冥王はお留守番
「エリアス、よく覚えておくのよ?」
「お母さん?」
(――あぁ、小さい頃の私だ)
「善も悪も、言いことも悪いことも、全て周りは見ているのよ。勿論空気にだって目があるの。これは絶対に忘れてはダメよ」
「うん、わかった!」
(お母さん?……だめだ、顔にモヤがかかって見えない)
「エリアス、私の可愛い唯一の娘。あなたが約束を守ってくれることを心から祈っているわ」
「……お母さん?」
母は私の小さな頭に手を置いて、撫でてくれる。モヤのかかった母の顔から、ひとしずくの涙が流れた。
「お母さん、泣いてるの?」
幼い私は、母の涙を拭おうと、母の顔に手を伸ばした。
「――アス」
(……?)
遠くから、声がする。
「エリアス――きろ」
どんどんはっきりと聞こえてくる声に集中すると、私はいつの間にか、目の前のレギウスの顔をガン見していた。
「っ!? わっわっ!!」
急なドアップに驚いて、ベッドから布団を抱えたまま転げ落ちた。
「勇者の名が泣くな、エリアス」
「……うっさい」
私はムクッと起き上がり、恥ずかしがっている自分の顔をレギウスに見られないようにベッドメイキングを始めた。
「――で、なんで私の部屋に勝手に入ってきてんの」
横目でジロリとレギウスを睨んで言う。するとレギウスは睨み返してきながら言った。
「貴様が起きるのが遅過ぎるからだ。日が出て結構経つぞ」
窓を開けて太陽の位置を確認してみた。お隣さんの屋根から太陽が半分程出ている――
(……屋根から半分?)
――つまりは私の職場の仕事を始まる時間はとっくに過ぎている。
「あーっ!遅刻ー!!」
昨日色々ありすぎて、と自分に言い訳をしながら、着替えて玄関へ猛ダッシュ。
「あーそうそう冥お……じゃないレギウス!あんたは絶対に家から出ないでよ!」
「何度も言わずともわかっている!」
「はいはい。んじゃいってきまーす!」
少し心配しつつ、レギウスのいる家を後にした。昨日話し合った結果、私がいない間は冥王が家事をすることに……でも何故か胸騒ぎがして落ち着かない。
「――おい、エリアス!新しい本が入荷したんだが、これは何処に入れたらいい?」
「あー、それは二階の一番右の棚にお願いします。あと、そっちとこっちのも同じ棚の下の方に」
「はいよー」
――私は『元』勇者エリアス。今は図書館の管理人。といっても、その図書館がちょっと特別で、お城の中にある大きな図書館だ。
利用者は国王、王妃、司祭、戦士と様々だが、魔法書も管理している場所なので、許可が下りた者なら他国から訪れた魔法使いや魔法戦士もお客様だ。逆に一般の人たちには公開していない。城の出入りが厳しいのもあるが、信用できない輩も多いからだ。
ふいに、新しく入荷した本を並べ終えた戦士の友人モルフィスが、私がいるカウンターの前を、溜め息を吐きながら呟いた。
「てかよー。俺たち戦士だろ?なんで図書館の管理やらされてんだ?」
私はクスッと笑って言う。
「まだ図書館だからいいじゃない。魔女の友人なんか、土木工事やら貴族の小間使いやら、色々大変そうなんだから」
「お前も俺も、戦士の家の出だから軽いんだよな……アークスもこっち来ればよかったのにな」
「ええ、そうね――」
私やモルフィス、アークスのように、この国では戦士の家柄で生まれた子供の名前の最後に必ず『ス』を付くようにされている。誰がその名を聞いても、貴族や良い家柄に生まれた者だとわかるように。戦士や魔法戦士の家柄は、それだけ価値があるものらしい。
「――でも、魔法使いの子達は……」
「ああ。酷い差別だよな……他国の魔法使いは何も言われないのに、この国で生まれた魔法使いの扱いと言ったら……」
そう。魔法使いは昔から異端者と呼ばれ、迫害を受けていた。今は『人間として』の扱いは受けられるものの、昔は『魔物として』の扱いしか受けられなかった。
「……まあ、今は一般人とも心が通うようになって、良くなった方なんだよね」
「ああ。この国も他国のように自由を平等にすればいいのにな」
「いつか、そうなるといいわね――」
――日没には、私は一日の仕事を終えて帰路についた。我が家にはきっと、お腹を空かせたレギウスが待っているだろうと、少し足早に……。