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パーフェクトラバー

作者: 花南



「どうも。にこにこセールスの横田です」

 その若いセールスマンは文字どおりにこにこと笑いながら名刺を差し出した。

「このたびはとっておきのアイテムをお買い上げいただこうと思ってお邪魔しました」

「いりません」

 セールスを断るときはけっこうですではなく、いりませんときっぱり言う必要があるということは知っている。

 横田は「まあそう言わず」と勝手に玄関に腰を下ろすと鞄を開けてカタログを取り出した。

「最近は最初から『訪問販売お断り』のシールが貼ってあるお宅が多いでしょう? 商品も見ていないうちからひどいですよね」

「頼んでもいないのに押しかけて人の時間を奪うことは酷いにあたらないんですか?」

「おお、手厳しい。だけど当社も自信をもって勧めたい商品があるわけでして」

 と、ぱらぱらとカタログをめくりながら横田は話した。

「今当社で一番イチオシの商品がこちらです」

 まったく人の話を聞いていない。商品にケチをつけてとっとと追い返そうと思ったが、そのカタログに目を奪われた。

「完璧な恋人?」

「そうです。アンドロイドでなく、本物の人間です。当社が責任をもって洗脳……もとい、教育したアクターを買うことが可能です」

「今一瞬洗脳って言わなかった?」

 私は追い返すのを忘れて思わず突っ込んでしまった。

「はい。優秀な俳優の卵たちにクライアントの望む恋人像をしっかり演じてもらうのが当社の売りであります」

「それ本当なんでしょうね?」

「ええ、本当ですよ。出会いから完璧に演じてくれます。リードも上手ですよ」

「でもそれ、お金で買うんでしょう? 買春だったりしないでしょうね?」

「いえいえ、ちゃんと期限は一週間と決まっていますし、値段もべらぼうに高いわけではありませんよ。一万円からグラム単位で切り売りします」

「人間をグラム単位で切り売りするな」

 横田の危険な言動に思わず突っ込みながら、私は考えた。一万円くらいならば、ちょと面白そうだし、買ってみようかな、と。

「本当に一万円で完璧な恋人が買えるんでしょうね?」

「ええ、一週間で返品なので、クーリングオフは使えませんが」

「じゃあ……」

「お買い上げありがとうございます」

 まだ買うとも言っていないうちから横田はそう言った。

 それから私は契約同意書を書かされ、自分の望む恋人像というアンケートを渡された。

 私はいくつかの項目に自分の理想だと思う姿を書き込みながら、備考欄のところで手をとめた。

 私の理想って、いろいろあるけれども、結局は初恋の相手が成長していたらこんな感じになっていたらいいと思う姿なんだよね。

 小学生のときに将来を誓い合った男の子。名前は忘れちゃったけれどもあだ名は覚えている。あっくんだ。

 あっくんは今頃どうしているのだろう。

きっと格好いい男に成長して、かわいい恋人がいるに違いない。

 そして今の私のように、「麻耶ちゃんは今頃どうしているのだろう」と思っているに違いないのだ。

 私はふざけて備考欄のところに「小学生のときの初恋の相手みたいな人」と書き込んだ。さてさて、アクターの卵はこれをどう演じるつもりだろう。


 アンケートを投函してから数日後、同窓会のお知らせの葉書が届いた。

 なんというタイムリーなタイミングだろう。

これも仕組んだ何かなのだろうか? 私は疑いながらも参加に丸をつけて送り返した。

 母校の近くで行われた同窓会に、あっくんは来ていなかった。変に疑っていただけに、拍子ぬけである。

 お酒を飲んで料理を食べながら、懐かしい友達たちとおしゃべりを楽しんだ。

 すっかり楽しい気分でほろ酔い加減になりながら春一番の吹く中を帰っている最中のことだった。

自販機でジュースを買っている男がこちらを見て、固まる。

「麻耶ちゃん?」

 なぜ、私の名前を知っている? と思いながら、ふとこれが「完璧な恋人」さんかも、と思って「あっくん?」と言ってみた。

「お久しぶり。今日同窓会あったんだよね?」

「うん。あっくんに会いたいなって思っていたけれども、参加しなかったんだね。こんなタイミングで会えるなんてびっくり」

「俺も」

 あっくんはにかっと笑った。あ、歯並びいいなあ。笑顔がきれいな男は好きだ。

「どう? これから酔いざましの散歩なんて」

「うん。ちょっとぶらぶらしてみたいかも」

 あっくんは私の横について、田舎道をいっしょに歩いた。昔この道をどっちが自転車速いか競走したね、なんて話しながら。

 ただの俳優がどうして私のそんな昔話を知っているのか気になりながらも、私はこのあっくんが大好きになった。

 ぐるりと近所を一周して、そして駅前についた。

「麻耶ちゃん」

「なに?」

「俺さ、この近所に住んでいるんだ。もしよければでいいけれど、明日もまた会わない?」

 期限は一週間。私は笑顔で頷いて、アドレスの交換をした。


 次の日は仕事があった。事務を坦々とこなしながら、夕方会う予定が楽しみだった。いつもよりもノルマを早めに終わらせることができた私は、久しぶりにデパートで香水を選んだ。

