第七話 キノウエの攻防
「全く・・・なんて日だ!」
思い返してみてあらためて思う、本当に酷い1日であると。
今日という日は早朝の罠の確認から始まった。取れ高は上々で、掛かった獲物を回収した俺達は、お昼過ぎには群れの拠点である洞穴へと戻る事が出来た。ここまでは問題ない、酷いのはここからだ。
洞穴に戻った少し後、人族の討伐隊による強襲を受けた。それは群れの別グループが人族の村の家畜を奪い、人間の女の子を攫ってきた事への報復であった。
群れは壊滅。ボスをはじめ群れの殆どが討伐されてしまい、生き残ったのは俺とゴブリナの2体だけだった。
逃走の過程で追い詰められた俺は谷底へと落とされてしまう。落ちた先は谷川。水深が深く九死に一生を得た俺は、下流へと流されて行った。
河原へと流れ着き意識を取り戻した俺は、住処と食料を求めて見知らぬ森へと足を踏み入れた。しかしその森で俺を待ち受けていたのは狼、その森を縄張りとする魔狼の群れであった。
散々に追いかけ回され、大樹の上へと逃れた俺の前に新たな難敵が現れた。魔狼の群れのボス。それは、木には登れぬ他の魔狼達と違い驚異的な跳躍力で自在に樹上を駆け回る存在で、他とは異なる体格と毛並みを持った大狼であった。
大狼は圧倒的な戦闘力で俺を攻め立て追い詰めていった。いや、いる。
そう、俺は現在進行形で追い詰められているのだ。
身体は既にボロボロ。辛うじて枝にしがみついている俺を殺そうと大狼は今も急降下してきている最中である。こんな回想なんてしてる場合じゃない。
(では状況はどのくらい逼迫しているのか? それを説明している時間はない。なので第一話を読み返してみて欲しい、そうすれば一目瞭然だからさ)
傷だらけの身体に鞭打って枝の上に立ち上がり、頭上より迫る大狼を見上げ
「ちっ、少しくらい休ませろってんだよ犬っころめ」
徐に近くに実っていた木の実を上へと蹴り飛ばす、サッカーボール大のその実は正確に大狼に向かって飛んでいった。
「元サッカー部を舐めんなよ、こら」
大狼はその実をウザったそうに着弾寸前に弾き落とす。俺はその隙に他の枝へと移動し身を隠す。
一瞬ではあるが木の実に視界を塞がれた大狼は俺をロスト。さっきまで俺がいた枝の上へとそのまま着地した。
「駄目か、やっぱバレてるよな、はぁ、はぁ」
俺の姿を見失った大狼ではあったが、それは僅かな時間を稼げただけの事、狼自慢の嗅覚で直ぐに再びロックオン。幹の後ろに隠れている俺に向かって攻撃体勢を整えていた。
ブオウン
なにを思ったのか大狼はその場で前脚を一振り。
「な、う、嘘でしょ〜〜」
届く筈のない前脚の爪が空を切る。切られた空間に現れたのは緑に光る魔法陣。空間を切り裂いた爪の斬撃が再び魔法陣より顕現し、その勢いを延長する。
飛ぶ斬撃。おそらくは風の魔法だ。
スパァン!
目の前の視界が開ける。宙を舞う爪斬撃が俺が隠れた木の幹を斬り倒し、俺と大狼との間を妨げる障害物を排除したのだ。
「狼のくせに魔法まで使えるって反則だろ、減点1だ減点1!」
ズパパパッスパァン!
大狼が複数の爪斬撃を飛ばす。周囲の幹や大枝が切断され、乱雑に存在していた足場や障害物は綺麗さっぱり除去された。
「絶対に逃がさない」という大狼の明確な意思表示だ。
「そろそろ、はぁ、本格的にヤバイな、これ。…はぁ、はぁ」
疲労で息が切れかけてきた上に出血で目も霞む。もう長くは持ちそうにない。逃げ場もなくし最悪の状況だ。
俺は傷つき包帯代わりにボロ布を巻いた左腕に目を落とし、その傷を右腕でそっと撫でた。
「覚悟決めるしかねえな、くそ!」
俺が致命傷だけはなんとか避ける事が出来ていたのは、四足獣で木々を足場に跳ね回るしかない大狼に対し、二足歩行故に器用な使い方の出来る両手足を活かして、小回りを効かせる事が出来ていたおかげだった。だが今は、掴まれる枝は除去されその利点はなくなってしまった。
無防備な状況での大狼との正面から対峙。最早覚悟を決めるしか道はない。
最後の勝負。今日、何度目かの大博打だ。
「来い! ワンコロ!」
ガアァァァァーー!
