21 あがいた成功者と孤独な超越者 後編
低空を漂う分厚い雲に覆われて、星々の煌めきも二つの月の暖かな灯りも届かない夜。
今にも降り出しそうなむせ返る様な湿気に包まれた、とある集落のはずれにある古びた洋館では今、日付も変わろうとしている深夜にも関わらずに多くの人々が出入りを繰り返していた。
洋館に入って行く者もそして出て行く者たちもそれが正装であるかの様に、黒いローブをまとい黒いフードを目深に被っているのだが、入って行く者と出て行く者とでは表情がまるで違う。
入って行く者はまだ見ぬ期待に胸躍らせる様な顔付きで洋館の奥へと入って行き、出て来た者たちは歓喜の笑みを浮かべてその満足感に浸っていた。
ローブ姿の人々が列を成して並ぶ洋館の奥……大広間は、テーブルや椅子が撤去されており、そこは一つの集会場となって機能していた。
「おお……ノスフェラトゥ……」
「超越者よ、祝福を僕たちに……」
大広間の奥、たった一つだけ据えてある椅子に座る少年に向かい、歓喜のため息を上げつつ頭を下げる人々。この時間帯にこの洋館を訪れる者たちは全て、この少年に拝謁するする為に訪れていたのだ。
表情を押し殺したまま、青白い顔で人々の拝謁を受ける少年。人々が口にして祝福する様に、彼はとうとう一族の悲願であったノスフェラトゥになったのだ。
■ノスフェラトゥ
ノスフェラトゥとは超越者を意味する言葉で、闇の眷属デモニックの中に分類される吸血鬼が到達を目指す最上級のクラスである。
そもそも吸血鬼は大きく四種類のヒエラルキーで構成されている。
まず最下層に位置するのは吸血の被害に遭って吸血鬼化してしまったヴァンパイア・スレイブ。そして様々な種に産まれながらも、闇の眷属神の気まぐれの祝福で吸血鬼化してしまったのがヴァンパイア。これらが一般的な吸血鬼なのだが、この上に二つの階級が存在する。
単なる吸血生物とは違って他の生物にも影響を与え始める力を持つ者はドラキュラと呼ばれる。コウモリや狼を支配し、力ある者ならば狼男などの獣人も支配してしまう。一つの地域、一つの街程度をその支配下に置ける力を持つ、闇の眷属の力関係の中でも上位に入る実力を持っている。
そして吸血鬼種の最高峰、超越者と呼ばれるのがノスフェラトゥなのだ。
このノスフェラトゥは吸血鬼種の中で数代、数十代に一人誕生するかどうかくらいに希で、吸血鬼自体が不死に近い生物である事から、どれだけノスフェラトゥになる事が難しく確率が低いか分かるはず。
能力もドラキュラ級を遥かに凌ぐ力を持ち、多種族の支配だけでなく疫病なども支配するその力はもはや、地域レベルや国家レベルではなく大陸レベルと言っても過言ではない。
あくまでも参考としての話だが、中世ヨーロッパを壊滅状態にしたスペイン風邪やペスト、黒死病などはノスフェラトゥの仕業だと言う説もある。
そして何より、ノスフェラトゥとなった者が全ての吸血鬼種から神と同義だと崇められ、他の闇の眷属からも尊敬と崇拝を受ける理由は、ドラキュラ以下の吸血鬼種が成し得る事が出来ない事を成したからである。
【闇魔法など使わずとも、人間たちと同じく太陽の下で動けるようになった】
つまりノスフェラトゥは、太陽の光に抵抗などせずとも良くなった存在なのである。
このたった一つの簡単な理由だけでも、全吸血鬼種が羨望の眼差しでノスフェラトゥを見つめ、神と崇めても何ら不思議ではなかったのである。
ノスフェラトゥとなって吸血鬼種の頂点に立った少年マクス・オルロックは、その洋館にあった単なる椅子を玉座・神座に変えたものの、何ら感慨も抱かない様な無表情の顔で謁見に訪れた者たちに祝福の言葉を投げかけている。
