第三十三楽章 父の願い・娘の選択
トリアとの付き合いはそれなりに長いが、そんなアルベルトですらも彼女の怒声は聞いた例がなかった。
「あ、おいトリア!」
そのまま走って会場を飛び出して行く彼女を見送り、アルベルトは呆然と立っているグラニを隅の方へ連れて行った。
「悪いセーラ。トリアを頼めるか?」
「ええ、任せて」
途中でセーラにトリアの事を頼み、空いているテーブルに腰を落ち着けてアルベルトはグラニを見た。
「で、トリアがあんたの娘ってのは本当なのか?」
「ああ。間違いない」
そういえばトリアが以前「自分は父親が誰かも分からないくらい下賎の出」だと言っていた事を思い出した。
「もしかして、あんたが前に言っていた手元に置き続けた結果壊れちまったモンって事か?」
「当たらずも遠からずだな。あれはもう15年以上昔の話だ……俺は傭兵としては多少名も売れ、ある程度は仕事を選り好み出来る程度の力も得ていた」
サリが気を利かせて持って来た酒をコップに注がずそのまま飲み、グラニは懐かしむように目を細めた。
「その最中で1人の女傭兵とつるむようになってな。同じ仕事をこなしたりしているうちに、まあそういう事になってだ。といってもあいつ、身篭った事を黙って俺の後を付いて来てたもんだから途中で派手にぶっ倒れてよ。まあ俺にも責任があるんで、それを取る意味でも結婚してあいつは傭兵を引退した。そして生まれたのがトリアだ」
グラニはまた酒を飲み、懐かしむように笑った。
「子供を育てるってのは結構な金がかかるもんでよ。やる気も十二分に湧いたのもあって、俺は今まで以上にリスクも見返りも大きい仕事をこなしては家で待っている家族に送金する日々を送っていた。だが俺は……手元に置き続けて危うく殺しかけた女を今度は遠くに置いた所為で喪っちまったんだ」
そう呟くグラニの顔は後悔と己への怒りに歪んでいた。
セーラはトリアとの付き合いならアルベルト以上に長い。こういう時、彼女が何処に行くかも熟知していた。
「やっぱり此処にいたわね」
何か辛い事やヘコんだ時、トリアは必ず水の多い場所へ行ってまんじりともせずに水を眺めている癖があった。セーラがトリアを見つけたのは人魚の居住区画を通るガラス張りのトンネル内部であった。
「セーラ様、申し訳ありません。折角の祝いの席に水を差すような真似をして」
「いいのよ。寧ろあの場でいきなり父親だなんて言われても混乱するに決まってるわ」
ガラス壁に寄りかかり、膝を抱えて泳ぎ回る人魚を眺めていたトリアの隣に腰を下ろしてセーラも見上げてみた。声が聞こえる訳ではないが、マーリス達は水の中を自在に泳ぎ回り楽しそうに歌っているのがよく分かった。
「私がアスリーヌ家に拾われた時の事、セーラ様は覚えておいでですか?」
「ええ、よく覚えてるわよ」
セーラとトリアの出会いはかれこれ十年前に遡る。ルイーゼが軍を率いて《中央》に潜り込んでいた奴隷商人の一団を壊滅させた時に商品として扱われていたトリアを連れ帰ったのだ。彼女の母親は病死しており、父親の情報は皆無であった為の措置(セーラに同年代の友達を用意しようという姉馬鹿根性も多分に含まれていたが)であった。
「母を喪った悲しみこそあれど、アスリーヌ家で暮らす日々は私にとってとても幸せな時間です。でもいきなり、どうして今更名乗り出てくるなんて……!」
セーラは黙ってトリアの頭を抱き寄せる。セーラ自身としては、トリアを手放したくない気持ちもありつつ本当の家族が見つかったのなら一緒に暮らすのもアリだという二律背反の感情がありその両方を持て余していた。
とにかく飲まなければ話すのも辛いのか、グラニが空けた酒瓶は既に二十を軽く越えていた。にも関わらず次から次へと酒をラッパで干して行くのだから、彼の肝臓は余程頑丈に出来ているのだろう。
「ぶは……あれは忘れもしない、十年前だ。仕事が片付き、トリアの誕生日だったのもあって俺は久々に家へ戻った。だが家は何者かに荒らされ、2人はいなくなっていた」
悔やむように目を覆い、グラニは更にもう1本酒瓶を空にした。
「傭兵仲間のツテも全部使い、コネも縁故も使い果たす勢いで探し回ったが結局分かったのはアイラが死んだという事実だけ。トリアの事は皆目見当もつかない有様だった」
