第九楽章 英知の大樹
呪いをサラマンダーに焼き払われたエントはウロの奥に光る目を細めてアルベルト達の前に跪いた。
「本当にありがとうアル。貴方達がいなければ、この里はどうなっていたか……!」
「気にしないでいいさ。俺達はやるべき事をやっただけだし、お陰でサラマンダーを召喚出来るようになったんだからお互い様だ」
セルヴィは目を潤ませたまま微笑み、はっとしたようにエントを見上げた。
「どうした?」
「ケーナの槍を折ってしまったので、代わりの槍を用意して欲しいと」
その言葉が終わるか終わらない内に、エントは自らの腕から伸びる枝を1本圧し折ってセルヴィに差し出した。
「この枝を使ってエルフ族が作る最高の槍を……ええ、分かったわ!」
ぽかんとしているケーナに向き直り、セルヴィはしばしこの村に滞在して欲しい事を告げて去って行った。
「ではこちらへ。宿を用意しておきました」
セルヴィの付き人を務めているらしいエルフに促され、アルベルト達はその宿へと向かった。
「宿っつーか、これって小屋?」
突貫工事で木の上に作られた家屋は1人で住むには些か広く、どう考えても4人で暮らせるように作られていた。
「木の上で寝るとか、俺寝られるのかよ……」
嘆いてもエルフの文化ではしょうがない事だと割り切り、アルベルト達は荷物を持って梯子を上った。
「寝室一緒かよ!」
柔らかそうな草で作られたベッドは1つの部屋に4つ。どう考えても4人で1部屋使えという意味であった。
「あは、皆と一緒だね。ケーナ嬉しい♪」
「俺もう野宿でいいよ……」
げんなりした声でぼやくアルベルトであったが、そもそもそんな提案は却下であった。主にケーナの上目遣いとサリの懇願によって。
エルフ達には風呂に入るという概念はないらしく、日々の汚れを落とすのは里の隅にある湖での水浴びだった。おまけに彼等は男女間の区別が薄い(エルフにとっては男も女も森に育まれた命という点で一緒くたなんだとか)為間仕切りもない。結果アルベルトは己の煩悩と戦いながら隅のほうで細々と水を浴びていた。
「異文化コミニュケーションってのは難しい」
つくづくそう思う。セルヴィから貰ったスポンジ(森で育つ果実から採れる繊維を乾燥させて纏めた物らしい)で垢を擦り落としながらぼやいた。
「アル様~♪お背中流しますー!」
「ぶーーーーーーーーっ!?」
少し離れた場所で少し顔を浸けた矢先の事だったので、アルベルトは盛大に溺れ掛けた。
「さ、サリ!お前そういう事はいいって言った……!」
アルベルトは思わず振り返ったが、その結果タオルすら巻きつけていないサリの意外に着痩せするらしい裸体が目に入り慌てて首を捻って視界から外す。首がグキリと嫌な音をたてた。
「あ、ケーナも流すー!」
「やめんかああああああああ!!つかリリィも見てるなら止めろ!!」
「いやいや、こうしてかぶりつきで見物するのがジャスティスかと。ケーナさんの芸術的ボディも堪能出来ますし」
「あらあら、賑やかですね」
セルヴィまでやって来た。ケーナやサリと比べるとささやかではあるが、確かな膨らみを持つ肢体は劣情とか以前に1個の芸術として完成されていた。
「……ってあーもう!俺上がる!!」
とてもじゃないが暢気に水浴びしていられる状況でもないと、アルベルトはあらかじめ用意しておいたタオルを腰に巻いてとっとと湖から退散した。
「ひ、ひでぇ目に遭った……」
夕食に用意された果実と野菜、猪の肉を煮込んだシチューを食べつつアルベルトは頭痛を堪えながら呟く。
(意外と役得も多かったんじゃね?)
「何処がだサラマンダー!刺激が強すぎて色々と磨り減ったわ!」
しかもケーナの場合、唯甘えているだけなので余計に性質が悪い。アルベルトが我慢すれば済む話ではあるが、色々と持て余した十代男子の理性なんぞそう頑丈には出来ていない。
(だから我が言っているだろう。元より貴様はサラマンダーを従え《豪竜》の長となったのだ、竜のやり方に従っても問題はないと思うが)
「相手がドラゴンならともかくケーナは人間だろうが!!」
リンドヴルムに突っ込み、アルベルトは更に酷くなった頭痛に泣きたくなりながら残ったシチューを一気に掻き込んだ。
(やれやれ……まあいい、話題を変えるが)
リンドヴルムは少し真面目な口調で言葉を続けた。
(これから貴様は何をする?)
