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「お逃げください!! エレミー様!」

 執務室で種類をトントンと整えていると、慌ただしく護衛一と二が室内に入ってきた。私は軽く眉を寄せ、「いくら下賎な身でも、ノックぐらいできるでしょうに」と低く言った。

 室内はうす黒かった。明かりは執務机の端に置かれている蝋燭の火だけだ。蝋燭の緋色と橙色が混じった色が薄い光となって、白い書類を照らしていた。護衛が入ってきたことで、廊下の白い光が入ってきたことが不快だった。そしてさざなみのように、予感、終末の予感が胸をよぎった。


 私の言葉に少し護衛一と二は傷ついた表情を浮かべたが、すぐにぎこちなく無表情に顔を()えた。少しの罪悪感が沸く。

 

 諦観と共に、自分の心をもう偽る必要がないことを思い出す。もう終わりなのだ。私の沈んだ悲しみと、不思議なほのかな安らぎに気付かず、護衛二人はしつこく繰り返した。

 彼らの声が訴えるような切実さで耳に聞こえる。


「お逃げください! エレミー様、すぐにっ!」

「――何が起きたの?」

 分かっている。終末が訪れたのだ。それでも私は現実を知るために、笑んで尋ねる。


「後で説明させていただきます。今はっ! 今は、お逃げください」

 泣いているかのように、必死な様子だ。私は静かにその場で目を閉じた。それに護衛二人が何か喚いていた。


「静かに、うるさいから」

 二人が黙る。耳元に音が聞こえた。私の屋敷の前から聞こえる音――甲冑の音だ。

 金属がぶつかり、ガチャガチャと騒々しく鳴る。私は椅子から立ち上がった。立ち上がるときに、着ていた服が僅かに衣擦れした。執務机の裏の窓のカーテンを引く。カーテンを引くとき、自分の指が目に入った。その指は微かに震えていた。

 新鮮な驚きだった。私はまじまじと自らの手を凝視した。震えた手がカーテンの裾にかかり、そっと引かれた。

 見下ろす。明々とした松明を持った警備兵がいた。そしてその横に明らかに文官らしき人物がいる。

 それはある一つの事実を示していた。警備兵――荒っぽい者と、文官――お役所仕事をする人間。


 ――――――私は捕らえられ、裁かれるのだ。

 私の人生が脳裏に松明に照らされ浮かび上がる。この時のためだけの人生だった。前の皇帝が私を養女にして、この日のためだけに私の人生を使いつぶした。


 護衛がピクリともせず、ジッと窓の下を見続ける私を見ていた。呼吸の音が聞こえた。荒くはないが乱れている。自分の呼吸音だ。

 

