第十二楽章 大地の戦斧
翌日の事。リザードマンの里まではリンドヴルムで一ッ飛び……とは行かず、アルベルト達はバズバとバレリアの案内で途中から山歩きを余儀なくされていた。
「そういえばバズバ」
「何だ?」
先頭に立ち、草木をハルバードで掻き分けながら進むバズバの背中にアルベルトは声をかけた。
「昨日俺達と挨拶する時に『アドゥンの加護を』って言ってたろ?あれリザードマン流の挨拶なんだとは思うけど、どういう意味だ?」
「ああ、あれか?アドゥンとは我等リザードマンに文明と秩序を与え、人間の勇者と共に魔族と戦った伝説のリザードマンの名でな。そのアドゥンの偉業と誇りを我等も継ぐという意味を込めて告げる言葉だ」
それがリザードマン達が代々受け継いできた歴史と矜持らしい。アルベルトは納得して頷いた。
「ならその挨拶をどうするのが正しいかも教えてくれ。昨日はバズバに人間のやり方を押し付けたし、今度は俺達人間が歩み寄る番だ」
「お前のような男が人間を率いるのなら、私達もあそこまで苦労はなかったのだろうな……おっと、こっちの話だ。挨拶といってもそこまで型式ばったものはない。武器を左肩にかけて『アドゥンの加護を』と唱えるだけだ。戦場では『アドゥンよ力を!』と唱える場合もあるが」
そう言いながらバズバは誇らしげに口元を歪めた。因みにこのバズバ、バレリアの話によればリザードマンの基準だと絶世の美形らしい(バレリア自身は感性が人間に近いのか、よく分からないと言っていたが)。夫婦という概念がないリザードマンの話なので、実際のところ子供は大勢いるというので里についたら会わせて貰おうと思いつつアルベルト達は足を早めて歩き始めた。
「……おい?」
咽かえるような緑の匂いに相応しくない臭いが混ざり、バズバが足を止めた。アルベルトも背後の小春達に合図し周辺を警戒する。
「焦げ臭いな……山火事か?」
「いや違う……いかん、里だ!」
バズバが猛然と駆け出し、アルベルト達も慌てて後に続こうと走り出す。しかし人間とリザードマンでは運動能力に大きな開きがある上、バズバは切り立った崖をハルバードを口に咥えたままするすると登って先へ進んで行ってしまった。
「こうして見るとマジでトカゲだなあいつ」
「言ってる場合じゃないでしょアル!どうするの!?」
小春の突っ込みに苦笑しつつ、アルベルトは無言でリンドヴルムを召喚した。
「皆乗れ!バレリアも、リザードマンの流儀には背くかもしれないが今は緊急事態という事で1つ」
「あいよよろしく!」
アルベルトだけでなく、乗るのは小春に織江にケーナ、リリィにサリとバレリアの合計7人だ。
「流石に重いか?」
(見縊るな。たかが人間とリザードマンの小娘5人程度、運べぬ我だとは言わせんぞ!)
「よし、なら一気にリザードマンの里まで……」
「もう着いてるよ?」
バレリアの一言でアルベルトはリンドヴルムから転げ落ちた。落馬ならぬ落竜である。
「な、何だってぇ!?」
「ほれ、そこの洞穴。そこがアタイ達の里の入り口なんだ」
(……つまり我は出て来ただけか?)
