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中篇くらいの長さです。4、5話です。


 隣国から、一人の王女が輿入れする―――。

 大陸最大の、怜悧な皇帝が君臨する帝国へ。



「姉上、姉上は民のことを考えられないのですか!? 真摯に向き合おうとは思われないのですか!? 

 姉上は自身の利益しか顧みられない!」

 赤い炎のような髪を振り乱して、我が妹は叫んでいる。女物の服を脱ぎ捨て、背筋を伸ばし、目に正義と信念の光を(とも)し、妹は軍人としてよくやっている。

 妹の姿は、私の絢爛豪華な執務室に不釣合いだった。絢爛豪華―――馬鹿らしいほど、お金を掛けたこの部屋。絨毯は帝国で最も腕のいい職人達が1年ほど掛けて編み上げたもので、西のフレア領に咲く珍しい花々が見事に刺繍されている。シャンデリアには4種の宝石が輝き、壁には有名な画家達の絵が並ぶ。


 ここまでくれば悪趣味だ。


「考えてるわ。何をそんなに怒っているの? ほら、珍しい紅茶があるのお飲みなさいよ」

 この国の皇帝はまだしも、隣国の王ですら中々飲めない紅茶をメイドに準備させる。

 妹は、赤の瞳を驚愕に見開いた。


「凄いでしょう? この前の交易が成功してね」

 わざとらしくウインクしてみれば、妹は擦れた声でつぶやいた。

「なんてことを……」

 何を言えばいいのか、分からない。怒りすぎて。理解できなくて。

 我が妹は、私を理解できていない―――。


「何を怒っているの? リア。リアだって紅茶は好きでしょう?」

「っ愚弄するな! 姉上、私は貴女のような贅沢好きではない!」

 小首を傾ける。そのときの表情がポイントだ。何も分かっていないような、困ったような。そんな演技をするとき胸には虚無感が巣くう。

 妹は顔を真っ赤にしている。手がブルブルと震えているのが、執務机の下から見えた。しかしすぐに、これがいつものやり取りだと、妹は気を取り直し、怒らせた肩をゆっくりと下げた。


「―――姉上、この……貴女が今消費している紅茶一杯でどれだけの民が、飢えずにすむと思うのです」

 今日はやけに粘るな、そんなことを頭の片隅で考える。リアの正義感が強い対応が可愛くて、嬉しくて、私は少し微笑みそうになった。ただ今はそんな表情を浮かべるわけには行かない。

 何も分からない、興味も無いそんな顔を貼り付けた。最初の頃は顔だけが世界から浮いているような気がした。薄皮が顔中に張り付いているような。演技を終えてしばらくして、ハッと気付いたときに顔を触ってみたら、演技のときと同じ笑みがずっと浮かんでいた。今では苦も無く、口の端一つでも自由に変えられる。まるで粘土だ。


「あら、私がこの紅茶を飲むのと、民達が飢えるのと何か関係あるの? 私が自分のお金で好きなようにして何か、悪いことが」


「エレミー様!! 襲撃です!」

 凄い勢いで扉が開いた。メイドが息を切らせて扉の前に立っていた。私は口を開けたまま扉を見つめた。リアがしなやかな体を緊張させ、すぐにでも飛び掛れるような体勢になる。乗馬服を身に着けているために、腿にくっきりと筋肉の形が浮き出た。

 私はそんな武闘派では勿論無いので、馬鹿みたいに紅茶を持ったまま身を強張らせた。そんな私に、護衛役の中で最も強い護衛役一が素早く私を庇うように前に出た。

 頼りになる。安心して、椅子に凭れかかる私の目に、メイドに体当たりする甲冑を着た男が目に入った。リアが飛び掛ろうとするが、一瞬動きが止まる。

 その理由は分かった。甲冑の男のことをリアは知っているのだ。甲冑の男は戸惑いもせずに、すぐにリアの腹に一撃加えた。リアは崩れるような倒れた。とても痛そうだ。

 しかしその甲冑の男は気付かなかったようだが、私の護衛役のもう一人護衛役二の方が、後ろに回りこんでいた。そして、護衛役二は素早く甲冑男の首にしがみ付いた。そのまま甲冑の隙間から手を入れ、ここからは良く見えなかったが、おそらくは目潰しを食らわした。


 そこからは良く見ていないが、護衛役二人は剣を出した。甲冑の男は健闘したけれども、護衛役一、二の二人の連帯により倒された。

 甲冑の男が完全に動けなくなったのを確認して、私は立ち上がった。一応護衛役にも声を掛ける。


「お疲れ様、時間も掛かった上に、絨毯を血で汚すなんて、本当に役に立たないわね」

 そういえば、二人は酷く青くなりながら「もっ……申し訳ありません……」と身じろぎ一つせず、深々と謝罪した。何か声を掛けてくれるのを待っているのは分かったが、無視して、そのまま甲冑男に近づき、兜を外した。


