恋、したんだね?
わたくしは彼が飛んでいった先を見ながら、先ほどまでの邂逅を思い出していました。魔国の王である彼との会話。
彼が何故人国にいるのか、何故わたくしの近くに現れるのか等解らないことは山積みですが、それでも一つ解ったことがあります。
(彼は……人を憎んでいる訳じゃなかった……)
それはわたくしにとって、大きな衝撃でした。
幼い頃から魔族は人間を目の敵にしている敵だと教えられて生きてきました。魔族は人間を憎んでいて当たり前。魔族は人間に酷いことをしてくる。だから人間も魔族を憎むべきだと、そう思っていました。
しかし、先ほどお話した魔王。彼は魔族の長でありながら、人間を憎んでいる訳じゃないと。そうしなければならない都合があったから、戦争を起こしたと。そうおっしゃっていました。
その言葉は、向こうから憎まれているから、こっちも憎み返している。憎い敵をやっつけたいから戦争をしている。これは正しい戦争だ、と。
そう思っていたわたくしにとって、自分の考えの根底を覆されたような、そんな衝撃でした。
それに加えて。
(不本意とはいえ……彼に抱きしめられた時の、あの感覚は……)
わたくしの五感が、倒れそうになった時に支えてくれたあの方の感覚を、まだ覚えています。
彼の筋肉質の分厚い胸板。わたくしの身体を支えてくれたたくましい腕。気温が少し高めなこともあって、少し汗ばんでいた彼の匂い。
そして、耳元で囁かれたあの低く渋い声。
「~~~~ッ!!!」
お、思い出すだけで顔が熱くなってきましたわ。思わず両手で頬を抑えてしまいます。い、い、一体何だって言うのでしょうか。
動悸が、動悸が収まりませんわ。汗ばんだ男性の匂いなんて臭いだけだと思っていましたのに。
(あの脳を震わせるような匂いが、力強い腕が、固いだけのはずの胸板が、優しく響くあの声が……あ、頭から離れませんわッ!)
ブルブルと頭を振りますが、一度受けた刺激が忘れられません。しかも彼は、今日とこの前で二度もわたくしを助けてくださいました。
本人は助けられる力があったから助けただけ、とはおっしゃっていましたが、それでも助けられた方からしたら感謝しかありません。
「……また、お会いしたいですわ……」
ふと呟いた自分の言葉に、自分でびっくりしてしまいます。わ、わたくしは一体何を言っているのでしょうか。彼は魔国の王で、わたくし達の敵の長ですのよ。仲良しこよしなんてあり得ませんわ。
でも、それは、十分、解っているのですが……。
(し、しかしです。わたくしはまだ、あの時と今日の事のお礼も言えておりませんし……彼が人間を憎んでいる訳ではないのでしたら、まだお話できる余地は十分ある訳で……決して、決してただもう一度お話したいとか、あわよくばまた抱きしめていただきたい等という訳では……)
「……さん? マギーさん?」
「……ハッ!?」
不意に自分を呼ぶ声がして、わたくしは我に返りました。視線の先には、首を傾げているマサトがいます。
「どうしたんですか、こんなところで?」
「い、いいいいえ! ななな何でもありませんわッ!」
「は、はあ……」
びっくりして言葉がしどろもどろになってしまいましたが、まあマサトなので大丈夫でしょう。それよりも、ですわ。先の際にマサトは近くにいたはず。そうなると。
「……時にマサト。先ほどまでこの辺りで、誰かを見かけませんでしたか?」
マサトが別荘の中から、先ほどの光景を見ていたかもしれません。もしかしたら、彼がどの方向へ行ってしまったのかも知っているかもしれません。
淡い期待を抱いて質問をぶつけてみたのですが、
「い、いえ……その。恥ずかしながら、冷たいものを飲みすぎたのか、お腹を下していまして……ついさっきまでずっとトイレの中に……」
「そう、でしたか……」
彼の行方を知っていないと解り、わたくしは自身が思った以上に落胆しているのが解りました。あれ、わたくし、どうしてこんなにがっかりしているのでしょう。