「さあなぁ。《空白の歴史》を紐解く旅もいいが、その前にお前等七帝竜を従えない事には盟約とやらが何処までも付いて回るだろうし」
(竜の盟約は大体において《古竜》の領分だ。バハムートの信を得るにしても旅をするにしても足が必要になるだろうな……よし、我も力となろう)
余りにもサラリと言われたので、アルベルトも一瞬聞き流しそうになった。
「……ってちょっと待て!それってつまり召喚に応じるって事か!?」
(そう言ったつもりだが……お前達人間の足は正直苛立つくらいに遅いのでな。我等《飛竜》のスピードと比べると如何ともしがたい)
「余計なお世話だ」
そもそも風を司り、竜族でも最速を誇る《飛竜》にスピードで勝てる生物など存在しないのだから比べられても困る。
(期待していいぞ。我の飛ぶスピードは竜族の中でも随一だからな)
「ああ、そこは期待というか確信してる。明日からよろしく頼むぜ」
アルベルトは淡く翠色に輝く右腕をポンと叩き、ミルク(牛ではなく山羊の物なんだとか)を飲んで席を立った。
少し外の空気を吸いたくなり、月と星に照らされたエルフの里へと降り立つ。改めて彼等の暮らしを眺めてみると、人間と比べて何処となく時間がゆったりと流れているような感覚を覚えた。
「お散歩ですか?」
振り返ると、セルヴィが立っていた。
「ああ、まあな。ちょっとエルフの暮らしがどんな物なのかを見物させて貰ってた。ゆったりしてて眠くなりそうだ」
「エルフの一生は長いです。人間はどんなに長くても100年を超えて生きる事は稀ですが、エルフの基準で言えば100年程度はまだ若造扱いですから」
「……セルヴィは何年生きてるのか訊いてもいいか?」
女性に年齢を尋ねるのはマナー違反だが、セルヴィは特に気にした風もなく笑った。
「今年で130歳になります」
「ひゃく……っ!?」
見た目には13そこらにしか見えないセルヴィだが、アルベルトからすると想像もつかない年月を生きてきたらしい。驚愕の余り声が喉の奥でひっくり返った。
「でもエルフの中ではまだまだ未熟者ですから御気になさらず。人間の年齢に直すと13歳程度ですし」
「そんなのが何で族長やってるんだ?」
「簡単です。私が一番、《ユグドラシル》の声をはっきりと聞けたから」
そう告げるセルヴィの瞳は何処か悲しみに揺れているようにも思え、アルベルトは彼女の隣に腰を下ろした。
「貴方が捜し求める《空白の歴史》以降、私達エルフの魔法も年々弱まってきているんです。その中にあって私は《約束の子》の力たれと盟約を受けて生まれました」
「なるほどなぁ……ってちょっと待った!確か《約束の子》って俺の事だよな!?」
セルヴィは大きく頷いた。
「そして貴方は今回、サラマンダーとリンドヴルムの2体を配下としました。盟約に従い《ユグドラシル》の知識を一部授けます」
そう言ってセルヴィはアルベルトを森の奥へと誘った。
セルヴィが案内したのは森の最深部に佇む大樹の前だった。
「では、此処で待ってて下さい」
大樹の前に立ち、セルヴィはわが子を抱擁しようとする母親のように両手を広げた。
「《ユグドラシル》よ!創世の刻より万物を見守りし英知の管理者よ!我が声に応え、彼の問いに応えよ!!」
「っ!」
セルヴィの呼びかけに答えるように大樹は輝き、その光はセルヴィをも輝かせる。彼女が振り返った時、翠色だった瞳の色は右が紅・左が蒼となっていた。
「私は《ユグドラシル》に宿る精霊ミューズ。《約束の子》、アルベルト・クラウゼン。《古竜》との盟約に従い、貴方が配下とした七帝竜1体につき1つ問いに答えましょう」
実質訊ける事は2つという事になる。アルベルトは慎重に言葉を捜した。
「無論、盟約によって答えられない問いの場合はその問いを数えないものとします」
「本当か?そりゃいいや。じゃあまず一つ目、エルフ達もあんたも俺を《約束の子》と呼ぶ。これは一体どういう事だ?」
一瞬セルヴィの瞳が星色に輝き、その口が開かれた。
「《約束の子》……動乱期、人間の中から神々に力を授かり誕生した《戦乙女》と《勇者》の間に生まれる筈だった存在。しかし《戦乙女》は魔を退けた後、その力を恐れた人間の王により処刑され《約束の子》は生まれる事はなかった」
