11 湯けむりの約束
学年主任のアンヌフローリア・ボーマルシェは、花も恥じらう二十八歳だ。
魔術師の家柄に生まれて親や祖父母や一族の歴史に影響を受けたのか、彼女も幼い頃からその道を自然に選び、王立大学院に進んだ際に術者としてよりも探求者としての才能が開花した彼女は、最年少博士号を取得している。
専門魔術は「光」。四大元素魔法の輪の外にあり、更には白魔術でも黒魔術にも属さない独立した魔法分野「光魔術」を体系化した才女である。
そして大学院在学中に博士号を取得した彼女は、より実践的な光魔術の行使方法と汎用化を請われて、この王立フェレイオ学園の職員となった。
実家は王都リースタルより更に南の海岸線を行った小さな港町。
よって今彼女はこのサンクトプリエンツェの街でそこそこの一軒家を借りて、生まれてこのかた彼氏の一人も出来ない、寂しい寂しい人生を送らざるを得ない生活を送っていた。
ーー超野生の自由人が同居するまでは。
サンクトプリエンツェの街に星の光が降り始めた時間。
街のはずれにあるアンヌフローリア女史の家の風呂場から、少年の鼻唄が聞こえて来る。
野生時代は川で水浴びする程度だったシリルも、お湯に浸かる気持ち良さに完全にハマってしまい、上機嫌で長湯していたのである。
「はああ、人生の半分くらい損してた様な気がします。お風呂は最高だあ」
五右衛門風呂の湯船にどっぷりと浸かり、顔を紅潮させながら目を細める。至福のひとときだ。
だが夢見心地のシリルを現実に引き戻すかの様な声が、脱衣室から聞こえて来た。
「シリル君ちゃんと身体洗った? 」
その声はアンヌフローリア女史。
精霊界で野生の生活をしていたシリルが、「頭を洗う」「身体を洗う」など、社会生活において周囲に迷惑をかけぬよう身体を清潔を保つと言う概念が、まるっきり無い事に気付いて、心配して声を掛けたのだ。
「だ、だ、大丈夫です。ちゃんと洗いますよ(めんどくさくなければね)」
「怪しいぞ、昨日もしらばっくれて身体洗ってなかった」
「あは、あはは! 」
「石鹸乾いてたもん」
これはもう誤魔化しきれない、身体を洗わざるを得ないと肩を落とした時、いきなりギイと扉が開いて全裸のアンヌフローリアが入って来た。
「ひ、ひい! 」
妖精界では着衣の概念が乏しく、女性型フェアリーの全裸など見飽きるほど見て来て、裸に対してさほどの意識もしていなかったシリルもさすがにこれは驚いた。
半透明だったり幽体で作られた女性のシルエットではなく、人の、それも大人の女性の裸など初めて見たからだ。
「私が頭と身体洗ってあげるから、風呂から出なさい」
恥ずかしげもなく、惜しげもなく、シリルにその姿を晒すアンヌフローリア。歳の離れた弟がいて、実家から離れる以前は毎晩こうやって面倒を見ていたのだそうだ。
彼女に促されるまま、風呂から出て椅子に座ったシリル。その背後からザパァとお湯をかけたアンヌフローリアは、石鹸を使って頭から背中をゴッシゴッシと洗い出した。
「ねえシリル君、いつもこうやって清潔にしてないと友達に嫌われるよ」
「いやでも、脂分が無いとすぐ風邪ひきます」
「それは言い訳。これからは様々な人々と共同生活するんだから、しっかり自分でクセをつけなさい」
「は、はいいい」
「君の面倒は私が見るって言った責任があるんだから、めんどくさがってるといつまでもお風呂は一緒だよ」
「が、頑張ります頑張ります! 」
「はい、じゃあ次はこっち向いて」
頭と背中を流して貰い、そのまま振り返って座り直したシリルは、膝をついてこちらを見るアンヌフローリアに何かしらの違和感を覚える。
「むむ? ……むむむ? 」
学園で見かける彼女の姿、着衣の姿との差に気付いたシリルは思いっきりアンヌフローリアの胸を凝視する。
ーー無いのだ。
生徒たちが惚れ惚れと見詰める、スタイル抜群容姿端麗の才女の豊満な胸が何故か、裸になった途端「並み」以下の状態になっているのだ。
さすがに眉をひそめるシリルの視線に気付いたアンヌフローリアは事の重大さを思い出し、両腕で胸を隠しながら顔を真っ赤に頭から湯気を吹き出した。
「あ、あのっ! これはね、これには訳があるの、訳があるのよ! 」
パニックを起こしてあたふたする彼女をなだめようにも、どうなだめれば良いのかわからないシリル。
「先生、ブレストアーマーですね! いつ何時でも闘いに赴ける様に準備してるんですね! 」
と、トンチンカンな言葉で返す。
ブレストアーマーとは、全身鎧とは違って身軽さを売りにする戦士が、胸部や心臓部を守る為に装着する部分鎧の事だ。
「そ、そうよ。そうなのよ! 教え子たちを守るためにはこう言う覚悟も必要なのよ! 」
「なるほどそうでしたか! さすがは先生、戦いの女神の様な方ですね!」
ーーあはははは!
ーーおほほほほ!
ひと通り笑い、何事も無かったかの様に落ち着き払った二人は、無言のままいそいそと身体を洗って湯船に入る。
「……別に盛らなくても、そう言うの好きな人世の中にいると思いますよ」
「わかってて言ってたな! わかってて言ってたな! 」
「なぐさめてあげてるんじゃないですか、僕の優しさじゃないですか」
「ガキんちょに同情なんかされたくないわあっ!」
「痛い……いひゃい! ほっぺたつねらないでくだひゃい! 」
「秘密をバラしてみろよ、あたしゃ泣くぞ! さめざめ泣くぞ! 」
シリルがポツリとこぼした言葉で、キャッキャキャッキャと浴室は再び近所迷惑な大騒ぎに。
しかし二人して遠慮無くじゃれあっている様にも見えるこの光景。
互いにいやらしいさや異性を感じさせずに破顔して向き合っているこの状況は、最早姉弟の域に達しているのかも知れない。
サンクトプリエンツェの夜、空気が澄み切っていて天井の星々に手が届きそうな煌びやかな夜。
一つ屋根の下に住む、美人教師と生徒のまるで淫靡ではない禁断の関係は一切進展する事無く、和気あいあいに終わるのだが、
この夜のこの星空の下、サンクトプリエンツェのもっと闇に近いところでは、恐ろしい計画が進んでいた。