確かにこの狭い洞穴ではリンドヴルム最大の武器である機動力を生かせないだろう。というか入れるかどうかの問題がある。
「悪い。とにかく急ぐぞ!」
『了解!』
バレリアを道案内に、アルベルト達はリザードマンの里へと飛び込んだ。
洞穴に入ってすぐの所に、リザードマンの死体があった。
「カルハ!?」
バレリアが死体に取り縋り、アルベルトも傍にしゃがみ込んで傷を調べる。
「抗戦したみたいだが、相手が圧倒的過ぎるみたいだな。傷が少なすぎる……」
「その少ない傷が致命傷ですね。やはり相当の手錬」
リリィも傍に来て傷口に触れた。
「ナイフや剣じゃないようですが……」
「ああ。肩から一気に骨ごとバッサリ……戦斧だ」
ギリッと歯を食い縛る音。顔を上げると、バレリアが憤怒の形相で牙をむいていた。
「許さねぇ……!アタイの仲間をよくも……ぶっ殺す!!」
両手の指先から鋼をも引き裂くのではないかと思う程の鋭い鍵爪が飛び出し、瞳の色も血のような赤へと変わる。バレリアは怒りの咆哮をあげ、猛然と洞穴の奥へと走って行った。
「バレリア待て!勝手に突っ込むな……ああもう!」
歯噛みしてもバレリアの足は止まらない。アルベルトは頭をかきながらも《エクスピアティオ》を引き抜いた。
「しょうがない。俺達も行こう」
「そうね。何が起こってるか分からないけど、急がないと」
倒れているリザードマンは後で弔おうと思いつつ、6人は洞穴の中を一気に駆け抜けた。
どれくらい走っただろうか?気付くとアルベルト達は途轍もなく広い空間に出ていた。
「ここは……」
岩壁を繰り抜いて作ったらしい家や中央に拵えられた石の大皿(大人が30人近く乗れそうなくらいの大きさはある)に乗せられた大量の卵と、その卵を太陽の光で温めるらしい明り取りの穴が天井に開いた不可思議な空間。そして卵を守るように立つバズバと血だらけのリザードマン達。彼等と相対していたのは両手に戦斧を装備した1人の巨漢だった。
「バレリア!」
唸り声をあげながら男を睨みつけるバレリアに追いつき、アルベルト達も身構えた。
「あん?」
男は振り返り、獰猛な笑みを浮かべた。
「こいつは重畳。リザードマンだけでなく、ムーンライト学園の魔女どもまでお出ましとはな」
「何が目的だ?」
バレリアの肩を掴んで止めつつアルベルトは尋ねた。
「それはそこのでかいのにも訊かれたがな。俺は唯雇われただけだ。『ここのリザードマン共を卵共々一匹でも多く殺せ』ってな」
両手の斧を振るい、男は重心を前に移した。
「俺は流れの傭兵グラニ・シュピーゲル。『無双戦斧のグラニ』だ!」
「……」
アルベルトは無言で《レーヴァテイン》を呼び出して身構える。この空間ではリンドヴルムもサラマンダーもかえって邪魔になりかねないため、ドラゴンの召喚は無しだ。
「これから戦おうってんだ。お前も戦士なら名を憚りはしないと思うが」
「……アルベルト・クラウゼン。あんた流に言えば、『無双大剣のアルベルト』ってところか」
「へえ……俺を前に無双を名乗るたぁ良い度胸だ。相当の実力派ルーキーか身の程知らずの馬鹿かは知らねぇが、まあそこは戦えば分かるわな」
グラニは両手の戦斧を振り回し、手近の岩をバターか何かのように両断して舌なめずりした。斬られた岩の表面が鏡のように光っている事からも、その斧と扱うグラニの腕がどれ程のものかが物語られている。
「とはいえ俺とこいつが殺り合ってる間、お前等が退屈だろうし……」
グラニが指を鳴らすと、同じように武装した傭兵達が飛び出してきた。数は凡そ30人前後というところか。
「好きに暴れろ!戦利品は宝も女もお前等の好きにしていいぞ!」
『うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!』
「冗談じゃない……!」
