第30話 生徒会長選挙
イロハとアヤノは3連休中、カリンの喫茶店に集まり、キズナに言われた、19日火曜日の生徒会長選挙演説のための案を練った。
カリンや花子も、傍らで二人の演説にアドバイスをしたり、練習を聞いたりした。
部活終わりのカエデやマキもやってきては、演説の練習に付き合ってくれた。
こうしたみんなの行為は、何よりもありがたい。
本田さんも、事情を汲んでくれて、イロハはアルバイトのお休みをもらった。
イロハとアヤノの大まかな戦略は、
①文化系の部活にも学校や生徒会との交渉団体を作ってもらう
②予算配分を徹底的に見直し、不平不満のでないようにする
の二点である。
「でも、やっぱり説明ともなると、難しいですね」
「そうだね。でも、やるしかないよ」
練習でノドは枯れる。
ノド飴は必須になった。
19日になった。
先週ユーロドルはパリティ割れを演じたのを機に、上昇に転じている。
ドル円も、139円をつけたのを機に、下落が始まっている。
「ボラは出ていますけど、今は生徒会長選挙ですね」
「うん、ちょっと残念だけど、そっちに集中しよう」
放課後になる。
体育館には、ユニフォームを着た運動部と、文化系の部活の人たちが集まってくれていた。
「諸君、今日集まってもらったのはほかでもない。ここにいる、橘アヤノくん、楠木イロハくんたちによる、生徒会長選挙の演説を聞くためだ。彼女たちは、上下高校の部活を改革したいと言っている。ぜひとも、聞いてみようじゃないか!」
キズナの声は、よくとおる。さすが、応援団長だ。
イロハは、アヤノとともに体育館正面のステージへと上がる。
部活動に入っている生徒は多い。
気おされてしまいそうだ。
「みなさん、聞いてください!」
アヤノは演説をはじめた……。
体育館には、イロハとアヤノと、数少ない支援者が残された。
支援者といっても、いわゆる身内だ。
「アヤノちゃん、元気出して」
「そうだぞアヤノ。まったく、みんな分かってないぜ!」
カエデとマキが声をかける。
「そう、まだ負けるって決まったわけじゃないんだし、ここから追い上げよう!」
「そうじゃ。選挙は最後まで、何が起こるか分からぬからの」
カリンと花子もはげます。
しかし、声は、がらんどうになった体育館にむなしく響くだけだった。
イロハとアヤノは、頑張って演説した。
しかし、運動部連合の反応は鈍かった。
公平に配分する、という説明は、多額の予算をもらっている部活にとっては不利になる。それに、予算の少ない部活も、根拠となる資料を作成する手間があれば、当然部活の練習に精を出したいという意見だった。
文化系の部活もそうで、交渉団体を作るなど、理想論を押し付けないでほしい。自分たちは自分たちなりに楽しんで部活をしているだけだ、というものだった。
最後には、運動部からも文化部からも、今の生徒会に対する不満が噴出して、それがまったく関係のないイロハとアヤノに刃先を向けてきた。
収拾がつかなくなり、イロハもアヤノもステージの上であっけにとられていた。
「――静まれ!!」
キズナが、収拾のつかなくなった体育館の声を止めた。
「――これが総意だ。悪く思わないでくれ。我々は、きちんと演説を聞いた」
キズナは、それだけ言って、部活動をしている人たちに帰るようにうながし、自分もまた、どこかへ去っていった。
「結局、部活の連中は、改革なんて求めちゃいねーんだよな。いや、それよりも、何も行動したくねーんだよ。まったく、どこかの国の首相みたいだぜ!」
マキは文句を言っている。
「いいえ、マキ先輩ありがとうございます。でも、わたし、これが現実なんだって痛感しました。理想論ばかり言っても、人はついてこないんだなって。完敗です……」
「ア、アヤノ、諦めるのかよ!」
「演説は最後まで続けます。精一杯、気持ちをぶつけます。あの、だから……。みなさんも、せめて応援してください……」
