第二十八楽章 戦乙女の見た夢
《エクスカリバー》に乗艦し、一夜が空けたリオンとその弟や妹達にとってこの艦での出来事は驚きに満ちていた。
「洗面にお湯を!?王宮か此処は!」
朝顔を洗う時に小春が案内した水道で普通にお湯が出て来る事に驚き。
「朝飯から肉が……!」
朝食にベーコンがついていた事に驚き。
「ベッドが弾むだと!?」
寝床に宛がわれたベッドでトランポリンが出来る事に驚いた。
「ねえ兄ちゃん、此処って天国?」
「知らん……」
朝食のトーストにベーコンとスクランブルエッグをこれでもかと挟んで頬張りながら、リオンは昨日までの自分達と今日からの落差に唖然としていた。
「気分はどうだ?もし不満があるなら言ってくれ。出来る限り対応しよう」
「いや大丈夫。でもリーダー、本当に俺達勉強するだけでいいのか?」
「安心しろ。終わった頃にはそんな事も言えなくなるぞ」
微妙に顔色の悪いアルベルトの一言にリオンの顔も引き攣った。
朝食後。コルトンはリオン達を部屋に集めてノートと教科書を手渡した。
「これは?」
「まず読み書きを覚えて貰いますぞ」
「何か、テーオー学とかケーザイ学とかそういうのを勉強すると思ってたんだけど」
リオンが首を傾げると、コルトンはジト目で彼を見た。
「字が読めないのにどうやって勉強するおつもりですかな?そこをクリアし、興味があると言うなら嫌と言うほど教えて差し上げましょう」
「……」
墓穴を掘ったかもしれない。とはいえこれがアルベルトと交わした契約なのだから、リオンは意気込んで教科書を開いた。
一時間後、リオン達が精魂尽き果てて轟沈したのは言うまでもない。
「そうか。やっぱりあの爺さんスパルタか」
助手として参加していた小春の苦笑混じりの報告に、アルベルトも苦笑を禁じ得ない。
「まあ俺も相当叩き込まれてるしな。流石にそれよりは手加減してると思うが」
「でも教え方は上手よ?傍で聞いてて私も参考になる事があるし」
小春が淹れてくれた緑茶を飲みつつ2人でしばし談笑していると、オリーヴが入ってきた。
「アル、今ちょっとええ?」
「構わないけど、何だ?」
オリーヴは何やら書類を大量に持ち込み、アルベルトの執務机にどんと置いた。
「何だこれ?」
「《逆十字聖騎士団》内部での金銭の流れを図にしたんや。今は《北国》から避難してきとる人達が商売やってるし、うちも外から物を仕入れて販売してる。せやけどこっちから出て行く品物がないから、新しく入ってくるお金がないんよ」
「つまり、遠からず倒産の危機?」
恐る恐るといった様子の小春に、オリーヴはあっさりと頷いた。
「せやから提案したいんは、この《逆十字聖騎士団》最大の強みを生かしたお金儲けや」
「そう言うって事は、もう案があるんだな?」
アルベルトが問うとオリーヴは微笑んだ。
「アルは良い顔をせんかもしれんけど、《逆十字聖騎士団》の強みは何と言っても軍事力や。せやから1番手っ取り早く稼ごうと思ったら傭兵稼業が適してる」
「……確かにな。正直なところ、《北国》の正規軍相手にあそこまで大暴れ出来るとは思ってなかった」
というより戦闘にすらならない一方的な蹂躙とも言えた。アレに関しては皇帝が指揮を執った事により兵士達の士気が致命的な域まで低下していたのと、魔導砲の相性で最初から砲撃戦に置いて此方側の勝ちしかありえなかったというのがあるが。
「でもオリーヴ、それって需要あるの?今までこの世界は人間同士の小競り合いなんて殆どなかったのに」
「ちっち、甘いでコハル。今までは魔族や《北国》っちゅう共通の敵がおったから皆不満を腹の底に収めて手を繋いでたんや。せやけど今回の一件で《北国》の脅威が事実上消えた今、1番危ないのは《西国》やで」
