第五話 ホラアナ脱出作戦
ドッゴオオォォーーン!
「なんだぁ?」
爆発音が鳴り響き洞穴全体が大きく揺れた。地震か? 地震で洞穴が一部崩壊したのか?
「ナニ、ナンガオキタダ?」
「イダー、コシサウッタダ」
俺が大人の階段を登る世紀の一瞬を後ろから覗き込んでいたゴブリン達が、立ってはいられずにその場に倒れた。地面は未だ細かく振動している。
ドガアアァァーン、ガシャアァン
「ピギャアァァ」
「ウッギャアー」
再びの轟音。断続的に炸裂音が響き、それと一緒にゴブリン達の悲鳴も耳へと流れてくる。その発生源は洞穴の入口の方。
「●☆→○◇●・・◆☆○」
「□◎▲▽・☆→★○◎」
続いて耳に飛び込んで来たものは、これは言語? ゴブリンの発したものじゃない、これは言語なのか?
「ま、まさか人間か?」
その聴き慣れない言語は、何事かを大声で発しながらどんどんと音量を上げていく。ヤバイ、こりゃマジでヤバみだ。
俺は咄嗟に周囲に散らばった布地を拾い集め、少女の身体に掛けていく。別に少女の存在を隠そうとした訳じゃない、ただ単純に彼女がこの痴態を他の人間の目に晒してしまう事が可哀想だと思っただけなのだが。
「ナニシデルダ、ヒトダ、ヒトガキヤガッタダ」
「ンダ、ハヤグゴロシニイカネェド。ソッダコドシデルバアイデネェ」
殺しに? 戦う気か? 何言ってんだよ、逃げるに決まってんだろが。人間なんだぞ、周到な準備をして来てるに決まってんだろ。お前らみたいな馬鹿とは違うんだぞ。
こんな事してる場合じゃねぇってのはその通りだけどな。なんか反射的にやっちゃったんだよ。
「おい、お前ら」
「◎☆*→→」
俺が仲間のゴブリン達に話しかけたとほぼ同時に、例の言語が大きな叫び声を上げた。すぐ近くで。
颯爽と現れた岩牢の入口を塞ぐ影、それは紛れもなく人間だった。その数は3つ。
「クソが、もうここまで」
洞穴の外の連中は何やってやがる、ったく足止めも出来ねぇんか。
3つの影が擦り足で少しずつ岩牢の中へと侵入してくる、二人は大剣、一人は小刀を構えて。
人間達の目にはまだ此方のことはよく見えていないだろうが、夜目の効くゴブリンである此方からはハッキリとその姿を確認することが出来た。
「こりゃヤバイ、マジでヤバイバル」
小刀を構えているのは冒険者だろう。案内か斥候か、前世のロープレで言うところの盗賊といった類の職種だと思う。本気でヤバイのは他の二人だ。
フルプレートメイル。身体の全てを覆う鎧を身に纏い、頭にもフルフェイスの兜で完全防御。
防具もだが青眼に構える大剣と、それを収める鞘までもが全て同じ物で統一されている。おそらくは騎士。人族の国の正式な職業軍人だ。
雑魚魔物のゴブリンに到底勝てるわけのない相手である。
「クッソー、まだ、まだいたしてねーのに」
おかえりなさい童貞。そしてさようなら人生、いやゴブリン生。
横目でちらりと横たわったままの少女を見る。涙目で。
せめてフィニッシュを迎えてから来て欲しかった。
「ゲギャー、ジネー」
「ジネ、ニンゲンガァァ」
「ま、待て、お前ら」
「ゲヒュウ」
「ピギャアァァー」
止める間もなく飛び出した仲間のゴブリン達はあっという間に串刺しにされた。ほんの一瞬で、呆気なく。緑色の魔物達は、冒険者を制して前に出た騎士二人の手により醜い肉塊へと変えられてしまった。
串刺しにされて…。
そう、串刺しにされたのだ。切り倒されたのではなく串刺しに。
「ぬああぁぁぁぁー!」
ここしかない! そう思う前に俺は駆け出していた。チャンス。そう、チャンスなのだ。
騎士二人の大剣には今もまだゴブリンの死体が刺さったまま、つまり大剣は封じられている状態なのだ。かと言って騎士の完璧な防御を突破交番する術は俺にはナイナイサイズ。狙いは一つ、後ろに控える冒険者ただ一人だ。
速度重視。この場から脱出することだけを考えろ! 無駄なことはするな!
