私、悪女になってしまいましたわ
大変です、皆様!
私、悪女になってしまったのです。
あっ……とその前に自己紹介ですわね。
たとえ悪女でも礼儀は大切にしなくてはいけません。
私の名前はエリザベス・ベルミー、伯爵家の長女です。歳は19歳。社交界デビューして2年目ですわね。
ベルミー伯爵家は代々、治癒魔法士を輩出する家として知られています。
私も微力ながら王都郊外にある伯爵領の治療院で、治癒魔法士として働いております。
そんな私には1つ違いの妹がおりますの。名前はロジエル・ベルミー。
母に似た妹は、小柄でフワフワとした可愛らしい雰囲気の持ち主。
対して私は父譲りの長身で、しかも顔立ちがきつめなので、よく治療院に来た子供たちに泣かれています。
ほら、髪だって私は燃えるような赤毛なのに、あの子はどちらかといえばピンクブロンドに近いんですよね。
どうせなら私も、あんな風に可愛く生まれたかったわ……
っていけない! また卑屈になっていました。
そう、これが今私が悩んでいること。
最近、ロジエルを見るとなんだかすごく自分が惨めな気分になって、すごくイライラとしてしまうのです。
傍へ近寄ったら、うっかり殴りかかってしまいそうな気持ちすら……
幸い、ロジエルは怪我をされた王太子殿下を治療したのがきっかけで殿下に見初められ、ただいま絶賛花嫁修業中。
普段は王宮で暮らしているので、そうそう顔を合わす機会がありません。
合わすとしたら彼女が伯爵家に帰ってきた時。
もしくは今日のように、私が王宮で開かれる夜会に出席する時くらいです。
もし一緒に住んでいたら、私はシンデレラのお義姉さんのようにロジエルを苛め抜いていたことでしょう。
ほら、今もお隣の王太子殿下にしなだれかかって……なんて下品なのっ! 場をわきまえなさいっ!
ってやだ、またきつい言葉が……
「というわけで、ライリー様。どうぞ、私との婚約を破棄してくださいませ」
「……っ! ハキ? 今、婚約破棄って言った?」
「はい。貴方様とお別れになるのは寂しいですが……私のような悪女と結婚しては貴方様の将来に関わります。なのでどうぞ、傷口の浅いうちに……」
私の前で目を見開いていらっしゃるのは、今のところ私の婚約者であるライリー様。
イゼール侯爵家の3男でいらっしゃる彼は、とんでもなく優秀な治癒魔法士。
その能力を見込んだ父にスカウトされるような形で、私と縁談を結ぶことになったのですーーつまりは治癒魔法士の血をより濃くしよう、ということですね。
短く揃えた銀髪に、私でも思いっきり見上げないといけないほどの長身のライリー様。
私より1つ歳下でいらっしゃるのですが、その年齢以上に頼りになるお方です。
「悪女? そういえばさっきも何か言ってたけど……聖女様みたいに優しいエリィが悪女なら、この世には悪魔しかいなくなっちゃわない?」
「ライリー様は私に対する評価が高すぎますわ。実際の私はドロドロとした思いに囚われた罪深い人間。ほら、見て下さいっ! またロジエルったら……」
と、不意に視界に入ったのは、王太子様から何かプレゼントされたらしきロジエル。
お返しなのか飛びつくように頬にキスをしています。なんてはしたないっ!
