妹の代わりに嫁がされましたが、何も文句はございません
「レイラ、お前が代わりに、ウィンザー家に嫁げ」
ある日の夕食後、いつも通り掃除をしていると、突然お父様に呼び出され、そう告げられた。なんの話かもわからない。
ウィンザー家……我が家と長い間確執のあり、お父様の代で表面上の和解を果たした家。そこに、嫁ぐ……?
「本来であればエリーが嫁ぐはずだったのだが……この通り、嫌だと泣くのでな。ウィンザー家に確認すれば、お前でもいいと言う」
そんな話、私は聞いておりませんが……。
お父様は豊かなお髭をさすりながらもう片方の手でエリーの頭を撫でた。エリーはお父様の腰に抱きついたまま、私を見て笑っている。
「……畏まりました」
ようやく一言、絞り出す。
……政略結婚に、好きも嫌いもありません。私は我が家の長女として、役目を果たすまでです。怖くても、なんでも、当主であるお父様の命に従います。
それが、貴族に生まれた者の務めでございます。
長い間、お世話になりました。
「ぼんやりしてないで、早めに荷物をまとめておけ」
「はい」
右手に雑巾を持ったまま自室に戻った。窓際の椅子に座り、曇がかった空を見る。
コルベール伯爵家の長女として生を受け、十九年。ついに、この日がやってきてしまった。
……お父様とお母様も、政略結婚だった。お父様は愛し合ってる人がいると婚約を破棄しようとしたらしく、それを見過ごさなかったお母様を憎んでいた。お母様は、貴族に生まれた責務を果たさないお父様を嫌っていた。
お母様が病気で亡くなった時の、お父様の嬉しそうな顔を、私は一生忘れられないだろう。
「お姉様ぁ、入りますわよ」
突然ドアが開いて、エリーが入ってくる。
お父様はその後、愛し合っていたという人を後妻を迎え入れた。そして生まれたのがエリー、私の腹違いの妹だった。
「相変わらず、みすぼらしい部屋だわぁ」
そうくすくす笑って部屋を見回す。
確かに、私の部屋は殺風景だ。屋敷の角、少々雨漏りのする狭くて暗い部屋。
それでも、この窓から月明かりが差して、私は気に入っていた。
「ほんと、お姉様にぴったり!」
ふわふわのパニエが揺れる。美しく巻かれた金糸を鬱陶しげに払うところまで、まるで歌劇のようだ。
「ああ、可哀想なお姉様。嫁ぎ先がウィンザー家なんて、どうなってしまうのかしら。きっといじめられてしまうのでしょうね」
とろりと甘く、それでいて逃がさない、蜂蜜のような声。
ええ、きっとそうでしょうね。過去には剣を交えたのですもの。きっといい印象はないわ。
「でもお姉様は慣れてるわよね。お母様の折檻に比べればきっと優しいわよ」
エリーが私の顔を掴み、恍惚とした表情で見つめてくる。食われてしまうかと、思った。
お継母様の、折檻。鞭、冷水、外……。覚えがないのに、受けたことがあるような気がして、恐怖で足がすくむ。
「私に感謝して、早く出ていってちょうだいね」
パッと手を離して、嵐のように去っていくエリー。
解放された気がして強張っていた体が緩む。思わず顔に手を当てて、深く息を吸って吐いた。
「ふぅ、恐ろしかっ…………なんだったかしら」
先ほどまで酷く怖い思いをしていたような気がするのに、思い出せない。私はいつから、ここに座っていたのかしら。何か、しなくてはいけなかったような……。
「そうだわ、荷造り、しなくては」
昔から、妙にぼんやりしてしまうことが多い。伯爵令嬢としてしっかりしなければと思うけれど、あまりうまくいかない。
その後、なぜか普段以上にぼんやりしてしまうことが多くて、それでもどうにかいつも通り過ごした。ついに家を出る日、執務室まで挨拶に行くと、お父様は「出戻りなど許さないからな」と仰っただけだった。
「あらお姉様、まだいましたのぉ?」
来てくれたのは昔から良くしてくれた使用人達と、見送りと言っていいのかはわからないけれど、エリーだけだった。
*
「これからよろしくお願いいたします」
「……ああ」
ウィンザー家のお屋敷は、華美な我が家に比べ、伝統的で統一感のある造りだった。
そして、立派な門の前で一人佇んでいた方こそ、現当主のローガン・ウィンザー伯爵。以前社交会で見かけた時からあまり変わっていない。筋骨隆々な体に、雪のような白髪、アメジストのような瞳。美しくも恐ろしい。そんな印象。
「……荷物はそれだけか?」
「はい、そうですが……」
何かおかしかったでしょうか。使用人はつけず、最低限のものを持ってくるように、という話だったのでは……。もしやお父様が伝えていないだけで、結納金があったり……。
「少ないな」
「大変申し訳ございません。私は結納金について何も知らず、手紙を書……」
「待て、何の話だ」
眉間に皺を寄せるウィンザー伯爵。結納金のことでは、ない? では、一体……。
「その、荷物が少ないと仰られたので」