セルヴィの体を借りたミューズはここで一旦言葉を切り、再び瞳を星色に輝かせた。
「ここから先は情報に封がされており、閲覧する事が出来ません。《約束の子》は生まれなかった、にも関わらず貴方はここにいる。その情報を開示する事は現状では不可能です」
アルベルトは頭を抱えた。そもそもこの情報が事実なら、自分は200年以上前の人間という事になるのだから。
「一つ目の質問から派生するんだが、俺が《約束の子》だと判断するに至った理由は何だ?何ならこれが2つ目でも構わないが」
「一つ目の問いに含めます。『《約束の子》は竜を束ね、その王たる者。竜を率いて立ち、星の苦難を破る者』、そう記録されています。貴方が七帝竜を宿し、その力を行使出来る事そのものが《約束の子》である証」
それきりミューズは口を噤む。これ以上の答えを求めるのなら、一刻も早くバハムートの信頼を得ねばならないのだろう。
「分かった。なら2つ目の質問だ。《空白の歴史》の真実をあんたが語る訳に行かないのはもう分かってる。だから……その真実を知っている存在を教えてくれ」
知らなければ尋ねる。ムーンライト学園に入学してより、アルベルトが学んだ事だった。
「質問に答えます。ドワーフ族が創り上げた機工戦士・オリハルコンゴーレム、リザードマン族の長老・アークリザード、そして《中央》のセントラル王家。彼等の中に真実はありますが……尋ねたところで答えてくれるかは分かりませんよ?」
「そりゃそうだな。だが今の手がかりはこれしかないんだ。ありがとう、お陰で随分と目処が立った」
そう告げるとミューズはセルヴィのそれとは違う微笑みを浮かべて一礼した。
「また七帝竜を配下とした時には私を訪ねて下さい。貴方に必要な知識を授けましょう」
「分かった。その時はまたよろしく頼む」
ミューズは頷き、一瞬糸が切れたように倒れかける。アルベルトが慌てて受け止めると、開かれた瞳はセルヴィの翠色に戻っていた。
「《ユグドラシル》に、話は聞けましたか?」
「ああ。大いに参考になった」
そう言うとセルヴィは嬉しそうに笑った。
その後セルヴィを彼女の自宅まで送り、アルベルトは少し頭の中を整理したくて再び夜の散歩と洒落込む事にした。
「……ん?」
微かに耳に届いた音。音というよりそれは歌声だった。
「こっちか?」
よく歌声を褒める言葉に、『鈴を転がすような』とか『天使のような』とかある。だがこの声はそのどれもが陳腐に感じる程に美しかった。
「……!」
湖に出ると、その辺で素足を水に浸しながらケーナが踊っていた。踊りながら歌う彼女はまるでこの世のものとは思えない。
「……誰!?」
「あー、脅かしてすまん。俺だ」
気配を感じたのか、ケーナが振り返る。アルベルトは少しバツが悪い気分になりながらも歩み寄った。
「あ、アル……聞いてたの?」
「ああ。歌とか踊りはよく分からないけど、見ててとても綺麗だと思った」
ケーナは両の頬を押さえて目を逸らしながらも、「ほんと?」と小さく尋ねた。
「嘘なんてつくかよ」
「そっか。うん、嬉しい」
ケーナはアルベルトの所へ行こうとし、藻に覆われた石で足を滑らせた。
「きゃっ!」
「ケーナ!」
咄嗟に駆け寄るが間に合わず、アルベルトまでが足を滑らせて2人とも湖の水でずぶ濡れになってしまった。
「ててっ……大丈夫かケーナっ!?」
普段ケーナが着ている服は薄手のローブなのだが、今はそれが水で張り付き彼女の体のラインがくっきりと浮かび上がっていた。
「ほえ?」
何故アルベルトが目を背けるのか分からないのか、ケーナはぽやんとした顔で首を傾げる。濡れた髪から滴る雫が月に照らされ、宝石を纏っているかのような輝きを見せていた。
「と、とにかく風邪ひいたら大変だ。上がろう」
何とかケーナを湖から連れ出す。アルベルトは薪を集めた後、《レーヴァテイン》を抜いて自分とケーナの前に置いた。
(……っておいアルベルト!お前まさか俺の《レーヴァテイン》をマッチの代わりにしようとしてないか!?)