「ああ……王太子殿下と婚約者殿だね。……あれを見て苛つかない人はあんまりいないと思うけど……? お妃教育も相当遅れていると聞く……」
確かにそんな噂は、私の耳にも入ってきていました。けれども、だからこそ私は、本来ロジエルの味方であるべきはずなのです。けれども……
「ですが……実は少し前から、妹を見る度にイライラしてしまい、殴りかかりたくなるような衝動にかられるのです。あぁ……今だってそう……」
「あ、殴るのはだめだよ? エリィが手を痛めてしまう」
なにやら王太子殿下の耳に唇を近づけ、ひそひそ話をしているらしいロジエル。
そんな姿を見て、またしても私の心は荒れ模様です。
と、そこでライリー様は私を落ち着けるように、そっと手を握って下さいました。
「どう? 落ち着いた?」
「は、はい……ありがとうございます」
どうしてでしょう? 以前からライリー様と手を繋ぐと、とっても心が安らぐ気がします。
私が肩の力を抜いたところで、ライリー様は「さて」と私に笑いかけました。
「まず断言しておくけど、エリィとの婚約を破棄するつもりは微塵もないよ。僕はエリィのことが大好きだし、それにこれは政略的な意味もある。エリィがとんでもない悪女だったとして、誰にも引き裂くことは出来ないんだ。ーーまぁ、エリィが悪女なんてありえないけどね」
「そんな……ライリー様は私に甘すぎますわ……」
きっぱりとおっしゃってくださる彼の言葉で、さらに落ち着きを取り戻していく心。
ところが……ここで新たなピンチが発生しました。
なんと、王太子殿下とロジエルが自ら私達の方へいらっしゃたのです。
そうして2人は、私達の眼の前でピタリと歩みを止めました。
今日もレースとフリルをふんだんに使った、真っ赤で豪奢なドレスを身にまとったロジエル。
大きく空いた胸元では、殿下の瞳の色に合わせたのであろう、大粒のサファイアが光輝いています。
一歩間違えれば下品、派手、と評されそうな装い。けどロジエルには確かによく似合っています。
……あぁ……私だったら確実に派手過ぎ、と一刀両断されそうなデザイン。そんなドレスも似合うロジエルが憎い……
黒い衝動に揺さぶられつつ、なんとか2人の前でゆっくりと礼をとる私。
しかし、そのまさに途中で、急にロジエルが私に向けてピシリと手にしていた扇を突きつけました。
「ねぇ、姉さま! 私達がどうしてここへ来たかお分かり?」
いくら2人の方が身分が上とはいえ、礼を途中で遮るのはマナー違反。
周りの人がどよめいています。
ロジエルは王太子妃どころか、貴族としての振る舞いすら忘れてしまったのでしょうか?
「何を言ってるか分からないわ」
「まあっ! 白々しいと思いませんか殿下? さあ殿下、お話しましたとおり、この悪女を断罪してくださいませ」
私が思わず口ごもると、ロジエルは芝居がかった仕草で嘆いて見せ、そして殿下にしなだれかかります。
もうっ! 本当にこの子は……恥、という概念がないのかしら? いっそ一発張り手でもお見舞いすべき?
段々と早まる鼓動。募る苛立ち。
心を埋め尽くすイライラと戦っている最中、殿下に何やら耳打ちし、そして軽くその唇にキスもするロジエル。
と、一瞬呆けていたような殿下が急にビシリと私達に指先を突きつけました。
「エリザベス・ベルミー伯爵令嬢。王太子の名において、私の可愛いロジィを虐めた君を糾弾するっ!」
瞬間、私達の周りの人達のどよめきがさらに大きくなるのが分かりました。
糾弾? どうして私が? 私は妹の目に余る振る舞いを正そうとしただけなのに……
『ひどいわっ! ロジエル! 私が何をしたというの?』
そんないかにも悪女な台詞が頭に浮かび、私は衝動のままに平手を振りかざします。
と、その瞬間、またしても私の手がギュッとライリー様に握られました。
そして、「駄目だよ?」とばかりに首をふるライリー様。
その真摯な瞳。そして、触れ合った手から伝わる温かさに私の心の中で何かがパリン、と割れる音がしました。
そうです、私は誇り高いベルミー伯爵家の娘です。
私は間違っていました。
可愛い妹に嫉妬して、彼女の幸せを邪魔しようとして……
えぇ、わかっていますわ、ライリー様。
今、私がすべきことは自分の犯した罪を正直に白状し、潔く裁きを承けること。あなたはそうおっしゃりたいのですね。
「分かりました」とばかりにライリー様に向けて一つ頷けば、ライリー様はニコリと微笑みかけてくださいます。
この笑みを失ってしまうのはとっても、とっても悲しいですが、これも私の犯した罪ゆえ……
そして、私は殿下の前にこの身を投げ出しました。
「王太子殿下。謹んで私の罪を告白いたします。ロジエルが帰省する度、お茶の時間にロジエルが嫌いな人参のケーキを焼いていたのは私にございます。朝食にほうれん草のジュースを用意したのも、夕食がトマトづくしだったのも……すべては私の差し金にございます!」
そして、深く深く頭を垂れます。
そうして訪れる沈黙。いつの間にか集まっていた人々も息を飲んでいるのが分かります。
それもそうでしょう。未来の王太子妃に対し、こんな非道な真似をしていたのですから……
永遠にも思われた沈黙。ですが、やがて王太子様はゆっくりと口を開けました。
「顔を上げなさい、エリザベス嬢……」
「はい……」
「その……それが……ロジエルの言っていた『姉さま、ひどいですの!』の中身か……?」
あれっ? なんだか空気が変?