吸血鬼種の頂点に立ち、闇の眷属の中でも魔神に匹敵するほどの力を得たと言うのにこの浮かない顔……。
彼のお付きの者たちがあまり感情の起伏を見せずに超然としていろと言う助言めいた指示もあったのだろうが、正直彼自身がいよいよ自分の感情が滅びの方向に進み始めた事を実感していたのだ。つまり露骨に落ち込んでいたのである。
幼い頃に落雷の直撃を受けて死んだマクスは、その晩棺桶の中で吸血鬼として生まれ変わった。
自分の死を悼む両親たちを窓の外から見詰め、吸血因子による血の渇望に打ち勝ちながら「もう二度と会えない」と悟ったマクスは、そのまま旅に出てこの地の吸血鬼のコミュニティへとたどり着いた。
吸血因子の近い者たちで家族を作り、父も母も妹もいた。吸血鬼としてではあるがそれなりに幸せだった。
だがノスフェラトゥとなった今では、その父も母も妹までもが彼をマクスとは呼ばずに「今真祖」として崇め、最早彼を家族とは見ていない。
ーー家族としての共感を失い、子供としての地位も失った孤独なマクスは、神殿と化した洋館の祭壇に飾られる事を強いられ、憐れにも置き物になってしまったのだーー
だからマスターズ・リーグ評議会において、ノスフェラトゥの学園推薦の話が来た時は、もちろん無表情を繕ってはいたが心より喜んだ。新たな世界で新たな出会いが起きる可能性に心が踊った。
【自分の事をノスフェラトゥだと言わずに、肩を並べながらマクス・オルロックと呼んでくれる仲間たちがいる】
そう思ったマクスの期待は見事に実った。
天使の脅威からこの大陸を救おうと願って英雄になる事を目指した若者たちは、吸血鬼としての恐るべき能力を持ったまま太陽の下で歩く者を恐れずに、ノスフェラトゥとは呼ばずにちゃんと名前で呼んで手を差し伸べたのである。
そんなマクス・オルロックに対して、仲間のコレット・ブーケは「街の人たちは任せた」と全面的な信頼を寄せて、単身で天使に戦いを挑んだ。
もちろん彼女の行動は時間稼ぎであり、早く住民避難を終わらせないとコレットの生存率が激減するのは明白だ。
だが適材適所を考えた場合、二人のこのコンビネーションは定番とも言って良く、それで今まで様々な戦闘で勝利を収めて来た過去もある。
だから、彼女の絶対的な信頼をそうやすやすと裏切るマクスではなかったのだ。
“……ハーメルンを思い出せ……ハーメルンの屈辱を思い出せ……我は笛を吹く者……汝ら子羊は従う者……”
大陸語とは全く違う、闇の眷属が使用する古代言語の詠唱を始めたマクス。フードで隠されていた淀んで血走った瞳が黄金色に輝き始めた時、辺りの人々に劇的な変化が起こった。
逃げ出していた者、その場にうずくまっていた者、パニックを起こして悲鳴を上げつつ頭をかきむしっていた者たちが一斉に無表情になり、それぞれがそれぞれに協力しながら身動きの取れない怪我人を抱え、天使から放射線状にどんどん遠ざかって行ったのだ。
「……ウィリ・ニリー・ドミネーション(有無を言わさぬ支配)。汝ら子羊は我が手中にて踊るべし……」
街人たちさえ安全圏まで誘導出来れば、孤立無援のコレットに援護が出来る。マクスの黄金色に輝く瞳は住民避難が最終目的ではなく、結果に至る過程であると如実に物語っている。
結果とはもちろん、学園生時代は互いに切磋琢磨し、時に反目し時に同調し、互いが互いともマスターズ・リーグのトップに入る事を諦めなくあがき続けた、間違いの無い戦友であるコレットとの共闘、そして勝利だ。
……自分をノスフェラトゥとは呼ばずにマクスと呼んでくれる人がいる……
壮大な英雄願望もそこそこに、ごく個人的な理由も含みながらも、マクス・オルロックは戦場に赴いていた。




