ホワイトブレス
早朝の暖かい風を受けて冬が終わった事を感じる。
寒くて着込んでいた上着もそろそろ脱ぐ時期であった。
3月と言う季節は学生にとっては節目の月になったりするのだろうが、既に大人になってしまった自分にとっては特別な月という訳ではなくなってしまっていた。
ただ学生の時に刷り込まれた節目という意識はどうしても拭えず、毎年この月になるとまた一つ大人になってしまったんだなと悲しい気持ちになる。
気持ちが沈む代わりに溜息が浮き上がってくる。
その吐いた息がマスクのせいで掛けている眼鏡を曇らせる。
白くぼやけた世界でふと今年の冬は白い息を吐いただろうかと、全くもってどうでもいい事が頭をよぎる。
勿論、寒ければ勝手に息は白くなるのだろうから、生きている限りは吐いているのだろうが、そう言った自然に出たものというより、もっと自発的なもの。
息を暖かくしてみたり、吐く量を変えてみたりとか、白い息を出す寒い冬ならではのちょっとした遊び。
何気なく小さな頃から大人になった今でも冬になれば遊んでいたと思うのだが、今冬は思い返しても意図的に白い息を吐いて覚えがなかった。
なんだか寂しい気持ちになってしまう。
雪が降ってもテンションが上がらなかった時も、クリスマスや正月が近づくにつれてワクワクしていた感情がなくなったと感じた時も同じような気持ちになったのを覚えている、
子供の頃は童謡のように、雪がコンコン降れば外を駆け回り、あといくつ寝たらクリスマスなのか正月なのかを楽しみに冬を過ごしていた。
今じゃ雪が降れば除雪や通勤が億劫になるだけで、クリスマスも正月もただの仕事が忙しい面倒な時期へと変わってしまった。
寒くて忙しいだけの季節に楽しみなんていつの間にか消えていた。そもそも、冬が楽しいと言う感情は十分にガキであった中学、高校で学生をしていた時から歳が増える程薄れていっていた気がする。
確かあの時も小学生の頃の気持ちを思い返して大人になったと感じていた。その時は寂しいながらもどこか誇らしくもあった。
今となっては、もうどんな感情で待っていたのかハッキリ思い出す事もできない。言葉には出来るが、あの時感じたモノは自分の中にはもう無くなってしまったみたいだった。
誇らしくも何もない。ただ一つ一つ確実に老けて行く事に焦燥感を覚えるだけ。何の感情も動かない代わり映えのない毎日を生きているだけ。
もしかしたら、もっと歳をとればこの焦燥感だってなくなってしまうのだろうか。
数年後、数十年後の自分が今の自分を思い返してあの時は若かったなんて思い返してまた切ない気持ちになって過去を振り返る自分の老けた姿は絶望そのものだった。
ただそれは今の自分も、過去の自分が想像していた絶望そのものの姿をしているだろう。
なんとも情けない気持ちにさせられる。
マスクを顎の方にずらし、また込み上がってきた溜息を吐く。
しかし、白い息が口元から出る事は決してなかった。