「すでに関連するやり取りは済ませてある。……コルベール家の令嬢は、山のようにドレスを買っているのでは?」
「いえ……それは私の妹のことでございます」
いくら伯爵家とはいえ、王都の有名デザイナーのドレスを二人分も買えるはずもない。お母様譲りの黒髪碧眼、高い身長に長い手足、その上肉付きの悪い私に買い与えるくらいなら……とその分エリーに買い与えているだけ。
「そのボロ切れのようなドレスは、演出じゃなかったのか」
「……ぼ、ボロ切れ」
驚いたように私を頭からつま先まで見る伯爵。ひ、酷い。私の裁縫の腕が良くないのは確かですが……。
「擦り切れている」
腕のパフスリーブをつまむ伯爵。きょ、距離が近いのですが……。
「そ、の布はまだほつれていなかったので、補強していなくて……」
「なぜほつれている前提なんだ」
「元は使用人の方々の古着ですもの」
唖然とした様子の伯爵を見て思い出す。そういえば、普通の令嬢は使用人から古着をもらってドレスを縫ったりしない。そもそもここまで家族から嫌われている令嬢はそうそういない。
ああ、お父様が社交界用のドレスを売ってしまっていなかったら。初対面で顔を顰められてしまった。
「……まあいい」
伯爵はなにかを飲み込んだように口をへの字にして、私のトランクを奪うように持つと足早に屋敷へ向かう。私も急いでついていく。大きな背中だわ、と思った。
*
予想通り、ウィンザー家で歓迎なんてされるわけもなかった。使用人の視線が痛い。先代当主様やその奥様の目線は慣れたものと似ていたからいいけれど。実家は使用人が親切にしてくれていた分まだマシだったのだとつくづく感じる。
「これから末長くよろしくお願いします」
そうスカートを掴み頭を下げた。
これからどんな生活を送ることになるのかと少し恐ろしく思った……のだけれど。
使用人の方に案内された部屋は、どこにも欠陥がなかった。ベッドもクローゼットも何もかも揃っていて、天上にも床にも穴が空いていない。窓からは日光が入ってくるし、カーテンもついている。
「あの、ここは本当に私の部屋ですか?」
「っ何かご不満でも……」
「いいえ、その、本当にこんな素敵な部屋で過ごしていいのかと驚いてしまって」
「はい?」
……その後もおかしかった。夕食の時間には呼ばれ、同じものを食べられた。お風呂に入るときには使用人が手伝ってくれた。
全ては初夜のためかと思えばそれもなく、伯爵様から話しかけられたと思えば……
「……おい」
「はい、なんでしょうか?」
「これを」
渡されたのは……何やらハートやリボンが描かれていて随分とファンシーな、解答欄がたくさんある……。
「プロフィールシートだ」
「ぷろふぃーるしーと?」
「ああ。先日領地の子供と関わる機会があり、もらった」
「子供からもらった……」
その、プロフィールシートというものだった。
子供から貰うなんて意外だわ。勝手ながら、もっと冷たい人かと思っていた。
「俺も書く。明日交換しよう」
「わ……かりました」
ではまた明日、と自室へ向かう伯爵の姿が見えなくなるまで、頭を下げたまま。やがて足音が聞こえなくなってから、すぐに部屋に戻って、羽ペンを取り出した……ものの。
「……わからない」
名前と誕生日しか、埋まっていないプロフィールシートを見て頭を抱える。
趣味「 」
……エリーだったら、お買い物やドレスを集めること、なんて書くでしょうけれど、私にそんなものはなく。朝起きて、掃除をして、朝食を食べて、帳簿を管理して、メイド長と家の管理や人事、采配について話していればお昼になってしまっていて。また掃除をしたり、事務をしていれば夕飯は過ぎてしまっている。
趣味は、掃除でいいかしら。
マイブーム「 」
ぶ、ブーム? エリーは最近よく宝石を集めては自慢しにきていたけれど。私が、していたことといえば……そうだわ、水垢をレモンで落とすのが効率的で……これにしましょう。
好きなもの「 」
……その五文字が、一番私を苦しめた。
「私の好きなものって、なんだったかしら」
どう頭を捻っても出てこない。食べ物は食べられればいいし、動物なんて触れ合う機会もなく、そもそも触れ合おうものならお継母様が酷く怒るだろう。
結局、やっと全ての欄が埋まった時には朝になっていて。好きなものは、太い糸にしておいた。針穴に通ってさえしまえばちぎれづらいのが好きだった。
「おはよう、寝不足か?」
「おはようございます。少々考えごとを……こちらプロフィールです」
朝一番にお渡しすれば、伯爵は渋い顔をした。朝ではなく昼の方が良かったかもしれない。
お叱りを受けると思ったのに、伯爵はただ眉間に皺を寄せただけだった。
「睡眠時間を削ってほしかったわけじゃない」
「……いえ、私が不慣れでこうなってしまっただけで」
「すまない。一緒に書けばよかったな」
一緒に……?
