55 禁句 ~言葉に出来ないもの~
「朝から元気ですわね」
生徒会の役員室、登校して早々に役員室に赴いた生徒会長のアーロン・ミレニアムと副会長のエーデルトルト・バルデンは、コーヒーと紅茶の香りを鼻腔で楽しみながら、中庭で登校途中の生徒たちに元気に声をかけ続ける小さな生き物を楽しそうに眺めている。彼ら生徒会役員が登校から教室へ直行せずに、この役員室でワンクッション入れる理由もそこにあった。
「傷も癒えて本人も元気を取り戻したようだし、ひとまずは良かったと言うところかな」
「あら、魚の小骨が喉に刺さった言い方ね。何があなたにその様な言い方をさせるの? 」
「誰がどう見ても、一件落着じゃないからねえ」
「……確かに、確かにそうですわね。まさに闘いはこれから」
「度重なる天使の襲撃と、あの天変地異……始まるのかな? 」
「真の天使蹂躙、本当の天使蹂躙が……」
エーデルトルトがそれを口にした瞬間、ぴくりと反応したアーロンはエーデルトルトに振り向いて、にこりと笑顔を作りながら顔を横に振る。その言葉はまだ口にするべきではない、トップシークレットだよと無言のメッセージだ。
それに気付いたエーデルトルトは自嘲気味に肩をすくめ、再び窓の外に視線を移して紅茶の芳醇な香りで失言した喉を潤し直す。
アーロンとエーデルトルト、そして風紀委員会委員長のビーティー・ベアトリクスの三名だけは、学園長のエノキダ・ダンジョウから話を聞いていたのである。ダンジョウが切り捨てた天使からの話として。頻繁に出現した殺すと人間に変化する天使ではなく、【殺しても姿を残す本物の天使】からの情報を。
「地上人全体の戦力は数も質も整っていない、それが悲しい現実だ。そして……地上人全てを導く存在もまだ現れていない」
「あら、私てっきりあなたは指導者を目指し、それに一番近い者だと自負しているものと思っておりましたのよ」
「ふふ、最近まではね。だけど何か大きなうねりを感じてね、乗り越えられない絶対的な壁を見た気分なんだ」
エーデルトルトに続き、アーロンも視線を中庭へと移しながら、苦くて香ばしい液体で喉を潤し、朝からセンチメンタルになっている自分を自嘲の苦笑で諌める。
「大きな壁……あの子の事ですわね」
「そうだね。多分皆と言うか、学園の生徒だけじゃなく先生たちも全く気付いていない……だけど僕は感じるよ」
二人の視線の先、中庭で開店されている「よろずやシリル」では、登校途中の生徒たちが気軽に店主に声をかけておりとても賑わっている。
彼のクラスメイトが群がりそして遠ざかり、クラスメイトの中でも特別仲の良い者が群がって盛り上がり、上級生で今年のダンジョン祭り最優秀撃破賞を受賞した赤竜の姫も駆け寄り、朝から祭りの様な賑わいだ。
「故郷ロズウィールの様に、太陽神に心から愛されながらも、彼には闇がある。闇夜や災厄の魔女ヘズベンヴュリヒドの棲む森よりも、もっと冷たくて真っ黒な闇がね」
「底なしに明るい太陽が放つ眩しい光、その光で出来た底なしの影」
いずれにしても、常人には理解出来ない程のスケールの大きさが、このシリル・デラヒエにはある。それが地上人にとって吉と出るか……。
せっかく肌がべっとりと汗ばむ様な時期から、爽やかな空気が漂う季節へと移り変わろうとしているのに、アーロンとエーデルトルトの表情にはいささかの暗雲が立ち込めていた。
すると、「失礼します」と言う声と同時進行で扉をノックする音が役員室に響いた途端、役員室を利用している者の許可すら取らずにビーティー・ベアトリクスが入室して来た。アーロンとエーデルトルトがそれを失礼だと諌めないあたりは、ビーティーとはそう言う人物なのだと言う認識を持って受け入れられている様だ。
「やっとエノキダからの情報を入手しました」
彼女が二人の前に立って報告を始めたのは、エノキダ・ダンジョウ……つまり学園長についての情報では無い。このサンクトプリエンツェを統治するサムライでダンジョウの兄、エノキダ・ヒョウマに関する情報を入手したと言っていた。
「サンクトプリエンツェ治安維持軍、その警察隊による天使だった人間の死体検視報告です。致命傷は心臓を掴み出された事による急性の失血。それと全身におびただしい咬み傷があり、肉や筋だけでなく骨も粉砕されていたそうです」