流石にリザードマン相手に欲情する酔狂な人間はいないだろうから(いたとしてもどうしようもないが)いいとして、問題は小春達だ。
「任せてアル!」
小春が炎の矢を放ち、向かってきた傭兵の1人の手足を正確に撃ち抜いて行動不能に追い込んだ。
「私達だって魔女候補生なんだから。自分の身くらい自分で守るわ!」
「ええ。だからアルは安心してそのゴリラもどきを血祭りに上げてやって下さい」
リリィも威力を絞りつつ、掃射で向かってくる相手を吹き飛ばす。
「どうやら俺もお前も気兼ねなく戦えそうだな。さあ、殺し合おうぜ」
グラニに頷き、アルベルトも《エクスピアティオ》と《レーヴァテイン》を構えて地面を蹴った。
アルベルトが大剣を持つにも関わらず身軽な動きを主体とするなら、グラニはどっしりと構えた防御とタフネスを主体とした動きとなる。何処までも対照的な2人であるからこそ、この戦いは熾烈を極めたとも言える。
「うおおおおおおおお!!」
「おらぁっ!!」
軽快な動きで次々と攻撃を加えるアルベルトに対し、グラニは豪腕で振るわれる二丁の戦斧を使って迎撃と反撃を同時に行う。
「なるほどなぁ!確かにその年頃のガキにしちゃやるもんだ……だが!!」
「ぐっ!?」
真っ向から振り下ろされた一撃をバックステップでかわすも、風圧で肩が浅く斬れる。アルベルトは背後で卵や戦えない子供のリザードマンを庇いながら戦っている小春達にも注意を割きながら何とか距離を置いた。
「まだ俺の基準には届いてねぇ。だったらお前の全部を俺に叩き付けろ。後ろの小娘共を気にしてたら……死ぬぜ?」
「悪いがそれは出来ない相談だ。小春達を度外視して戦えば何とかあんた1人は殺せるかもしれない。でも結果あいつらが怪我でもしたら?そしたら俺はリザードマンを救っただけの英雄に成り下がる」
「あーなるほどなぁ。確かに正しいが、俺が言いたいのはそこじゃねぇ」
肩の血を乱暴に拭い、アルベルトは訝る。その横でバズバがハルバードを振るい、卵を狙った傭兵を5人纏めて叩き斬った。
「がああああああああああああああああああ!!」
そしてバレリアは何が起こったのか、殆ど捨て身の勢いで傭兵達に向かって行く。武器はなく素手だが、その爪は彼等の武器や防具ごと身を引き裂き息の根を止めていく。後から知った事だが、バレリアは生まれつきの体質で自分の血を見ると理性を失い完全なバーサーカーとなってしまうらしい。その状態の時は身体能力も格段に上昇する為、下手に正気を保たせたまま戦うよりも遥かに強いんだとか。
「てめえが背中預けると決めた戦友だろうが。何時までも保護者気取りでお守りしてんじゃねぇや」
「……なるほど、な。確かに仲間を心配するのと過保護になるのは違った」
アルベルトの口元に笑みが刻まれ、《レーヴァテイン》の炎が蒼く変わる。
「本気になったか。いいぜいいぜ……さあ来い!俺基準を超えてみせろや小僧!!」
「言われる間でもない!行くぜ!!」
その瞬間グラニも全身から炎にも似た覇気を放つ。その勢いは近くで戦っていた傭兵が衝撃で吹き飛ばされ、回避した筈のリリィの砲撃に飲まれて絶命するくらいであった。
「気をつけろよ……?こうなったら俺も止まらないからな」
「上等……!」
この戦いが始まり、初めてグラニのほうが動いた。アルベルトも負けじと剣を振るい、戦斧と大剣が轟音と共に激突した。
「この戦斧、アーティファクトか!?」
「あたぼうよ!以前の仕事で報酬をケチりやがったクライアントの背中を撫でてやったら家宝の戦斧をくれてなぁ。それ以来ずっとこいつがお気に入りって訳だ」
「……そりゃ殆ど恐喝してないか?」
「働いた仕事分の報酬を受け取って何が悪い」
「まあ確かにな」
妙な共感を得つつ、アルベルトとグラニは互いに得物を構えて再び激突する。《レーヴァテイン》の蒼い炎にも耐える強靭な戦斧に流石のアルベルトも舌を巻いた。