どういう意味か理解できずにいる間に、朝食に呼ばれた。向かおうとする背中を見ていると、「なぜ食堂に行こうとしない」と言われた。何もしていないのに、今日もご飯が食べられた。
「れ、レイラさん。貴女何をしてるの!」
「掃除ですが……」
「伯爵夫人が掃除をするわけないでしょう!?」
その後、まだ信用ならないと仕事をさせてもらえず、とりあえず掃除をしていたところに、奥様の叫び声にも似た何かが聞こえた。
でも、伯爵令嬢であり、家の管理をしていても、実家ではやることになっていて……。
「示しがつきません。暇なら刺繍でもしていなさいな……はぁ、なんでまだいびってもいないのに自分から掃除しているの」
奥様はプリプリ怒って行ってしまわれた。使用人が二、三人やってきて「奥様に言われていたのではなかったのですか!?」とか「嘘でしょう……」なんて言われた。
同じ伯爵家でもここまで違うのね……と驚いた。
*
「レイラ、これを」
「……ノート、ですか?」
「交換日記だ」
嫁いできてもう数週間、いまだに掃除をする機会はなかった。少し手荒れが良くなっている気がする。疎んでいるはずのウィンザー家の方々は、相変わらずよくしてくださっていた。毎日の食事に、引き継ぎや家の仕事についてまで教えていただいて。この間なんて、ドレスを贈ってくださった。
「交換、日記」
「お互い昼間は忙しいだろう。数行でいい。眠ければ、書かなくてもいい。こういった形ですまないが、俺は対話したいと考えている」
またもやファンシーな表紙に「こうかん日記」とかかれた本。真剣な顔。瞳には、困惑した様子の私が映っている。
……知りたい。どうして、あなたは、私をまっすぐ見てくれるのでしょう。
「わ、かりました」
*
プロフィールシートでも薄々感じていたけれど、伯爵は案外、優しい人だった。好きなものがスイーツだったり、ブームが紅茶を淹れることだったり。
『今日は領地を見てきた。村のご婦人がりんごをくれた。料理長に渡したら、アップルパイにすると教えてくれた。明日一緒に食おう』
『伯爵様のご人望故ですね。ご相伴に預からせていただきましたが、大変美味でした』
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『その、伯爵様はやめてくれ。公的文書じゃないんだ。もっとラフな文章でいい』
『申し訳ありません。では、なんとお呼びすればよろしいでしょうか。ご期待に沿えるよう尽力します』
『謝らなくていいし、尽力しなくていい。その方が話しやすかったのなら悪かった。ただ、ローガンと呼んでほしくてだな』
『わかりました。ローガン様と呼ばせていただきます。今日は奥様からウィンザー家の帳簿について教えていただきました。奥様の帳簿は非常に美しく、尊敬しました』
『ありがとう、レイラ。母は細かく金の管理に厳しいからな。領民に厳しく、家族にはもっと厳しい。だが、言っていることはまともなんだ。しかし、泣かされたりでもしたらすぐに言ってくれ。絶対に守る。……俺も怖いが』
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『今日は王都へ用があって向かった。レイラに似合いそうな髪飾りがあって、衝動買いしてしまった。母には内緒で頼む。本当は驚かせたかったが、請求書でバレるよりはいいかと思ってだな……。ただ、どのようなものかは書かない。楽しみに待っていてほしい。今度の王都の祭りでは、君の好きな店が出店するらしい。一緒に行こう。……』
今日の分を読み終えて、ほぅっと息をついた。ローガン様の文字をなぞる。角張っていて、でもどこか丸くて、素敵な文字。
「優しい人……」
なんてお返ししようか頬が緩む。
ローガン様、もうお義母様にバレておりますよ。でも、今更贈り物なんて遅いと逆に怒っていらっしゃいました……なんて。ああでも、今日初めて飲んだお茶が美味しかったことも書きたい。
