第六十四楽章 暗殺と居場所
《中央》セントラルの一角に佇む洋館。その奥で男はチェスのコマを弄っていた。豪奢なソファーに座り、傍らでは美女が酒の瓶を持って微笑んでいる。しかし対面の男は真っ青になって震えながら床に座っていた。
「俺は度胸のある奴が好きだ」
ソファーに座った男は誰に言うともなくそう言葉を発した。
「他人を陥れてでも自分が儲けたい、そういう度胸も決して俺は咎めはしない」
対面の男は震えるばかりで返事をしない。だがソファーの男は気にした風もなく言葉を続けた。
「どこぞのスリが俺の隙を突いて財布をかっぱらったとしても、俺はそいつの度胸を褒めてやる事はあっても制裁は加えん」
だが、と続けながら男はルークを動かした。
「チェック……残念ながらお前は俺が治めるアサシンギルドの職員だ。裏切りは許さん」
「ひっ!」
「どうした?お前の番だぞ」
何時もの事だと、黒曜は床に座らされた男の背後に立ちながら欠伸を噛み殺していた。彼はソファーの男を「大将」と呼んでいるが、実際のところ彼の本名が何なのかは知らない。黒曜にとっては大将が自分の所属するアサシンギルドを纏める長で、自分の給料を払ってくれるのならそれで十分だからだ。
「こ、コクヨウ!頼む助けてくれ!」
これから自分を待ち受ける運命を理解しているのか、床の男が背後の黒曜に懇願してくる。しかし黒曜は別にその姿を見て心揺らぐ事はなかった。
「あんたが大将以上の給料を払えるなら、今からあんたが俺の大将だが?」
床の男は絶望に満ちた顔でポーンを動かし、大将のルークが往こうとした先を塞ぐ。だが大将は騒ぐ事なくビショップを動かした。
「チェックメイトだ。しばらく食わせてないし、蜂蜜と木苺のジャムもつけてやれ」
傍らに控えていた男達が床の男を引っ立て、言われた通りに頭から蜂蜜とジャムを塗りたくる。悲鳴をあげてもがく男を引き摺り、床に取り付けられた蓋を開くと中からはチューチューというネズミの鳴き声が無数に聞こえてきた。
「相変わらず凄まじい罰ですねぇ。鼠倉の刑というのは」
呆れ顔の黒曜にも眉1つ動かさず、大将は指を鳴らす。ジャムと蜂蜜で味付けされた男は抗う間を与えられないままネズミが犇く穴へと突き落とされた。悲鳴については即座に蓋がされた為聞こえる事はない。たかがネズミと侮るなかれ、飢えて群れたネズミは下手な猛獣よりも性質が悪くなるのだから。
「ミズハはどうしている?」
「あちらさんも手加減してくれたようで、大した怪我もなく今は休んでいます」
「そうか……奴に騙された事からしても、鼠倉は勘弁してやるとしてだ」
チェスのコマを片付けながら大将は溜息をつく。その気持ちは黒曜もよく分かるものであった。
「アルベルト・クラウゼンは今までの経歴から言っても、常に正面からの戦いのみを行ってきました。つまり彼には『暗殺に対抗する技術』が著しく欠けている、にも関わらず彼女は……瑞葉はしくじった」
本来殺してはいけない相手だが、それでも依頼があり暗殺者が赴いたのならアルベルトは当然死んでいなければならない。暗殺に二度目などなく、やるのなら最初の一手で終わらなければいけないのだから。
「そうだ。つまりあの娘には暗殺者としては救いようのない出来損ないという事だ」
「そして使えないコマを飼っておく程我が組織に余裕はない、ですか」
大将は何も言わず、無言で肯定の意を示す。黒曜は小さく溜息をつき、組織から放り出される瑞葉がどうやって生きていくのかを考えた。
それから二日後。リザードマン達による交通網の整備が一応でも形になりつつあった午後の事だった。
「アル様。暗殺ギルドから会談の申し入れが来ています」
「分かった。応接室に通してくれ」
サリに案内を頼み、アルベルトは公的な場で着用する礼服を纏ってそこへ向かった。
「失礼。お待たせして申し訳ない」
「構わないさ。此方が迷惑をかけた身なのでな。暗殺ギルドの纏め役をやっている、ギルバード・ランドルフという者だ」
椅子から立ち上がった男の足は右足が義足で、差し出された手も幾筋もの傷跡が奔り歴戦の猛者だと感じさせる凄みがあった。