 外国の人は香水をデパートでひとふりして、恋人が賞めてくれた香水を買うのが一番無駄がないと考えているそうだ。

さてさて、今日はどの香水をつけてみようか……林檎の形を模した香水瓶を手にとった。

 待ち合わせをしていた場所に行くと、彼はスーツ姿で鞄を持ったまま待っていた。

「まだ待ち合わせの五分前だよ?」

 声をかけると、あっくんはにかっと笑って

「俺、約束の時間には十分以上早くつくようにしているんだ」

と言った。私が遅刻をする男は嫌いだと知ってのことだろうか。

「今日つけてる香水、ニナリッチの新作でしょう」

「え?」

「なんだっけ? ニナ? 林檎の形してる香水」

「そうそう! よく知ってるね」

「麻耶ちゃんには似合わないな」

 私はがっかりした。似合うと言ってほしかったのに。彼は私の手を握ると、

「ちょっと付き合ってくれる?」

 と言った。どこに? と思ったけれどもついていく。

 連れていかれたのは小さなブティックだった。部屋の中には写真でしか見たことのない、ラリックやエジプトの瓶がたくさん並んでいる。

「嘉川様、お久しぶりです」

「久しぶり」

 店内にいた三十代の男とあっくんは何か話し始めた。男はしばらくして私にずい、と近づいて鼻をくんくんとさせた。な、なに? この男。

「少々お待ちくださいね」

 男は店の奥に引っ込んでいった。

「ねえ、この店……何?」

「香水屋さん」

「香水屋? そんなのあるの?」

「調香師たちの新作を預ける試作品の香水屋みたいなところだよ」

 そんなのがあるんだ。と感心してしまった。

 しばらくして男は戻ってきて、ひとつの香水瓶の蓋を開けた。

「この香水でよろしいですか?」

「うん、この匂い」

「今は香水をつけていられるようなので、包んでおきますね」

 小さな箱に入った香水をまじまじと見ていると、あっくんはにっこり笑った。

「その香水、きっと君に似合うよ」

「あ、ありがとう」

 もしかして、と思って私はひとつの事実を確かめた。

「あっくんの仕事ってもしかして……調香師?」

「うん」

 か、格好いい。香りに詳しい男だとは思っていたけれども、香水のエキスパートだったんだ。

 私は一瞬それが俳優の演じているキャラだということも忘れて惚れかけてしまった。

「食事に行こうか」

 彼は本当に、私のどツボを狙ったようなあっくんを演じてくれた。


三日が経った頃だったと思う。例のセールスマンが姿を現した。

「どうもー、安心アクターの横田です。喜島様、その後商品のほうには満足いただけたでしょうか?」

「今のところ満足ね」

「ふふふ、なかなか美味しい気持ちになるでしょう」

 横田はにやにやと笑いながら言った。

「ただし、何があっても一週間後には返品ですので、お忘れなきよう」

「ええ、そうね」

「それを超えて個人的にお付き合いをなされる場合、契約違反ですので違約金を払っていただくことになります」

「そんなことしないわよ」

「ふふふ、ふがみっつ。意外とこの違約金を払う羽目になる方の多いこと。一週間後にはどツボにはまっているわけです」

 横田はにやにやと笑いながら去っていった。

 どツボにはまっているですって? ええ、そのとおりよ。私はもう、あっくんが大好きで仕方がない。あと四日で別れなきゃいけないなんて考えたくない。

 私は通帳の残高を確認した。約、百万……百万円であっくんは買えるのだろうか。待てよ、今あっさり「買う」とか考えちゃった。それってよくない考えよね。

 ホストにはまる女というのも今の私と同じような心理状態なのかしら。最初の一回だけと思いながら、ずるずるとお金を使っちゃうのかしら。


「最近麻耶ちゃんは考え事ばかりしているね」

 いっしょに部屋で食事をしていたときに、あっくんが私にそう言った。

「うん、ちょっと……」

「俺に話せないような内容?」

「うーん、相談したほうがいいのかなあ」

 私はきゃべつの千切りを食べながら言った。

「違約金っていくら払わなきゃいけないんだろうって」

 あっくんの顔色が変わった。

「違約金、払う気あるのか?」

「あるかも」

「よしたほうがいい」

「どうして?」