「ふふっ」
羽ペンにインクをつけた。
*
「レイラ、結婚して欲しい」
「……もう、しているのでは?」
「書類上で、な。俺は、君と本当の意味で夫婦になりたい」
いつのまにか寝室が一緒になって、距離も近くなって。暖炉の前のソファで、私を抱きしめながら、そう仰ったローガン様。
本当の意味で、夫婦……。
「な、なぜ泣く!?」
「……わ、かりません。何も、悲しくないのに」
頬が熱い何かで濡れて、ぼたぼたと落ちて。それをローガン様が優しく拭ってくれる。少しふわふわして寄りかかれば頭を撫でてくれた。
「……限界だったんじゃないか? 一人で仇敵の家に嫁いできたんだ、心細かっただろう」
「っそんなことはありません!」
本当だった。ここに嫁いできてからずっと、夢のような気分だった。だから、なぜ泣いてしまったのか、自分でもわからなかった。ただ、ただ……
「なんだか、酷く、安心して」
「そうか」
「暖かくて、幸せで」
「そうか」
「そう思ったら、止まらなくて。ですが、すぐ、止めますから」
お母様が亡くなったあの日に、涙なんて一生分流し終えてしまったと思っていたのに。泣きなんてしたら、お父様やお継母様に、なんて言われるか……。
「泣いていい。泣いていいんだ、レイラ」
泣いて、いい。ローガン様はそう仰って、背中をさすってくださる。ローガン様が仰るなら、きっと、泣いていいのだろう。
「落ち着いたか?」
「……はい」
泣きながら色々とお話しした。実家での暮らしのこと、初めてウィンザー家に来た日のこと、そして、ローガン様をどれだけ愛しているかについて。どうやら家についてのことはプロフィールシートや普段の行動、交換日記などで察しがついていたらしく、それでも言い出すまではと聞かないでいてくださっていたのだとか。確かに、幸せに気づける前に聞かれていたら、どう答えればいいのかわからなくなっていただろう。
「好待遇で驚いたと言っていたが、これは普通だ。例え好ましくない身の上でも、嫁いできた者に衣食住を与えるのは当然だし、虐げるなんてもってのほかだ」
「……嫌われていたら、その、それ相応の扱いを受けるのが当然だと思っておりましたので」
「当然なんかじゃない。正直、俺は今すぐにでもコルベール家の奴らの首を絞めに行きたい」
怒りを滲ませるローガン様に、泣き疲れたのも吹き飛んで慌てて止める。
「復讐なんてしませんし、望んでいません。せっかく和解しましたのに」
表面上だけでも、政治の安定につながっているのだし、仮にも伯爵家が殺されたら大変なことになる。
それに、別にそこまで恨んではいない。嫌われる理由は理解できていた上に、お継母様の折檻は覚えていない。あのぼーっとしてしまっていた時間がそうなのかもしれないと先ほど思い至ったくらいだ。そのことを話したら、ローガン様は防衛本能として忘れていたのだろうと仰っていましたが。
「しかし……」
「今までずっと、当然のことだと思っていたのです。簡単には、憎めません」
エリーに至っては、生まれた時からいる、母が嫌っている姉なんて複雑だっただろう。両親に好かれたければ、一緒になって嫌うしかない。それでも、あの子はなんだかんだと見送りに来てしまう子だった。
「それに私、何も文句なんてないんです」
幸せな生活よりも大切なものなんて、どこにもないのですから。
*
「さようなら、大嫌いなお姉様。私の目の前から、消えてくれてよかった」
読んで下さりありがとうございました。
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追記 誤字報告ありがとうございます
妹についてのコメントなどをいただいたので、短めの連載で掘り下げることにしました。下のリンクを押すと飛べますので、ブクマして待っていただけると嬉しいです。