「あら、やっぱり貴方だったの」

 私が言えば、リアがよろよろと立ち上がり、甲冑男の顔を見た。リアがどういう顔をしているのかを見たくなくて、じっと甲冑男の顔を見つめた。


「どうしてですかっ!? 貴方は誇り高い武人の筈です! こんな……襲撃などっ」

 後でリアが叫んでいる声に反応せず、甲冑男はたじろぐほどに強い視線で私を見つめた。目は充血し、どことなく潤んでいる。しかし、その目は忘れられなくなるぐらい、力強いものだった。

 

 私はもう一度立って、甲冑男、もといアンダー伯爵領、騎士団元団長の顔を踏みつけた。

 後でリアが絶句しているのが気配で分かった。かまわずもう一度踏みつけようとしたときだった。


 ヒューヒューと息を吐くだけだった元団長が言葉を切れ切れに発した。

「お……前は……いっ、生……救われない」

 お前は一生救われない。ご丁寧にありがとう。

 メイドが入り口で、ぼんやりと立っていた。私が警備兵を呼んだかと聞けば、カクカクと頷いた。そして部屋にしばらくの沈黙が落ちた後、メイドが私に質問した。


「エレミー様……。何故この方が襲撃してこられたんですか……?」

 この館では側近か、私と話す必要がある役職以外の人間で、私に話しかけてくることはない。メイドが話しかけたことで、頭を下げ続けていた護衛役が、メイドの方を見つめた。その視線に脅えたようだったが、静かにメイドは私を見つめた。

 こんな、肝の据わったメイドがいたんだ、と意外に思いながら、護衛役に敵意を抑えるように手を振った。


「借金よ。今のアンダー伯が私にいっぱい借金してね、返せなくて襲撃してきたの。でも元団長さんの忠誠心は凄いね」

 最後のセリフは、心底思った。自分の主人の借金を自分のことのように考える。


「……借金」

 私の言葉に反応したのはメイドではなく、リアの方だった。

「アンダー伯が借金など……」

 そうつぶやいた瞬間リアはカッと目を見開いた。まさか、そんな表情で私を凝視した。

「姉上、嵌めたのですか! アンダー伯を」

「……そうなるのかしら。でも私の発明品の値段を正確に知らなかったのが悪いのよ」

 ここまで悪ぶらなくてもいいんじゃないのか、心の内で生まれた言葉に首を振る。中途半端が一番許されない。演じきろ。

 アンダー伯、おそらくリアが言っているのは今のアンダー伯爵の父親のことだろう。武骨な人だった。勇敢で、国のためなら無言で死を選べるような人だった。それに甲冑の男、もとい元団長とのコンビは帝国でも有名だった。しかし今のアンダー伯爵は救いようのない馬鹿だ。前のアンダー伯爵は武に優れていたが、父親としては優れていなかった。甘えきった息子と距離を置き、見て見ぬふりをしたのだから。

 リアはアンダー伯爵が交代したのを知らないのかもしれない。辺境の地でのことだ。軍部の仕事で忙しいリアの耳には入ってこないだろう。


 リアが何か喚いていた。その間に来た警備兵が元団長の変わり果てた顔を見て絶句した。

「この人が突然私の執務室を襲撃してきたの。死んでしまったけど。

 そうそうこの人のせいで絨毯が汚れてしまったのよ。後で元団長の家族かアンダー伯爵にその分のお金を請求するから、ちゃんと調書を書いてね」

 笑顔で言うと、警備兵はあからさまに私にドン引きした。


 リアを追い出し、心配する護衛役も追い出した。

 身体中に倦怠感が押し寄せてくる。いつも思う。もういやだ、と。そして一線を越えていないかと不安になる。リアは私をもう見限っただろう。それでいい、上手くいっているはずだ。でもなんなのだろう。この胸に吹き込むものは。

 誰も私を守ってくれる人はいなくなった。親も妹も。そしてずいぶんと昔、ずっと私を守ってくれたあの人も。


 ふと、新聞が目に入った。記事は一面同じだ。『隣国シャガールの第3王女、ヨルム陛下に輿入れ』。表情が酷く虚ろになっているのが分かった。



 ――――――『寂しいよ』、皇子の誕生パーティーだった。光り輝く広間で皆が踊っていた。私は退屈になり、庭へ出た。そこに黒髪の少年が護衛もつけず、たった一人で泣いていた。綺麗な夜だった。薄く優しい黒に澄み渡るような青が混じり、空に塗られていた。その少年はパーティーの主役の皇子ではなく、妾腹の出の皇子。そう、あの少年がヨルムだった。