「つまり何処も彼処も今まで虎視眈々と狙っていた事を行動に移すと」
オリーヴはサリが淹れたお茶を飲んで頷いた。
「せや。特に《西国》は今回の戦争でろくな対抗策を取れずにおたついとったユリア・テスタロッサ代表の求心力がかなり落ちとるから、来年辺り内乱が起こるんやないかな」
アルベルトはその内容を吟味しながら椅子に凭れ掛かった。
「そこをもう少し突っ込んで考えよう。現代表を退けるべく内乱が起こった場合、何処が出て来る?」
「元々《西国》は王家の血を引いてる人間がそれぞれ領地を直轄しとる……って何でうちが説明しとるん?今この場で《西国》出身なんはアルやろ」
「いや俺はそういうの興味なくて全然知らないんだ」
オリーヴはズッコケながらも何とかバランスを取り直して一息ついた。
「ならしゃーないな。現状で有力なんはヒューゴ・テスタロッサ王子とルクレツィア・テスタロッサ王女の2人や。ヒューゴ王子は野心家で、とにかく金に糸目をつけんと腕の立つ傭兵をかき集めとるから即金になるんはこっちやね。対してルクレツィア王女は自分とこの国民を鍛え上げる事で優れた軍隊を保有しとる。せやから傭兵というより、アルが気に入られたら恒久的に仲良くやれるかも知れんわ」
「即座に利益を求めるか、長い付き合いを見込んで行くか……だな」
アルベルトは茶を一口飲み、軽く目を閉じて考え込んだ。
「オリーヴ、実際の所俺達の金庫にはどれだけ余裕がある?」
「うちに管理させてくれるなら一年は保たすで」
一年。長いようで短い期間である。アルベルトは暫定副官として控えているコルトンにちらりと目を向けた。
「副官の意見は?」
「利益のみを追求するのであれば今の段階でヒューゴ王子に擦り寄り、取れるだけの額を毟り取るのが良いでしょう。旗色が悪くなったのであれば適当に報酬分働いてから契約を破棄すれば良いではないかと」
「だがそれはその場では良くても長い目で見て俺達への信用を無くすだろう。金だけ貰って適当に働いてハイさようならじゃ余りにも素っ気無い」
だからこそ、長い付き合いとなる相手の事には慎重になる必要がある。
「幸いオリーヴが一年保たすと言ってくれたんだ。来月の世界会議、それは大小全ての王や領主が参加するんだろ?ならそこでヒューゴ王子とルクレツィア王女の人となりを両方直接確かめ、どっちに肩入れするか決めよう」
「随分と気の長い事ですな。国を運営する以上、決断は早いほうが望ましいのですが」
「だからって慌てて結論を出して良い話でもないだろ?こうして大勢の命を背負った身なんだ。確かに決断を躊躇ってチャンスを逃すのは馬鹿だが、だからと言ってリスクを無視して大博打を打って良い理由にもならないんだから」
コルトンは小春やオリーヴが少し不愉快そうな顔をしているのを確認しつつ、彼女達から見えないように頷いた。
「ふむ……まあよろしいでしょう。素人の政治としては及第点一歩手前としておきますかね」
「後学の為に聞かせてくれるか?どの辺が及第点に及んでないか」
「これくらいの事は常に情報を収集しておくべきです。私は諜報部の設立を具申します」
それは確かにこの《逆十字聖騎士団》のアキレス腱とも言える物だった。互いの手札を盗み見、時としてはその妨害を行う諜報。《逆十字聖騎士団》は一定の場所に留まる事がないので精々が商売の為に出入りする商人に気をつければ諜報される心配は余りないが、逆に諜報するとなると人材が全くいないのも事実であった。
「こうなると一刻も早く《中央》……ひいてはエミリオとの同盟を締結する必要が出て来たな。《セントラル騎士養成学校》の忍術科から何人か雇うか」
「せやったらそっちはアルが口説いたほうが良さげやね。もち女の子」
「何故に!?」