魔物の身体能力を活かし騎士達の脇を全力で擦り抜け、冒険者へと突進する。が、それを見越していたかのように冒険者の小刀が振るわれている。速い。
ゲームの世界でも盗賊職は速度特化だった。この小刀を避けるのは不可能だ。
「腕一本くれてやるよ!」
覚悟を決めろ! 避けることは早々に諦めてその小刀を左腕で受ける。たとえ貫通したとしても魔物の治癒力を持ってすれば致命傷とはならない筈だ。
ザクッ!
「ってぇ! …けど」
止まるな! 進め!
突き刺さった小刀の切先は見事に左腕を貫通していた。にも関わらずに突進を継続。鳩尾へと頭から体当たりする。
衝撃で小刀を手放した冒険者は後方へと弾き飛ばされた。
道が空いた! 逃げ
「うぎゃああぁ!」
ようと両足を踏ん張るが言うことを聞かない。痛みに脳が焼かれる。とんでもない痛みに。
ゴブリンに転生して、人間だった頃よりも痛みに強くなった。それも格段に。それは腕を刃物が貫通する程の大怪我を負っても耐えられる程だ。耐えられる筈だった。
見れば腕に突き刺さったナイフの周りから煙が上がっていた。刃に接している肉は焼け、火傷を負い続けているのだ。
傷の痛み、火傷の痛み、更にその二つの痛みを足して何十倍にも増幅したような、何とも形容する事の出来ない意味不明な痛みが脳の神経を焼き、破壊していく。
これはアレか、ゲームなんかでよくある属性の相性とかのアレか? 吸血鬼に対する銀とか。
「・・・・・・」
膨れ上がる痛みに口を開けても声が出なくなる。
定番の考え方だと魔物は魔属性の生き物で、その魔属性と最悪の相性となるのが聖属性だ。
そして聖属性の武器としてこれまた定番なのは聖銀で作られた武器。つまりこのナイフは聖銀製の聖銀小刀ってところなんだろう。
くっそ、痛え。痛過ぎて頭がぼうっとしてきた。もうそれで正解って事にしとこう。今はそんな事考えてる場合じゃねぇし。
騎士達は魔物の死体から大剣を抜き、自由を得た大剣の先を俺へと向けた。
「・・・くっ、・・・くそぉ」
う、動け! 動け! 騎士が来る。動けこんにゃろー!
駄目か、や、殺られる!
ブオウゥン!
巨大な鉄製の棍棒が振われ、二人の騎士が同時に殴り飛ばされる。一人の騎士は胸を鎧ごと潰され、もう一人の騎士の首から上は無くなっていた。
「◆▽▲・☆☆→・・」
何事かを叫びながら逃げようとした冒険者は両脚を剣で切断され、倒れたところを槍で貫かれた。
「タカガニンゲンゴトキガ、オラドコサセメクルナンドナマイキナァ」
痛みに耐え切れずに片膝をついた俺の横に、巨大棍棒を担いだ緑色の影がいつの間にか立っている。猿野郎、もといボスのホブゴブリンだ。
その脇から飛び出して冒険者を倒したのは、それぞれに剣と槍を携えた2体のゴブリナであった。
「ぎひゃあぁ!」
またしても俺の左腕を襲う耐え難い激痛に、おもわず悲痛な叫び声を上げてしまう。ボスが腕に刺さったミスリルナイフの柄を握ると、乱暴にそれを引き抜き放り捨てたのだ。
助けてくれたのはありがてぇけど痛ぇじゃねーかよ、この野郎。
「ニンゲンドモヲゴロシツクシテヤルダデ、オメェモゴイ」
人間共を殺し尽くす? はぁ、勝てるわけねぇだろ馬鹿猿が。
確かに今は勝てたかもしんねえけど、俺とのゴタゴタで連携を崩していた人間達に、お前らの攻撃が偶々奇襲の形になって成功しただけなんだよ。
今も洞穴の入口付近から流れて来る音の大きさからいって、相当な人数で討伐に来ているのは間違いないんだ。
先の3人は少女救出の為に先行した決死隊の様なもんだったんだろう。奴等にとっての本番はこっからだろうが。
「オラガサギニイッデケチラスダデ、オメエラハツヅイデツッコムダゾ」
「「ハイ」」
「・・・はい」
作戦でもなんでもない、考えなしな猿ボスの突撃指令にゴブリナ2体は当たり前の様に頷く。
ここは俺も一応頷いてはおくけれど従うつもりなんて更々ねえな。助けて貰っておいてなんだけど、馬鹿に義理立てして死ねなんてのはごめんだよ。
ボスが首を回して洞穴の奥の方へと振り返る。視線の先にいるのは残り1体のゴブリナ。いつもボスの間の脇に控えさせられ、他の2体のゴブリナよりも少し背の低い、俺達を岩牢まで案内してくれたあのゴブリナだ。
「オメハウシロガラマホウデエンゴシロ、ワガッタナ」
「・・・ハイ」
マホウ? マホウって魔法か? このゴブリナってゴブリンウィザード、いや、ゴブリナウィザードかよ! こりゃ使えっかも…。
「イグゾー、オオオラァァァー!」
「「「ハイィィー!」」」
気合いを全身に漲らせてボスが勢いよく走り出す。続いてゴブリナ達がその後を追う。
俺はというと、駆け出す素振りは見せたもののその場から一歩も動いていない。と。
ガシッ!
