第三十八楽章 倒れた勇者
《逆十字聖騎士団》に所属する者のほぼ全てが集まり、どんちゃん騒ぎに興じた夜の事。アルベルトは少し夜風に当たりたくなり、甲板へと出た。
「此処に来ると、小春によく会うな」
「そうね。やっぱり月を見上げると国を思い出すからかしら」
所謂ホームシックという奴だろうか?既に帰る家が灰となったアルベルトや、そもそも家どころか家族すらいなかったケーナと違い小春には帰る家も温かな家族もいるのだから。
「……隣、いいか?」
「え?うん」
小春が持ち出して来たらしいシートの上に腰を下ろし、アルベルトはそのまま寝転がった。
「なあ小春」
「降りないから」
「へ?」
小春は膝を抱えたまま、きっぱりと言い切った。
「何時でも《エクスカリバー》を降りて良いって言うつもりだったんでしょ?」
「悪い、逆。出来れば降りないでくれって言いたかったんだ」
「……」
早とちりだったと悟り、小春の顔が赤くなる。アルベルトはそれには気付かないふりをしつつ夜空に輝く星を見上げた。
「小春だけじゃない、セーラもミスティもケーナも皆俺を好きだって言ってくれてるだろ?俺はそれに応えられているのか、好かれるに値する男なのかとずっと考えてた」
まだ人間の機微にこそ疎いものの、バレリアやナオもアルベルトを好いてくれている。セルヴィに至ってはきっちりと「自分を預ける」とまで言ってくれたのだ。
「で、考えた結果1人を選べるのかとも思ったんだが……」
「だが?」
彼が出した、出してしまった答えは言ってしまえば余りにも不誠実。そしてある意味においては捨て鉢とも言える答えだった。
「聞かせて。アルはどんな答えを出したの?」
「……誰も手放したくなかった。誰か1人を選んで、他の皆が離れてしまう事を想像したらそれが嫌だった。だったら一生答えを出さずにいるのも答えか、なんて思ってしまうんだ。最低だろ?」
「どうして1人を選ばなくちゃいけないって思ったのかしら?」
「何言ってるんだよ。《中央》を含めて東西南北、一夫多妻を合法化してる国なんて何処にもないぞ」
アルベルトとしては至極当たり前の事を言ったつもりでいたが、小春は何故か首を傾げた。
「他の国がどうって関係ないんじゃない?《逆十字聖騎士団》ではアリって事にしとけば」
「いやそんな無茶が通る訳は……あるな。そういえば此処って俺が作った国だった」
「そうよ。リザードマンみたいに多夫多妻が当たり前で寧ろ一夫一妻に馴染めない種族もいるし、そういう種族との交流を円滑に行う為って事にしておけば」
何故か楽しそうに言う小春に、アルベルトは初めてリリィ以外の女の子絡みで頭痛を覚えた。
「前にケーナちゃんが言ってたの。私達がそれぞれアルを独り占めするよりも、アルが私達全員を独り占めしてくれるほうが良いって」
「後は俺の覚悟1つってか?」
頷く小春に苦笑しつつ、アルベルトは改めて夜空ではなく小春を見上げる。月に照らされた彼女は優しく微笑んでいた。
「……俺は、皆に助けられて此処まで来れた。でも1番最初に手を差し伸べてくれたのは小春だったな」
七帝竜が自分の右腕にいたと知った夜、小春がアルベルトを抱き締めて励ましてくれた。今から思い返せばあれが始まりだったとアルベルトは感じていた。
「こいつらと向き合う覚悟が出来て、力を取り込んで……それがあったから俺は今までの決断全てを通ってこれた。改めて言わせてくれ、ありがとうと」
「な、何よもう。改まっちゃって」
起き上がって正面から向き合うと、小春は落ち着かない様子で襟にかかる髪を弄りながら目を逸らした。
「俺の始まりは小春だったんだ。なら最期まで付き合う義務が……ああもうまだるっこしい言い方は俺らしくもねえ!もっと単純かつ根本的な話、俺の日常と未来に小春がいない事が想像つかんからこのまま《エクスカリバー》に乗って付いて来てくれ!」
言った後でアルベルトは盛大に頭を抱えた。もう少し言い方はなかったのかと思うが、言ってしまった以上もう遅かった。