「なるほどなぁ……浅いぜ小僧!お前とは後五年後に戦いたかった!!」
「どういう意味だ!?」
《レーヴァテイン》から炎を放ち牽制し、アルベルトは一旦距離を置く。その背後でケーナが残っていた傭兵を纏めて暗黒の渦に葬り去った。
「はっきり言えば、お前の『力』は確かに大したもんだ。だがその能力にお前自身の肉体が追いついてねぇのさ!!」
振り下ろされる戦斧。さっきよりも威力を格段に増した風圧でアルベルトは一気に肩から袈裟に体を斬られるのが分かった。
「ぐああああああああああああああああ!?」
「だからこんな簡単にダメージを食らう」
更に衝撃波で吹き飛ばされ、アルベルトは岩盤に体を叩きつけられて呻いた。
「ぐが……っ!」
「今こう言うのもアレだが、お前が死んだら戦利品としてあの小娘共は貰ってくぞ?特に黒髪の女ってのは意外と良い値がつく事もあるし、魔力の封印措置をすれば銀髪も良い金になるんだ。ワーアビシニアンは確か奴隷を欲しがってた金持ちがいたし、そいつに売りつけるかね。まああれだけの器量よしが集まれば俺達も一ヶ月は遊んで暮らせそうだ」
「ふざ……けんな……っ!」
アルベルトは《エクスピアティオ》を杖代わりにしながら立ち上がる。
「嫌なんだよ……俺の無力で、誰かが傷つくのも……下衆な欲望に晒されるのもな!!」
十年前の記憶がフラッシュバックし、血だまりに沈む『彼女』の顔が頭に過る。彼の心に滾るのは紛れもない怒り、そして意思。
「そうだ、俺はまだ立ち上がれる……腕も動く、頭も働く……まだ……守れるんだ!」
その瞬間アルベルトの右手から金色の光が放たれ、重厚な咆哮が響き渡った。
「何だ!?」
(これはサラマンダーやリンドヴルム、リヴァイアサンでは荷が重い。我輩が力を貸してやろう)
まるで大地が力を送り込むかのような感覚と共に、アルベルトは『それ』を掴み取った。
(我輩の名は鳴動竜テュポーン!さあ受け取るがいい、我輩の力を具現化させた戦斧……《コアトリクエ》を!)
アルベルトの手に握られていたのはグラニのそれに勝るとも劣らない戦斧。中央にはトパーズが埋め込まれ、装飾品としても優れた価値を持っていそうだった。
「これは……?」
地面についた足と岩盤についた背中から滾々と注ぎ込まれる力、それはアルベルトの全身に受けた傷を見る見るうちに治癒していく。
「ほう、大地の力を受けて回復力を底上げする戦斧か。なかなか面白いが、回復する前に殺してしまえばどうだろうなあ!!」
咄嗟に《コアトリクエ》を持ち上げようとするが、片手では持ち上げられない位に重い。仕方なく《エクスピアティオ》を放り出して両手で持つが、それよりも早くグラニの戦斧が振り下ろされた。
「ぐっ」
「何だと!?」
今度はグラニが驚く番だった。振り下ろされた戦斧はアルベルトの肩に食い込んでいたが、そこで止められていたのだ。
(硬き事大地の如く……人間、今の貴様はこの大地そのものを割ろうとしているのと同義だと知れ)
「なるほどなぁ……だったら割ってやろうじゃねえか!!」
グラニは一旦距離を取り、戦斧の力を全解放する。普通の人間なら一瞬で細切れにされているであろう斬撃の嵐が襲い掛かるが、アルベルトの肉体はその全てを正面から受けきった。
「……冗談、だろ?」
「あー……俺が一番ビビってるわこれ」
これで服が吹き飛んでいたらたまった物ではないが、幸いその辺りもちゃんと防御が働くらしい。
(だが気をつけろ。お前の肉体が何処かしら地面と触れていなければこの効果は得られん)
「つまり、無闇やたらと跳ねるなって事か」
《コアトリクエ》を引き摺りながらアルベルトは歩き始める。その姿を見たグラニは笑みを浮かべて戦斧を構えた。
「いいぜ……来いよ小僧!お前の器がどれ程か、俺が見極めてやる!!」
放たれる衝撃波と斬撃。その中を悠然と歩く姿は見る者に威圧感と恐怖を与えるのに十分過ぎた。