殿下の口ぶりはあんまり糾弾するっ! という感じじゃありませんし、周りの皆さんの視線も生暖かいです。
そしてロジエルはといえば……あれ? 顔を覆ってしゃがみこんでいます。
「ロジィ? 私が思うにエリザベス嬢の言葉に嘘はないと思うのだが……そうなのか」
「えっと……その……考えてみて下さいませ! 私が嫌いと知っている野菜をわざわざ帰省する度に食べさせるっ! それって立派な意地悪ですよね?」
「ま、まぁ……確かにそうだが……王太子妃になれば好き嫌いなど言ってられない場面も多いぞ……?」
「そんなっ! 殿下まで姉さまの味方をされるのですか?」
しゃがみ込んだままキッと殿下を睨むロジエル。そんな彼女にあわてて駆け寄る殿下。
と、そんな2人に大きな影が差しました。ライリー様と……国王陛下です。
「殿下。エリィの可愛らしい意地悪はさておいて……王宮付きの治癒魔法士として進言いたします。ロジエル嬢からは悪い魔法の気配がいたします。改めさせていただいても?」
「な、なんだ? 悪い魔法? 私の婚約者が操られているとでも言うのか?」
「いえ、むしろ反対ですね。さあロジエル嬢!」
そう言ってロジエルの手を取り、有無を言わさず彼女の手袋を取ろうとします。
突然のことに当然、反抗しようとしたロジエルですが、ライリー様の後ろにいる国王陛下にピシリと睨まれて、大人しくなりました。
そうして暴かれるロジエルの白い手。その細い人差し指にはなんとも禍々しい模様が彫られた指輪がはまっています。
それを見た国王陛下は、思わずと言った様子で
「悪魔の指輪……」
と呟きました。
悪魔の指輪、とは数十年前に作られたと言われているいわく付きの魔道具です。
何でも当時の王妃様が、側妃を追い落とすために作らせたととか。
確かその効果は……『特定の相手の自分に対する負の感情を増幅させること』だったはずです。
「エリィはロジエルを見る度にイライラが募ると言ってました。なのに彼女から目を離すと、途端に罪の意識に苛まれ始める。ーーいくらエリィが聖女のような女性だとはいえ変だと思ったのです」
「なぜだっ! ロジエルっ? 大体この指輪は王家の宝物庫で大切に保管してあったはずーー」
「大方、殿下が何気なく口にしてしまわれたのでしょう? ーー宝物庫の管理は殿下の職域ですし。もしかすると……ロジエルを伴われて宝物庫を入られたことも?」
そう言うと王太子殿下は黙り込んでしまわれます。おそらく図星だったのでしょう。
「ですがよく分かりません。どうして王太子妃になる予定のロジエル嬢がこんなことをなさったのでしょうか?」
「だって! 姉さまが悪いのよ! 私だってお妃教育頑張っているのに、いっつも褒められるのは姉さまばっかりーー先生達だって『お姉様のような立派な淑女を目指しなさい』って……だから、姉さまだって完璧じゃないってみんなの前で暴きたくて……」
ワーンと涙目で王太子殿下に募るロジエル。けど、王太子殿下はそんなロジエルを冷たく突き飛ばしました。
「君は馬鹿なのか!? そんな理由で王家の秘宝を盗んで……この恥晒し。ーーこうなっては仕方ない。ロジエル・ベルミー。僕は君との婚約を……」
「こんの大馬鹿者め!」
ロジエルをピシリと指差し、私に対した時以上の剣幕を見せる殿下。しかし彼が決定的な言葉を口にしようとしたところで、ドーンっと雷のような声が後ろから聞こえてきました。ーー国王陛下です。
顔を真っ赤にした陛下は、見るからに激怒していました。
「私はお前がロジエル嬢と婚約したい、といった時忠告したはずじゃ。彼女は妃となるための教育を受け取らんし、性格も妃向きじゃないと。……お前との婚約はロジエル嬢を苦しめるかもしれんと言ったじゃろう?」
「え……と……それは……」
「『私が彼女を支えるので心配入りません!』と自信満々に言ったのはお前じゃろう? それを簡単に破棄しようとは……言語道断じゃ。無論、ロジエル嬢の罪も簡単に許せるものではないぞ」