大狼が枝を蹴る。咆哮をあげ、真っ直ぐに突っ込んで来た。
「まだだ、まだ」
俺は動かずに迎え撃つ。大狼との距離が急速に縮まっていく。
「ここだ!」
充分に引きつけてからの飛び出し。大狼と小鬼が正面から激突する。
ガツッ!
大狼が振るう右前脚を左腕で受ける。何度かの攻防で予想出来ていた右前脚の攻撃だが、小鬼の細腕では大狼の豪腕は止め切れない。
「ちぃっ!」
が、それは予想出来ていた事だ、左腕は腕だけでなく肩までをも既に諦めていた。前に出た勢いで肩から突っ込む。
ザクッ
爪が肩に深く食い込む、が、構わずに押す。捨てた腕は自らの突進で更に深く切り裂かれるが、それでも押すことを止めるわけにはいかない。
体全体の力が大狼の右前脚へとかかり強引にそれを払い除ける。更に踏み込む。と、同時に大狼の牙が迫る。
大狼の牙が自身へと迫る距離、その距離は俺の突進が大狼の懐まで到達したという証でもある。
ガツッ!
大狼の口に左肘を自ら叩き込む。牙が食い込み、激痛が襲う、が、大狼の喉奥まで届かせる勢いで肘を押し込む。
引き抜こうとすれば肘は一瞬で食いちぎられるだろう。ならば押す、押し込むしかない。それこそが捨てた左腕の最後の使い道だ。
それでも小鬼の力は大狼には敵わない。だが、それも予想は出来ていた事。問題ない。元々大狼と小鬼が正面から激突すれば大狼が勝つと決まっているのだ。
俺の体が大狼の体に覆われ、後方へと飛ばされ始める。そのタイミングを狙いあえて踏ん張っていた下半身の力を抜く。肘を押す力は緩めずに下半身の力だけを。
ドン!
大狼の突進力も利用しつつ、体勢を入れ替える。大狼もろとも体を半回転させた結果、大狼は自らの突進力で俺諸とも遥か後方まで吹き飛び、俺の後方にあった大樹に背中を激しく打ちつけた。
その口は俺の肘に塞がれたまま、俺は更に肘を押し込み大狼の顎を強引に押し上げる。
俺が左腕を犠牲にして得たものは、大狼の懐深くに密着したこの状況。狙いは腹。剥き出しとなっている柔らかい腹だ。
「死ねぇ!」
右手に持つミスリルナイフをその腹へと突き込む。
勝った! ズタボロにされてしまったけど最後は俺の勝ちだ!
ガツッ!
「へっ? な、なんで、どうしてだ?」
右手に握っていたナイフがない。蹴り飛ばされたのだ。だが、どうして? どうやって?
後脚で蹴り飛ばされたのだ、それはわかる、だが何故蹴れた? 大狼の顎は上がっていて、自分の懐は見えていないのだ。
考えられるのは勘、野生の勘だけだ。それ以外の理由なんて考えられない。
「そんなんアリかよ、チクショー」
届かなかった。切り札を失ってはもう成す術がない。
程なく左肘は噛みちぎられ、次いで俺の全ては食い散らかされてしまうだろう。
「クソッ! チクショー! クソ、クソ、クソがぁっ!」
ドン、ドン、ドン!
足場としていた枝を踏みつける、地団駄を踏むように、何度も、何度も。それは八つ当たりに近い行為だったが、一つだけ考えがあっての行動でもある。
「こうなりゃ道連れだ! 一緒に来い!」
バキバキ、バギィ!
枝が折れた。足場を無くし、俺と大狼は地面へと落ちていく。そこに待つのは多数の狼達だ。だがもう関係ない。どうせ死ぬんだ! 関係なんかあるわけねえ!
地面に落ちれば狼達が群がってくる、が、ともに落ちている大狼を地面に叩きつければ、ダメージを負わせる事が出来る。
たとえ成功したとしても俺は死ぬだろう、ただの意地、最後の抵抗だ!
大狼の後頭部を右手で押さえ、噛まれている左肘を更に奥へと押し込む。千切れる寸前の左肘から脳へと送られる痛みという名の電気信号は既に薄れ、感覚が微弱になってきている。
そうしておいて、大狼の体が下になるように身体を捻る、が、大狼もされるがままな訳がない。抵抗し、俺を振り払おうと暴れまくる。
結果、小鬼と大狼はもつれ合い、回転しながら地面へと落下していった。
次回の投稿は5日の予定です。