49 あれから
露天風呂を堪能し、湯上りをそのままの姿で自然の風に身を晒す……。
折り返し地点を過ぎた夏の中核都市サンクトプリエンツェ、街の人々はやっと身体が休まる時間帯がやって来たかと、肌を撫でる涼やかな風と、朱色に染まった空をチリチリと鳴きながら巣に戻って行く小鳥の群れで感じていた。
街の一角にある一軒家、王立フェレイオ学園で教鞭と取る一年生の学年主任、アンナフローリア・ボーマルシェの自宅は大忙し。何故なら、様々な訪問客が扉を叩いては彼女のインドア・サマー・バケーションを邪魔するのだ。
「シリル・デラヒエは目を開けたのか? 」
応対するアンナフローリアに対して訪問客が必ず浴びせて来る質問はこれだった。
【天使を倒した学園生】の噂は、ダンジョン祭りに参加した学園生だけでなく、瞬く間に周囲の露店街を通じてサンクトプリエンツェの街中に広まった。
春先に起きた天使襲撃事件から今の今まで、不安でピリピリしていた人々にとって新たなヒーローの誕生はまさしく朗報であり、あの真っ赤な空と不気味な十字の光に世界が包まれた以降は「いつ天使が襲って来るのか」と言う不安に常に苛まれており、それを払拭する為にも余計に大騒ぎする必要があったのだ。
結果、事件が起きてから二週間経った今も、若きヒーローに一目会いたいと人々はアンヌフローリア宅の扉をノックし続け、彼女が常に「盛りブラ」を着けて警戒しなければならない窮屈な日常が続いていた。
いよいよ、オレンジ色に映える空を後に残し、遥か西に小さく見える山々の奥へと太陽は沈む。二つの月と星々が柔らげな影を落とす静寂の時間が訪れようとしていた。
「まったくもう! ヒョウマさんは出来た人だから来なかったけど、市長やら助役やら自治会長やら! しまいには消防団やら青年団やら地区子ども会まで! いつまでやって来るのかしら! 」
ワインの瓶と皿によそった出来合いのツマミを持って、台所から出て来たアンヌフローリアは、テーブルにそれらを乱暴に置きながらドカリと椅子をお尻で鳴らす。
「ふふっ、それはもちろん、小さな英雄が眠りから覚めて、群衆の前で剣を高々と掲げる。……その時が来るまでではないかえ? 」
キンキンに冷やした白ワインを胃に流し込みながら、火で炙った白身魚の干物を乱暴に食べるアンヌフローリア。
その仏頂面とは対照的に、テーブルの反対側で果物をちょこちょこ口にしながら彼女の姿を苦笑して見ていたのは、赤竜の姫で二年生のアルベルティーナ・ララ・ヴァルマ。アルベルティーナは二つの理由を持ってアンヌフローリア宅の警護役を買って出ていたのだ。
まず一つ目は「天使襲撃が終わらない可能性」ーー街の人々が小さな英雄を見ようと連日押し掛けるのは予想外であったが、他の天使が復讐の為にこの家を襲って来るかも知れないと言う危惧が存在する以上、ダンジョンで大怪我を負って意識不明のシリルがいるこのアンヌフローリア宅は警備すべき場所であると言う事。
幸いアルベルティーナ・ララ・ヴァルマはダンジョン祭りにおいて他の追随を許さぬほどの好成績を残している事から、今期の祭りにおいては記録更新を続ける必要が無く、本人が自発的にシリルの警護を志願する都合の良い状況であった。
もう一つの理由はアルベルティーナ自身の酷く個人的な理由として、【あの時】ダンジョン内で違和感を覚えてシリルがいた階層を探索していたにも関わらずに、その違和感が天使の殺気だと見抜けず失念、結果として下級生のパーティーに甚大な被害を与えてしまったと言う自責の念。
これら二つの理由に動かされ、アルベルティーナはあの事件が起きてから、早くにアンヌフローリア宅に入り浸る様になったのだ。
ーーそれ以外にも、生徒会副会長のエーデルトルト・バルテンや風紀委員会会長のビーティー・ベアトリクスが飽きもせず、毎日毎日この家を訪れて来るのだーー