 あの頃の少年は今いない。いるのは冷酷で苛烈なそして驚くほど優しい一人の皇帝なのだ。





「まあ、なんというか頼りなさげな王女様ね」

 上客の一人の女公爵が鼻で笑った。

 貴女に比べれば誰でも頼りない。私はそう言おうと思ったが、無意味なので止めた。


 しばらく前、『王妃』の正式なお披露目をするということで舞踏会が開かれることになった。その招待状が四方に送られたが、私への招待状は無かった。理由は分かったが、そこへ呼ばれなかったというのは、名声が傷つく。この帝国一の商人としての、名声が。

 そのためこれまた四方八方手を尽くして、招待状を手に入れた。そこまで苦労したが、結局新しく商談を築けたのはこの女公爵とだけだ。

 本音を言うと、私は『王妃』を見たかっただけなのだ。その欲求は押さえられなかった。無意味に金をばら撒き、『私』のものではない金を賄賂として渡し、招待状を得た。


 広間で皇帝と王妃が招待客と話している。王妃は確かに頼りなさげなところがあった。金色の髪に青い瞳、確かに美しいが、幼さを感じさせるほど痩せている。顔色も悪い。まあ、この国のほとんどの貴族にあれほど嘲弄とした目で見られれば、顔が青くなるのも分かる。

 この広間で一番視線を浴びているのが新しい王妃だ。次は皇帝。そしてその次が秀麗な外見のクラウトフ子爵と、……私だ。

 善良な貴族からは嫌悪の目、下種な貴族どもからは『同属』に対する目。にこやかで優しい視線を送ってくるのは客からだ。広間の周りに立つ近衛兵達からは好奇の目が多い。この前の元団長の話が広まったせいかもしれない。民衆の中では、いくつかの事件の黒幕がすげ代わり、私になっているはずだ。


「エレミー様、この前は……」

「エレミー様、あのことなんですが」

「次の商談はいつになりますか?」

 舞踏会の中盤になり始めると、多くの貴族が私に群がりはじめる。舞踏会の雰囲気を壊すようなそれに、幾人かの貴族から咎めるような視線が送られる。

 チラリと王妃が私に視線を送った。チラチラとこちらを見てくる。気になるのだろう。私は意を決した。周りの貴族どもに断り、場を離れる。広間を歩き始めると、『もうか』などの声が聞こえた。

 今皇帝と話しているのは客の一人だ。私が近づいていくと、チラチラと王妃の視線が私に向けられた。

 皇帝の横顔が見えた。浅黒い肌に目尻がつり上がっている。しかしその黒の瞳は何者をも魅せる輝きがある。その目が嫌悪以外の感情を私に向けることは無いけれども。

 皇帝は鋭く舌打ちして、やっと私に目を向けた。

「何の用だ」

 薄く赤い唇が言葉をつむぐ。この時に私は本当に現実を思い知らされる。

「いえ、貴方に用があるのではなく、新しい王妃様に」

 笑顔で言うと、さっきまで皇帝と話していた客が苦笑するのが分かった。

「私ですか?」

 声が可愛い。目がリスのように大きく、なんだか本当に子供みたいだ。

 鼻になにか柔らかな匂いが掠めた。


「ええ、私は商人なのですが」

「止めろ、ここはお前が商売する場ではない」

 低い声に、私は皇帝に目を向けた。黒の苛烈な目と、私の恐ろしく色の無い目が合った。胸を鷲づかみにされるような感覚だ。息が止まるかと思う。そこらの令嬢がこの男と目が合うだけで恋に落ちるというのがよく分かる。しかし私は平然とした、どこか冷笑混じりの顔を崩すことはない。逸らしたのは皇帝だ。勝ったような気分にはなれない。事実はともかく、私はこの男に屈している。

「王妃様、何か欲しいものがお有りでしたら、私エレミーをお呼びください」

「えっとあの、申し訳ありませんが、今特定の商会と取引をするというのは……」

 私はその言葉に笑い声を立てる。プッツリと王妃の言葉が途絶えた。

「いえ、お金など取りません。何か欲しい物があれば、『身内』として何かご用意するという話です」

「身内」

 驚いた表情をした王妃が皇帝を見やる。皇帝は何か言おうとして、黙った。

「誰も言わなかったのですか? 前皇帝の養子のエレミーです」

「黙れ、我が王妃に欠片(かけら)だらけの情報を与えるな。後でお前の話をする」

 顔を歪め、王妃の腰を抱く。そして薄っすらとした笑みを貼り付けた私の客に軽く何か言って、二人で広間の中央へ歩いていった。


「エレミー様、陛下とは本当に仲がお悪い」

「弟はずっと反抗期なの」

 私が笑えば、目の前の男は擦れた笑い声をたてた。









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