「いずれは七帝竜抜きでここまで来れるようにならないとな」
「その通りだな。本当ならそこまで来たお前と戦いたかったぜ。いや本当に残念だ」
間合いに入ったにも関わらず、グラニは笑っていた。アルベルトも薄く笑い、《コアトリクエ》を振り下ろす事なく構えを解いた。
「どういうつもりだ?」
「あんたから殺気が消えた。もう戦う気はないんだろ?」
するとグラニは思わずといった様子で噴き出した。
「まあな。そろそろ時間だ」
「傭兵なのにいいのか?」
「傭兵だからこそ、受け取った額以上は働かないのさ」
グラニはそう言って周囲を見渡し、自分の仲間は全滅しているのを確認して溜息をついた。
「しかし強いな魔女ってのは。あいつらも俺基準に小指の先を引っ掛ける程度の力は持ってたんだが」
「確かにな。あんたの言う通り、俺がいちいち守ってやる必要なんてないのかもしれない」
《コアトリクエ》をしまい、《エクスピアティオ》を拾いに戻りながらアルベルトは苦笑した。
「それでも……俺に取っては掛け替えのない、最高の仲間だ」
「そうかい。なら体と命じゃなくて心を守ってやんな」
戦斧を背中に背負い直し、グラニはニヤリと笑った。
「俺達傭兵にとって一番難しいのがそれだ。所詮戦争屋だからな、どうしてもやれる事は限られてしまう」
そう言ってグラニは何処か遠い目をし、苦笑するように肩を竦めた。
「またどっかの戦場で会おうぜ。その時敵同士か、味方同士かは知らんがな」
「俺が今ここであんたを雇うってのは駄目か?」
「駄目だな」
グラニの返答は早かった。
「俺にも傭兵の矜持はある。幾ら金を積まれたところで、いきなり寝返るのはそれに反するんでな」
「そうか、悪かった」
立ち去るグラニを他のリザードマン達が追撃しようとするが、それはバズバが止めてくれた。
「アル!」
振り返ると、幾らか傷を負ってはいるものの無事な姿で小春達が駆け寄って来た。
「皆無事みたいだな」
「アルこそ、服とかボロボロじゃない」
泣き笑いの顔になる小春に苦笑し、アルベルトは飛びついてきたケーナとサリを纏めて受け止める。
「後で繕うわ」
「悪いな」
小春の厚意に感謝しつつ、横で荒い息をついて水をがぶ飲みしているバレリアに注意を向けた。
「見るからに満身創痍だな」
「戦うってのはこういう事だろ。アタイはこれが当たり前だ」
「……そうかい」
既にバーサーカーの様子は鳴りを潜め、バレリアは楽しそうに笑う。根本的に戦いが好きで仕方ないのだろう。
「さ、父ちゃんに会いに行くんだろ?」
実はこの段階まで目的を忘れていたなどととても言えないアルベルトであった。
里の奥まった場所にある一際大きい岩屋。それがバレリアの家であり、リザードマンの長・アークリザードの居城でもあった。
「アドゥンの加護あれ!」
アルベルトが声を張ると、奥にいたリザードマンがゆっくりと動いた。
「父ちゃん!客を連れて来たぜ!」
「うむ……」
奥の岩で作られた椅子に座ったリザードマンは、バズバや他の者とは違い年季と歴史を感じさせる雰囲気を纏っていた。
「《約束の子》か。随分と我が里で暴れてくれたようだな」
「ちょっと父ちゃん。里を襲った連中を追い払うのに協力してくれた奴にそんな言い草はねえだろ」
「分かっておる。何が望みだ?我が里には人間が喜ぶ財宝などないが、望めばバレリアをくれてやってもよいが」
アルベルトは頭をかきながら一歩前に進み出た。
「なら教えてくれ。《空白の歴史》で何があったのか、何故人間は盟友であった筈のエルフやドワーフ、リザードマンと疎遠になっただけでなくドラゴンと全面戦争になったのかを」
「……」
アークリザードは瞑目して深く息をついた。
「……古い、古い話だ」
昔語りをするように遠くを見つめ、しわがれた声がぽつぽつと紡がれ始めた。