「あたしゃ疲れたよ。せっかくの夏休みだけど周りがうるさ過ぎて……早く終われって気持ちになって来たわよ」
「あと二週間、妾はこのままでも良いと思うておる。あの子が目を覚まして初めて見る女子は、妾でありたいが故にな」
「はああああ……青春よねえ、羨ましいなあその女子力! どこかに良い男いないかしら」
あんたも目の前にダンジョウがいるだろと、ニヤニヤ笑いながら呑んだくれの愚痴を聞いていたアルベルティーナであったが、毎日訪れるあの時間がやって来た。疲労感をたっぷりと乗せた足音で【彼らが帰って来たのだ】
「……今帰りました! 」
やつれてはいても、何かどこかに自信の欠片を含んだ様なエステバンの充実した声と共に、バタンと家の扉を開く。
「おう、おかえり。冒険者ども! 」
さっそく酔いが回り始めたアンヌフローリアの前に現れたのは、一年B組の生徒……エステバン・カミネーロ、ロミルダ・デーレンダール、カティア・オーランシェ、ジェイサン・ネスの四人。シリルのパーティーメンバーだ。
シリルが大怪我をしてから一週間、未だに意識が戻っていない今も、心はシリルと共にあるとばかりに、ロミルダたちはアンヌフローリア宅を合宿場所として利用していたのだ。
「それで今日は……成果があったのかえ? 」
彼らの"帰宅"に合わせてアルベルティーナが台所に向かい、そこから声が掛かる。料理が全くダメでクッソ不味い物しか作れないアンヌフローリア、そして意識不明のシリルに変わり、アルベルティーナが食事を用意してくれていたのである。
そして後輩の為にと気を遣ってくれるアルベルティーナに対し、パーティーリーダーのロミルダは自信満々の声で台所に声を飛ばす。「三階層のマッピング完了、制覇しました! 」と。
そしてロミルダの報告に続く様に
「二階層ソロ制覇しました! 」
「……召喚しないで……精霊魔法成功した……」
「ジェイサン怒らなかった! ジェイサン怒らなかった! 」と、皆が皆充実感に溢れた調子で報告を始める。彼らはあの事件以降も、ダンジョンを攻略し続けていたのだ。
先生や先輩が自分たちの為にと気を配ってくれる、それに対して自分たちが応えるとするならば、おべんちゃらやお世辞ではない。自分たちが強くなったんだと言う結果こそが恩返しになるのだ。
眼を爛々と輝かせながら語る内容に、アンヌフローリアとアルベルティーナは笑顔で答えながら、いよいよ夕飯が始まった。
アルベルティーナが用意したのは鹿肉の赤ワイン煮シチューと薄切りバケットのチーズトースト。ロミルダたちは薄汚れた姿をそのままに、我先にと争う様に料理を口に運ぶ姿はもう、腹ペコのわんぱく坊主そのもの。
その表情に満足したアルベルティーナは「良く食べ、良く寝て身体を休め、明日も頑張るんじゃぞ」と、自分の寮へと帰宅して行った。
下級生たちの礼を背に受けてにこやかに帰って行くアルベルティーナの姿はここ最近の恒例の光景ではあるのだが、アンヌフローリアは気付いていた。気付いていたからこそ「あなたも夕飯を食べていきなさいな」と引き止めて来なかった。
アルベルティーナが単なる同性の下級生だと言う事実以上に、カティアの事を過剰に意識していた事。それが嫉妬などのいわゆる恋のライバル的な存在として認識していた事から、アンヌフローリアは思春期真っ只中の少女二人に対し口を出さずに、暖かく見守っていたのである。
ーー巨人族の貴族令嬢、漆黒の暗殺者、赤竜の姫、悪魔召喚士……シリル君もてまくりね。ここに騎士団の血統ロミルダが参戦したら、五角関係に発展してしまうわ。力は互角……なんちってーー
自分が実年齢イコール恋人いない歴そのものだと言う、絶望的悲劇的な状況だと言うのに、自分の教え子たちの恋愛事情を心配しているアンヌフローリア。
自分だって可憐な乙女のはずなのに、今宵ワインはどんどんと彼女の喉と胃を洗い流す事でその清純さも洗い流し、目が完全に座った単なる飲んべえへと変身して行った。