「あそこの違約金、べらぼうに高いんだよ。そりゃそうだよな、人ひとりの人生を譲渡しちゃうわけだから。つまり人身売買ってわけ」

「え? じゃああっくんは……」

「俺、あっくんって名前じゃあないよ。麻耶ちゃん。俳優の卵っていうのはあながち嘘じゃあないけれども、ともかく、いくら持っているのか知らないけれども、違約金を払うのはやめたほうがいい」

「そんな……」

聞かなければよかった現実。私は悲しくなった。

「その代わり、この一週間は世界一の恋人であり続けるから」

 あっくんは再び笑ってそう言ってくれた。それがあっくんと最後に会った日だった。


五日目、あっくんは姿を見せなかった。携帯に電話をかけても電源が切ってある。私は不思議に思ってお客様センターに電話をした。

「安心アクターの横田です」

電話に出たのはまたしても横田だった。

「ちょっと、お客様センターもあんたがやってるの?」

「いやー、喜島様の電話はすべて私のところに自動的に届くシステムになっているんですよ。ひとりひとりのお客様のアフターケアもしっかりと責任持ってということで」

 何がアフターケアを責任もってだ。五日目に完璧な恋人が姿を現さなかったんだぞ。違約金を払うのはそっちのほうだ。

「完璧な恋人と連絡がとれない?」

 横田は怪訝な声を出して、そして沈黙した。

「昨日のお話を聞かせていただけますか?」

 私は昨日あった、違約金の話をしたという話をした。そうしたら横田はうーんと唸った。

「それは契約違反ですね。完璧な恋人と商品としての話題をしてはいけないことになっているんです。ぶっちゃけた話をしますと、当社はけっこうなもぐりでして」

「知ってるわよ」

「ですから怖い知り合いとかスポンサーもいるわけですよ。さらにぶっちゃけると女を堕落させてあり地獄にはめて違約金で食べてる会社と言っても過言ではありません」

「そんなにべらべらしゃべっちゃっていいの?」

「ええ、私のほうも命をかけてお客様に説明しているのですよ。嘉川淳役をやっていたアクターは、もしかしたら始末されるかもしれません」

「え?」

「知ってのとおり、人身売買組織ですので、その情報を外に漏らした罪で内部から制裁を与えられる可能性があるということです」

「そ、そんな……」

 私は目の前が暗くなるような気がした。

「なんとかあっくんを救う方法はないの?」

「あるにはありますが、二千万用意できますか?」

「……無理」

「いくらまで用意できますか?」

「百万」

「うーん……」

 横田は低く呻いた。

「私が交渉してみます。今から言う銀行口座にお金を振り込んでおいてくれますか?」

 私はメモに口座の名前を書きとめて、通帳を持って銀行へ走った。

指示されたとおり、金を送金したことを横田に伝えると、

「では、今から交渉に向かいます。明日には結論をお伝えできると思います。もし駄目だった場合はお金はお返ししますね」

 と言って電話を切った。


 翌日、横田からの電話はなかった。

 それどころか、あっくんが帰ってくることもなかった。

 私はふたり同時に始末されたんじゃあないかと思って、心配になり、警察に行った。

 すると警察の人は神妙な顔をしてこう言った。

「それは結婚詐欺と似たような手段じゃあないのかな?」

「は?」

「詐欺だよ、詐欺。喜島さんきっと騙されたんだと思う」

 頭の中がフェードアウト。

 騙されただと? 騙された? この私が、すっかり横田とあっくんに騙されて一万円のつもりが百万円、正確には百一万円も渡してしまったというのか。

「被害届、出しますか?」

 警察の人がそう聞いてきたが、私はそれを断った。

 やられたと思ったけれども、そんなに腹は立たなかったのだ。たしかに百万の出費は痛い。だけどふたりが元気だったというだけで何故か安心できた。

「今頃あっくんと横田は焼肉食べているんだろうなあ」

 そんなことを思いながら空を見上げた。

小学生のときあっくんと見上げた青い空がどこまでも広がっていた。この空繋がっているどこかに、本物のあっくんもいるんだろうなと思うと、懐かしい気分になってすべてが許せる気がした。


(了)


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