旅の理由
掴んだフレイヤの手を遠ざける。
「お気遣いありがとうございます。
でも、俺にとっては、あなたは毒だ。遠慮しておきます」
俺はからからに乾いた内で何とかそう告げる。舌で口内を濡らすと、幾分か楽になった。
フレイヤは一瞬きょとんとした顔をして、それから不思議そうに俺を見た。
「あら、そうなの? もう機会がないかもしれないわよ?」
「ええ、間に合ってますので」
「ふふふ、『間に合ってる』ですって」
フレイヤは、俺の嫁たちを見回しながら立ち上がった。
「オッタルさん! あなたも止めてくださいよ。ママの恋人なんでしょ?」
フノスが怒りを目に込めて、オッタル――ドアの前で佇む男を怒鳴った。
声に険がある。自分の母親の間男に良い感情を抱いている娘はいないだろう。父親が好きならなおさらだ。
「いえ、恐れ多いです。
フレイヤ様には良くしていただいていますので……」
オッタルは弱々しくそう言った。
「あらあら」フレイヤは笑う。「気持ち良くしてもらっているのは私のほうでしょ?」
言いながら、フレイヤはオッタルの方に戻り、腕を掴んで胸に引き寄せた。
「私、夜は寝てないと思うから。来たくなったら抜け出していらっしゃい。
もっとも、昼間の寝ている時に手を出しても構わなくてよ?」
フレイヤは口角を釣り上げて楽しそうに笑い、出て行った。
いなくなると、部屋の中に立ち込めていた甘い空気が霧散していく。
俺は大きく深呼吸をして、意識して脳に酸素を送る。
少し落ち着いてくると、右下にウィンドウがぴょこんと表示された。
『称号:魅了に打ち勝つ男』『条件:相手の魅了魔法に抵抗する』『魅了耐性(大)を習得しました』
立て続けに表示されて、俺はあまり文面を追えなかった。どっと疲れが襲ってきて、頭が働いてくれない。
「凄いね! アリカにぃ!!」
フノスが正面から俺の手を取って、両手でぎゅっとにぎりしめてくる。
「何が凄いのよ、デレデレしちゃって」
ふん! と明後日の方向に顔をそむけるスカジ。それでもフノスの目の輝きは薄れない。
「それはしょうがないわよ。相手がママだもん。
凄いっていうのはね、魅了の魔法に打ち勝ったことだよ」
「チャームの魔法……ですか?」イズンが繰り返す。
「そうよ。異性の行動を操る魔法。
まぁ、ママの場合、わざわざ詠唱しなくても常時発動なんだよね」
「操るってどの程度までですか?」
「うーん、ボクには使えないから分かんない。
さっきの場合だと、『私が手を触れるまで動くな』って感じだと思うけど。
チャームにかかるとママの言葉に逆らえなくなるのよ。多分」
「それ、いいですね」
イズンが不気味なことを呟いた。スカジが「何言ってんのよ!」と喚く。
「またフレイヤさんがチャームをかけようとした時に、私が使えば回避できるじゃないですか!」
チャームの条件がどうなってるのか分からない。先にかけた方が優先されるのか、あるいは強力な方が支配権を持つのか。
ただ、一朝一夕で身に着けられるものでもないだろう。だとしたら、もっとこの世界の性は乱れているはずだ。
フノスが棚から手拭いを出してきて、俺の額に浮かんでいた汗をぬぐってくれた。
「アリカにぃやっぱり凄いよ。ボク尊敬しちゃった」
「あんたまでアリカを誘惑しないでよね」スカジが釘をさす。
「ボクはママとは違うの! でも、ママのチャームに勝つなんてアリカにぃが初めてだよ。
途中で飽きられてチャーム外される人は今までにもいたけど。
いやー、アリカにぃ凄いな。ボクも気に入っちゃうかも」
フノスはくすりと笑った。魔性の笑みだ。やっぱり、血が繋がっているというかなんというか……。
今はまだ若くて純粋さが勝っているんだろうけど、将来が末恐ろしい。
「馬鹿言わないでよ!」とスカジがたしなめる。
「はーい」
フノスは引き下がって、俺の手を離した。
「俺もほとほと疲れたよ。そろそろ寝ようか」
水を一口だけ飲んで、俺は提案した。多少汗を書いたのでシャワーを浴びたい気もするが、全身が脱力していて元気がない。
すぐにでも寝てしまいたかった。
「そうだね。ボクも眠くなってきた。
アリカにぃ、ちょっと向こう向いてて」
言われるままに俺は身体を反対向きに座り直す。
「ちょっと何をしてるんですか!」とフノスの方を向いたままのイズンが吠える。
「何って寝る準備だよ」
「絶対に振り向いちゃ駄目ですよ! アリカさん」
布がこすれる音が聞こえてきた。
ハッ、と息を呑むスカジの吐息も聞こえてくる。
少しして、「もういいよ」と言われたので振り返ってみる。
背中越しに何が行われていたのかは知らないが、興味はあった。
見てみると、見まごうことなき女の子が立っている。
フノスを最初に見た時、男女どちらか分からなかった。髪は少し長いが、男でも長めの人はいる。顔が中性的ということもある。
ただ、決定的なのは胸がまったくなかったことだ。貧乳なので男なのか分からず判別がつかなかったのだ。
しかし、目の前の女の子は、そこそこ魅惑的な胸を携えていた。
「あ、あんた仲間だと思ってたのに!!」
スカジが目に涙を溜めながら叫んだ。
「え、あの、どうしたの? その胸」俺は指をさして問う。
なんでいきなり真っ平らだった胸が大きくなっているんだろう?