「ええ、いいわよ。アルから誘ってくれたのって私が始めてよね?」
「ああ。いずれは全員に確認と誘いをかけるつもりだけど、やっぱり最初はな」
縁起を担ぐ訳ではないが、全ての始まりとなった小春に最初に声をかけておきたかったのだ。セーラが騎士となり、ミスティを片腕とした今となっては今更かもしれないが。
「よかった……」
小春はそっとアルベルトに凭れ掛かって目を閉じる。しばらくそうしていると、静かな寝息が聞こえ始めてきた。
「こ、小春?……寝ちまったか」
流石に《北国》と比べると温暖とはいえ、この時期に甲板で寝させたら確実に風邪を引く。アルベルトは小春を抱き上げて彼女の部屋まで向かった。動かない右手は《オケアノス》を一時的に顕現させる事で動かせるようにしておく。
「……しまった」
そして当惑していた。《エクスカリバー》のセキュリティは部屋の主の網膜と指紋・暗証番号で制御されており、小春の部屋の鍵を開けるには当然小春の指紋と網膜が必要になる。だが現在彼女はアルベルトの腕の中でぐっすりと眠っており、指紋はともかく網膜を確認出来ない上に暗証番号を知らなくては開錠出来ないのである。
「しかし、起こそうにも凄まじい罪悪感がな」
肩に頭を乗せ、幸せそうに眠る小春の寝顔を見ているとケーナの時と同じ起こそうと考える事そのものが馬鹿馬鹿しくなってくる。
「仕方が無い……小春は俺の部屋で寝させて、俺は執務室で寝るか」
その足で自室へ向かい、手早く鍵を開けて中に入る。相変わらず1人で寝るには大き過ぎるベッドに小春を寝かせ(小春の寝相がどれ程か知らないが、余り端に寝させると落ちかねない為ベッドに上がるハメになった)、毛布とシーツをかけてやってようやくアルベルトは《オケアノス》を解除して人心地ついた。
「一応置手紙と部屋の鍵を、と」
アルベルトの執務室と私室は中で繋がっており、そちらは一般的な鍵で施錠出来るようになっている。廊下に面した扉はアルベルトの指紋・網膜・暗証番号が必要となる為、彼は執務室の施錠にさえ気を遣えば小春も安心だと考えた。
「ま、外から鍵かけて鍵自体は下の隙間から入れておくか」
(お前、意外と根性無しなのな)
サラマンダーの揶揄にアルベルトは思わず大声を出しそうになりながら、小春の様子を窺い声を潜めた。
「やかましいわ。だからお前等竜の常識を人間に求めないでくれって……俺も一杯一杯なんだからさ」
(まあ別に構わんがよ。根性無しでも甲斐性無しにはならねえこったな)
「黙れ火炎蜥蜴」
(てめ、誇り高き《豪竜》を火炎蜥蜴たぁ良い度胸じゃねえか!あぁ!?)
騒ぐサラマンダーを黙殺しつつ、アルベルトはドアに鍵をかけて鍵は下から放り込んでおいた。置手紙は枕元に置いてあるし、几帳面な小春ならまず間違いなく気付くだろう。
「さて、寝るか」
膝掛け代わりにしている毛布を取り出してかけ、アルベルトは来客用のソファーに寝転がった。
翌朝。小春は自分の布団では在り得ない寝心地にふと目が覚めた。
「あら?私の部屋……じゃなくて」
床は畳ではなく絨毯が敷かれ、高級感はあれど生活感皆無の調度品が並ぶ部屋。どう考えても自分の部屋ではなかった。
「……?」
唯一使われている事が分かるサイドボードと水差し。その水差しを重石代わりに置かれたメモを手に取った。
「何々……『起こすのも忍びなかったから俺の部屋に寝させておく。俺は別室で休んでるから安心してくれ。 追伸:鍵は扉の前の床に置いてある。 アルベルト』」
執務室に続く扉に目をやると、その下に鍵が置かれているのが分かり小春は思わず笑ってしまった。
「もう、変な所まで律儀なんだから」
そう考えるとケーナはよく何度も添い寝を経験したと微妙に的外れな事を考えつつ、小春は服の皺をある程度格好がつくように伸ばしてから鍵を拾いにベッドから降りた。
「アル?おはよう」
