第四十六楽章 絶望の中の希望
「患者を医務室に運べ!」
「毒のサンプルは!?」
「既にエルリック主任に渡ってる!副官から《北国》《西国》《南国》《中央》への医務官及び錬金術師の派遣要請を行えと指示が出てるぞ!!」
怒号と足音が絶え間なく響き、種族関係無しに皆が走り回る。それも全てはセーラを救う為であった。
「毒の識別は出たん?」
「サンプルの一部を分解して、何とかどういう毒素や呪いが使われたのかは特定出来たわ。でもどんな練成を行った結果今の状態になるのかが特定出来ないから、迂闊に分かったとも言えない状態ね」
オリーヴに説明しながらも、ミスティは休む事なく資料とノートを手早く捲りながら解析を続けていた。ルクレツィアやモニカが派遣してくれた錬金術師達も自国から持ち込んだ資料を引っ繰り返しながら類似する症状を発生させる毒草や呪いを調べている。
「呪いの項目はこっちに回せ。魔族の本領だ」
事態を知ったルキナに送り込まれたキルトも自分の研究室から持ち出したノートを片手に眉根を寄せた。
「腐食の呪いに痛覚倍増だと?悪趣味な呪いを組みやがって……!」
「腐食の呪い、ですか?」
ミスティ達の夜食を持って来た小春が聞き慣れない単語に首を傾げた。
「本来は呪われた本人が気付かないうちに体が徐々に腐っていき、最期には死体も残らない位惨たらしい死に様となる呪いだ。だが今回の場合は痛覚倍増の呪いによって想像を絶する激痛に苛まれる事になる。常人なら数分で発狂し精神が崩壊するレベルの苦しみだ」
「っ!」
「せやったらケーナの短剣で呪いだけでも解除できんの?」
オリーヴが至極もっともな事を挙げるが、キルトとミスティは同時に首を振った。
「その場合、他の毒素がどう動くかが読めないからな。こういった合成して作られた毒というのは素材となった毒や呪いの効力が密接かつ複雑に絡み合っているから、下手に1つでも取り除くと他の毒素が暴走して更に事態を悪化させる事にもなりかねん。やるのなら全部纏めて一掃するしかない」
「なるほどな。ほなウチは実家に連絡して、薬学部門で取り扱ってる素材のサンプルを現物でありったけ持って来るように指示しとくわ。今回ばかりはこっちも商売抜きでやらして貰うで」
研究室を飛び出して行くオリーヴを見送り、ミスティ達は作業に戻った。
医務室の前。セーラの治療が行われている部屋の前に置かれた待合のベンチに座り、アルベルトは呆然としていた。
「アルの所為じゃありませんよ。セーラ様ならきっと大丈夫ですから」
両手でガッツポーズを作りながらシャロンが言うが、アルベルトの反応はない。
「そうです。セーラ様は……セーラ様は騎士としての役割を全うされたんです」
「何で……!」
トリアの言葉に初めてアルベルトが応えた。
「何で誰も言わないんだ!?本当は言いたいんじゃないのか?俺の所為だと、俺がいなければセーラはこんな目に遭わずに済んだと!!」
シャロンもトリアも当惑して顔を見合わせる。何しろ今までは誰かが折れかけてもアルベルトがそれを引っ張ってきたが、当のアルベルト本人が折れてしまうと誰が引っ張れば良いのか分からないのだ。
「アルベルト殿、失礼致しますぞ」
コルトンの声が聞こえた途端、アルベルトは頬に強烈な衝撃を受けて吹っ飛ばされていた。
「何処にいるのかと思えば、こんな所で腑抜けていたとは。私は貴殿を買い被っていたのでしょうか?」
「コルトンさん!いきなり何を!」
トリアがいきり立つが、コルトンは意に介さない様子でアルベルトの胸倉を掴み上げた。一見小柄な老人でありながら、その体躯の何処に此処まで強靭な膂力があるのかと場違いにも感心してしまう。
「良いですか?上に立つ者は常に不屈であれ、ですぞ」
