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マスターズ・リーグ ~傭兵王シリルの剣~  作者: 振木岳人
◆ いじめの果てに 編
56/85

56 火種 



「いらっしゃいませ、よろず屋シリル開店です! 」


 王立フェレイオ学園の中庭、朝も早くから登校途中の生徒に向かって、シリルの元気な声が掛かる。

 一学期はそれが当たり前の朝の光景であったのだが、二学期に入り「夏休みの小さな英雄」フィーバーも冷めた今、ようやくシリルは自分の課外活動を始めたのだ。


「一回一ペタ、悪い事以外何でもやりますよう! 」


 登校途中の生徒たちも、一学期はちょっと痛々しくてシリルとは距離を取っていたのだが、二学期の始業式で栄誉ある特別賞を受けた有名人とあらば、彼の声に自然と距離を縮めるのも道理。

 シリルに喫緊の用は無いけれど、彼に対して朝の挨拶だけはしっかりと行う生徒が増えていた。


「おはようシリル君! 」

「シリル君おはよう! また始めたのね」


 クラスメイトだけでなく、同じ学年の生徒や上級生すらも彼に好意的な視線を投げかけつつ、爽やかな挨拶をしていた。


「やあ、シリル・デラヒエ」


 カティアやエステバンたちが登校して来てこのよろず屋復活をお祝いし、ひとしきり談笑さた後に教室へと向かって行ったまさにその時だ。生徒たちの挨拶に挨拶を返すシリルの目前に一人の生徒が現れる。

 王都イースタルに拠点を置く宮廷貴族の一人息子、裏口のコネ入学でこの学園の門をくぐったエルヴィン・デルクロットが現れたのだ。


「あ、エルヴィン君おはよう」

「はあ……。またこんな事始めてわざとらしい。そこまでして君は大衆の歓心を買おうと言うのかい? 」

「むむむ……歓心? 」

「何だ、そんな言葉も知らないのか。聞くだけ野暮だったね」


 エルヴィンの高慢で見下して来る態度に、何かしらの嫌悪感を抱いたシリルではあったが、それでも登校中の生徒たちが彼に軽やかな挨拶をして来る事から、シリルは笑顔のままエルヴィンの出方を伺うと言ったところ。もっと言えば、エルヴィンの明らかな挑発を挑発とすら思わず、そう言えばこういう人なんだと流しているフリも見えた。

 だが、そんな裏付けの無いプライドに満ち満ちたエルヴィンの行動は、今日だけは違った。高慢にプラスして悪意が満ち満ちていたのだ。


「むう? その汚ならしい袋は何だい? 」

「汚らしくはないよ、ここで稼いだお金を入れてるんだ」


 机の上に置いていた巾着袋(きんちゃくぶくろ)。以前は捨ててあった靴下でお金を貯めていたのだが、アンヌフローリアがそれを見て汚らしいと主張。料理どころか裁縫もクッソ下手くそなのだがシリルの為にと自作したアンヌフローリア渾身の力作。本人的には子犬のアップリケを付けてあけだのだが、シリルはそれを可愛いブタさんだと喜び、以後稼いだお金は全てこの袋に入れていたのだ。


「ふうん、ここで稼いだお金をね。それで一体幾ら貯まったんだい? 」

「むふう! おかげ様で三十二ペタ貯まったのです」


 三十二ペタ貯めたと言う事は三十二回誰かの要望に応えた証、感謝されたその証である。だからシリルは誇らしげにそう答えたのだが、その誇りはエルヴィンの甲高い笑い声によってかき消された。


「ギャハハハハ! たった、たった三十二って! パンすら買えもしないのに何を勝ち誇った顔で……ギャハハハハハハッ! 」


 ここまで露骨にされれば、さすがのシリルも気がつく。

 彼は馬鹿にする為に目の前に立っている。彼が目的としているのは笑える様な楽しい会話をする事ではなく、全ては馬鹿にする事の為に話しかけているのだと。


「……額が問題じゃないんだ。誰かの役に立っていると言う活動に価値があると思って」

「いやいやいやいや……笑わしてくれるぜ! 一回一ペタで自分を安売りしても納得してるって事は、君の価値は一ペタだと言ってるようなもんだぜ! 」


 エルヴィンの狂気じみた笑い声、そしてシリルの怒りと悲しみの混じった複雑な表情。その光景を見た登校中の生徒たちは何やら雲行きが怪しいとは思うものの、目に見えた争いが無い事から、そのまま見なかった事にして校舎へと向かって行く。


「ぼ、ぼくの価値は一ペタじゃないよ」

「だったら、もっと高い額で取り引きすれば良いじゃないか! 」

「いや、だから高い安いの問題じゃなくて……」

「無理無理無理! 高ければドン底シリルなんかに用事なんて頼む奴なんていないよ。まぐれで天使を倒したからって良い気になってんじゃねえよ! 」


 この言葉はこたえた、何も反論が出来なくなって押し黙ってしまった。

 ドン底シリルは以前から耳にしていたし、本人も学園が要求して来る課題に対して、まるで応えられていない事も痛感していた。

 ただ、まぐれで天使を倒したと言われた事。確かにその時の記憶は欠落していて、ロミルダたちからそう言われているだけの実感の無い栄誉ではある。

 ただ、エルヴィンの様な生徒たちから見れば、ドン底シリルはあくまでもドン底で、まぐれが無ければ何も出来ない存在なのだと認識されている事にショックを覚えたのである。


 ーーまぐれ狙いのドン底貧乏人、そんなに稼ぎたきゃ協力してやろうか? ーー


「……えっ、今何て? 」


 これだけの悪意と、今まで正面切って対峙した事が無かったシリルは、ショックのあまりに気が動転してエルヴィンの言葉もまともに聞いていなかった。瞬間的ではあるが呆けていたのだ。