「誰かおりませんでしたかって……さっきまで誰かいたんですか?」
「……いいえ。何でもありませんわ」
「そ、そうですか……」
マサトからしたら意味不明なやり取りだったと思いますが、申し訳ないですわ。わたくしがそれを、確認したかったのですもの。
しかし、気のせいでしょうか。マサトにもどこか安堵したかのような雰囲気が感じられます。
それが何故かわたくしの勘に引っかかりますが……ああ、お腹を下したことを恥じているのかもしれませんわ。全く、仕方ない人ですわね。
「……さあ! さっさと飲み物と薪を持っていきますわよ! 大丈夫ですマサト、貴方がお腹を下していたことは皆さんには黙っておきますから」
「……えっ? い、一体なんの話を……?」
「解っておりますわ。安心なさいまし」
「なんか私の知らない勘違いをしてませんかッ!?」
何やら声を上げているマサトですが、大丈夫、わたくしは存じております。お腹を下して大きい方のトイレにこもっていた等、男性のプライド的になるべく他者には秘めておきたいものの筈。
オトハやウルリーカには言わないでおいて差し上げましょう。
やんややんや言っているマサトをそのままに、わたくし達は薪と追加の飲み物を持って浜辺の戻りましたわ。既にわたくし以外の女性陣による用意は終わっており、後は火を点けて焼くだけ、という状態です。流石ですこと。
しかし、です。もし、わたくしもオトハ達のようにご飯の用意ができたなら、彼も喜んでくれるのでしょうか。
台所で自分が料理し、出来上がったものを持ってリビングに運んでいく。そこには彼がいて、あの優しく低い声で私に向かって「いつもすまないな」と微笑みかけてくれたり……。
(…………な、な、何を考えましたかわたくしはッ!?)
『ま、マギーさん、どうしたの?』
妄想が作り上げた家庭的な光景を頭を振って振り払ったわたくしに、オトハが怪訝な顔を向けてきます。しまった、今は皆さんがいらっしゃいましたわ。
「なんだぁパツキン。急に取り乱したりして?」
「ノッポノッポ。あれっすよ、女の子特有のあの日……」
「ああ生理か」
彼と比べて品が欠片も存在しないアホ二人に、思いっきりの力を込めたゲンコツを叩き込んで静かにさせました。
ああ、本当にどうして同年代の男子というのは、ここまで馬鹿なのでしょうか。彼みたいに大人な雰囲気のある男性の方が、断然絶対魅力的というものですわ。
「そこのアホ共は放っておいて、バーベキューを始めますわッ!」
そして、持ってきた薪でマサトとイルマが火を起こしてくれましたので、わたくしは色々と吹っ切るためにも少し大きな声を出しました。オトハやウルリーカが順に、網の上に串焼きを置いていきます。
『火の強い真ん中でお肉を焼いて、外側で野菜をゆっくり焼こう。あんまり強火だと野菜が焦げちゃうし』
「それに、男性陣はさっさとお肉食べたいみたいだしね~……よし、焼けたやつから順番にどうぞ~」
「「「いっただきまーす!!!」」」
「うめーなこれ! 食べやすくてうめー!」
「ホント美味いなー! ワイも実家の手伝いでこーゆーのやったことあるけど、これは絶品や! お店出せるで!」
「はいはいガッつかないガッつかない。ボク達が食べる分もあるんだから、好き勝手に持っていかないこと」
『マサト。野菜もちゃんと食べなきゃ駄目だよ? 栄養が偏ったら身体に悪いんだから』
「オトハさん。解りましたからお肉をください。今のところ私のお皿、野菜しか乗ってないのですが」
「はい、エドワル様。ママが焼いたお肉でちゅよ~」
「ええい寄るな変態メイド! 色々拗らせて、遂には赤ちゃん言葉になってんじゃねーかッ!!!」
「バブバブ! ママ~! ワイにもワイにも!」
「お前じゃない座ってろ。でございます」
「なんでワイの扱いだけこんな雑なんじゃァァァッ! あれか! 新人イビりかチクショーッ!!!」
皆さんが思い思いにバーベキューに舌鼓を打っている中、わたくしは食べる手を止めていました。先ほどから、彼のことばかりが頭に思い浮かんできて、全然お腹が空かないのです。