執務室に入ると、案の定ソファーで寝ているアルベルトに苦笑しながら近づき、小春は顔を覗き込んで思わず息を呑んだ。
「アル!?大丈夫?どうしたの!?」
頬は紅潮し、時折呻き声をあげる姿に小春は思わずパニックに陥りそうになりながら叫んだ。
「だ、誰か!誰か来てー!」
廊下に飛び出し、声を張り上げる。艦内放送用の設備が執務室に備えられている事を思い出したのはそれからたっぷり五分後であったが。
「38.9℃。誰が見たって風邪ね」
小春に支えられながらベッドに入ったアルベルトの体温を測り、ミスティは苦笑しながら言った。
「そんな筈ないわ!アルの部屋は空調も気質も全て完璧なものに調整されてるんだから!」
心外だとナオが叫ぶ。一体どれ程自分の部屋に技術と労力を突っ込んだのかと感謝と同時に少し呆れながらアルベルトは手を挙げた。
「悪いナオ……俺夕べは隣の執務室で寝たんだ」
「何で!?」
「えっとごめんなさい。私の所為で」
小春から「かくかくしかじか」で説明され、ナオはようやく納得したらしい。
「じゃあすぐに風邪薬を調合して持って来るから待っててね。よく効くのを作るから」
「おう、期待してるぞ」
車椅子を動かしてミスティが部屋を出て行き、ナオは「《エクスカリバー》全体の空調も考えないと駄目かしら」と呟きながらそれに続く。残された小春は少し悲しそうにアルベルトを見た。
「あの、アル」
「謝らなくていい。俺の決断が招いた結果だからな」
「もう……それじゃ何も言えないじゃないの」
小春は「しょうがない」と言いたげに笑う。
「じゃあ1つ頼んでもいいか?《東国》で風邪引いた時に作る料理とかあったら、それを作って欲しいんだ」
「うん、分かったわ。任せて」
両手でガッツポーズし、小春は部屋を後にした。その後姿を見送り、アルベルトは額に手を当てながら目を閉じた。
「何時ぶりだろうな……風邪引いて寝込むのって」
アルベルト・クラウゼン、風邪を引いて寝込むの報はすぐさま《逆十字聖騎士団》の主なメンバーの知る所となった。
「あの……セーラ様?そんな今にも死にそうな顔しながらうろつかれると流石に困るんですが」
オリーヴに用意して貰った果物からリンゴとオレンジを取り出して切り分けながら、珍しくシャロンが苦言を呈した。
「ごめんなさい。でもこうしている間にもアルが苦しんでると思うと……」
「風邪は拗らせでもしなければ死ぬような病気じゃありませんよ。ミスティ達錬金術の班も総出で薬を作ってますから安心して下さい」
食べ易い物が良いと考え、一口大に切り分けた果物にヨーグルトを添える。本来ならパン粥でも作りたいが、食事は小春が担当しているのでシャロンは必然的にこういった物の担当になっていた。
「……ああもう!こうしちゃいられないわ!!」
「え、セーラ様!?何処へ行かれるんですか!」
自分の装備を身につけて部屋を飛び出すセーラに、シャロンは慌てて声をかけた。
「アルの部屋の前で騒ぐ者がいないよう見張りに立つわ!」
律儀に返事をする主にシャロンは思わず頭痛がするのを感じた。
「それでは騎士じゃなくて衛兵です、セーラ様……」
アルベルトの風邪が伝染らないよう、自分も薬を飲んでおくべきかと考えながらシャロンは薬の前に何か食べさせなくてはと包丁を構えた。
時間は過ぎ、昼時になった。セルヴィは自分の分を胃に収め、自分もアルベルトを見舞おうとヴィーヴィと共に彼の部屋を訪ねた。先日の宴会以降、ヴィーヴィはこうしてセルヴィの供をする事を好み始めていた。
「ピュイ」
「私達もアルの護衛をしなくて良いのか?大丈夫ですよ。見て下さい」
セルヴィが視線を向けた先には、剣を抜いてこそいないものの随分と物々しい雰囲気で扉の前に佇むセーラとレイナの姿があった。
「アルを除けば《逆十字聖騎士団》最強の剣が控えていますから」
「ピュウ」
納得した様子のヴィーヴィに頷き、セルヴィは見張りの2人に声をかけた。
「失礼。アルを見舞いたいのですが、大丈夫ですか?」