「もしもーし、シリル君聞いてますかーっ! 貧乏生活脱出の為に、俺が手伝ってやるって言ったんだよ」

「いや、そ……それは」

「四つん這いになって、三回まわってワンと吠えろ。そのたびに一ペタめぐんでやるよ」

「そんなのよろず屋の仕事じゃない」

「ギャハハ! お客の要求に応えるんだろ? だったら客の俺がそう命じてるんだから……やれよ、やれ! 」


 シリルは悪くない。

 ただ、言葉巧みにエルヴィンがそう誘導して、いつの間にかシリルは、自責の念とそれに対する贖罪行為を、エルヴィンが手助けすると言う構図に持ち込まれていたのである。


「ほら、四つん這いになれよ! ふひひ、三回まわってワンて言えよ! 」


 目の前で囃し立てるエルヴィンが、何故か高々とそびえる断罪の神の像に見える。彼の眼を見て話す事が出来ずに次第にうつ向いて行く。いつの間にか、シリルは彼の靴の先っちょだけをじっと見つめていた。


 ……エルヴィンの要求に応じなければならないのか……


 言い返せない哀しみ色の悔しさと、悔しさを覚える弱い自分に対する怒りに満ちたシリル。

 その時、シリルの耳元に女生徒の甘い声がかかった。近しい存在だけに許されたハグを含めた朝の挨拶だ。


「おはようシリル。またよろず屋を始めたとは感心な事よのう」

「あ、ベルさん。おはよう……ございます」

「むう? さん付けはいらぬとあれほど申したのに、シリルはもう忘れたのかえ? 」

「いや、あの……あはは」


 力の無い作り笑いで答えるシリル。

 現れたのは学園の二年生で赤竜の姫、そして今年度のダンジョン祭りにおいて、夏休み前半だけで最優秀の成績を総なめにした、アルベルティーナ・ララ・ヴァルマだ。


「ア、アルベルティーナ様!? 」


 学園の生徒で彼女を知らない者はいない。

 容姿端麗で成績優秀、そして何より誰よりも強い。生徒会長のアーロンたちがマスターズ・リーグ入りが確実視されている中で、彼女だけはフェレイオ学園での過程をそのまま「飛び級」してマスターズ・リーグ入りを運営側から請われていた存在。

 ただ社会常識に疎いからと赤竜の王の言葉もあって、しょうがねえからと学園生活を三年間続ける逸材中の逸材。

 学園生が彼女の美しさにため息を吐き、彼女の優雅な身のこなしに身体をとろけさせ、彼女の闘いに心から心酔する……まるで女神の様な、そんな立場の少女なのだ。


「お、おはようござますアルベルティーナ様! 今日もご機嫌麗しゅうございます」


 学園のアイドルいや、地上世界のアイドルにして戦女神のレッドドラゴン。そんな存在を身近に見るエルヴィンは、態度を五百四十度変えて媚びを売り始めた。


「わ、私一年B組のエルヴィンと申しまして……」


 お近づきになりたい感丸出しで自己紹介を始めたエルヴィンだが、シリルとじゃれ始めたアルベルティーナはまるでエルヴィンを相手していない。

 シリルの喉元を優雅な指で「ころころ」したり、耳元で「ベルと呼ぶのじゃ」と吐息混じりの声をかけたりと、完全にエルヴィンを無視している様にも見える。


「あ、あのー……あのっ! 」


 それでも振り向いてもらいたいと大声を張ったエルヴィン。シリルとのあまりの仲の良さに驚きながら、二人は一体どんな関係なのかと問いた。そしてアルベルティーナの即答に度肝を抜いたのだ。


「シリルは(わらわ)が唯一背中に乗る事を許す、ドラゴンライダーになる者ぞ。そしてシリルと妾が幸いに男と女の関係でもある事から、将来夫婦(めおと)にもなるのじゃ」

「……ベル、それは僕も初めてきいたよ」


 これにはさすがのシリルも眼を白黒させてぽかんと口を開けたまま。エルヴィンに至っては何でこんなドン底な奴と!? と理解の範疇を完全に超えている。


「つまりじゃ、妾の夫になる者の名誉を汚す者は、妾の名誉を汚すと同義」


 ここでやっと、アルベルティーナは真正面でエルヴィンを見据えるのだが、これは彼にとって恐怖以外の何ものでも無かった。

 何故なら、優美で気品漂う美の象徴とも言うべきアルベルティーナが、まるで下水に浮く汚物でも見る様な瞳をエルヴィンに向けているからだ。

 そしてアルベルティーナ続けざまに、断罪の一言をエルヴィンに投げかけた。もはやコネ入学の貴族のボンボンには全く勝ち目の無い恐ろしい言葉でだ。


(うぬ)の様に腐れた者がいる家は、どうせ一族これ皆腐れておろうよ。どれ、一族ごと焼き殺してやろうかえ? 」


 アルベルティーナはこの二人のやり取りを見ていたのである。

 そして彼女の口から出た言葉も、その場を鎮めようと画策した方便ではなく真実の吐露であった。

 つまり、もはやエルヴィンには逃げ出す事しか選択肢は無かったのである。




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