む運命の元に生まれた子じゃ」

「人とサタニック……サタニックは文献で知るくらいであまり知見がありません」

「まあ、普通に生きていればそんなものじゃろ。だがこれを言えば、汝も自ずと見えて来る」


 エリーゼはすっと立ち上がり、アンヌフローリアの前に立った。これから言う事がどれだけ重要で、どれだけ秘密として守らなければならないのか、その雰囲気を持ってアンヌフローリアに心せよと伝えたのだ。


「シリルの父親の名前はボードワン・クルゼル。そして母親の名前はルゥと言う。ボードワンに聖剣ティアーズ・オブ・メサイアを授けた最上級天使だ」


 ……ガーンッ!!


 確かに衝撃的な内容であり、アンヌフローリアは口をあんぐりと開けたまま金縛りにあったかの様に身体を硬直させたのだが、この衝撃音は彼女の心情描写ではない。二人がいる屋上のちょうど真下にある部屋が衝撃音の出所である。

 その部屋とはまさしく学園長室、学園長のエノキダ・ダンジョウの居場所から鳴り響いたのだ。


「ふふ、ダンジョウも良く聞いておけ! 聞いたら黙して語るなよ、さもなくば殺すぞ」


 階下で聞き耳を立てていた者がいる。それが誰かは知っているので苦笑と釘を刺す程度の一言を発し、エリーゼは再びカチンコチンのアンヌフローリアを見詰めた。


「ボードワンを不貞で責める事は出来ない。まだ彼奴(きゃつ)が若かりし頃の事。騎士王伝説にもある、諸国漫遊の時代の事だからの」


 ーー騎士王が大陸を回る旅に出たきっかけは立志のため、決して天使蹂躙に備えるために諸国を説いて回った訳ではない。そして旅の途中に出会ったのだ、人を愛し過ぎた天使ルゥに。二人はそのまま愛し合い、ルゥは子供を授かったーー


 エリーゼの話に合点(がてん)がいかないのか、何故か急に首をひねり始めるエリーゼ。衝撃の事実を聞けば聞くほどに沸いた疑問が答えを探し始めている。


「ふふ、まあそうじゃろうな。答えてやるからワシに質問してみろ」

「先程エリーゼ様は、シリル君の母親はサタニックだと仰りましたが、話によると天使ですよね……? それにシリル君は今十六歳で、時系列が合わない気が……」

「汝が抱いた疑問にこそ真実がある」


 ーー天使ルゥはな、人間と愛し合うと言う禁忌を犯し、天上界へ強引に連れ戻されたのだ。そして堕胎を許さぬ教えもある事から、母子ともに時の牢獄へ幽閉されたのさ。

 そして、何故時間が止まった世界から脱出出来たのかは十六年前を思い出せば答えは簡単。天使蹂躙で一時的に力の落ちた天上界を彼女は抜け出し……そして【堕ちた】のだーー


「なるほど、堕天使つまりサタニックと成り果てたルゥが産み落としたのが……」

「うむ。時系列は変わっても、シリルはコランタン王の異母兄だ」


 話が壮大過ぎてもはや何も言えないーー。

 万国共通で老若男女が知るところの伝説、その伝説の後日談を聞かされている様な気分になったアンヌフローリアは、よだれが垂れそうなぽわんとした顔付きを隠そうともせず、エリーゼの笑いを誘っている。


「あはは、シャキッとせい。先日コランタンには話をしておいた、シリルに聖剣を譲る代わりに王としての権利は放棄させるとな」

「あの……ティアーズ・オブ・メサイアを……シリル君に? 」

「あの剣はな、元々ルゥが父親のボードワンを通じて、まだ見ぬ息子に授けようとしたもの。そのためだけに存在する剣じゃ。救世主の涙……あれにぴったりの名前じゃないか」


 その時アンヌフローリアは感じた。

 伝承によるところの「人を愛し過ぎた天使」は、一人の男性を心から愛し、そしてその後自分に待ち受ける苦難を知っていたのだと。そしてこの世にたった独りで生きる事を強いられた愛する我が子が、自らの手で苦難に打ち勝つ為にと、ティアーズ・オブ・メサイアを遺したのだと。

 自分がサタニックに堕ちる事も承知の上で天上界を敵に回し、そして産まれた息子が乱世を生き抜くためにと伝説の剣を用意する……その母の強い想いと愛に当てられたのか、アンヌフローリアは感極まって泣き出してしまった。


「ボードワンに頼まれたからこれまでやって来たが、ワシは人との繋がりや人の生活がどうにも苦手でな。おまけにこの姿だろ? 母としての威厳も何にもありゃしない。若い頃のボードワンに迫ったら、ロリコンは犯罪ですと断られるほどじゃ」


「……だから」


 ーーだからーー


「これからもどうか……シリルを頼む」


 何と、あの精霊王が懇願する様に頭を下げたではないか。

 そして見た、アンヌフローリアは見てしまった。エリーゼ・フィオ・デラヒエの頬を伝う一筋の涙を。

 “ああ、彼女もやはり、正真正銘シリルの母なのだ”と再認識するには充分な一雫(ひとしずく)であった。


 そして

 紡がれて来た想いをここで途切れさせる訳にはいかない。シリル君が立派な大人として、立派な戦士として成長するまでは……!

 アンヌフローリアも徹頭徹尾シリルを守る決意を固めたのである。……彼氏いない歴イコール自分の年齢と言う寂しい人生を送る乙女が、いきなり母の覚悟を抱いたのである。


「良いなダンジョウ、全てを聞いたからには汝にも頼むからな」


 ぽーん


 階下、学園長室のベランダからキセルを叩く音が聞こえて来た。エリーゼとアンヌフローリアが見詰める中で、小気味好いその音は秋空へと軽やかに昇って行った。



 ◆ いじめの果てに 編

  終わり




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