「さっき食事と薬を済ませて眠ったところよ。起こさないって約束するなら」
「分かりました。ヴィーヴィ、静かにね」
「ピュイ!」
片翼で敬礼染みたポーズを取るヴィーヴィに笑い、セルヴィは静かに扉を開けて中へ入った。これでも森で生き、斥候と奇襲・追撃に長けたエルフの長なのだ。音を立てず気配を殺して移動するなど朝飯前であった。
「アル……?」
薬が効いているのか、朝よりは大分顔色の良い様子に安堵の息を零す。枕元のサイドボードに置かれた薬包紙と、それに乗せられた粉薬の残りが目に入った。一応確かめておこうと僅かに残っていた粉を指につけてぺろりと舐める。味で使われた薬草を記憶と照らし合わせるのは得意技だ。
「……随分と効き目の強い調合ね。これだと熱は下がってもその後の体力回復が追いつかないでしょうに」
起こさないように注意しながらアルベルトの首に指を当てる。思ったよりも乾いていた事で納得した。
「なるほど、発熱の割に発汗が少なかったんですね」
これでは確かに辛いだろうと思い、セルヴィは考えを巡らせる。
「戻りましょうヴィーヴィ。今日はこのまま研究室に篭ります」
「ピュ?ピュイ」
「魔法で回復しないのか?そんな事をしたらアルが目を覚ますし、魔法による治癒では風邪のような病気には余り効き目がありませんよ。ですからこんな事で《勇者の騎士》の逆鱗に触れるつもりはありません」
納得した様子のヴィーヴィを伴い、セルヴィは胸の内でアルベルトがすぐ元気になる事を祈って部屋を出た。
その後、見舞いに猪と牛の丸焼きを持って来たマオが丸焼きごとバズバに引き摺られて行ったり(丸焼きはバレリアとシバが美味しく頂いたらしい)リオンが弟達を代表して『早く良くなって』という手紙を持って来たものの風邪の伝染を危惧して面会は出来なかったりと色々あって夜になった。
「あれ、もう夜か?」
時計を見ると、昼にトロイが作ったポタージュスープとミスティ特製の風邪薬を飲んでから今まで完全に寝ていたらしい。
「やっべ。今日の仕事何もしてねえじゃんか」
幸い朝よりはマシな体調になっていたので、少しでもやっておこうとベッドから這い出そうとした矢先にドアが開いた。
「やっぱり!もう大人しく寝てなくちゃ駄目でしょ?」
小さな土鍋の乗った盆を持って入って来た小春が血相を変えて小走りに駆け寄った。
「いや、朝よりは大分動けるし」
「ミスティの薬で症状が落ち着いてるだけよ。はいベッドへ戻りましょうね」
盆をサイドボードに置き、やんわりとベッドまで押し戻されたアルベルトは「母親か」と呟きながら若干不貞腐れた様子で寝直した。
「生憎こんな大きな子供を持った覚えはないわ。というか子供のほうがよっぽど手がかからないわよ」
「そこまで言うか!?」
小春は優しく笑い、「故郷じゃ近所の子供達の面倒も見てたから、ついね」と付け加えた。そう言われてしまえばアルベルト自身も幼い頃は熱を出しても退屈してベッドを抜け出し、母を散々に困らせたものだと思い出す。これからもっと困らせたり喜ばせたりする筈だったが、それは五年以上続かなかった。
「大人しくしてて貰う為にも早く食べたほうが良さそうね」
上半身を起こし、盆を受け取ろうと手を伸ばしたが小春は渡さなかった。
「あれ?」
「サンドイッチや果物みたいに手で食べられる物じゃないから」
土鍋の蓋を取ると、ふわりと湯気が広がり食欲をそそる匂いが満ちた。一瞬余りにも湯気が濃くて中身が見えなかったが、どうやら雑炊らしい。
「……質問しても良いか?」
「いいわよ。何かしら」
「手で食べる訳に行かない料理なら、俺はどうすれば良い?」
そもそもベッドから出るなと言われている時点で、右手が動かないアルベルトは膝で盆を支えながら片手で雑炊を掬うという離れ業を披露しなければならない。流石に零したら勿体無いし何よりも熱い。
「こうするの」
小春は底の深いスプーンで雑炊を掬い、息を吹きかけて冷ます。その姿を見てアルベルトは幼い頃の記憶を呼び起こされて顔を引き攣らせた。