そう言ってコルトンはアルベルトをベンチに座らせ、手早く襟や上着の乱れを直してから立ち去った。
「アル、治療は……」
「いい。しばらく残しておく」
窓ガラスに映った自分の頬が徐々に黒く痣になりつつあるのを苦笑して見つつ、アルベルトは立ち上がって医務室のドアを開けた。
「ッ……!」
呼吸器に繋がれ、医務官や錬金術師が忙しく動き回る中でセーラは荒い息をつきながら何かに耐えていた。
「ア……ル……」
きつく閉じられていた目が薄らと開き、アルベルトを捉えると小さく微笑む。その姿も彼の心を慰めるには至らなかった。
「大……丈夫……だか、ら……」
「セーラ?」
「わ、たし……負け……ない……がんば……あ、あうううううっ!」
突然セーラの体が跳ね上がる。
「どうした!?何が……!」
「ぐ、あぐぁあああ!うあああああああああ!!!」
「いけない!とにかく発作を抑える事を最優先!!」
「アル様!気持ちは分かりますが、今は……」
サリに連れ出される間にも、アルベルトの脳裏には処置を受けながらもセーラの苦しむ姿がずっと焼きついていた。
「くそおっ!!」
執務室に戻り、アルベルトは力の限りに机を殴りつけた。手の骨が割れるかと思う程痛かっただけだった。その痛みで冷静さを取り戻し、アルベルトは手を1つずつ模索していく。
「サラマンダー、お前の炎でセーラの体を蝕む毒も呪いも全部焼き払う事は可能か?」
(体の中にあるもんだからな。この間のエントは外側だったから何とかなったが、体内にあるものを直接焼いたら嬢ちゃんがもたねえぞ)
現状、解毒や解呪に最も力を発揮するアルベルトの切り札であるサラマンダーの炎が使えないとなると、彼には打つ手がない。
「アル、今良いかしら?」
ちゃっかり付いて来ていたオフィウクスだ。アルベルトは立ち上がってドアを開けに行った。サリは現在ミスティ達のサポートに回るよう言いつけてあるので、久しぶりに彼はメイドに傅かれない時間を過ごしていたとも言える。
「こんな状況だけど、私を知らないと貴方も信用出来ないと思って」
「確かにな。唯でさえ一大事だってのに、この上身中の虫を増やしたくはない」
オフィウクスは仮面の奥で苦笑し、そっとその仮面を外してみせた。
「説明は貰えるんだろ?……母さん」
「ええ、その為に私は此処にいる」
アルベルトの記憶よりも幾分若いが、紛れもない彼の母親であるレベッカ・クラウゼンの微笑だった。
「まず先に説明しておくと、私は貴方の母親の容姿と思考をトレースして作られた自動人形なの。でも11年前、アルとテオを残して死ぬ事になったオリジナルの魂がこの躯体に宿り蘇った……これは私自身も予想していなかった事態で、躯体と魂を馴染ませるまでに大分かかってしまったわ」
「それが予想外なら、本当は何で作られた?」
とにかく何か考えていないと、セーラを心配する心と己を責める心が鬩ぎ合いろくでもない事をしでかしそうだと己を止める為、アルベルトは話に没頭していった。
「全ては16年前。貴方を産んだ時にとんでもない事が分かったのよ」
そういってレベッカはアルベルトの右手に目をやった。
「20年前の《七竜戦争》、その際に七帝竜の魂を全て私のオリジナルに封印したのは知ってる?その辺の細かい事情は《古竜の盟約》に抵触するから話せないけど、私も恐らくは七帝竜も予想していなかった事……彼らの魂が生まれたばかりのアルに宿ってしまったの」
「……」
何やらとんでもない話になってきたので落ち着くべく、アルベルトは何時も通りに紅茶を飲もうとしてその手が空を切る。そういえばサリはいないのであった。
(何だかんだでサリに頼り始めてたんだな俺……)
仕方なしに水差しから水を一杯注いで飲み、目線で続きを促した。