アルベルトはサリが用意してくれたオレンジジュースをチビチビと飲みながら黙って話を聞いていた。
「結局トリアの事も死んだのだと諦めたのが三年前。そんな矢先にこれだからな。正直済まない事をした」
「事情はよく分かった。同じ立場に置かれたら俺も同じ事をするかもしれないし、そこについて四の五の言うつもりはない」
今までチビチビとやっていたジュースを一息に飲み干し、アルベルトはまっすぐにグラニを見据えた。
「問題はこれからだ。今のトリアはかなりはっきりと拒絶反応示してるし、日を改めてのほうが良いと思うがどうするつもりなんだ?」
「出来るなら父親として一緒に暮らしたいとは思っている。今更だし、受け入れられる可能性は絶望的だがな」
違いないとアルベルトは内心で同意する。口には出さず、サリが注いでくれたお代わりのジュースを飲むだけに留めたが。
「その件も込みで、しばらく滞在許可を貰えるか?無論そちらの仕事にも全面的に協力させて貰う」
「俺は問題ない。契約面の話はコルトンとしてくれ」
グラニは安心したように頷き、そのままテーブルに突っ伏して鼾をかき始めた。
「まあ流石に飲み過ぎだよな……」
数えるとテーブルに並び、床にも転がった多種多様な酒瓶は合計で49本に上っていた。というか短時間でこんなに飲んだら普通は死ぬ。
グラニの部下達と協力して彼等に宛がわれた宿屋(《北国》から避難してきている商人の一部が始めていた)へ泥酔状態のグラニを担ぎ込み、アルベルトはようやく人心地ついていた。
「あのクソ重い戦斧、どんな鍛え方すれば2本もブン回せるんだか……」
一緒に運び込んだグラニの戦斧の重さに辟易としつつ、アルベルトは会場の酒気に酔った体を醒まそうと水中トンネルの区画をのんびり歩いていた。
「セーラ、此処にいたのか」
「あらアル。宴会のほうはもういいの?」
「主なメンツが粗方酔い潰れたからな。子供だけで続けるにはもう遅いしお開きにしてきた」
意外と下戸だったらしいトロイや、初めて飲む酒に興奮したリザードマン達の大騒ぎを何とか鎮めた苦労を思い起こしながらアルベルトはセーラとトリアの向かい側に座った。
「グラニは何て?」
泣き疲れて眠っているらしいトリアに肩を貸しながらセーラが訊ねてきた。
「トリアが許してくれるなら親子として暮らしたいとさ。一応『どうしてこうなった』の部分も聞いてはいるが、そこについては俺達がうだうだ言ってもしゃーないしな」
「そうね」
アルベルトの言いたい事が分かったのか、セーラもあっさり頷いた。
「アルはどう思うの?」
「俺?まあどっちの気持ちも分かるんだよ。死んだと思ってた家族が生きてて嬉しいって気持ちも、今更父親面されても困るっつーか混乱する気持ちもな」
トリアが決める事だと投げてしまうのは簡単だが、それでもあれこれと思い悩んでしまうのはアルベルトのお節介かもしれない。
「月並みな事しか言えないけど、俺にはどう頑張っても取り戻せないものだからな。大事にして欲しいとは思う。これも自己満足っちゃ自己満足なんだがよ」
「そっか……でも難しいわね。トリアなりに折り合いをつけて、傷に蓋をする事が出来た矢先にこれだもの」
これでアスリーヌ家ではなく何処かの孤児院に入っていたならグラニの情報網に引っかかったかもしれない。過ぎ去った時間にもしもは在り得ないので、本当に仮定の話でしかないが。
「それでも、トリアがどんな選択を取ったとしても俺達の仲間で友達である事に変わりはない……だろ?」
「当然よ」
セーラの言葉と表情に一切の迷いはなかった。
翌日。自室兼執務室となっている部屋でアルベルトが仕事を確認していた時の事だった。
「アル、今良いですか?」
「トリアか?入ってくれ」
入ってきたトリアの目は赤く、決して本調子でないのは見て分かった。
「朝早くにすみません」
「いいさ。別に寝てた訳じゃない」
書類を一旦脇に置き、サリに紅茶の用意を指示してからアルベルトはトリアに応接用の椅子を勧めた。
「察するに、昨日の件か?」
「ええ。でも私1人だとあの人に冷静な態度を取れないでしょうから、アルにも同席して貰いたいんです」
他にもセーラは既に同席を了承しているらしい。アルベルトは頷いて席を立つ。
「呼びつけるよりはこっちから出向いたほうが良いだろうな。今からで良いか?」