 護衛が持て余す気持ちをどうにかしようと、私に近づいてきた。

 まだ、私を逃がそうと考えているのだ、私は泣きたいような切なさに見舞われた。


 馬鹿、そう言おうとした。しかし何も言えなかった。

 今声を出したら、とても人には聞かせられないくらい情けない声が出るのが分かっていたから。

 だから、ほのかに明るい部屋の中で、私は手を振った。動くな、という風に。


 沈黙の中、扉が蹴破られた。勢いよく警備兵が雪崩れ込んできた。警備兵達が雰囲気で興奮しているのが分かった。

 それはそうだ。

 私の逮捕劇は、国の上層部が練り上げたもの。皆、失敗は許されないと持っている。何度も何度もシミュレーションしたことだろう。

 口から笑い声が漏れた。軽やかな、楽しくてしょうがないというような笑い声。警備兵達が気圧され、動きを止めた。

 中の一人が硬く強張った声で、こう言った。


「っ―――皇女エレミー・ティスア、以下の罪で身柄を拘束させていただく!」

 罪状を読み上げようとしたので、私は小さく「いらないわ」と言った。罪状なんて把握済みだ。

 脱税や違法取引(人身売買)などの小さなことから、国家反逆罪や他国の要人の暗殺などの大きい事まで三十ほどの罪状が読み上げられるのは気が滅入りそうだった。

 私は二人の警備兵に横に立たれ、腕を拘束されそうになった。ギリリと締め上げられ、その痛みに胸がなった。分かっていたことだと、首を振る。

 そのとき後に気配を感じた。


「止めなさい」

 私の言葉が部屋に響いた。部屋の隅でこそこそと話していた文官たちも何事かとこちらを見た。

 護衛一がナイフを私の隣に立つ警備兵の首元に当てていた。

 警備兵はナイフに目をやったが、優秀なのだろう、すぐに後の護衛一をジッとにらんだ。しかし護衛一は死んだような無機質な目で見つめ返すだけだ。いや見ているかも分からない、何も写さない目をただ合わせただけだ。


 この人間の目は怖い。警備兵は気を飲まれたように、顔を青くした。私は小さく息を吐いた。最後の仕事だ。最後の演技。

「楽しくないわ、そんな無粋な真似。この子達が頑張って私を捕まえようと、ここまで策を巡らしたのよ。その努力に答えて、牢屋に入ってあげるくらいしてあげるわ」

 私のふざけた言葉に、護衛一はナイフを下ろした。そして隙を窺っていた護衛二も剣をそっと、壁に立てた。

 私がそれを見ていると、目の前に二人の人間が立った。

 一人は日本でいう裁判所のナンバー2ぐらいの人で、もう一人は警備兵の王都警備の責任者だ。

 目の前の二人は鋭い目つきで腕を拘束される私を見た。

「お前も、終わりだ」

 淡白に声が掛かる。裁判所の方――トイだ。トイ、この男はしつこく私の尻尾を捕まえようとしていた。責任感の強い男で、真面目な人間なのだ。私を許せないために、今まで頑張ってくれた。


 私はちょっと笑って肩を竦めた。それに不快気にトイは、眉を寄せた。


「余裕だな。まだ自分は大丈夫とでも思っているのか」

 淡々とした低い声が掛けられる。

「お前は終わりだ。間違いなく。幾ら金を積もうが、な」


「そうかしら?」

 情報を引き出すために、敢えて私はそう問いかけた。

 

「そうだ」

 トイは断言する。力強いその声に、私の横に立っている警備兵が尊敬の混じった視線を送る。


 慕われているのだろう。


「……私を、犯罪者に出来るような人間はこの国にはいないわ。ああ勿論他の国にもね」

 私が馬鹿にするように笑うと、トイはじっくり私の顔を眺めた。

 彼は不意に俯いた。そして少しだけ疲れたような表情を浮かべた。


「いるだろう、一人だけ」

 私はその言葉に怪訝そうに眉を寄せてみると、静かにトイは続けた。


「皇帝だ」

 ゆっくり、ゆっくり私は空しい達成感をかみ締めた。勿論、分かっていた。私のあの寂しがり屋の弟が、それを指示したことぐらい。しかし紙面上ではなく、現実でそれを味わうのはとても苦しい。とても。


 よっぽど、私が驚いた顔をしたのだろう。まあ半分くらい演技ではなかったから、真に迫っていただろうとは思う。


 トイはゆるやかに息を吐いた。


「皇帝は絶対にお前を殺さないと思っていたのか? 帝国への反逆がバレても庇ってくれると思っていたのか。

 

 それ程、皇帝を馬鹿にしていたのか」


 その厳しい言葉に、私は何も言わなかった。ただ自分はいつ死ぬのだろう、そう考えて、少し悲しくなった。





 

 前皇帝が私を養子にしたのは、私が10の時だ。その時は、親子の仲は冷め切っており、私は細々と特許の仕組みを活用していた。日本での知識はかなりお金になった。そのお金を父が納める土地の一番貧しい人間達に配っていた。その行為は恐ろしく自己満足が占める割合が多かった。

 行為を続けていたのは、単に私は生きる意味が見出せなくなっていたからだ。どうでもよかったのだ。一度終わった人生を無駄に長引かせたいとも思わなかった。


 前皇帝とは魔物討伐会で一度見かけ、その次に会ったのは前皇帝が護衛たった3人ほどで、父の土地を訪ねてきたときだった。

 