「まずは此方の手違いで貴殿の暗殺を請け負ってしまい、暗殺者が其方へ向かった事をお詫びしたい。私の方針で《逆十字聖騎士団》の人員に関連した暗殺は一切請け負わないと決定していたのだが、報酬に目が眩んだ馬鹿が勝手に依頼を請けたのだ。その制裁は既に此方で終わらせてある」
済まなかったと頭を下げ、ギルバードは傍らに立つ少女を見やった。
「こいつがその馬鹿に使われた間抜けでな。身体能力自体は高いが、殺気を気取られる上に隠密能力はきわめて低い。そこは対暗殺の経験が殆どない貴殿を殺しそびれた事からも分かって貰えると思う」
「まあ、確かにな」
実際のところ、アルベルトが経験した戦いは常に戦場であり日常の中で殺されるという経験はない。そんな彼にすら殺意を気取られた挙句に殺しそびれ、あまつさえ姿を晒したというのは暗殺者にとって致命的なのだろう。
「じゃあ彼女はどうなるんだ?」
「殺せない暗殺者など不要。此処で侘びを入れさせたら後はさようならだ」
その言葉で少女の顔が強張り、アルベルトは無言で考え込む。正直なところ、彼女に殺される気はしないので別段どうも思うところはない(セーラやマオは相当に怒っていたが)。故に彼女がたかだか1度暗殺に失敗したくらいで放り出されるというのも可哀相だという感情が強かった。
「だったらそうだな……彼女を俺の所で雇わせてくれないか?」
「どういう事だ?」
「あんたが見立てたとおり、俺は暗殺に対する技術がない。それどころか《逆十字聖騎士団》は諜報部があってもこういった暗殺専門という技能を持った人材もいない」
アルベルトが此処まで言うと、ギルバードは合点が行ったように頷いた。
「暗殺者の動きに通じた人材が欲しいという事か。そういう事なら此方の組織には何も支払う必要はない、煮るなり焼くなり好きにしてやってくれ」
「それは助かる」
交渉成立かと思っていると、ギルバードにとってはまだ違ったらしい。
「だがこいつ1人では心許ない。願わくば貴殿の組織とは今後も良い付き合いをしていきたいからな」
「では?」
「黒曜をつける。此方は正式に報酬を頂きたいが、侘びも込みなので安くしておこう。俺が最も信頼する暗殺者だ、実力は保障するぞ」
暗殺の技術に精通している人間がついてくれるなら心強い。アルベルトは傍らに立つコルトンが頷いたのを確認してから承諾の意を込めて首を振った。
「それでもう1つ訊いて置く事があった」
「何だ?」
「彼女の名前、教えてくれないか?」
ギルバードは軽く笑い、目で彼女に合図した。
「……瑞葉」
ぽつりとそれだけ彼女は言い放った。
契約を交わし、必要なら何時でも暗殺を請け負うと確約して帰ったギルバードを見送ったアルベルトは瑞葉と黒曜の2人を案内して《エクスカリバー》を歩いていた。
「しかしまあ、リザードマンに引かれて走る車とはまた乙な物を考えたねぇ」
感心したように黒曜が窓から通路を眺める。戦艦としての要素もある《エクスカリバー》では外を一望出来る窓など後部の展望デッキ以外はブリッジと居住区位しかないので、通路では人魚達が暮らす水中トンネルでもない限り無骨な通路が延々と続く。もしかしたら此処も改善の余地があるかもしれないと考えながらアルベルトは走るリザードマンに共通区画へ向かうよう指示してから座り直した。
「へえ、此処が全ての種族が一緒に交流する区画か」
「今のところはリザードマン達の荷車を真似て子供も大人も関係なしに遊んでるがな」
子供用に作られた小さな荷車や、大人でも凝り性の者が走り易いように車体を肉抜きしたり車輪を改良したりと色々手を加えた車を引っ張って速さを競っていた。
「そのうちレースになるんじゃない?」
「なったら名物になるかもだ」
楽しげに笑う黒曜とは対照的に、瑞葉は無言のまま悲しそうな目でその光景を見ているだけだった。
余談ではあるが、この荷車レースは本当にやる事になった。『何人たりとも俺の前は走らせねぇ!』そんなスローガンと共にリザードマンは勿論人間やドワーフに魔族やエルフも巻き込んで《逆十字聖騎士団》の名物となるのは今から数えて数年後の事である。
