1 イケてない女子が、なぜ
「杉田さん。杉田弥生さん。あなたのことが好きなんです。つきあってほしいんです!」
昼休み。ざわめきに包まれた中学校の廊下。
二年一組の教室からふいに飛び出してきたイケメンは、私に向かって吠えかかるように言った。
杉田弥生というのは、間違いなく私のことである。
私は友達とお手洗いに行き、喋るのに夢中で手を拭いたハンカチをまだポケットに戻してもいなくて、湿ったハンカチをそのまま手に持って歩いていた。
「・・・・・・え?」
私は足を止めた。咄嗟に反応なんてできるはずがない。
阿呆みたいにぽかんと口を開けて立ち尽くしていると、
「おいおい、告白されとるよ告白。弥生、聞こえてる?」
一緒に歩いていた友達のノコちゃんが、私を横から下から覗きこみ、「オーイ」と何度も呼びかけた。
なんというか、学校内の女子をイケてる女子とイケてない女子に分けるのなら、この私、杉田弥生は間違いなくイケてない方の女子である。
こう、女子中学生といってもいろいろいて、お洒落や恋愛の話ばっかりしている派手な子とか、部活や勉強、趣味や習い事などとにかく何かに打ち込んでキラキラしている子とか、「私って普通だし、熱中できるものもなくって……」なんて言いながらも存在自体がとにかく可愛い子とか、変わり者の称号を得ている孤高の存在とか、さまざまだけれども、私は言ってみればどこも際だったところのない、しょうもない女子である。
実はめっちゃ可愛いとか、無自覚なだけですごい美人とか、そういうことは残念ながらない。
正真正銘のイケてない女子である。
背はどちらかというと高いし、太ってはいないけれど、運動はできないししていないので、スタイルがいいとはいえない。
髪は中途半端なくせ毛なので、拡がらないように縛っているが、どれだけ頑張ってもどうにももっさりしている。
「地味な子」と言われるほど地味ではなく、「暗い子」と言われるほど暗くはない。
友達は、同性なら何人かいる。
でもたぶん、あんまり人に好かれやすいタイプではない。
そして学校での男子との関わりについて言うならば、何か用事があるとか以外、ほとんど必要最低限しか喋ることがない。
今年中学二年生になってからは、特にそれは顕著となった。
彼氏とか彼女とか、そういう話の対象に挙がるような人間ではないのである。
恋愛とか告白とか、そんなこととは無縁なのである。
ましてや見ず知らずゼロ接点の男子に、しかもイケメンに告白されるなんて、あるはずがないのである。
「あ、申し遅れました。僕は兼子です。兼子一夜です!」
それは名札を見るまでもなく知っていた。
なんせ兼子くんは、見知らぬ女子にも「あの人かっこいい」とささやかれるようなイケメンなのである。
すっきりと整ったさわやかな顔立ちで、集団の中にいてもつい目を引いてしまうようなイケメンなのである。
さらに兼子くんは、イケメンであるのみならず、毎回の定期テストでだいたいどの教科でも最高点を取る程勉強ができ、美術部という地味な文化部に所属しているのに陸上部のエースを体育会のリレーで抜かして喝采を浴びるほどに足が速く、体育や球技大会のたびにあまりにもフォームが美しくて動きがよいので数多の運動部員たちを嫉妬と羨望と「なんでうちの部に入らないんだ」という悔しさの渦に落とし込むような運動神経の持ち主である。
また、宿泊訓練の陶芸体験で作った壺は現地の先生に大絶賛されたとか、音楽の授業で先生に無茶ぶりされて弾いたピアノは教室中を感動させたとか、英語スピーチコンテストで表彰されたとか、部活で描いた絵がコンクールで特選をとったとか、そういう逸話に事欠かないスーパーマンなのである。
そして私は十日ほど前から、何度か彼の名前の書かれた手紙をもらっていた。
「今日の放課後、中庭に来てください」「今日の昼休み、図書館に来てもらえないでしょうか」「明日の朝予鈴が鳴るまで、学校の横の公園で待っています」……それらの手紙は私の靴箱やロッカーに入れられていた。
しかし当然ながら、私はそんな有名イケメンスーパー男子に万が一にも告白を受けるような女子ではないので、誰かのイタズラか、本人のイタズラか、実は何か恐ろしい用件や悪意の罠だとか、そういうものにちがいないと思い、とりあえずすべて無視して、というかむしろ怯えつつやり過ごしていた。兼子一夜本人が本気で私に告白をするなど、その可能性などないに等しいと思っていた。
……いや、待て。
ようやく私が硬直から立ち直ったので、兼子くんは微笑んで私を見た。
イケメンの身長はほとんど私と変わらない。顔の大きさと等身はまったく異なるが、視線の高さはほぼ同じ。
間近で見ると本当に、ちょっと現実感覚が失われるほどのイケメンである。
「わかった。罰ゲームですね」
私は言った。
「本気です」
「でも、じゃあなんでこんな人の多い場所で」
「だって、手紙でいくら呼び出しても来てくれなかったじゃないですか」
そうだ、けど。
「僕だって、もう少し人の少ない場所でゆっくりお話したいんです。だから今日の放課後……ええと、中庭に来てもらってもいいですか」
真剣だ。兼子くんは真剣な顔をしている。
私は頷くのが精一杯だった。
兼子くんはそんな私の様子を見て嬉しそうな顔をし、「じゃあ放課後に」とその場から去っていった。
残された私は、まわりの子たちの好奇の視線に気づく。
「ないわー」という声のその主に、私は全力で駆け寄ってブンブンと握手しながら同意したい気持になっている。
その一方、「兼子くんだし」というひそひその断片が耳に引っかかる。
それはどういう意味ですか。
「もうすぐチャイム鳴るから、とりあえず行こう」
動揺して意識が半分すっ飛んでいる私を、冷静で優しい友人ノコちゃんが引っ張ってその場から動かしてくれた。
小走りに走り出そうとしたその私に向かって、「杉田、さん」と横から声がかかった。
声をかけてきたのは、知らない子だった。
けれど反射的に親近感と嫌悪感が同時に湧いたのは、自分に似てる、と思ったからだった。
身長はほぼ私と同じくらい。少しだけ、相手の方が低いかもしれない。
太ってはいないけれどもあまり運動はしていなさそうな、重たげな身体。
中途半端なくせ毛の、野暮ったい髪型。
どうでもいいことばかり一人でぐちゃぐちゃ考えていそうな、気が弱いくせに頑固そうな目。
その子はおずおずとためらいがちにもう一度「杉田さん」と呼びかけて、それから勢い込んだように言った。
「兼子くんの告白は、真に受けない方がいいよ」
真剣だった。
勘違いすんなよブス、という嘲りが入ったような言い方ではなかった。
そりゃあ私だって身の程わきまえてますから大丈夫ですよ、と返した方がいい類の、そういうのではなく、そこにあるのは私に対する親身な心配のようだった。
彼女は続けた。
「兼子くんのこと、信じない方がいいよ。私、小学校が兼子くんと一緒だったんだけど……」
その時チャイムが鳴り始めた。
予鈴ではあったけれど、次の時間は確か、始業時の着席にうるさい英語の先生の授業だ。
「あ、うん、ありがとう」
私はそれだけその子に言って、そのまま友達のノコちゃんに引きずられるようにして走った。
教室に滑りこんだ時、すでに来ていた先生に睨まれたけれど、何も言われなかったのでまあセーフだった。