二人に対してビーティーが報告している内容とはつまり、「あの日」ダンジョン祭りの地下階層に突如出現した天使の末路についての事。倒したとされるシリル自身は直前までしか記憶が無いと証言し、彼のパーティーメンバーは全員が全員ともあっという間の出来事で何が起きたか分からないと説明にならない説明をしていた件だった。
天使の襲撃を受けたとピクシーの念話を通じて連絡があった際、もちろんアーロンたち生徒会執行部が先ず救助隊としてダンジョンへと突入したのだが、学園長に「任された」アーロンは、即警察隊にも連絡して大人の専門部隊にも助力を乞うていたのである。
結果、アーロンたちはロミルダたちの救出に、より重きを置く事になり、警察隊は人に変わり果てた天使の死体を回収するに至ったのである。
警察機関が遺体を回収した事で検分出来なくなった事を、最初の内はそれほど重要視はしていなかったのだが、当事者たちの何かを隠している様な報告を気にしたアーロンが後に天使の死因を知りたがっても、それはつまり手遅れだったのだ。
そして、良くも悪くもシリルの正体が気になるアーロンたち生徒会執行部は、今の今まで情報収集を諦めずに隠密に行動していたのである。
「鋭利な物で心臓を刺したとか、衝撃で破裂させたとかではなく……掴み出されたと? 」
「そうです。死体の胸には人間の腕の太さ程の穴が開いており、現場では死体の傍に潰された心臓があったとされていました」
「それに咬み傷って……シリル君には獣人の血が流れていると言う事ですの? 」
エーデルトルトの言う様に、肉食系の獣人は手元に武器が無かった際などは、最後の手段としてその鋭い牙で咬みついて相手を倒す事がある。だがエーデルトルトの推測はアーロンによってあっという間に論破されてしまう。
ーーアーロン自身も認めたくない程に身震いする、口にもしたくない恐ろしい推論によってだーー
「エーデルトルト、それにビーティーも聞いてくれ。咬み付きだからシリル君は獣人だと言う推論は当てはまらない。何故なら獣人の必殺の咬み付きは必ず喉元を狙う、頸動脈と気管を破壊するトドメの攻撃なんだよ」
「敵を苦しめないとおっしゃりたいのね」
「そう、まさにエーデルトルトの言う通りなんだ。相手にトドメを刺さずに全身を咬んで痛め付けておいて最後のトドメに心臓を引き抜いて握り潰した。これはね、野生が成せる技でも何でもない……その時彼は殺しを楽しんでいた。そうとしか考えられない」
【生きる為に殺す】
様々な状況により、様々な理由と大義名分が混在しているのだが、戦乱の世においても仮初めの平和な世であっても、殺す事には必ず理由がある。
目の前の敵を倒さなければ自分が殺されると言う闘いも然り、自分にとっての食糧として存在する生き物を、自分が生きる為に殺す事もある。
だがアーロンは言いきったのである。ビーティー・ベアトリクスのもたらした情報を元に、天使と対峙したシリル・デラヒエは殺しを楽しんでいたと結論付けたのである。
もちろん、そう結論付けてしまえば、シリルをとても好意的に見ているビーティーとエーデルトルトにとっては頭に血が昇る結論であろう、アーロン自身もそれを口にして酷く自責の念に苛まれている。
だが、それがデタラメであると抗議する者は誰一人としていない。それだけアーロンが出した結論が真実に一番近いと認めていたのだ。
「僕はね、一つだけ知っている。この地上世界で唯一……殺しを楽しむ種族を」
「アーロン、あなたのおっしゃり様で私も気付きましてよ」
「認めたくない、それだけは認められない! あんな、あんな可愛い子が! 」
「落ち着くんだビーティー、まだそれが結末だとは言えないはず。ならばこれからどうするかと言う話もある」
誰一人、誰一人としてそれが何なのかを言おうとしない。何故ならそれを口にしてしまえば、下手をすればシリル・デラヒエを殺さなければならなくなるかも知れないからだ。
そして三人が絶対に口にしようとしない固有名詞、それこそが【サタニック】だったのである。
「精霊王エリーゼ・フィオ・デラヒエ。……あなたは一体この世界で、あの子を使ってどんな絵を描こうとしているんだ? 」
沈痛な面持ちで窓の外……今話題に上がった主人公を見詰めるアーロンたち。しかし見詰められていた側は見詰められていた側で、朝から気分が悪くなる様なトラブルに巻き込まれていたのであった。