アヤノはイロハに目配せした。
「じ、じゃあ、わたしとアヤノ先輩はチラシ配りしますね。みなさん、お疲れさまでした」
イロハはアヤノの気持ちを敏感に感じ取って、その場からアヤノとともに立ち去った。
「イロハちゃん、ごめんね。怖かったでしょ?」
「えーと、はい、少し、怖かったです」
「完敗、だね。わたしたち……」
「アヤノ先輩!」
「ここから、逆転は、無理だよ。だけで、一矢報いるくらいの気持ちで、週末まで、頑張ろう。最後まで、付き合ってくれる?」
「はい、もちろんですけれど……」
アヤノは笑顔を向けてくれているが、どこか引きつっている。
イロハも、心の中で、今回の選挙は負けた、と思った。
それから、イロハとアヤノの演説には、人がまったくこなくなった。
一方の、スズメとシホの演説には、多くの人が集まっている。
それはそうだ。今をときめくアイドル歌手を、こんなに近くで見ることができるのだ。
さらに、上下高校のために一肌脱ぐと言っている。
校則では、選挙には教員が関わってはいけないことになっている。
しかし、そんな校則は誰も知らない。
スズメたちの演説の最中は、校長や大孫先生をはじめ、数人の先生たちが準備を手伝っている。
誰の目から見ても、次の生徒会長はスズメになることが分かった。
さすがに、新聞部は、教員がスズメたちを手伝っている、という記事を書いたが、そんなものを気にする人はほとんどいなかった。
「なんか、わたし、ドル円みたいだね」
ふとアヤノが言った。
「大孫先生を殴って、はからずも人気が出たじゃない? でも、ドル円の急落みたいに、わたしの人気も大暴落だね」
そういうアヤノの横顔はさみしそうだった。
ドル円は、先週139円をつけた。
140円台突入も時間の問題などとささやかれた。
しかし、140円をつけることはなく、大きく下落してきている。
アヤノは、自分をそんな状態に例えているのだろう。
打つ手のないまま、21日木曜日、投開票の前日の選挙活動も終わった。
アヤノは、明日の準備を少しするからと、学校に残った。
イロハも手伝うと申し出たが、ゆっくりと休んで、と断られてしまったので、帰ることにした。
校舎の玄関で上履きから外履きにはきかえる。
校舎を出たところで、スズメが2年生の下駄箱入れの方から歩いてきた。
ばったりはちあわせた。
「イロハちゃん、だよね?」
「スズメ、先輩……」
なんだか、イロハは気まずくなる。
しかし、
「びっくりだよ! イロハちゃんが橘さんと生徒会選挙に出ているなんて! イロハちゃん、橘さんに騙されていない?」
そういわれると、先ほどの気まずさは吹き飛んで、むっとした。
「スズメ先輩、上下高校に来たばかりなのに、何が分かるんですか?」
「うん? 何も分からないよ?」
「えっ!?」
イロハは、突然のスズメの言葉に驚いた。
「何も分からないって?」
「うん、だって、そうじゃん。上下高校には、橘さんって悪い生徒がいて、生徒会長になろうとしているって言われたんだ。なぜだか生徒からの人気もあって困っているから止めてくれ。それを止めたら、成績優秀ってことで、飛び級ということにしてくれるって言われたんだもの。高校にとっても、わたしにとっても、よい話ってわけだよ」
「よい話って……。それ、スズメ先輩の勝手な考えじゃないですか!」
「そうだよ」
「えっ!?」
イロハは、また驚いた。素直にイロハの言ったことを肯定したからだ。
「わたし、これでも、普通の人以上に、社会の経験積んでいるんだよ。社会に出たら、保身に走らないといけない。人のため、なんて言っていられないんだ。だってそうでしょ。他人と自分、どっちが大切かって言われたら、自分の方が大切でしょ?」
「そ、それは……」
「それに、わたしも、仮にも生徒会長になるんだもの。上下高校の生徒には損はさせないつもりだよ」
「それって……」
「公約に掲げている月1度のライブはやるつもりだよ」
