第4話 立ち尽くす彼女。僕は……。
「あれ、柊さんじゃないのかな?」
小雨が降る通学路。
少し遅くなった帰宅中に僕は、自動車がひっきりなしに走る夕刻の国道の歩道に立ち止まる柊さんを見た。
彼女は、雨に濡れるのにも関わらず傘も刺さずに、「ある一点」を凝視していた。
「あ!」
彼女の視点の先、そこは片側二車線国道のど真ん中。
自動車が絶え間なく走る道路上。
見える範囲には信号も横断歩道も無い。
自動車は時折、柊さんの視線の先を避けるように動く。
そんな路上に、小さな、とても小さな茶色いものが横たわっていた。
「どうしたら、あの子を……。わ、わたし、足が動かない……」
柊さんは視点をずっと動かさず、雨に濡れながら立ち尽くす。
どうすれば助けられるのか、それを呟く。
「ふぅ」
僕は勇気を出すために大きく深呼吸をして、彼女の元まで歩いた。
そして声を掛ける。
「柊さん、ちょっと僕の荷物と傘を見ててくれない?」
「え!? 植杉くん? ど、どうして??」
「あの子を助けたいんでしょ?」
「……うん!」
雨だけでなく涙に濡れた顔。
僕は彼女の涙を見て、いてもたってもいられなくなった。
「で、でも危ないの。あんなにひっきりなしに自動車が……」
「まあ、僕に任せてよ。よーし!」
僕は爺ちゃんに教わった「技」を思い出す。
「合気道ってのは、相手の重心と動き。科学的にいえばベクトルってのを支配する武道さ。マモルは、俺譲りの良い眼をしてる。お前なら、俺が極めた奥義を授けられるぜ」
僕は眼を閉じ、集中をする。
そして眼を大きく見開き、自動車の動きを見た。
視界の中で自動車の速度と動き、運転者の視線、俗にいうベクトルが見える。
視界内で動く自動車のベクトルが、僕の頭に飛び込む。
僕は、その全てを見切った。
「今!」
僕は自動車の動きの合間、遠くの信号で出来ただろう隙間を利用して路上に出た。
そして道路のど真ん中に立ち止まり、小さな塊を拾う。
「あ! これじゃ……」
僕は拾った子の状態に一瞬躊躇するも、小さなものを大事に抱え、再び出来た自動車の隙間から歩道に帰った。
「植杉くん! 危なかったのに、ありがとう。その子は……」
「ごめん……。手遅れだったよ」
僕の中には、冷たくなってしまった子猫が居た。
轢死してしまった小さな命。
ただ、まだ形は残っていて顔は無傷だった。
「ご、ごめんね。も、もっと、わたしが早く見つけていたら。わたしが立ち止まらずに早く助けに行ってたら……。ごめんなさい、ごめんなさい」
子猫の遺体を優しく撫でながら、大粒の涙をこぼす柊さん。
僕は彼女を慰める言葉が出ず、しばらく彼女が泣くのを見ているしかなかった。
「植杉くん、危険な事をさせてごめんなさい。この子を助けてくれてありがとう」
しばらく静かに泣いていた彼女。
顔を上げ、まだ涙がこぼれながらも僕に精一杯の笑顔で感謝してくれた柊さん。
僕は、その顔を見て心臓がドクンと大きく鼓動したのを感じた。
「い、いや。僕が出来る事なら何でもするよ。そういえば、その子はどうするの?」
「何処かに葬ってあげたいけれど……」
柊さんは、制服が汚れるにも関わらず、大事そうに息絶えた子猫を抱えて途方に暮れている。
僕は、道路上で事故死した小動物の対応をスマホで調べみた。
「国道だから、国土交通省の管轄みたいだね。連絡したら葬ってくれると思うよ。でも、この子。多分、地域猫じゃないかと思うんだ」
僕は子猫の身体を観察した。
「やっぱり! 耳が三角にカットされてるよね。それに男の子だけど、陰嚢が小さい。避妊処理されてるから人間の管理下にあった子だよ。首輪は無いし外猫だから、多分『地域猫』だと思う」
「そ、そうなの? 地域猫って?」
僕は柊さんに地域猫の事を説明した。
野良猫が増えて悲劇が起こるのを阻止するために、避妊処理をして地域で猫の面倒を見るシステム。
飼い猫になる場合も多いが、室内飼いに対応できず野外生活をする猫でも、餌や病気の心配ない一生を過ごせる。
「今調べたら、この近くの公園で地域猫を面倒見ているボランティア団体があるから、そこで聞いてみようよ。この子も知っている人に弔って貰った方が良いし」
「うん。……ありがとう、植杉くん。朝の改札も助けてくれているのに、今度も助けてくれて。どうして、いつも植杉くんはわたしを助けてくれるの?」
「あ、ぼ、ぼ、僕、柊さんの笑顔が好きだから、は、はは! あ、コンビニで氷と袋買ってくるね。このまま運ぶ訳にもいかないし」
僕は柊さんの顔を直視できず、近くのコンビニまで走った。
……何言ってんだか、僕。
◆ ◇ ◆ ◇
「この公園らしいね。あ、ちょうど猫に餌を上げているおばさんがいるよ。聞いてみよ?」
「……うん」
まだ涙をこぼして大事そうに子猫を抱く柊さんを放置できずに、僕は地域猫の面倒を見ているボランティア団体の活動場所である公園まで一緒に来た。
「すいません。こちらで地域猫の面倒を見られていらっしゃる方ですか?」
「はい、そうですが。坊やにお嬢さん、どうかしましたか?」
雨避けに屋根のある場所で猫達に餌をやっている上品そうなおばさんに、僕は話しかけてみた。
「実は、少し向こう側の国道で車に轢かれた子猫を見つけました。残念な事に既に亡くなっていたのですが、地域猫らしいのでもしやご存じないかと思い、ご遺体をお連れしました」
僕は丁寧におばさんに話し、柊さんが抱いている氷入りの袋から子猫の顔を出した。
「あ! チビちゃん! あぁぁ。どうして、こんな事に……」
おばさんは子猫を抱きしめ、大粒の涙をこぼした。
そして柊さんと一緒に大泣きをした。
僕も、もらい泣きをした。
「どうもご親切にありがとうございました。この子、飼い猫になるのを嫌がっていたんです。餌を食べには来てましたが、抱こうとしたら逃げてしまって……。本当に可哀そうな子」
おばさんは、柊さんから貰って大事そうに子猫の顔を撫でる。
「それでは失礼します」
「チビちゃんを宜しくお願い致しますわ」
「ぼっちゃん、お嬢ちゃん。ありがとう」
僕たちは、ボランティアのおばちゃんに見送られながら帰路に就いた。
「あの子も知っている人に弔ってもらえて良かったね。勝手に僕たちが葬ってたら、おばさんは何も知らないままだったし」
「うん……」
まだ落ち込んだ様子の柊さん。
僕は、彼女に掛ける言葉が見つからなかった。
「この国じゃ、子猫も弔ってもらえるのね。あの子にはお墓も作れなかったのに……」
ぽつりと柊さんが呟いた言葉、僕はその「意味」に大分後まで気が付かなかった。