瑞葉の扱いは対暗殺用護衛という訳にはいかず(ギルバードは彼女をアサシンとは認めていない為)、というよりあの黒ずくめの格好では悪目立ちも甚だしいのでサリとシャロンに着替えの用意を頼んだ。
「一応動き易い物を、とは頼んだが……シャロンだからな」
「彼女、何か変な趣味でもあるのかい?」
不思議そうな黒曜には肩を竦め、アルベルトは退出する前にサリが用意してくれた蜂蜜入り紅茶を一口飲んだ。
「そういえば黒曜。瑞葉はどうして暗殺者になんてなったんだ?」
「さあなぁ。俺達ギルド員は互いの素性を知らない事のほうが多いから何とも言えねえわ」
名前と顔立ちからして小春や織江と同じ《東国》の出身なのだろうとは思うが、余り会って間もない少女の素性を詮索するものでもないだろう。アルベルトはそう考えて黒曜にも紅茶を勧めた。
「それで、俺様は今後どうやって過ごしていれば良いんだ?」
「とりあえずこの《エクスカリバー》であんたの目から見た穴を埋めてくれないか?或いはあえて潜入し易い穴を残し、そこに罠を張るんでも良い」
「へえ、意外に俺様達のやり口が分かってるじゃないの」
あの後コルトンに散々叩き込まれたとは言えず、アルベルトは薄く苦笑いする程度に留めた。
「ともかくそこはあんたに一任する。この船を守ってくれ」
「まあちゃんと払われた額分は働くさ」
「成果次第で追加報酬も出すけど」
「死ぬ気でやらせて貰う」
どういう人間かがこの一連の会話で掴めてしまった。それで良いのかという突っ込みは置いておく事にしたその時、扉が開きシャロンとサリが入ってきた。
「お待たせしましたアル。ミズハちゃんの着替え、完了です!」
『……って何でメイド服!?』
シャロンとサリに手を引かれ、「もうどうにでもしろ」と言わんばかりの空気になった瑞葉が入ってきた。服装はサリが着ているものとは違い、スカートと袖がかなり短くなって動き易さを重視しているらしかった。
「ご心配なく。スパッツは着用済みです」
「そこは心配しとらんわ!」
「いや、アルを守る護衛ならあの黒ずくめよりもメイドのほうが自然に傍にいられるかと」
そう言われてしまうとアルベルトとしても返す反論がない。どうやら瑞葉の装備は手袋やブーツの中に仕込まれているらしいので問題はなさそう(それをアルベルトに見抜かれる時点で大問題なのだが)である。
「ま、まあそういう事なら俺からは何もない。よろしく頼むぜ瑞葉」
「……だ」
「へ?」
瑞葉が口を開き、何を言ったのか聞き取れなかったアルベルトが困惑したその瞬間だった。
「何故だ!何故お前は私を此処に置こうとした!?情けでもかけたか?殺し屋として出来損ないの烙印を押された私が哀れにでも映ったのか!」
「おわっと!」
スカートの裏に隠されていた暗器を握り、瑞葉はアルベルトに襲い掛かる。黒曜が阻むよりも早く《カドゥケウス》が召喚されその攻撃を防いでいた。
「俺様いらなくね?」
「俺個人はこいつで済むとしても、この《逆十字聖騎士団》には俺が喪いたくないのが多過ぎるんだ。だから頼む」
微妙に凹んだ黒曜を宥めつつ、アルベルトは瑞葉の手から暗器を奪い取って息を整えた。
「質問に答えるぜ。まあ同情半分と、後は聖四郎と元信を相手に立ち回ってたからな。今俺はこの《逆十字聖騎士団》をあらゆる種族が集い幸せに暮らせる国にしたいと思っているんだ。その為には当然ながら強い軍隊で身を守る事も必要だろ?自分が平和主義を掲げたところで、相手が拳を引っ込めてくれる訳もないんだから」
戦う事は必ずしも善とは言えない。如何なる事情があれど、暴力で物事を解決しようという時点で何かが間違っているのだから。しかしだからといって何があっても戦わないという選択を取るのも善では在り得ない。アルベルトはそう考えていた。
「その為には自分からやる訳じゃないが、暗殺に対抗出来る人材がある程度欲しかった。そんな時に瑞葉や黒曜が来てくれたのは実に幸運だったんだ」
「お前1人満足に殺せない三流暗殺者以下の私でもか……?」