「にっしっし」と笑うオリーヴに思わずアルベルトは叫んだ。
「今までが今までやん。《エクスカリバー》もそこに集まった戦力も全部アルが落とした女の子達が用意したんやし」
「俺がそれ目当てで接触したみたいな言い方はよせ!結果的に全く否定出来ないのが悲しいが!」
その場にいた全員が笑い出し、アルベルトは頭を抱えて机に突っ伏した。
「ええい!エミリオに連絡を取りつつ進路を《中央》に取れ!各員に通達!!」
『了解!』
皆部屋から飛び出して行き、アルベルトはつい勢いで立ち上がっていたのを改めて座り直した。
「……国を運営するのって大変だな。いやマジでナメてたわ」
園児のお遊戯会ではないのだ。いや、あれも子供達が暢気なだけで周囲の教師達は色々と大変だったのだろうが。
そして一時間後。《エクスカリバー》は特にトラブルもなく《中央》の港に程近い空に停泊した。
「今連絡がついたわ。あっちもあっちで忙しいみたいだから、アポは明後日。それと……」
セーラは髪を弄りながら目を逸らした。心なしか頬が赤く染まっているのは何故だろうか。
「その時の会談に際して、具体的な内容を協議したいと父から打診が来ているわ。それでその……私の家に滞在して貰えないかしら?」
「……命の保障があるならな」
軽く冗談のつもりではあったが、想像すると強ち冗談では済まないかもしれない。情けない事ではあるが、セーラが守ってくれると期待しながらアルベルトは頷いた。自分が応戦すれば確実に血を見る事になるのだし。
「了解した。《エクスカリバー》の指揮は一時トロイを代行に立て、この空域に待機。セルヴィとナオはその補佐を頼みたい」
「分かりました」
「貴方の補佐じゃないのが不満だけど、仕方ないわね。やらせて貰うわ」
ナオの言葉に苦笑しつつ、アルベルトは支度をする為にブリッジを後にした。
「歩いていくと思っていたんだが……」
「自覚がないようだから言っておくけど、今の貴方は他国の元首。そんな相手を徒歩で自分の屋敷まで来させたとなったらアスリーヌ家に対する評判が地に落ちるわよ」
港に降り立つや否や、数十人の護衛騎士に囲まれた豪奢な馬車に乗せられて《中央》の街を進む己の姿にアルベルトは心底頭を抱えていた。
「ほら、手を振ってあげなさいよ」
「あのなぁ……」
人間同士の戦争を食い止め、《北国》の独裁をも粉砕した新たな《勇者》の存在を歓迎しているのだろう。とはいえこれも仕事と何とか割り切り、笑顔を作って手を振ってやる(微妙に笑顔が引き攣っていた事に気付いたのは幸いセーラだけだった)。
「ん?馬車を止めてくれるか」
「どうしたの?」
何かに興味を惹かれたらしいアルベルトにセーラも釣られて外を見る。
「……ああ、なるほどね。少し止めて」
御者に馬車を止めさせ、アルベルトは扉を開けて馬車から降りる。それを待っていたように一人の女の子(6歳くらいだろうか)が駆け寄り、手に持っていた花を差し出した。
「ありがとう。綺麗な花だ」
恐らくは何処かから摘んできたのだろう。花屋で売買される花束とは違う粗末な物ではあったが、アルベルトは膝をついて本心の笑顔でそれを受け取る。その様子に再び群衆は歓声を上げた。
「待たせたな」
「上手くやったわね」
プロパガンダとしては上々だとセーラは笑うが、当のアルベルトは首を捻った。
「今のでも意味があるのか?」
「子供の贈り物も喜んで受け取る優しい勇者様ってイメージは植え付けられたわ。まあ貴方自身にはそんな打算も意図もなかったのかもしれないけど、寧ろそれが良かったのかも」
「メンドくせぇ……」
再び手を振る仕事に戻りつつ、アルベルトはカーテンに隠れた部分で小さく嘆息した。セーラはその様子に微笑み、アルベルトが受け取った花を彼の胸ポケットにそっと挿し込んだ。