 私は皇帝という名の響きに気圧されたが、一応自己紹介をして、それで私達の関係は終わるはずだった。


 しかし何日か皇帝が滞在したときに――おそらく私と家族の不和な関係に気付いたのだろう――私に意識をやるようになったのだ。



 『なあ、お前。何でいつも花ばっかり見てるんだ?』、滞在3日目のことだった。前皇帝にそんな質問をされた。いつもは能面のような顔の侍女も慌てていたのが分かった。

 私はその時期ずっとしんどかった。花を見ていると、色々なことから開放された気分になった。

 だけど話しかけられたことで、落ち着ける空間は居心地の悪い空間に変じた。

 『救われるからです』、私が返した適当な返事に、彼は何が楽しいのか大声で笑った。『餓鬼が、面白いこと言うな』そう言われた。私が怪訝に思うと、『なあお前、発明家なんだろ』、そう続けられた。否定せずにいたら、楽しげに言われた。

 『俺と一緒に世界でも救う方法考えないか』と。笑みを描く彼の顔を見ていると、突然視界が揺れた。身体に感じたのは、ゴツゴツとした身体で、視界に写ったのは彼の肩。私は肩に担がれたのだ。侍女が何か喚いていたが、それを意に介さず、彼は私を部屋に運び、『これで話せるな』と笑った。呆然と固まっていると、彼は本当に楽しげに笑った。

 


 そして彼が帝都に帰る時に、父に私を『養子にさせて欲しい』と言った。父は動揺していた。しかし、最後には同意していた。私はあそこでは邪魔者だったのだ。兄は勿論のこと、妹のリアも軍人としての才能に溢れていた。悔しい気持ちもあった。捨てられるのか、とも思った。だけど私の心を覆っていたのは、そんな感情ではなく諦観だった。ただ何か縋れるようなものを探していた。

 結局、私は黙って彼についていくことにした。


 そして王宮に帰って、計画が考えられた。彼曰く『悪の女商人、世界を救う』。しかし、その計画は実現不可能だった。その計画は失敗する可能性が異様に高く、どうしても私が長生きする必要があった。しかし私は長生きしたくなかった。そして計画が変更され『悪の女商人、帝国を救う』になった。その計画に変更になった理由はもう一つあった。前皇帝――彼は感づいていただろうが、私が次の皇帝になるヨルムのことをとても大切に思っていたから。時たま王宮で会うヨルムと話すのが私は好きだった。だから不完全な世界を救う計画よりも、絶対にヨルムを救える計画を選んだ。そう帝国に貢献すれば、それはヨルムに貢献することに繋がると思ったからだ。


 計画の内容は簡単だ。私が商会を作り、皇女という権力をかさに着てその規模を広げる。そのうち、帝国内の悪の吹き溜まりから利益を吸い上げ、方々(ほうぼう)の『役に立たない貴族』から金を奪い取る。その中には、良い貴族も含まれる。善人でも役に立たなければ駄目だ、と前皇帝は言ったからだ。


 そして全ての帝国内の悪の部分を吸収し、最後に反逆を企てる。ここまで聞いて、私が噴出すと前皇帝は、『最後まで演じ続けなければいけない』と言った。

 反逆は、内部から露呈する。これは私の指示で行われる。


 私が捕まると、抱えた莫大な闇の組織と膨大な量の金銭、それは全て国に徴収される。その頃になると、私の悪い評判は国中に広まっているから、捕まったことは国中で話題になり、そして私の金銭が国に徴収されたことは一目瞭然。同じく反逆を企てた貴族たちも捕まる。こうなると、その金銭が何に使われるかが国民の間で話題となり、国民のために金銭を使うように民意が高まる。

 ヨルムは絶対にその金銭を国民のために使う。そして、ヨルムは幾人かの邪魔な貴族がいなくなり、思うような政治が出来るようになるだろう。


 ありがちだが、それが一番手っ取り早かった。





 

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