「いやまあ……使える物は親でも使えって言うしさ。親いないけど」
サラマンダーは「コノヤロウ……!」と唸るが、アルベルトは無視して《レーヴァテイン》の炎を少し弱めで解き放った。
「わあ、あったかーい」
「まあ火が温かったら大事だわな」
火に照らされ、ケーナの服は肌の色まで分かる程に透けている事を知ったアルベルトは湖に気を取られたフリをして目を逸らした。
「そういえば、さっきの歌って何処の歌なんだ?」
「……わかんない」
ケーナは相変わらず笑顔のまま、空を見上げた。
「家族の事とか、お父さんやお母さんの事とか何も覚えてないケーナだけど……この歌だけは孤児院じゃない場所で知ったの。でも何処で覚えた歌かわかんない」
「……そっか」
何時もと変わらない笑顔。だがアルベルトにはケーナの心が泣き叫んでいるような気がしてならなかった。
「まあ……なんだ。ケーナがいらないと言うまで俺は傍にいて、どんな時でも味方してやる。それだけは約束するからな」
「ほんと!?」
ケーナはアルベルトに抱きつく。顔に似合わず発育した胸が押し当てられ、アルベルトは脳が沸騰するのを感じながら何とか受け止めた。
「ケーナね、コハルちゃんの事もセーラちゃんの事もみんなみーんな大好き!でもアルの事が一番好き!」
「!!」
「ケーナをアルの一番にしてくれなくてもいいから、アルの傍にいたいの」
そう言ってアルベルトを抱き締めたまま、ケーナはすやすやと眠ってしまった。
「……この状況、俺はどうすればいいんだ?」
結局その場で夜を明かすハメになったのはご愛嬌といったところか。
翌朝。ぐっすり眠ってご機嫌のリリィとサリ、ケーナとは対照的にアルベルトは寝不足+寝違えて首が痛いという状態で朝を迎えた。
「往くのですね」
見送りに来たセルヴィがアルベルトを見上げて言った。
「このペンダントをお持ち下さい。これはエルフとの友好を示す物。これを身につけている限り《ユミル》で迷う事はありません」
そしてセルヴィはケーナに一振りの槍を差し出した。
「ケーナにはこれを。エルフの秘法とエントの腕で作られた神槍、名を《カラドボルグ》といいます」
「わあ、ありがとう!」
ケーナは嬉しそうに槍を受け取る。槍に秘められた力はこうして見ているだけでも凄まじいものを感じた。
「そうか。分かった、ありがたく頂くよ」
アルベルトはペンダントを首に提げ、《ヴァジュラ》を呼び出してから広場の中央に立った。
「我が意に従い、我が手に答えるべし!」
風が渦巻き、アルベルトの前に集まり始める。その膨大な魔力の高まりに周囲で見守っていたエルフ達もどよめいた。
「それは雄大なる翠玉の風、悠久の契約に従いこの日この時、探求を望むなら答えよ!」
《ヴァジュラ》が呼び寄せた風は一箇所に集中し、徐々に形を作り始めた。
「その名は疾風竜リンドヴルム!我は汝の手綱を握り、知識を風へと変える者……アルベルト・クラウゼン!!」
咆哮が轟き、風は翠の竜となる。サラマンダーと比べると幾らか小柄だが、その巨大な翼は見る者を圧倒する迫力を持っている。前足は短めな分、後脚は高い跳躍力を秘めているかのように太く逞しかった。
(我が疾風をもって汝の契約に応えん!!)
思念を通じて宣言し、リンドヴルムは翼を大きく羽ばたかせた。
(では参ろうか主よ)
「……出来れば今まで通りで頼む」
そこは了承して貰い、アルベルトはケーナ達と一緒にリンドヴルムの背に乗った。
(何処へ向かう?我の飛ぶスピードは並の鳥や竜とは比較にならぬ、半刻もせずに到着するだろう)
「皆は何かリクエストあるか?」
「コハルさんの故郷へ。お祭とあれば行かない訳に行かないでしょう」
「ケーナも賛成!」
「アル様の意思のままに」
三者三様の答えが返ってきたので、アルベルトは軽く頷いてリンドヴルムの首を叩いた。
「目的地は決まったぜ。《東国》だ!」
(心得た!行くぞ!!)
リンドヴルムは全身に風を纏わせ、一直線に飛翔する。見送るセルヴィ達が手を振る暇もなくその姿は小さくなり、見えなくなった。
そんな彼等を苦笑混じりに見送り、セルヴィは軽く伸びをした。
「誰か」
「ここに」
付き人のエルフを呼び、セルヴィは真剣な表情で振り返った。
「準備をお願いします。もしかしたら、大きな戦いが起こるかもしれません」
「御意」
他のエルフに指示を飛ばしに行くのを見送った後、セルヴィは自室へと戻る。
「今度は……間に合わせてみせます」
続く