セントラルの王宮に程近い場に建てられた屋敷、アスリーヌ邸。その大広間で宰相カルロス・アスリーヌは冬眠明けの熊の如き様相でうろうろと歩き回っていた。
「父上。流石に落ち着きが無さ過ぎです」
「そうは言うがなテレーズ。流石の私もルイーゼよりはマシだと自負しとるんだが」
「落ち着かないから市街を走って来ると飛び出して行った脳筋と比べてマシだと言われましても。別に勇者殿はセーラを娶りに来た訳ではなく、同盟締結の折衝に来られるのでしょう?そこまで構えては《中央》は《逆十字聖騎士団》との同盟が不服なのかと思われますよ」
カルロスを諌めているのはアスリーヌ家次女のテレーズ・アスリーヌである。《中央》でも随一の学者であり、専門は考古学と神話を主に取り扱っていた。長女のルイーゼとは殆ど生まれた年に差異がないのもあって、お互いに姉妹という印象は希薄だ。
「分かっている。分かっているがな……」
「はぁ……要するに父上は目に入れても痛くない程に可愛い末娘が懸想する男を、生まれや立場を理由に拒絶出来なくなったから焦っておられるのでしょう?だったら最初から公爵位など与えず、精々子爵か男爵辺りで飼い殺しておけばよかったものを」
「むぐっ!ま、まあ予想以上に大物だった事は認めよう。人を見る目は私譲りというところか」
「そこで母上譲りと言って間接的に自画自賛に走らない謙虚さは評価します」
そう言った矢先、ドアが荒々しく開かれた。そこで息をついていたのはテレーズと余り年の変わらない女性だった。名はルイーゼ・アスリーヌ、アスリーヌ家長女にして《中央》の一軍を任される将軍でもある。その荒々しい戦いぶりと誇り高い性格から《鉄血の姫騎士》と2つ名を与えられているが、テレーズに言わせると単なる脳筋馬鹿であった。追記しておくのであれば、アスリーヌ家で父カルロスと同等にセーラを溺愛しているのもこの姉である。
「あらルイーゼ。走って少しは頭が冷えました?」
「いや、色々と想像して余計に頭に血が上った」
「勇者殿との子を抱いて微笑むセーラの姿でも想像したの?その複雑怪奇な顔を見る限りではその様だけど」
「やかましい!ええい公爵だか《勇者》だか知らんが、私が16年手塩にかけて育ててきたセーラをトンビのように攫って行きおってからに……!」
テレーズは思わず溜息をついた。
「セーラはルイーゼに育てられた覚えはないと思いますけど。というかアレを育てたと言うのであれば、世間に虐待はなくなりますね」
「がはあっ!!」
一応ルイーゼの名誉の為に言っておくと、世間で言われる行き過ぎたスパルタ教育やバイオレンスな事をやっていた訳ではない。ただ勉学や剣術の指導で少々熱が入り過ぎた結果、泣かして距離を取られたという程度である。もっともルイーゼ本人はそれがかなり堪えたらしく、ショックで三日部屋に閉じ篭ったのだが。
「お館様!セーラお嬢様が戻られました」
「なぬ!」
途端にルイーゼは慌てて部屋へ戻る。確かに呼吸こそ乱れていなかったが、髪は乱れ顔も汗だくの有様だったのだ。これから他国の代表と会おうというのにあの格好は頂けない。テレーズも普段から持ち歩いている手鏡で髪を確認し、ある程度手櫛で整えて背筋を伸ばした。
「ああそうだ!この大事な時にミーティアは何処へ……!」
「母上なら今日の晩餐会に使う食材を買い付けに市場へ行っています」