「そして、その代償として私は魔力のほぼ全てを失ってしまったわ。それでもいざという時にはアルを守れるようにと作られたのが自動人形の私よ」
仔細は理解した。だがもう1つ疑問が残る。何故今まで何処にも現れなかったのかという点だった。
「そこについては謝るしかないわね。起動する前の躯体を《ウロボロス》の連中に盗まれてしまったの。あっちは対魔女用の兵器として扱うつもりだったらしいんだけど、全然起動しないもんだからあっちこっち弄繰り回して私が起動した時には全身ガタガタ。修復するのにも凄い時間がかかって、挙句に《ゾディアック》の世話係でしょ?身動きが取れるようになるまでに此処までかかってしまったの。ごめんなさいね」
「またあいつらか。何処までもついて回りやがるな……《古竜の盟約》のほうがまだナンボかマシだぞ」
苦笑しながらも、アルベルトは感謝するように頭を下げた。
「それでも……どんな姿であっても家族が生きててくれたのは嬉しいよ。お帰りなさい、母さん」
「ただいまアル。本当にごめんなさい……!」
そっと抱き締められるが、体温のない冷たい感触が自動人形の悲しさなのかもしれない。気持ちを落ち着け、アルベルトは肝心の話題に移ることにした。
「早速だけど、母さんにも助けて欲しい事があるんだ」
「あの子の事ね?アルの事をあそこまでひたむきに守り、愛してくれる子だもの……絶対に助けたいのよね?」
当然とばかりに頷く。レベッカは懐から数枚の紙片を取り出してアルベルトの前に置いた。
「これは?」
「かつて私の師匠が作り上げた伝説にして至高の霊薬、《エリクサー》の資料よ。作り方は師匠の頭の中にしかなかったけど、現物は私がある場所に封印し保管してあるわ」
《エリクサー》。それは錬金術師が目指す1つの極みと言われる薬だ。飲めばあらゆる病を治し、使い方によっては不老不死すらも得られるというその薬は錬金術師にとって憧れであると同時に禁忌とも言われた。命の流れすらも弄ぶ所業に敬虔な宗教家等がこぞって反対した為という政治的問題もあったのだが、何よりも《エリクサー》を巡って戦争が起こる事も懸念された所為であった。
「じゃあ、これがあれば……!」
「ええ。あの子、セーラちゃんを救えるわ」
最後のページに隠し場所を記した地図があるのを確認し、アルベルトは立ち上がった。
「失礼します。ナオですが、よろしいでしょうか?」
「あ、ああ。入ってくれ」
入ってきたナオの表情は暗く、余り良い話ではなさそうだとアルベルトは直感した。
「良い報せと悪い報せがあるわ。どちらから話す?」
「……良い方から頼む。それと彼女の事は気にしないでくれ。俺の母親だ」
ナオは頷いて書類を捲った。
「毒素の内容が概ね特定出来たわよ。四肢の筋肉を弛緩させて動きを封じ、全身を徐々に腐食していく呪いとそれによる痛みを倍増させる呪いを込められていて、72時間で死に至る」
「悪趣味ね……」
レベッカが呟き、それについてはアルベルトも同意しておく。
「制限時間は?」
「毒を打たれた時刻から換算して後65時間」
「それだけあれば、《エリクサー》を回収して戻り投与する時間は十分そうだな」
希望が見えたと拳を握るが、ナオは表情を緩める事なく口を開いた。
「悪い報せもあると言ったでしょう?確かに残り65時間は苦しむけど死なないわ。でも逆に言えばその時間、想像を絶する激痛に襲われ続ける事にもなる……《エリクサー》はあらゆる病を治すとされているけど、心はどうかしらね」
アルベルトの目が見開かれた。痛みから逃れる為に自ら心を壊してしまう、ナオはその可能性を示唆しているのだ。
