守護天使①-1-3
唐突に出てきた耳慣れない言葉に意表を突かれた。
天使。天使とは、あの天使か。宗教につきものの。
ということは、彼らが着ているのは学生服ではなく宗教団体の正装なのか? 彼らは信徒?
いやしかし進級と言っていっていた。ならば守護天使とは、神学などの学問上の言葉、もしくは比喩的表現のたぐいか。
教師と思われる彼の言葉を思い返すに、少女が学問上の課題において成果を上げたから進級が確定した、という文脈に私には思えた。
そういう話ならば理解できる。けれど、少女の言い分を思い返せば天使が言葉のままの、宗教などで用いられる天使という意味を指しているようにも思えた。
だがそうだとすれば、果たしてそれは会話として成立しうるのか。彼彼女らの話は噛み合っていないように思えるが。
いや、理解できないのはそれだけじゃない。管理者の在りようについても同様だ。
――この中年男性の、あの視線はなんだ?
守護天使と言った時に、中年男性がこちらに向けた視線。
人間を見るというよりは物を見るような眼をしていた。
まるで私がその守護天使なる存在として見られたかのような。
「それにだリモージュ君。彼は見た目こそ……確かに村人のようだ。だが召喚に応え現れたのだ。ただの村人と言い切れないのではないかな? 君の術式がめちゃくちゃではなく、きちんとしたものであったならば、人型の守護天使は最低でも第七位階以上と思われるよ。まぁ、私はそんな実例を知らないが」
「そんな……」
「判ったら、儀式を完了させなさい」
「え、彼と……ですか?」
「彼か。そうだな、まぁこの見た目ならそう思わなくはない。だがもう一度言うが、それは守護天使だ。村人ではない、そうだろう? 華族の娘が村人を相手にしたのでは問題もあるだろうがそうではない。そうだね? ならば早く契約したまえ」
その言葉にがっくりと肩を落とす少女。
外野から下卑た歓声が湧き上がる。中年男性の顔から視線を落とした少女は困惑し、恐る恐る、チラチラと何度もこちらに視線を投げた。
――なんだ、この流れは。
周りの雰囲気が変わったように思えた。空気が変わった、というやつだ。
「ねえ」
あれやこれや思考を巡らせていた私の前に少女がおもむろに立つ。
彼女は嘲笑する外野の子供ら――流れから級友なのだろうと察する――をきつい目で一度睨みつけ黙らせると、何かを決意するように息を吐き、再び視線を私へと戻した。
そうした彼女の瞳には、先ほどまでとは明らかに違う、強い意思が宿っているように私には思えた。
「――っ?!」
何をする気なのか、そう私が身構えた時である。
「あなた、本当に守護天使よね? 違ったら、許さないから」
彼女がそういった直後から、変化は始まった。
彼女のまとう空気が変わる。私を気がつくと、息を飲んでいた。
肌が泡立つ。少女とは思えない雰囲気を身にまとった目の前に立つ何かに私の思考は飛ばされた。
この私が。宇宙最強のこの私が。こんな小さく華奢な少女一人に気圧されているとでもいうのか。
だが信じられないことに、我が体は確かに金縛りにあっていて、即座に動くことができなかった。
声が出せない。
息ができない。
指一本動かせない。
久しく感じたことのない生物としての生存本能が、私に動くなと告げている。
身の自由を縛っているそんな私に向けて、少女は手に持った小さな木の棒を振るい、厳かに告げた。
『〈――天の六芒に奉る。
我が祖霊は我が四囲に炎あげたり。
我が宿星は我が身に宿りて光を燈さん。
原初の五芒より来たれ大いなる王神よ。
我、アンジェリカ=リモージュは、御名の元に守護天使との契約をここに結ばん。
神の扉よ、彼の者に御下りて、我に力与えん――〉』
どういう仕掛けか。
歪に反響するその言葉は明らかに帝国語ではなかったにも関わらず、私にはその意味が理解できた。
謎の言霊は得体のしれない力を伴って辺りに不可視の波を作る。
スラスラと読み上げられた口上は、木の棒の動きとあいまってよく出来た如何にもな儀式感を演出していた。
どうすることも出来ず、その情景を眺めることを強いられることしばし。やがて私の体と少女の体の周りにうっすらとした淡い青い光が現れ――。その時、私は自身の体に起こった異変に気がついた。
――ッ?! 体が、【理力】が働かない?!
何の前触れもなく、常時私の体を保護しているナノマシンによる力場が消失した。
――なんだ! 何をしたっ?!
ジュダスの騎士の種族特性の一端を打ち消すなど驚天動地の大事件だ。あまりの事態に私の思考は混乱を極め硬直する。
そんな中、激しく狼狽する私をよそに少女は淡々と詠唱し、それを終える。
木のさし棒を左手に持ち替えて、彼女はそっとその右手を私の両目にかかるように置き――
次の瞬間――私の唇に柔らかい何かが触れた。
――? ……――ッ!?
どうやら私は、一方的に少女にキスをされたようだ。