姉妹の実母であるミーティア・アスリーヌは元々庶民の出なのもあり、ちょくちょく自分で料理を作っている。というか、カルロスが十代の頃に執事の反対を押し切って入った市井の料理屋の看板娘だったのが彼女だ。結果一目惚れの挙句にその場で求婚し、返答は顔面へのフライパンによる一撃だったというからよく母は不敬罪か何かで罰せられなかったとテレーズはちょくちょく思う。それでもめげずに店に通い、熱心に口説く事五年をかけて結婚にこぎつけたという事から見ても一途な父親なのだと思う。そしてその血は間違いなく末の妹であるセーラに引き継がれていると一連の流れでテレーズは納得した。
「どの道するのは政治の話でしょうに。別に件の《勇者》がセーラをくれと言いに来たなら別ですが、いい加減構えるのはやめて下さい。私が鬱陶しいです」
次女にぶった切られ、がっくりと肩を落とす姿はとても有能な宰相には見えない。テレーズは小さく嘆息した。
「ようこそ。私が当主のカルロス・アスリーヌだ」
「《逆十字聖騎士団》団長、アルベルト・クラウゼンです。えっと、本日はこの様に会談の席を設けて頂いた事を感謝致します」
通されたのは大仰な会議室ではなく、アスリーヌ邸の居間だった。暖炉とテーブルを挟みアルベルトとカルロスが向かい合い、セーラはその中間に調停者のように座った。
「まずは事務的な話から始めよう。《中央》との同盟を望んでいるとの事だったな」
「ええ。エミリオには話を通し承諾を貰いましたが、彼はまだ正式に即位した訳ではないので」
侍女が淹れた紅茶を飲み、カルロスは前以てエミリオから聞いていた内容を思い出す。
「ではそちらの条件を聞こう」
「委細はこの書類に」
セーラが預かっていた書類を渡し、カルロスは懐の眼鏡をかけてから読み始めた。内容は《ウロボロス》に対する共同戦線・《セントラル騎士養成学校》の忍術科生徒の引き抜き・万一《中央》が《ウロボロス》や他国の攻撃に晒された場合、《逆十字聖騎士団》が最優先で武力支援を行う等の項目が記されていた。
「ふむ……ではこちらからは青天井とはいかんが、破産しない程度の資金提供をさせて貰おう。具体的な額については今後エミリオ殿下も加えての会談で決めるとして、こちらの学生を引き抜くのは貴殿の説得に応じた場合は我々の承諾を得る必要はない」
「どうも。では?」
「議会も反対はしないだろう。こちらも締結の方向で進めさせて貰う」
アルベルトは息をついた。コルトンにしごかれながら首っ引きで書き上げただけに、これを突っ撥ねられたら何の為に来たのかという所だったのだ。
「確か正式にこちらへ同盟を持ちかけるのは三日後だったな?その間は何処で寝泊りするつもりかね」
「沖合いに《エクスカリバー》を停泊させていますので、そっちへ戻る予定ですが」
「それでは手間だろう。部屋を用意させるので、家に泊まる事を提案するが」
その瞬間アルベルトは硬直した。今までは公務中だったからなのか、割り切っていた父親としての感情が徐々に瞳の奥で燃え始めたのが分かったのだ。
「え、えーっと……それは色々とご迷惑では」
「既に家内もそのつもりで準備しているのだ。寧ろ此処で断るのは私に対する侮辱にもなると知っておきたまえ」
セーラに目配せすると、あっさりと頷かれた。これで逃げ場はない。アルベルトは観念して頷いた。
「では三日間の間ですが、お世話になります」
そう頭を下げるアルベルトをセーラは嬉しそうに見ていた。
「アルはこの部屋を使って。必要な物は大体揃ってると思うけど、もしいる物があったらそこのベルを鳴らせば侍女を呼べるから」
「いい加減この扱いだけは慣れないな……」
セーラに説明を受けながら、アルベルトは小さく溜息をついた。生来が困窮こそしていなかったものの慎ましい平民生活だった彼にとって、侍女に傅かれたり敬われたりする生活というのは馴染みがないのである。
「分かってるわよ。でもこれからはそういったハッタリも必要になってくるから、頑張ってとしか言えないわ」
「ま、精々ボロが出ないように気張るさ」
