1年遅れの幼稚園入園
そこには山折りと谷折りがわからず呆然とする信辛がいた。
信辛は1年遅れで幼稚園に入園した。
年中さんから入ったということである。
その頃はなぜかはわからなかったし年中から入れられたことも理解していなかった。
そういえば近くの同級生は大人の女性が幼稚園だか保育園だかに連れられていっていた。
大人の女性はお母さんだった。
信辛は理由もわからずその友達親子と一緒に園まで補助付き自転車をキコキコ漕いで同行していた。
迷惑だったろうなぁ・・・。
1年遅れの入園は、おばあちゃんの子育てがしんどくなるからか、お金がもったいないからか、そういう理由だったろうに思う。
スタートダッシュの遅れは人見知りな信辛にとって致命的だった。
ほとんど友達もいない中に放り込まれ、知らない歌を歌うよう強制される。
煩い品性のない同級生のガキども。うるさいうるさいなんだこれは。
食べたことのない給食が出てきた。知らない味付けだ。見たことない。なんだこれは。
お遊戯も知らない。なんだこれは。
工作のお時間、ヤマオリタニオリなんだこれは。
お祈りの時間。なんだこれは。
昼寝の時間。家で寝たい。なんだこれは。
なんだこれは。なんだこれは。帰ることも許されない。なんだこれは。
昭和60年くらいの幼稚園は酷かった。
先生が怖かった。
今の幼稚園みたいに明るくないし優しくない。
児童は多くいるし先生は怖い。治安が悪い刑務所みたいだった。
あるボストロールみたいな女の先生は児童に手を出していた。はっきり公言していた。
年長のクラス発表のときにあの先生には当たりたくないと心から願った。
運良く当たらなかったが隣のクラスに当たった。
その瞬間、対象の児童が複数泣き出した。
子供ながらに地獄絵図と感じた。
もちろん優しい先生もいた。
カトリック系だからシスターと呼ばれる60歳近い先生もその一人。
シスターは好きだった。まず怒らないから。
小学生になっても出会ったら声をかけていた。いつもありがとうシスター。
園長先生も好きだった。
ある時、帰り道に園長先生がみんなに握手をしていた。
こちらから見ると左手ばかり出して握手している。
左手が疲れちゃうよ、かわいそうだな。と信辛は左手を出した。
こちらからは園長先生が右手を出して握手してくると思ったからだ。
園長先生は困惑していた。
「信辛君、握手は右手でするんだよ」と言った。
今度は信辛が困惑した。
園長先生が疲れるからと思い左手を出して先生は右手を出す。握手は右手?どこかおかしい?
信辛はまだ幼かった。