51 獣の数字
恥も外聞も捨てて、ぼろぼろに泣きながらアンヌフローリアたちを呼びに来たカティア、もちろんそれは悲しい涙ではなく安堵と喜びの涙。声を掛けられた側のアンヌフローリアとロミルダも朝陽を浴びたかの様な表情に変わり、カティアに合流して自宅に向かって駆けて行く。
カティア・オーランシェには理由があった。
天使襲撃の際にシリルが大怪我をして、意識不明のまま今に至るのだが、彼が目を覚ました事に仲間たちは安堵するだろうが、それ以上にカティアが号泣する理由があったのだ。
ダンジョン内に天使が出現して変身前のジェイサンを襲って無力化した後、エステバンとロミルダが天使と正面きって対峙した時に、カティアが魔法を打てる様にとシリルが彼女を抱えて退避した。カティアも魔法の準備を始めていたのでシリルの行為はパーティープレイの一環で有り難かったが、天使の神聖魔法攻撃で二人とも吹っ飛ばされ、カティアを庇ったシリルが壁に激突したのである。
【自分がしっかりしていれば、シリルが大怪我をする事はなかったのではないか? 】
この自問自答が彼女を苦しめていたのだ。
カティアが駆使する悪魔召喚術は必ず痛みが伴う。召喚する悪魔のグレードによってその痛みは増減するが、呼び出したその代償として全身が苦痛で包まれる。その痛みに耐えれば耐えるほど、彼女は身動きが取れなくなっていた、つまりは棒立ち。強い悪魔を召喚すればするほど、彼女は目の前のモンスターとの闘いよりも、痛みとの闘いにシフトせざるを得ず、我慢出来ずに気を失うか否かの瀬戸際に立っていた。
当たり前の話、戦場で棒立ちになっていたり、目の前の敵よりも別の事がらに気を取られていれば、それはすなわち死に直結する。だからと言ってカティアが召喚魔法を封印する訳にもいかない。その為の折衷案として、カティアが安全地帯で召喚魔法に専念出来る様にシリルが運搬役として「ニコイチ」で動いており、それがパーティーの戦闘に対する基本戦略だった事は間違い無い。
そしてシリルは、カティアを庇って洞窟の壁に激突、おびただしい出血を伴った大怪我を負ったのだ。
痛みを凌駕して自らが動いていればシリルが怪我を負う事はなかったのだと、カティアが自分自身を責めない訳が無い。そして、自責の念に駆られている彼女に対して「それがシリルの役目だった、気にするな」と仲間が言っても、それを受け入れる訳が無かったのだ。
更に、あのシリルの豹変。
まるで何かに取り憑かれたかの様な、凶相と言っても過言ではない恐ろしい眼つき、恐ろしい言葉遣い。「あの」日向ぼっこやお昼寝がとっても似合うシリルからは想像も出来ない、悪魔の様な身のこなしと天使を葬ったあの残酷で残虐な手法。
まさか悪魔召喚士である自分の身の周りにいた事が、シリルに悪影響を与えたのではないかと、ここでもカティアは自分を責め続け出口の無い迷路に入り込んでいたのである。
だが、あの事件から一週間ほどが経ち、ようやくシリルは目を覚ました。
アンヌフローリアとロミルダが日課である魔法の特訓を始めると家の外に出て、残されたエステバン、ジェイサン、カティアの三人は、お腹いっぱい夕飯を食べ、風呂に入って昼間の汗を流してもはや残された課題は熟睡するのみだと、眠い目をこすりながら自分の寝床へと入って行く。
カティアとロミルダはアンヌフローリアの部屋、エステバンとジェイサンは今も眠るシリルに配慮したのか応接間の床に毛布を敷いた。
同室の者がいない中で布団に潜るカティアは、身体はクタクタに疲れてはいるものの、睡眠欲を打ち消す様にどうしても頭が動いてしまう状態。