「ま、まさか……」
「そのまさかね。はい、口を開けて」
左手を添えて差し出された雑炊を前に思わず固まるが、あまりもたもたしてると勿体無いかもしれないと半ばヤケクソになってスプーンを口に入れた。
「はい、よく出来ました」
「あのなぁ……」
16にもなって食べさせて貰うという己のプライドと羞恥心を相手に全面戦争を仕掛けるような有様に、アルベルトは頭を抱えた。
「とはいえまあ……美味いんだよな。実際小春の料理は」
「ありがと。この雑炊は私が昔病気になった時に、お母さんがよく作ってくれてたの。材料はお父さんが育てて、平次が獲って来てね」
雑炊の具は白菜とニンジンとネギ、そして刻んだ鶏肉だった。味噌で口当たりを優しくしてあるのか、風邪で弱った胃腸も抵抗無く受け入れているのが分かる。
「家族皆に愛されてるんだな、小春は」
「何言ってるのよ。アルだってそうでしょ?」
真意が分からずに顔を上げると、小春は二口目を用意して微笑んでいた。とりあえず差し出された分は食べながら問う目を向ける。
「アルが英雄を憎むようになった事件。あれを私なりにずっと考えてたの」
小春はアルベルトにもう一杯食べさせながら言葉を続けた。
「私には想像しか出来ないけど、きっとアルのお父様もお母様も心の底からアルを愛してたと思う。だから例え自分が死ぬとしても、憎まれるとしても貴方を生かす選択を両方が取れたんじゃないかって」
「……」
小春は一旦土鍋をサイドボードに置き、微かに震えるアルベルトの左手をそっと自分の手で包み込んだ。
「きっとお母様は本望だったわよ。自分の命と交換でも子供を助けられたんだから」
「小春……」
本当なら「何が分かる」と激昂しているかもしれない。だが小春の言葉は不思議な程にすっとアルベルトの心に響く。それは最初の頃からそうだった。
「不思議だな。小春の言う事なら本当に素直になれる」
「そう?じゃあもう1つ」
小春はベッドに腰掛け、アルベルトを抱き締めた。
「貴方のお父様は英雄なんかじゃないわ。この《逆十字世界》で唯1人、アルベルト・クラウゼンだけの《勇者》よ」
元々アルベルトの英雄嫌いは妻を見捨てて息子を救った父が村人から英雄と持て囃されていた事に起因している。その英雄を小春が否定したのだ。
「今までお疲れ様。ずっと大好きなお父様を憎み続けて、肩凝ったでしょ?」
「……本当に敵わないな」
母を喪い、《サザンの悲劇》が起こるまでの一年。父は息子から向けられる憎悪の視線を受け止め続け、決して逃げる事はなかった。それはきっと贖罪だけでは出来ない、親だからこそ出来た事だと小春は説いた。アルベルトはこみ上げる気持ちを見せるように小春を抱き返し、しばらくそうしていた。
「小春、色々ありがとな。それでさ」
「うん、何?」
「……残ってるの、全部貰っていいか?」
小春は一瞬目を丸くしたが、ややあって小さく噴き出した。
「はい。召し上がれ」
その後セルヴィが届けてくれた薬を飲み、アルベルトが再び眠りについた後の事だった。
「アル、もう寝ちゃった?」
ケーナだった。ケーナはとことことアルベルトのベッドまで近づき、その寝顔をそっと指で突いた。
「今日は一緒に寝ちゃ駄目ってコハルちゃんから言われてるから……」
仰向けに寝ている顔に自分の顔を近づけ、以前セーラがアルベルトにやっていたように唇を重ねる。それだけでケーナは自分が暖かくなるのを感じた。
「アル、何時かコハルちゃんもセーラさまも……ケーナの事もみんなみーんな独り占めしてね。大好き」
歌うように告げ、ケーナはそのまま静かに部屋を出て行った。後に残されたアルベルトは何事もなかったかのように朝まで眠りこけていたのだが。
翌朝。全快したアルベルトと対照的にケーナが風邪で寝込み、「どうしてこうなった」と関係者一同がアルベルトも含めて一様に首を傾げたのは余談である。
続く