「人と魔族の戦いは熾烈を極めた。その余波は森を枯らし、大地を腐らせ、水を穢し、空を濁らせた。それは己の領域を侵されると感じた我々を危惧させ、奮い立たせた。結果として人間の中で立ち上がった《勇者》アーサー、《姫巫女》マリエラ、エルフの魔弓士ティファニアス=エルドシア=グレイシアメイル、ドワーフの戦士ガーランド、リザードマンの戦士アドゥン、そして竜の《勇者》シルヴァーナが共に力を合わせ魔族に立ち向かったのだ」
アークリザードは一旦呼吸を整えた。
「その最中、今の《中央》に当たる国の王女が神託を受けた。余りにも強大な魔に対し、神々も討伐に本腰を入れるべく王女を器に魔を討伐する聖なる力を注ぎ込んだ。それが《戦乙女》。《戦乙女》となった王女セシルは《勇者》アーサーと合流し、共に魔を討伐する旅に加わった……」
悲しんでいるのか、その目がそっと閉じられた。
「長い旅路の果てに魔は討ち果たされ、地の底へと封じられた。その旅の中でアーサーとセシルは互いに恋に落ちた。だが魔を討伐した《勇者》と《戦乙女》に人間の目は余りにも冷たかった」
「それは……?」
「彼奴等は恐れたのだ。その強大な力を。自分達ではどうやっても歯が立たない魔族を相手に怯む事無く立ち向かい、討伐するその力を何よりも恐れた。結果としてアーサーは人間の世界から追放され、セシルは城に幽閉された。だがそれだけでは恐怖を抑えられなくなった人間はとうとう彼女の処刑を決めた」
「そんな!」
小春が目に涙を浮かべて口元を覆い、リリィも歯噛みして地面を睨みつける。
「アーサーは走った。己の愛した唯1人の女を救う為に走り、人を守る為に得た神剣を人間相手に振るった」
「!?」
思わずアルベルトは背中に背負っていた大剣に手をやった。
「そう、その剣だ。アーサーは処刑台に立たされたセシルの縄を切り、親でありながら娘に恐怖し処刑を決めた王目掛けて剣を振り下ろした」
アークリザードは悼むように目を覆う。もしかしたら泣いていたのかもしれない。
「しかしその剣は王ではなく、父親を守ろうと割って入ったセシルを斬り裂いた。神の力を部分的にでも得た《戦乙女》を傷つける事が出来るのは、相反する魔の力か真の力を解放された《エクスピアティオ》の一撃のみ……皮肉にもその力が彼女を殺した」
「……」
アルベルトは何とも言えない気分で自分の背中に背負われた大剣を肩越しに見やった。
「あえて言うのであれば、巡り合わせが悪かったのだろう。女を救った時点で満足し、その場を去らなかったアーサーも……最期の最期で肉親を選んだセシルもな」
アークリザードは深い溜息をついた。
「アドゥン達が事態に気付いて駆けつけた時には、アーサーは処刑台の前で物言わぬセシルを抱き締めて慟哭していたそうだ。そして失意のまま、その場で己に剣を突き立て命を断ったのだ」
「救いがねえ……」
アルベルトの呟きにアークリザードは深く頷いた。
「結果として、アーサーに静かに想いを抱いていたマリエラもまた失意のまま行方を晦まし、アドゥン等他の仲間もそれぞれの故郷へ戻りそれっきりだ。かつての《勇者》とその仲間達が寿命や病で亡くなるにつれ、種族間の交流も徐々に途絶えていった。もしかすると、自分達の防人すらも己の恐怖1つで追ってしまう人間の愚かさに怒り距離を置いたのかもしれんが」
「全くもって否定出来る要素がないってのがまた泣けるな」
「故に何故竜族がお前達人間に戦いを仕掛けたのかは分からん。話せるのはこれくらいだが、客人に一晩の宿と食事は提供しよう。ゆっくり寛いでいくがいい」
礼を言ってバズバの案内に従い出て行くアルベルト達を見送り、アークリザードは椅子に沈み込むように座りなおした。
「かつて悲劇の中に散った《勇者》の剣を受け継いだ者が《約束の子》として我等の前に現れる……数奇な運命と思わんか?なぁ、アドゥンよ……」
続く




