第1話 またかよ、予言書
ズシャアッ。
朝の井戸端に、水と泥と少年の声が盛大にぶちまけられた。
「……いったぁ……」
地面にひっくり返ったエルは、顔をしかめながら起き上がる。背中まで水浸し、見事に滑って転んだらしい。
頭の上には木桶の残骸。これはもう、予言書案件だ。
「ほら言った。今日も“済”だって」
すぐそばでしゃがみ込んでいたのはセリナだった。彼女は小さな薬箱をぱかりと開きながら、呆れ顔でエルを見下ろしていた。
「見せてごらん、その予言書」
エルは肩をすくめながら、腰のポーチから手帳ほどの本を取り出す。開いたページの下段、そこにはしっかりと書かれていた。
――《足元注意(済)》
「“済”ってなんだよ、“済”って!」
「はいはい、暴れない暴れない」
セリナは手慣れた様子で、薬草をちぎってはエルの擦り傷に貼りつけていく。
「普通さ、予言って“これから”のことを書くんじゃないの?」
「それが普通。うちのなんて、朝起きた瞬間に“朝食、パンを焼くべし”とか“十時に訪問者あり”とか出るし、予言通りに動いてたら一日まるっと無駄がないって評判だよ」
「羨ましいわ。俺のなんて“転んだ後に転んだことが確定する”からな」
「逆にすごいよね。予言ってより“観察記録”だもん。……誰かが、こっそり記録してるみたいでちょっと怖い」
エルはふてくされたように頬を膨らませ、ぺたりとその場に座り込んだ。濡れた服がひんやりして、不快感だけがやけに鮮明だ。
セリナは立ち上がると、予言書のページをひょいと覗き込んだ。
「それにしても、この本……ほんとに変わってるよね。革の装丁も古いし、村の共有盤とも連動してないし」
「古い家系に伝わってるだけあって、クラシックな仕様でな。毎朝の予言が手書き風だったり、天気予報が三日遅れだったりするのが玉に瑕、ってやつだ」
「それ、瑕どころじゃないと思う」
二人の笑い声が、朝の村に小さく響いた。鳥のさえずりより少し遅れて、今日も予言が始まっていく。