「はい、お願いします」
その結果がどうなろうと、自分達はトリアの味方でいる。その事だけは何度も胸の内で確認しながらアルベルトは部屋を出た。
セーラと合流した後で宿屋を訪ねると、店主は泡を食った様子で飛び上がったのでそこを宥めてからグラニの様子を訊く。どうやらかなり重度の二日酔いらしいが、あれだけ豪快に飲んでこの程度なら寧ろ驚嘆に値する頑丈さだろう。
「あー、流石にこの状態で話ってのもな。どうする?何なら日を改めるけど」
「いや待ってろ」
グラニはそれだけ言って奥に消え、数分後には随分としゃっきりした顔で出て来た。後で訊いたところ、この手の二日酔いによく効く穀物があるらしい。
「それで、トリアがあんたに話があるって事なんだが」
「……」
椅子に座り、グラニは店主にホットミルクを全員分注文してから頷いた。
「先にグラニの意見を聞いてもいいか?又聞きとかじゃやっぱ齟齬が出るだろうし」
「分かった。トリア、もしトリアさえ良ければだが親子として一緒に暮らしては貰えないか?俺もセントラルに家を買うし、学校にもそこから通う事も出来る」
気持ちを逸らせないようにしているのか、グラニはホットミルクに砂糖を入れて飲んだ。
「勿論、全ては俺の我儘だ。だから嫌だと言うのであれば断ってくれて良い。殆ど顔も覚えていない相手がいきなりノコノコ現れて父親を名乗るのもおこがましいとは思うしな」
随分と譲歩したとアルベルトは思う。自分の我儘だと最初に言ったのは恐らくトリアの心に負担をかけない為だろうし、豪放磊落に見えて根は繊細な男なのかもしれない。
「……グラニさん」
トリアがグラニをそう呼んだ瞬間、アルベルトは彼女の心を悟った。それはセーラも同じだったのだろう。スカートの上で握られた手に込められた力が少し強くなったのが見えた。
「今の私はアスリーヌ家に仕え、セーラ様やシャロンに素晴らしい仲間と共に学び生きています。トリアは確かに貴方の娘だったかもしれませんが、十年前のあの日に母親と一緒に死んだんです。きっと」
グラニは予想していたのか、余り傷ついた表情は見せなかった。ただ小さく笑ってカップに残った牛乳を一息に飲み干して席を立つ。
「そうだな。どうやら人違いだったらしい」
「お、おい!」
そのまま立ち去ろうとするのをアルベルトは慌てて呼び止める。だが何を言えば良いのかと混乱しているうちに、グラニのほうが口を開いた。
「だがな、お嬢さん。お前さんは俺の死んだ妻によく似ている。恐らくは死んだ娘にも似ているだろう。だから……気が向いた時で良い、話し相手になってくれないか?心底愛した女とその間に生まれた家族も守れなかった間抜けな男の与太話に付き合って欲しい」
「……良いですよグラニさん。それくらいなら」
それはある意味で断絶を意味する返答。だが一時的な感情の爆発で「顔も見せるな」というレベルには至らなかった事は幸いだったとアルベルトは心底思った。
「アルは私を軽蔑しますか?」
自室に戻ったアルベルトに付いて来たトリアは唐突にそう尋ねた。
「軽蔑なんてしないさ。トリアの選択に俺がとやかく抜かす権利なんてないしな……まあ勿体無いというか、親と和解する機会が永久に消えた俺からすると思うところはない訳じゃないんだが」
「そうですよね。私にはその権利もチャンスもあった、でもその機会をみすみす棒に振ったんですから」
窓の外に広がる海を眺めながらトリアは力なく笑った。
「正直な所、私はあの人が自分の父親だと言われても全然ピンと来ないんです。本当に父親なら、母と私が攫われた時にどうして助けに来てくれなかったのかという理不尽な憤りもありますし、そもそも私が小さい頃にもろくに家に戻ってくる事のない人でしたので」
「一応その感情が理不尽だという自覚はあるんだな」
複雑な気分で言うと、トリアも苦笑気味に肩を竦めた。
「ですので今は少しずつでも話して摺り合わせて、ですね。それで今後どうなるかは約束出来ませんけど」
「トリアの気が済むようにすればいいさ。でもこれだけは言える」
アルベルトは壁に寄りかかりながらトリアを見据えた。
「セーラやシャロンは勿論、俺を含めて《逆十字聖騎士団》は全てトリアの味方だ。どんな選択を取ろうと、それが間違っていない限り全力で応援するし守ってもみせる」