肩を竦めると、セーラはふと思いついたようにアルベルトの顔を覗き込んだ。
「どうした?」
「うん、私の部屋に来ないか誘おうと思って」
その方がゆっくりと話が出来る。そう付け加えた彼女の案にアルベルトは頷いた。
「見るからにぬいぐるみだらけなんだな」
「そうよ。皆大切な友達だから」
案内され、通されたセーラの自室を埋め尽くす大量のぬいぐるみにアルベルトは思わず苦笑してしまう。中でもネズミのビスケットは枕元に置かれており、1番特別な扱いを受けているらしかった。
「アルは覚えてるかしら?あの通りから私を連れ出して、お祭を一緒に回った時の事を」
「覚えてる……というより思い出しただな。屋台冷やかして大道芸人の芸も見たっけか」
セーラはビスケットを抱き上げて椅子に座り、柔らかに微笑んだ。
「不思議なものね。もう一度会う事を望んで、再会は随分と派手だったけど」
「そうだったな。本当に不思議なもんだ」
セーラがそっとアルベルトの頬に手を伸ばそうとしたその時だった。
「ああ、此処にいたのね」
『いっ!?』
2人して飛び上がる。ドアを開けて入ってきたのはテレーズだった(あの後セーラから簡単に紹介はされていた)。
「アルベルト殿、本日は我が家での正式な晩餐会となりますのでお召し変えをお願いします」
「えっとつまり着替え?」
テレーズが伴ってきた侍女が頷き、アルベルトを連れて部屋を出て行く。良い所を邪魔されたと微妙に不機嫌なセーラにテレーズはついと近づいた。
「部屋に連れ込むなら晩餐会が終わって、寝るだけになってからにしなさい。それならルイーゼも父上も野暮は言えないわ」
「な、なななああ!?」
「あらその気はなかったの。まあいいわ、国家間のパワーバランスを崩さない程度に入れ込むなら私は何も言わないから」
自分の髪と同じくらい赤くなるセーラに笑い、テレーズは部屋を出て行った。
「あ、そうだ……私も着替えないと」
大事な事を思い出し、セーラもクローゼットを開いた。
宛がわれた部屋に戻され、着せ替え人形と化したアルベルトは生まれて初めて袖を通す礼服に固まっていた。
「服に着られるってこういうのを言うんだな」
(そうか?人間の服飾はよく分からんが、相応に見れたものだとは思うぞ?)
リンドヴルムに言われてもアルベルトにはこの服が自分に似合うとは思えない。黒を基調とした騎士を思わせるフォーマルな服だが、彼からすると騎士なんてガラでもないというのが本音だった。
「ではこちらに。セーラ様の準備が済むまでこちらでお待ち下さい」
「どうも」
しばし待たされながら、どうしてこうなったのかと自問してみるが答えは出ない。アルベルトは諦めて着飾ったセーラの姿を楽しみにする事にした。
「多分どんな格好しても似合うとは思うんだけどな。そもそも素材が綺麗なんだし」
(おや、アルベルトにも一定の美的センスはあったのですか)
「黙ってろ駄蛇。俺の感覚だってセーラや小春が可愛いってのは分かるってえの」
竜達の漫才をしながら待っていると、「お待たせしました」という声と同時にドアが開かれた。
「……!」
言葉が出なかった。赤を基調とした夜会用のドレス(ドレスに夜会用だの何だのと種類がある事も今始めて知ったのだが)に身を包んだセーラはとても美しかった。
「やっぱり、変かしら?」
「そ、そんな事はない。唯その……言葉にしたら全部陳腐になりそうでさ」
セーラは「気障ね」と笑い、エスコートを求めるように手を伸ばした。
「……」
「アル?」
固まったアルベルトを怪訝に思ったのか、セーラは不安そうに声を出した。
「……済まんセーラ。俺はどうしたらいい?」
全く専門外だったと思い出し、2人は思わず声をあげて笑ってしまった。
続く




