19 穏やかな日の午後に
シリル・デラヒエは朝からご機嫌だった。
生徒の誰よりも早く学園にたどり着いて店の準備をし、登校して来る生徒に向かってよろずやシリルを「いらっしゃいませえ! 」と猛プッシュしている際も、営業スマイルでは無く心の底から湧き出た感情を素直に顔に出してニッコニコであった。
よろずやシリル開業から三日目。
今までの売り上げは、用務員のお爺さんに頼まれた枝打ちの片付けと壁のペンキ塗りで二ペタ。そして昨日の夕方魔法の担当講師メルローシュ先生から依頼され、実験用イボガエルを三匹取って来た事で一ペタ。合計売り上げ三ペタがシリルの懐に入った。
正直なところ三ペタの価値も分からない身だが、彼にとっては壮大な夢に向かい一歩前進したのである。
……ペタはこの大陸で流通する貨幣の最小単位だが頑張ってお金を貯めて、ロミルダやカティア、エステバンにアンヌフローリア先生と、自分で稼いだお金で何かお礼がしたい……
いやいや、まずお前にはやらなきゃいけない事があるだろ? 勉強に武道に魔法が圧倒的に絶望的にダメなんじゃないのか?と、確かに周囲の生徒や先生たちの中にはそう思う者も少なからずいるし、シリル自身も他の生徒との差を感じてはいる。
だから英雄になるためにと、帰宅した後もアンヌフローリア女史の指導の元で勉学に没頭はしているものの、この課外授業の時間だけは潰したくないのだ。
まず楽しいのだ。
知らない人に接する事。その人の為に何かをしてあげてその人の笑顔を見る事。ボランティアでは無く貨幣経済社会の一員として、ちゃんと報酬を得る事。
生まれて初めて社会と接し、人との交流の可能性を大いに満喫していたのだ。それもまた、野生に生きた少年にとっては勉強とも言えた。
「これ、そこの少年」
今までは用務員のお爺さんとメルローシュ先生が声を掛けてくれたが、二人はあくまでも学校関係者で大人。
しかしいよいよ、生徒が声をかけて来た。シリルにとっては同世代の最初のお客様だ。
「はい、いらっしゃいませ。ご用件は何でしょう? 」
「一つ尋ねるが、よろずやと言う事は何でもやると言う事かえ? 」
「悪い事以外はとことん頑張りますよ! 」
「悪い事とは、可愛い言い方じゃな」
口元を袖で隠しながらクスクスと笑う上品な女生徒は、校章を見るとどうやら上級生。
燃え上がる様な真っ赤な髪が非常に印象的で、両耳の後ろからは立派な角が生えた人外の女性だ。
「うむ、ならばお主に頼もうとするか。今日の昼休み学園北門の外に来い。これは先付けで払っておくぞ」
そう言って上級生の女性は懐から一ペタをシリルに渡して校舎へと向かって行く。
シリルはその後ろ姿を眺めながらありがとうございます! 必ず行きます!と何度も何度も頭を下げながら、初めて学生から受け取った一ペタを大事そうに握りしめていた。
彼女は学園の二年生で名前はアルベルティーナ・ララ・ヴァルマ。昼休みに待ち合わせした際に改めて自己紹介されたのだが、彼女の依頼とはなかなかにスケールの大きな依頼であった。
「……どうやら鱗の隙間に虫が住み着き始めたようでな、痒くて痒くてかなわんのじゃ」
アルベルティーナの説明によると、彼女は大陸最南端にある聖ミロナ火山を守護する赤竜族の姫として生を受け、騎士王ボードワンとの約定をもってこの学園の扉を叩いたのだと言う。
騎士王のあまたの英雄伝説の中にある「赤竜王との和解」がそれで、当時近くに集落を持って鉱物採集を行っていたドワーフ族が聖ミロナ火山の地下資源に手を付けてしまい、怒った赤竜族がドワーフ族を含む地上人に襲いかかったのだ。
赤竜族と地上人との戦いは十数年に渡る壮絶な戦いだったのだが、その時に現れたのが若き騎士王ボードワン。
彼はまだ当時騎士の叙勲すら受けていない「流れの剣士」だったのだが、その両手には既に聖剣ティアーズ・オブ・メサイアを携えており、彼は地上人にも赤竜族にもどちら側にもつかずに赤竜王と直談判を始めたのだ。
「やがて来るであろう天使蹂躙に、全ての地上人が結集して迎え撃つ」
その為には赤竜族の力も必要なのだと懇々と説得し、時には説教し、赤竜王の理解を得たのである。
その後ボードワンは地上人を説得し、時には説教し、その鉾を退かせて紛争を収める事に見事成功したのだが、その時赤竜王と約定を交わしたのがそれだったのである。
ーー次代の王となるべき者が生まれたら英雄連盟の一員となって、全ての地上人の幸せのためにその力をふるうーー