あんなに楽しみにしていたバーベキューが目の前にあるというのに、一体、わたくしはどうしてしまったのでしょう。
『……あれ? マギーさん、食べないの?』
そんなわたくしを見かねたのか、オトハが声をかけてきましたわ。
手に持ったお皿には、オトハ達が用意して焼いてくれた、美味しそうな串焼きや野菜がたくさん盛り付けてあります。
「……オトハ。今度わたくしに、料理を教えていただけませんこと?」
『えっ? い、いいけど……マギーさん、急にどうしたの?』
「おっ、女子会かい? ボクも混ぜてよ」
オトハにお願いした時にウルリーカが入ってきました。女子会と、言われればまあそうですわね。男性陣は今、イルマが焼いている塩焼きそばに夢中そうですし。
こちらの話など聞いていないでしょう。
『あ、ウルちゃん。マギーさんが突然、わたしに料理を教えて欲しいって』
「へー、いいじゃん。オトちゃん料理上手だし、この前の女子会の時のクッキーも美味しかったしねー」
ウルリーカがおっしゃたように、オトハは料理全般が得意ですわ。以前開いた女子会の時に彼女が焼いてくださったクッキーも、とても美味しかったですし。
だからこそ、わたくしもそうなってみたいと、そう思ったのですわ。
『教えるのはいいんだけど……いきなり頼まれたから、びっくりしちゃって』
「確かに。マギーちゃんは料理してるよりもその分鍛錬! って感じだったからね~。何かキッカケでもあった?」
「キッカケ、ですか……」
思い起こされるのは先ほどの感覚。彼の身体と匂い、そして耳を震わせたあの声。その彼と同じ家に住んで自分が作った料理を持って行ってみたいという妄想が働いて……。
「~~~~ッ!!!」
『ど、どうしたのマギーちゃん!?』
「い、いきなり地団駄を踏みだしたりして……?」
は、恥ずかしさが天元を突破しそうですわ。流石に妄想の話まで出すのは気が引けるので、ここは適当に濁して……。
「い、いえ、何でもありませんわ……ただ、少し、料理くらいできても良いのでは、と、思いまして……」
「……ほっほう」
すると、わたくしの言葉を聞いたウルリーカが、おもむろにわたくしの肩に手を回してきました。ニヤリ、と笑っているその顔に、不安しか感じませんわ。い、一体なんでしょうか……。
「マギーちゃん……恋、したんだね?」
「あああぁあぁぁああああぁぁぁああああぁぁあぁああぁああああぁあああああぁぁああぁあああああぁぁああぁあぁあぁぁあああぁあああああああああああぁああああぁぁぁぁあぁあああああああああああああぁあぁッ!?!?!?」
恋。その単語を聞いた瞬間に何故か我慢ができなくなり、わたくしは絶叫しましたわ。
こここここ恋!? わた、わたくしが恋したとッ!? な、な、な、な、何を根拠にそんなことをッ!!!
『ま、マギーさん落ち着いて……ウルちゃん、至近距離で大声受けて、軽く失神しちゃったから……』
「……あっ」
気がつくと。ウルリーカがわたくしの隣でピクピクしながら倒れており、オトハは耳を塞ぎながら震えています。
遠くで焼きそばを食べる手を止めてこちらを凝視している男子三人と、焼きそばを盛り付ける途中で止まってこちらを心配そうに見ているイルマの姿が見えます……やってしまいましたわ。
「な、な、何でもありませんわッ! わたくしはオトハとウルリーカとちょっとお話がありますッ! 一度別荘に戻りますのでイルマ! そこで男子三人を捕まえておきなさいッ! 近寄らせたら承知しませんことよッ!!!」
「は、はい……解りましたでございます、お嬢様」
呆然としているイルマと男子三名に踵を返し、そう言い放ったわたくしは倒れているウルリーカを担ぐと、あっけにとられているオトハを連れて別荘へと戻りました。
これは一度、しっかりと話し合わなければなりません。
恋……恋なんて。わたくしがそんなことしてるなんてあり得ませんわ。
ここはゆっくりと、オトハとウルリーカと話を詰めさせていただきます。