「今のアルには2つ選択肢があるわ。一か八か、その《エリクサー》を使って心が壊れたセーラであっても生かして傍に置くのか。もしくは今すぐ楽にしてあげるか」
「……セーラと話したい。話せるか?」
セーラの命と心はセーラ自身の物。そう考えてアルベルトは尋ねた。
再び訪れた医務室。セーラはさっきよりも荒い呼吸のままベッドに寝かされていた。
「せーちゃん、返事はしなくて良いから聞いてくれ」
自分を探すように伸ばされた手をそっと握り締め、アルベルトは彼女の白い手が徐々に黒ずんできている事に瞠目した。すぐにそれどころではないとナオから聞いた話を説明し始める。
「俺はこれからせーちゃんを治す為の薬を取りに行く。でもそれがどれくらいかかるかは分からないんだ……だから、もしそれまで苦しみたくないのなら」
痛がらないように加減しながら手を握る。
「俺が終わらせてやる」
「……」
セーラの震える手がゆっくりとアルベルトの手を離れる。そのまま眠るのかと思ったが、セーラは声を出さずに唇を動かした。
(い・き・た・い。が・ん・ば・る)
「分かった……必ず助けてやる、だから負けるな!俺の騎士!!」
再びセーラの手がアルベルトの手を握り締める。今度は痛いくらいの力が篭っており、彼女の決意と覚悟を窺わせた。
「ナオ、俺が戻るまでセーラを頼む」
「分かってるわ。それが貴方の望みであれば」
アルベルトは頷いて医務室を飛び出す。ナオはその背中を見送り、艦内放送で主な戦闘メンバーに召集をかけた。
「あ、アル待って!場所が場所だし、潜水艇を用意するから!!」
「頼んだ!」
格納庫へのトロッコに飛び乗るアルベルトの背中が見えなくなり、ナオはさっきよりも大分安らいだ顔のセーラに近づいた。
「人間は此処まで強くあれるのね。アルの為なら、か……」
精神力だけで心を保ち続ける彼の騎士を何としても生かすべく、ナオは纏まっていない資料に向かい椅子に座った。
五分後。目的の場所が海中にあるとあって、メンバーはバレリアにバズバとシバ、そしてマーリスというメンバーに落ち着いた。射撃担当という事でリリィも一緒である。
「以前アルにあげた手甲があるでしょ?あれを装備していれば水中でも息が出来るからね」
「そっか。ありがとなマーリス」
マオの操縦で潜っていく潜水艇には四門の魚雷発射管が装備されており、雷跡が見えずスピードも威力も上級の爆発魔法に匹敵する威力を秘めていた。
「ソナーに感あり。後30秒で目標を視認出来ます」
リリィの報告通り、潜水艇が一隻入れるくらいの洞窟がぽっかりと海底に開いていた。そしてその上には巨大なイソギンチャクが鎮座していた。
「推定57mってところか。魚雷一発で何とかなると思うかリリィ?」
「要するに息の根止めつつ洞窟が崩れないように、ですね?お任せです」
魚雷が発射され、一直線にイソギンチャクへ直撃……してぶよんと跳ね返された。魚雷は制御を失って回転しながら飛び、泳いでいたエイを一匹巻き添えにして爆発した。
「……南無」
とりあえず拝むリリィの頭に一発お見舞いしつつ、アルベルトは策を練る。
「バズバ、リザードマンの力であれを倒せるか?」
「残念だが無理だ。あの手の怪物には同胞が何人も食われている」
となるとどうしたものか……そう悩んでいるとマーリスが手を挙げた。
「ねえ、アル。危険だけど1つ作戦があるの」
「聞かせてくれマーリス。この際どんな意見でも聞いておきたい」
マーリスは頷いて自分の腹案を話し始める。それは確かに危険だが、セーラの事を考えると躊躇ってもいられないものであった。
潜水艇から少し離れた場所まで泳いだマーリスは、海底に落ちていた尖った貝殻を拾い自分の手に突き立てる。掌から漏れ出る血が靄のように海水に広がり、しばらく経った時である。
(来た……!)