アルベルティーナは赤竜族の王女として生まれ、ボードワンと赤竜王との約定でこのサンクトプリエンツェにやって来たのだが、岩石だらけの火山周辺で生きる赤竜にとっては、この温帯湿潤気候で草木などの緑溢れる地では、身体に虫が住み着いてしまって困っているのだと言う。
「鱗についてる虫を払えば良いんですね、わかりました。僕頑張ります! 」
シリルの元気モリモリの声に促され、アルベルティーナは微笑みながら頼むぞと声を残してその姿を竜へと変えた。
「ほえ〜っ! 大きいですねえ! 」
二十メートルはあろうかと思われるその姿は、真っ赤な鱗に覆われた巨躯と大きな翼が特徴的なまさにドラゴンで、その顔も英雄譚の本から登場して来たかの様な兇悪そのもの。
生まれて初めて伝説のドラゴンを間近に見たシリルも、腰を抜かさんばかりに歓声を上げて驚いたのだが、アルベルティーナは女子に大きいなどとは言わないでおくれと、多少の羞恥に心を揺らす。
「さて、始めますね! 」
繊細な女心など知る由も無く、シリルは彼女の身体に軽々と登って鱗の隙間へと目を凝らし始めた。
「うひゃあ! います、結構いますよ! 」
「こ、これ……」
「巨大軍隊アリは吸血性があって牛とかにも飛び付きますからね。さぞや痒かったでしょ」
鱗の隙間の柔らかい場所に噛み付いたままの拳大のアリを、シリルはそう言いながら物怖じせずに掴んでは、ポイポイと遠くに放り投げ始めた。
「これシリル!? そこは、そこはおなごの……」
「うはは、取れる取れる! アルベルティーナさん、楽になって来たでしょ? 」
「おお……。確かに楽になって来た」
「この調子でガンガン駆除しますよ! 」
昼休みだと言うのにお互い昼食を摂る事すら気にせずに、方や虫取りに没頭し、方や恥じらいすら忘れて身を任せている。
そしてアルベルティーナはあまりの気持ち良さに細めていた眼を閉じて、いつの間にか静かに寝息を立ててしまっていた。
どれだけ時間が過ぎたのだろうか、そんな事すら脳裏に一片も浮かばないまま、まどろみを堪能していたアルベルティーナが眼を覚ます。
「ふわあああ……。寝てしまったか」
「おはようございます。気持ち良く眠られてましたね」
眼をこすりながら上体を起こしたアルベルティーナは、とある事に気付いて一気に眠気を吹っ飛ばす。
ドラゴンに変化していたのだが、いつの間にか人型に変わっていたのだ。それも魔法で衣服を作らず全裸のままでだ。
「……ひっ! 」
慌てて胸元を隠して気付いたのだが、自分の身体に制服の上着がかかっていた事に気付く。どうやらシリルがかけてくれたらしいのだが……。
「これは、お主がかけてくれたのかえ? 」
「はい、まだちょっと冷えるから風邪ひくと可愛そうだなと思って」
「それでお主、わらわの裸……見たのかえ? 」
「はい、見ました」
ちょっとでも恥じらいがあったり、瞳の奥に女体を値踏みする様ないやらしい輝きがあったなら、シリルの運命は悲劇の側に傾いていたかも知れないのだが、この時のシリルの顔は女性の裸など気にせずに自分の仕事をやりきったと言う曇りの無い微笑み。アルベルティーナが毒気を抜かれてしまう様な爽やかな微笑みであったのだ。
「そうか、見たか。物怖じしてくれねば、逆にわらわが傷つく」
「むむ? 」
「ふふふ、良い良い。それよりもシリル、虫が付いた時はまたお主に頼みたいのだが、良いかの? 」
「わかりました、僕に任せてください! 」
「お主の頑張りを信じよう。わらわ以外にも困った者がいたら、お主に紹介してやろう」
全力で依頼をこなし、依頼主から褒められて、そしてそれが嬉しくて自分も喜ぶ。更にはその依頼主が仕事のクオリティに信頼を寄せてリピーターとなってくれつつ新たな依頼主を紹介してくれる。
人の輪、仕事の輪に循環を感じ頬を真っ赤に染めながら喜ぶシリル。いちいち新鮮な喜びに包まれるシリルを優しく見詰め始めたアルベルティーナ。
赤竜王と若きボードワンとの伝説的な和解の後、長い年月を経てその赤竜王の娘と騎士王が遺したいわくつきの子が、今日この日に邂逅した。
二人が赤竜王と騎士王との過去についてなど、知らなくて当たり前なのだが、今さらそんな過去に思いを馳せなくとも、新しい未来を予感させる……そんな新たな絆が生まれた。
だがそんな和やかな時間が、予期せぬ出来事によって木っ端微塵に吹き飛んでしまう。
午後の講義が始まってしまった事に気付き、慌てて校舎に戻ろうかと二人して歩き始めた時だ。
血相を変えて敷地内を疾走していたメルローシュ先生がシリルとアルベルティーナを見つけた途端、彼ら二人に対してこう叫んだのである。
「そこの二人、急いで教室に戻るんだ! 市街地が天使の襲撃を受けている! 」