「ライブはやるつもりって、生徒会長になると、忙しいんですよ。そもそも、芸能活動との両立はできるんですか?」
「それは、シホちゃんにやってもらうよ」
「えっ!?」
イロハは三度驚いた。
「高校とも話し合ってね。わたしは生徒会長という肩書だけでいいって。シホさんはこれまで生徒会の書記としての実績があるから、会長としての仕事はよく分かっているって。だから、シホさんに任せてしまっても十分だってね」
「そ……そんな」
「わたしが生徒会長をやっているって宣伝するだけで、高校にとっては、大きな宣伝効果だよ。来年は、生徒がたくさん集まるよ。成績優秀な子を取り放題だ!」
「スズメ先輩っ!!」
イロハは、大声を出してしまった。
「スズメ先輩って、そんなにひどい人だって、知りませんでした! わたし、キラキラスパロウの大ファンだったのに……」
「ねえ、イロハちゃん……」
急に、スズメの声色がかわった。
ふと、スズメの顔を見ると、イロハを睨んでいる。
「トップになるためにはね、正攻法じゃダメなんだよ。実力があっても、トップどころか、スタートラインにも立てない人はたくさんいるんだ。イロハちゃんも、現実を見なよ」
「で、でも……」
「投資でも、インサイダーってあるでしょ? 法律違反だけれど、結局それで儲けているような人もいるわけじゃん」
「でも、最後には悪は裁かれます!」
「本当にそう思う?」
イロハはギクリとした。
そうだ。イロハの両親は国会議員の息子によって殺された。
しかし、警察はそのことをやんわりおさめようとしているし、学校からも圧力をかけられてきている。
「なんだか、思い当たる節があるようだね。そういうことさ。この前の出口調査の時だって、わたしが止めないと、イロハちゃん、あの変な男の人に怒鳴られ続けて、スカートの中まで撮られていたわけじゃん」
「…………」
「まあ、あの男は捕まったわけだけど。でも、得をするためには、多少ルールを破ることは、必要じゃないかなって、わたしは思うんだ。もちろん、バレないようにね」
イロハは、もう何も言い返せなかった。
「じゃあ、わたしは行くね。明日の選挙の結果を楽しみにしているよ」
イロハは、こんなことは違う、間違っている、と言いたかった。
でも、スズメが去っていく後姿を目で追いかけることしかできなかった。
22日、生徒には白票が配られた。
都合のよい時間に、選挙管理委員会室で票を投じる。
イロハは朝一番に、「橘アヤノ」と書いて、投票箱に票を投じた。
クラスでは、
「わたし、橘先輩に入れたからね!」
「キラキラスパロウちゃんは大好きだけど、まだ上下高校にきたばかりだし、やっぱり橘先輩だよね!」
そういってくれるのはありがたかった。
でも、結果は、もうみんな、薄々分かっていた。
放課後、イロハとアヤノは選挙管理委員会で、開票の様子を見守った。
対立候補のスズメはいない。
シホだけが立ち会っている。
「スズメちゃん、今日から週末を利用して沖縄でグラビア撮影らしいよ~。ちんすこうとサーターアンダギー買ってきてくれるって~」
聞いてもいないのにシホが言う。
イロハは、むっとした。
(スズメ先輩、やっぱり、自覚が足りない。でも……)
開票されていく票は、圧倒的に「吉良スズメ」の名前が多い。
アヤノの名前の書いてある票は、柿の種のピーナッツのような具合に混ざっている程度だろうか……。
結果が出た。
ピーナッツどころではなかった。
「橘さんは、残念ながら落選です。全体の1割にようやくとどいた程度でした……。お疲れさまでした」
シホはスズメにメールを送っている。
それを横目に、イロハとアヤノは立ちすくんでいた。
イロハは、落選したら、悲しいのかな、と思っていたが、そんな気持ちは一つもなかった。
ふとアヤノを見ると、アヤノも同様のようだ。
ただ、怒りに近いような感情が沸き上がっていた。