変身の杖で姿を解除したのか? と思ったが、エルフのままだった。
「なにってこれだよ、さらし。
ボク、ママみたいになりたくないから極力女性の部分を隠してるの。
でも、結構苦しいから寝る時だけは取るんだ」
なるほど、フレイヤの娘と言われて、確かに顔は綺麗なんだが何かが足りない。と思っていたが、それは胸であり色気だった。
フレイヤに比べたらまだ控え目ではあるが、スカジが涙目になるくらいには胸がある。
これからの成長を考えると、遺伝とは末恐ろしいものだ。
「じゃ、寝ようか」とフレイヤ同様に美しいエルフが近づいてくる。
俺はまた喉の渇きを感じたが、しかしフノスはヒルドの隣で寝転がった。
ざんねん。
当たり前と言えば当たり前で、一緒のベッドで寝るからと言って隣同士で寝る訳でもない。
俺とフノスはただのパーティーであり、伴侶ではないのだから。
俺が横になると、当然のごとくスカジとイズンが隣をガードした。
「いつもそうやって寝てるの?」
頷くと、「嫉妬深い2人に囲まれてるなら、ボクも安心だね」と笑った。
嫉妬深いのは2人とも自覚があるようで、もう離しはしないと、俺の腕をさらにぎゅっと抱き寄せる。
2人ともエルフ化していて、人間の時とはまた違った趣があって可愛い。
しかし、俺は性欲の権化と言えそうなフレイヤを耐えた後なので、あまり欲望は掻き立てられなかった。
……単に体力を消耗させられて気疲れしているだけかもしれないが。
逆にスカジとイズンは、(性的に、ではなく怒りで)興奮しているらしく。鼻息が荒い。
「アリカ、フレイヤに騙されちゃ駄目だからね」
「この街は危険でいっぱいです。気を引き締めてください」
俺に警告をしてくる。
それ所か、「夜、抜け出せるなんて考えないでね」と目をギンギンに輝かせて言ってくる。
もしかして、朝まで俺を監視しているつもりだろうか? まさか、とは思うが目が真剣過ぎる。
「大丈夫だから」と絡まれている腕を一度引き寄せる。
2人は抵抗するが、俺はその腕を2人の首に回した。抱き寄せて、2人の頭を撫でる。
険のある瞳が柔らかくなって目じりが下がっていく。疲れもあったのだろう、2人はすぐ眠りについた。
「へー、もう寝ちゃったんだ」
声の方向を向くと、フノスが起き上って俺たちを見ていた。
「まぁ、長旅の疲れもあるからね」
「疲れた状態でチャームを弾くってますます凄いね。お嫁さんたちを大切にしてるんだ?」
「大切ではあるけど、どうかな。単にヘタレなだけかも知れない」
「経験がないならなおさらチャームに抗えないはずなんだけどなぁ」
フノスは不思議そうに首を傾げて、俺を眺める。
どうにも実感がない。気恥ずかしさもあるし、俺は何と答えていいか分からないので、話しを変えることにする。
「そういえば、フノスは何で旅に出たいんだ?」
「旅が好きだからだよ」
「好きって言ったって、どこが好きとかあるだろ? 目的とかはないの?」
気軽に聞いたつもりだったが、フノスにとっては重大な問題らしい。黙って考えこんでしまう。
女性2人をはべらせて、こんな話をするのも何だと思い至る。が、腕を2人の首から抜こうにもがっちりと掴まえられていた。
多分起きるまでは離して貰えない。無理やり剥がすと起きるし、怒られるだろう。今日の夜は特に。
「ボクは……、パパを探したいんだ」
少し経って、フノスはそう呟いた。
「父親を?」
「うん。パパは旅が上手いから、大勢で行くと追いつけずに、すぐどっか行っちゃうと思うんだよね。
ボクのことを気にかけてくれて手紙はくれるんだけど。1か月に1回くらいだし、その間でびっくりする程、遠くに移動するの」
「馬が良いのかな?」
「うん、最高の馬だよ。それに馬だけで車は引いてないから凄く早いの」
「サバイバルが得意なのか」
「狩りも上手だし、釣りもうまいよ! 料理もね、美味しい。
魔法なしで火を起こせるし、とにかく何から何まで凄いんだ!」
「そりゃすごいな。是非会ってみたいもんだ」
「ボクも会いたいよ……。でも、もう誰も本気で探してくれないの。
もう何年も探し続けて捕まらなかったし、探せるなんてもう誰も思ってないんだ。
ママもね、最初は泣きながら必死になって世界中を探したんだよ?
でも、見つからなかった」
「昔はフレイヤも純粋だったのか」
「ううん。昔からああだった。あ、うーん。もうちょっとマシだったかな?
でもパパが出て行って、探しても見つからなくて。それであんなのになっちゃったのかも……」
気持ちは分からないでもないが、あんなのってのは……。
いや、子ども前で愛人を隠そうとせず、それ所か新しい男をとっかえひっかえするような母親か。あんなの、で十分かもしれない。
むしろ、ママと呼ばれているだけまだマシだ。
「だからね。ボクが探さなくちゃいけないの。
それでパパを待っている人だっていっぱい居るんだよ、って教えてあげなきゃ。
手紙だって、届けようにもボクからは届けられないし」
「そっか。俺に出来ることがあるなら、手伝うよ」
「ありがとうアリカ。期待してるね」