必要だと言われた事が嬉しいのか、瑞葉の声は微かに震えていた。
「俺を殺せないからって恥じる事はないさ。七帝竜をはじめ俺を守る力は多いし、何よりも信頼出来る最高の騎士がついているからな」
「それは自慢になっているだろ」
微妙に呆れた声の黒曜に苦笑しつつ、アルベルトは改めて左手を差し出した。
「力を貸してくれ瑞葉。俺の《逆十字聖騎士団》にはその力が……いや、瑞葉が必要だ」
「……分かった。だが全てを預けるにはまだお前を信用出来ない」
「分かっているさ。だからまずは俺を観察する事から始めてくれ」
瑞葉は頷いてアルベルトの手を取る。思ったよりも温かで小さな手に、アルベルトは小さく微笑んだ。
風呂と食堂にも案内され、今まで食べた事がなかった美味な食事に驚いた瑞葉。そんな彼女も今日一日だけでも色々あり過ぎて自室の布団で丸くなっていた。
「あらゆる種族が集い幸せに暮らせる国、か……」
瑞葉は元々《東国》の片田舎で育ち、人攫いによって親元から離されて奴隷として生きてきたのだ。ほんの1年程前にその奴隷商人を自分の手で殺して放浪している所をギルバードに拾われて暗殺者として育てられたが、結局今の有様である。
「私は此処にいられるの……?」
もう知る事のない母の温もり、父の背中。唯それだけを渇望した少女は無条件に自分を受け入れてくれる場所を求めていたのかもしれない。
「……」
臆面もなく瑞葉を必要だと言い切ったアルベルトの顔が過り、彼女は布団を頭まで被り直した。
同じ頃。アルベルトはぼちぼち寝るかと思っていると、部屋のドアがノックされミスティが入ってきた。
「ミスティ?珍しいなこんな時間に」
「まあ、ね。やっと試作品が出来たから、早く試して欲しくて」
そう言って彼女が差し出したのは封印の腕輪だった。
「もしかして、俺の右手のか?」
「うん、一年以上待たせちゃってごめん」
アルベルトは笑って首を振り、左手で右手を差し出した。
「あ、外で試すほうが良いか?」
「そうね。そのほうが良いかも」
ミスティに頷き、アルベルトは彼女を伴い外に出た。
「考えてみれば、ミスティとこうやって歩くのは初めてだったか?」
「そういえばそうね。1年の時にやった甘いものを奢るって約束もすっぽかされてるし」
「……今度時間を空けておいてくれ」
色々あって伸び伸びになっていた事を思い出して軽く死にたくなった。
「冗談よ。でも楽しみにしておくわ」
時間が心を癒したのか、ようやく以前のように屈託のない笑顔を見せてくれるようになったミスティに笑いながらアルベルトは目的の甲板へ出た。
「じゃあまずこの腕輪をつけて……あっ!?」
腕輪を嵌め、元々つけていた腕輪を外そうとした瞬間の事だった。ミスティが新たに作った腕輪は一瞬の光を放ち粉々に砕け散ったのだ。
「……」
「そう凹むなよ。このやり方は駄目だったと分かっただけだろ?俺はそんなに待たないから、ゆっくりやれって」
「……うん」
破片を拾い集めるのを手伝い、気落ちした様子で帰っていくミスティを見送るとアルベルトは改めて空を見上げた。
「一体何が足りなかったのやら……」
ミスティの錬金術師としての腕前は信頼している。にも関わらず彼女が失敗したという事は、何かしらの要素が足らなかったという事に他ならない。
「そもそもがこの腕輪の封印ってどうなってるんだ?」
そんな事は凡夫たるアルベルトには分かる筈もなかったが。
アルベルトと別れ、部屋へ戻ったミスティはそのまま乱暴にベッドへ倒れ込んでいた。
「封印術式を少し強引な物にし過ぎた?ううん、それだとそもそも封印が出来ないわ……」
現在アルベルトの右手に装着されているのは単純に腕ごと七帝竜の力を戒めるもので、簡単に言えば鎖で雁字搦めに縛り付けるようなものである。だからこそアルベルトは封印と同時に右手を動かせなくなっているのだ。
「つまり縛り付けるんじゃなく、あえて動きたくなくなるような封印……駄目、それじゃ七帝竜の召喚も出来なくなるかもしれない……」
全くもって答えの出て来ない推測と研究。それに没頭する間に、ミスティは静かに眠り始めていた。
続く