俺の脇を通り過ぎようとする1体のゴブリナの腕を掴む。魔法が使えるというあのゴブリナの腕を。
「ナ、ナニヲスル?」
「止めとけ」
「ハナセ!」
「死ぬぞ」
「ナニ?」
足を止め、こちらへ向き直ったゴブリナは驚愕の表情を浮かべ。
「ナニヲイッテル?」
「死ぬって言ったんだよ。聞こえなかったか?」
「ナニヲバカナ、ハナセ、ボスノアトヲオワナイト」
「ボスなら殺られるぞ、それも直ぐにだ」
「バカナ、ソンナコトガアルワケガナイ」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
俺は無言でゴブリナの目を見つめたまま、掴んでいる腕を強く握る。その真剣な眼差しに気圧されたゴブリナが、視線を避ける様に顔を伏せた。
一瞬の静寂。だがその静寂は長くは続かなかった。
ズガアァァァーーン!
「ギヒィィィヤァ、クソガァ!」
「イヒャアァ、キヒィィ」
大きな爆発音と共に振動が大地を揺らす。揺れは洞穴全体に広がり震わせていく。その震えは同時にボスの悲痛な叫び声をも伝えてきている。
ボスの叫びに混じるのはゴブリン特有のダミ声とは別の2つの声。ボスと同じ様に悲痛な色の濃い2体のゴブリナの声だ。
「ボ、ボスノメイレイハ、ゼ、ゼッタイ、ダ」
「いいのか、死ぬだけだぞ」
「シ、シカシ、オ、オマエナンカニ」
「いいから聞け! お前はボスに邪険に扱われてただろうが! 義理立てして死ぬ事になんの意味があんだよ!」
ドッゴオオォォオォン!
一際大きな爆発音が響く。恐怖を呼び覚ますに充分なその爆音はゴブリナの抵抗の心を砕き、彼女の腕を掴んでいる俺の手の平は、彼女の全身から力が抜けていくのを明確に伝えてきていた。
「ド、ドウスレバ」
「逃げるぞ。今はそれしかない」
ボス達の声ももう聞こえて来ない。もうあまり時間がない。
「お前はこの洞穴の構造に詳しいだろ。他に出口はないのか?」
「ソンナモノハナイ。デグチはショウメンダケダ」
「じゃあ塞がっててもいい。外との壁が薄くなってる所ってないのか?」
「・・・・・・」
洞穴の隅々までを思い出しているのだろう、暫く考え込んでいたゴブリナが思い当たる場所を記憶の中から引っ張り出した。
「ヒカリガモレテイルバショナラアル。シカシトオレナイゾ」
良し! グッジョブだゴブリナ!
この洞穴は空気が僅かだが通っている。多分あるとは思ってたけど確証はなかった。ナイバッチゴブリナ!
「そこでいい。案内してくれ」
「コッチダ」
不安を拭い去ることは出来ないが、彼女にもう迷いはないようだった。先に立って足早に歩き、洞穴の奥へと突き進んでいく。
俺はボスが放り投げたミスリルナイフを拾い上げ、彼女の後を離れることなくついて行った。
幾つもの横穴を抜け、時には縦穴をもよじ登り奥へ奥へと進む。
この洞穴は俺が思っていたよりも遥かに複雑なつくりとなっていた。途中には別れ道が幾つもあり、それには三叉や五叉といった多叉路も含まれる。
「いいぞ。思ってたよりも時間が稼げそうだ」
俺達とは違い、警戒しながら進まねばならない人間達にとって、別れ道は厄介な存在だ。ましてや先も分からぬ暗い洞穴の中を、夜目の効かない連中が速く進むことなど不可能である。
移動を開始してから時間にして40分くらい経っただろうか、漸く俺達は、洞穴の突き当たった一つの横穴へと行きついたのだった。