血の臭いを嗅ぎ付けて泳いで来たのは巨大なサメ。人魚にとって天敵であるが、マーリスはこの敵を使う事を考えていた。即ち、毒を以って毒を制すという奴である。
「ほらこっちよ!ついてらっしゃい!!」
全身のバネを使い、サメをギリギリで振り切らない程度の速度を保ちながら泳ぐ。飢えているのか、サメはびっしりと並んだ牙を見せ付けるように口を開けてマーリスを追いかけた。
(後はイソギンチャクの触手に触れないように泳ぎ抜けば……!)
岩とイソギンチャクの間に出来た微かな隙間。そこを狙い、マーリスは弾丸さながらにその隙間を泳ぎ抜いた。しかし巨大なサメはそうも行かず、完全にマーリスを食べる事に気を取られていた為に放たれた触手をまともに喰らってしまった。
「やった!」
思わず快哉を叫ぶマーリスに一瞬の隙が出来る。海面から降り注ぐ太陽の光が遮られ、何かと思った時にはもう遅かった。
「きゃああああああ!!」
岩陰にもう1頭隠れていた。避ける間もなく食いつかれ、丁度魚の部分に牙が突き刺さる。
「あがっ!ぎ……ああああああああああああああ!!」
突き破られた鱗と口の両方から血が溢れ、マーリスは急速に意識が落ちかけるのを感じた。
「マーリス!!」
その様子を潜水艇で待機していたアルベルトが黙って見ていられる筈もない。本来はリザードマンが出入りする為のハッチから海中へと飛び出し、右手を掲げた。
(私を召喚しようと言うのですか?)
(そうだ。まだお前が俺を認めていないのは知っている……だが今この状況を打破出来るのはお前しかいないんだ、頼むリヴァイアサン!!)
こうしている間にもマーリスが食べられてしまう。それだけは許す訳には行かないのだ。アルベルトに続いて海に飛び出したバレリアとバズバ、シバが猛スピードで泳いでサメに襲い掛かるもその巨大さとパワーに振り切られて苦戦しているのだから。
(いいでしょう。その様に毅然と命じてくれる日を待っていましたよ)
(助かる!)
右手に蒼い光が灯り、流麗な咆哮と共に竜は顕現した。
(我が意に従い、我が声に応えるべし!それは大古の昔より流れ続ける清き流れ。悠久の契約に従いこの日この時、救済を望むならば応えよ!)
水中では声が出せない為に思念で行われる儀式。その向こうでシバが両手のハルバードでサメの口をこじ開け、ぐったりとしたマーリスを引っ張り出した。
(その名は海嘯竜リヴァイアサン!我は汝の鎖を手繰り、慈悲を水へと変える者……アルベルト・クラウゼン!!)
水が轟々と音をたてて渦巻き、巨大な蛇にもにた蒼い竜が飛び出した。
(我が海嘯を以って汝の契約に応えん!!)
リザードマンを遥かに凌駕するスピードでリヴァイアサンはサメに巻きつき、全身の力を込めてその骨を全て圧し折った。
(リリィ今だ!)
簡単な思念会話を使いリリィを呼ぶと、彼女は心得たとばかりに1頭目のサメを飲み込んで体が伸び切り弾力を失ったイソギンチャクに魚雷を撃ち込む。魚雷の爆発により、イソギンチャクは自身の体液と飲み込んだサメの血を撒き散らしながら吹き飛んでいった。
(アルは早く《エリクサー》を!マーリスさんの治療は私が引き受けます!)