人に迷惑をかけずに能力を発揮するにはどうすれば良いのかとか、シリルが目を覚ました時に、彼が気を失う前に見せたあの残忍な姿のままだったらどうしようかと、脳裏では結論の出ない自問自答がぐるぐると巡っている。
応接間からエステバンやジェイサンの盛大ないびきが聞こえて来たその時だ、シリルの部屋からいきなり「どんがらがっしゃん! 」と物が当たって散らかる様な、大きな音が聞こえて来るではないか。
身体中に電気が走ったかの様に飛び起きたカティア、寝間着姿である事すら忘れてシリルの部屋に駆け付けてドアを開ける。するとそこには目を覚ましたシリルの姿があり、ベッドから落ちたのか床でうつ伏せになっていた。
「……シリル……君……シリル君! ……」
「あいたたた、身体に力が入りません」
慌てて駆け寄るカティア、シリルの身体に手を回して抱き起こし、ベッドの上に身体を乗せた。
「……身体……大丈夫なの?……」
「思うように身体が動かなくて……どうしたのかな僕? 」
どうやらシリルの記憶は、天使と戦ったあの時の最後までは覚えていない様だ。そして、それがカティアを安堵させる。ーーシリル・デラヒエは、いつも通りのシリル君だったのだからーー
「どうしたの? カティアは何で泣いてるの? 」
「……ごめんね……ごめんなさい!……私がしっかりしてれば……シリル君はこんな事に……」
「先生の家に僕らがいるって事は、誰かが天使から助けてくれたんだね。……それとカティア、謝らなくて良いよ、僕はちょっと自慢げなんだ」
「……自慢げって……何が?……」
「生まれて始めて仲間を救ったんだ。僕にも出来た、これは自慢だよ」
ここでカティアは大号泣する。
自分の能力に振り回されて、シリルには迷惑ばかりかけて来たのに、その当の本人が責めるどころか仲間を救えたと気持ちの良い笑顔で豪語するのだ。涙腺が全開してもおかしくはなかったのである。
「泣かないでカティア、一体何が……ぎゅう! 」
ぎゅう!とは
ベッドの脇に座るシリルの首に手を回したカティアが、思い切り抱きついた際のシリルの悲鳴である。既にこの時点でエステバンもジェイサン慌ててシリルの部屋に駆け付けていたのだが、さすがにカティアを押し退けて喜ぶ事はしなかった。
シリルが目を覚ました、そしてシリルはあの恐ろしいシリルではなくいつも通りのシリルだった。どうやってシリルが天使を倒したのか、生徒会や学園側からしきりに問い合わせや質問が繰り返されて来たが、シリルの変貌だけは絶対に口にしなかった仲間たち。
カティアに抱きつかれて顔を真っ赤にするシリルを見て、とりあえず今はとその事実すら記憶の片隅に置こうとしていた。
「カティア、先生やロミルダにも教えてやれよ」
「照れ」から由来するだけでなく、呼吸がし辛くていよいよ苦しさから顔を真っ赤に染め始めたシリルを助けようと、エステバンがカティアにそう促す。
わかったとうなづきシリルから離れたカティアだが、実はこの時シリルの重大な秘密に肉薄していたのだ。
抱きついて自分の頬をシリルの顔の横に押し付けた際、シリルの耳の後ろ……彼の左側頭部から後頭部に生える髪の毛の襟足が視界に入っていたのだが、もしカティアの瞳が涙で潤んでいなければ、目を半開きで号泣していなければ、彼女にも見えたのだ。
髪の毛に隠れており意識しなければ見つける事は出来ないのだが、シリルの皮膚には小さな痣があった。何故そんな痣があるのかは説明出来ないが、数字の「6」が三つ浮き出る様に並んでいたのである。
……それが俗に言われる「獣の数字」だと判断出来る者などここにはいない。この世界においてごく一部の神職者や高位魔導師程度しか知りうる事の出来ない数字だったのだ。