そう言って殿下とロジエルを交互に見やる陛下。その眼光に当たられたのか、それとも殿下の裏切りがショックだったのか、ロジエルは放心したようにコクコクと頷きました。
「ひとまず2人には謹慎を命じる。お前達、この2人を退出させよ!」
鋭い一声が響くと、さっと護衛を担っていた近衛騎士達がロジエルと殿下を大広間から連れ出します。
2人がいなくなり、陛下が上座へと戻っていったところで、ようやく大広間には落ち着きが戻ってきました。
「頑張ったね、エリィ? でもまさか、自分から断罪されにいくとは思わなかったよ?」
急に体の力が抜けた私を支えて、そして私に微笑みかけてくださるライリー様。
けど、その笑顔は……ちょっぴり怒っているようです。
「え、ライリー様?」
「あんな覚悟を決めた顔で、あの後どうするつもりだったの? まさかやっぱり僕との婚約はやめるつもりだったとか?」
「そ、それはその……だって、ライリー様を罪人の夫にするわけには……」
「甘いねっ」
私が思わず口ごもると、ライリー様は不意に私を抱き寄せ、そしてゾクッとするような笑みを浮かべました。
「私はエリィが聖女でも悪女でも愛せる自信がある。身を引くなんて絶対に許さないからね?」
縛り付けるような視線と甘い言葉に、私はコクコクと何度も頷くしかないのでした。
「ライリー様っ! ロジエルもお待たせ! ケーキが焼き上がりましたよ」
それから半年後。私はライリー様とロジエルと一緒に焼き立ての人参ケーキを囲んでいました。
ーーロジエル曰く『ほうれん草ジュースとトマトづくしは勘弁だけど、人参ケーキは嫌いじゃないかも……』
とのこと。このケーキのおかげか、ロジエルは人参嫌いを少しずつですが克服しつつあります。
そんな訳で人参を混ぜ込み、クリームチーズを混ぜた甘いクリームをたっぷり載せたケーキは、いつの間にか我が家の定番のお茶請けになってました。
ちなみにあの後、結局王太子殿下とロジエルの婚約は破棄となり、ロジエルは伯爵領での奉仕活動を命じられました。
……のですが、ロジエルはもともと私やライリー様と同じく治癒魔法士。殿下に見初められるまでは私と一緒に領内を回っていましたので、実は昔の日常が戻っただけとも言えます。
なんでも、宝物庫の管理を命じられていた殿下のそれがあまりにも杜撰だった上、ロジエルについた教師たちが、かなり厳しくロジエルに当たっていたことも考慮されたのだとか。
なお、王太子殿下はその資質を疑問視され、王太子の立場を一旦剥奪された上で、再教育を受けていらっしゃいます。
「本当にエリィの作るケーキは美味しいね」
「えぇ、本当だわ。あの人参がこんなに美味しくなるなんて嘘みたいっ!」
人参ケーキをニコニコと頬張りつつ、そんなことを言ってくれるライリー様とロジエル。
こんなに美味しそうに食べてもらえたら、作りがいもあります。
「フフフ……嬉しいわ。そうだ! じゃあ……明日はほうれん草でケーキを作りましょうか?」
「え! ……姉さま? ほうれん草……はまだちょっと……」
「でもロジエル? 人参だってそう言いながら食べれるようになったじゃない? それに好き嫌いばっかりだと治療院に来る子供たちに笑われるんでしょう?」
「そ、そうだけど……」
頬を引き攣らせるロジエル。でも、以前みたいにこの場から逃げ出さない、ということは野菜嫌いを直そうという気はあるのでしょう。
決めましたっ! 私、次はとっても美味しいほうれん草のお菓子を作って見せますーー今度は嫌がらせって言われないような……
「ハハハっ、……エリィとロジエルは本当に仲良しだね?」
「ヒィッ……ライリー様?」
「まあ、ライリー様、とっても嬉しいですわ」
私達のやり取りを見てにっこり笑うライリー様を見て、何故か悲鳴を挙げるロジエル。
今日もベルミー伯爵家はとっても平和です。