リリィに急かされ、アルベルトはこちらへ泳いで来たリヴァイアサンに導かれる形で洞窟へと飛び込んだ。
アルベルトが洞窟に飛び込んだのとほぼ同時に、潜水艇に運び込まれたマーリスをリリィは応急処置していた。
「回復魔法使えてよかったですよ本当……」
ヒールを連続で唱え、ミスティから預かってきた強化ポーションを強引に喉から流し込む。魚の部分を覆う鱗はそのうち再生するらしいので、とにかく今は命を繋ぎ止める事に全力を注ぐ事にした。
幸い洞窟は分かれ道が多いだけで、特に厄介な謎解きもなくアルベルトは最深部に到達した。
「えーっと確か……」
(この部屋にある仕掛けを解除する事で封印が解かれるのだったな)
リンドヴルムに頷き、アルベルトは部屋の四隅にある小部屋を見て回った。
「確か母さんの資料には……北に勇気を、勇気を左頬に感じながら労わりを、労わりに向かう心は探求、そして命は希望と共に……か」
(なるほど、封印を解く者が四つの属性を扱える事を前提にするのであればとても簡単な謎解きですね)
リヴァイアサンが楽しげに言った。
(我々竜族の間では、炎は勇気を司り、水は労わり、土は希望、風は探求を意味します。後はお分かりですね?)
「ああ……北が火、西が水、南が土で東が風だ」
小部屋の方角をコンパスで確認しつつ、アルベルトは全ての小部屋に魔法を解き放った。
「よし開いた!待ってろよセーラ……!」
奥の部屋に安置されていた青い小瓶に入った液体を手に取ったその時だった。
「へえ、本当にあったんだそれ」
「!?」
咄嗟に飛びのくと、さっきまでアルベルトが立っていた場所が斬り裂かれる。
「ヤズミ、またお前か……!」
「絶望に打ちひしがれてると思ったのに、もう立ち直ってるんだもんな。本当つまらないよ」
壁で背中を守りつつ、小瓶を懐にしまう。じりじりと間合いを計るが、ヤズミに隙は見当たらなかった。
「くそっ……今はお前の相手をしている暇はないんだよ!」
「知ってるさ。だから邪魔しに来たんじゃないの」
だったら瞬殺してやると、彼は《エクスピアティオ》と《オケアノス》を装備する。
「おのれが一秒遅れたらその分彼女は苦しむだろうし、実に愉悦じゃない?あれだけでかい口叩いた女が、僕の作った毒でもがき苦しむんだからさぁ」
「死んでろゴミチビがぁ!!」
《オケアノス》が放つ水の鞭が複雑な軌道をもってヤズミを追い詰める。全身を刺し貫かれて絶命するかと思いきや、ヤズミは短距離転送で逃げるどころか懐へ飛び込んで来た。
「しまっ……!」
「まあ今回は殺すのが目的じゃなくてっと」
懐に触れると同時に奔る衝撃。ヤズミが飛び退くのと同時にアルベルトは自分の懐を探るが、出て来たのは砕かれて中身が消滅した《エリクサー》の瓶だった。
「お、お前……!」
「これで目的達成。後は残り時間ずっと苦しむのを見てるのかな?それとも自分の手で犠牲を出しちゃう?どっちにしても僕に取っては愉悦、愉悦!更に愉悦!精々愉しませてよ、《勇者》様」
そう言い捨ててヤズミは転送で消える。アルベルトは自分の手がガラス片で怪我をするのも構わず《エリクサー》の瓶を握り締めて立ち尽くしていた。
同じ頃、ミスティはセルヴィやアルト達といった錬金術師と一緒に練成室に来ていた。
「じゃあセルヴィ、本当に《ユグドラシル》の知識に《エリクサー》の製法が書いてあったんだね?よっし!それなら万一アルが失敗してもあたし達で作れるよ」
「はい。ですが……」
「何や、素材がメチャ高価なんか?それとも希少とか」
セルヴィは首を振った。
「いえ、素材自体はオリーヴが用意してくれたもので十分事足ります。ですがもう1つ、命を左右する薬を作る為に必要な物……錬金術における等価交換の原則」
「まさか……!?」
ミスティの声にセルヴィではなくレベッカが頷いた。彼女は既にアルベルトの母親を模した自動人形だと説明しており(宿った魂は本人の物だとも)、錬金術師であり魔女の先輩として受け入れられていた。
「師匠の遺作となった理由もそれなら分かるわ。《エリクサー》の材料は、人間の命ね?」
セルヴィは頷く。それはアルベルトにとって最も残酷な結末になるのかもしれない。
続く