「ありがとうございます」
まだ少し気持ちの整理がつかないのか、複雑そうな顔であったがそれでもトリアは笑った。
「この件では大分アルにも迷惑をかけちゃいましたし、何か出来る事はありますか?」
「って言ってもな……差し迫ってる仕事はもうすぐある世界会議で使う資料作成くらいだぞ?エルフ・ドワーフ・リザードマン・人魚・竜族、そして魔族との国レベルでの交流と共存を提案する訳だし」
簡単に行くとは到底思えない。だがそれでも動かなければ白とも黒とも出ない。
「自分の常識に逃げ込むしか能のない老いぼれ共を納得させるのは至難の業だ。相応の資料を纏めないとな」
「手伝いますよ。これでもセーラ様の手伝いでこういうのは慣れてますから」
「分かった。じゃあそっちの本棚に保管してあるファイル、左から順に一冊ずつ持って来てくれ」
トリアはサリと協力しながら資料を持って来る。後はこれを吟味し、レポートを書き上げるだけだ。
一方その頃。某所のある屋敷の中で彼等は出会っていた。
「魔王アムドゥシアスを再封印ではなく撃破するとはな……」
「他の魔族と手を組むとは、奴には人間として生まれた誇りはないのか!?」
「躊躇いなく如何なる種族とも手を結べるからこそ、今回の《勇者》は強いと言えるでしょうね」
円卓を囲み苦い表情を崩さない者達が大半のなか、1人の少年が手を挙げた。
「《勇者》アルベルト・クラウゼンには1つ大きな弱点があります。彼は自分の仲間が傷つき倒れる事を極端に嫌う……つまり1人でも葬る事が出来ればその瞬間彼は崩れるでしょう」
「それは道理だが誰を狙う?彼女達も侮れんぞ」
空間に映像が浮かび上がり、小春やセーラといったアルベルトに最も近い立場にいる少女達が映し出される。
「元々の契約内容にも沿ってますし、狙うなら彼女でしょうね」
少年はそう言ってナイフを小春の映像へ投げつける。ナイフは空中に浮かぶ彼女の胸元を貫き、壁を登っていた蜘蛛を刺し殺した。
「この娘が伝承に記された《天姫》であるという確証はあるのか?」
「僕の右腕が彼女に触れただけで炭化し、本来なら殆ど効果がない筈の《東国》独自な回復魔法でかなりの重傷も一瞬で治癒するだけの力を持つ。確証としては十分では?」
その言葉で円卓に集う者達が一斉にざわめいた。
「なるほどな……それ程の娘ならば確かに我等が神の母胎として相応しかろう」
「ではついに……!」
ざわめきは歓喜の声となり、集う者達は互いの顔を見合わせながら表情を輝かせた。
「世界会議、あの場に集う力を《天姫》に集めさせよ。その時こそ我等が神は《天姫》を母として復活される!!」
『万歳!億歳!兆歳!』
歓喜の声をあげて叫び声をあげる信者達に混ざりながら、少年―ヤズミは人知れず酷薄な笑みを浮かべた。
資料を何とか整理し終え、アルベルトとトリアは疲労困憊でサリの淹れた茶を飲んでいた。
「お陰で助かったぜトリア。俺一人だったら終わらんわ」
「これで少しでもアルのお役に立てたなら幸いですよ」
纏まった資料とレポートを机の上に置き、アルベルトは自分が此処まで来たのだと今更ながらに実感した。
「どうかしましたか?」
「いや、これだけの物を揃えるのにどれだけの仲間が力を貸してくれたのかと思うと感慨深くてな」
「なるほど。確かに人間だけでなく、エルフやドワーフ……リザードマンや人魚も皆が力を貸してくれた成果ですし」
アルベルトは嬉しくなって頷いた。
「そうさ。学も財もない俺ですらこうして皆と交流し、友達になれたんだ。他の人間にだって簡単だと思うぜ」
「それはどうでしょうね」
トリアが言わなくてもアルベルト自身分かっているだろう。寧ろ培った学や財のある人間程こういった時には己の保身を第一に考え、その結果変革を恐れて現状維持に徹するという事を。
「そこを納得させる為に資料を組んだんだ。これで駄目ならまた頑張るさ」
「ポジティブですね。アルのそういうところ、結構好きですよ」
余りにもサラリと言われ、アルベルトは慌ててトリアを見た。
「勿論異性としてではなく友達としてです。セーラ様を裏切りたくはありませんから」
「……そこを俺としてはどう受け止めればいいのか気になるな」
トリアは悪戯っぽく笑い、「内緒です」と人差し指を口元に当ててみせた。
世界会議まで、後一週間。
続く




