あり得ない助け
掴まれているクズ野郎が、やがて命乞いを始めました。先ほどまで調子の乗っていたとは思えない程、みっともなく声を絞り出しています。
「今までしてきたこと謝れってんなら謝る! ひでーこと言ったのが気に食わなかったってんなら、これからはしねーように改心もする! 土下座するし靴でも舐めるからよぉ! だ、だから! だから、どうか殺さないで……」
そこまで言った時、誰かは掴んでいたクズ野郎の胸ぐらを離しました……って、見逃すというのですか!? 確かに誰かはクズ野郎の所業を知りません。たまたま目についただけで、特に因縁も何もないのだとは思います。
しかし、自分に魔法を撃ってきた輩に慈悲を見せる必要なんてあるのでしょうか。クズ野郎も安心したように表情を緩めています。それを見たわたくしは、腹わたが煮えくり返る気持ちが再び……。
そう思っていたその時、誰かがクズ野郎の目の前で手のひらを向けました。まるで、今から魔法を放つかのような……。
「"黒炎環(B.F.サークル)"」
わたくしの予想は的中し、誰かはクズ野郎に向かって魔法を放ちました。クズ野郎を囲む形で円状の黒い炎が地面から勢いよく立ち上ります。
「ぐわぁぁぁあああああああああああああああああああああああああっ!!!」
天にも登る黒い炎は、クズ野郎の絶叫と共にすぐに収束しました。炎は静まった後には、黒焦げになったクズ野郎が膝から地面に向かって倒れ伏します。たまにピクッとしているので、生きてはいるのでしょう。
「……………………」
クズ野郎が意識を失ったことを確認した誰かは、ゆっくりと周りを見渡しました。一度わたくしと目があった時には、身体がびくっと震えました。もしかしたら、こちらに来るんじゃないかと。
そう身構えていましたが、誰かの視線はわたくしを通り過ぎ、オトハを掴んだまま震えているチャッコとかいう輩のところで止まりましたわ。そうしてゆっくりと、そちらへ向かって歩き出します。
「ひぃぃぃっ!!!」
目線が合ってしまったチャッコは怯えた声を上げながら、震える手で持った刃物をオトハに突きつけています。
「こ、ここここっちに来るなっ! こ、このエルフがどーなってもいいのかーっ!!?」
もはやこれしか言えなくなったのでしょうか。チャッコは先ほどまでと同じようなセリフを必死に叫んでいました。いえ、その脅しはどうなのでしょうか。オトハの友達であるわたくし達ならともかく、いきなりやってきた魔族にそんな手が通用するとでも……。
「……………………」
「…………えっ?」
思わず、わたくしは声を出してしまいました。何故なら、そう叫んだチャッコに対して、誰かが歩み寄る動きを止めたからです。まるで、人質が効いていると言わんばかりに。
「……お? おおおおっ?」
チャッコもそれに気づいたのでしょうか。オトハに刃物を向けていることで、この誰かが自分に危害を加えられないでいるのではないか、ということに。
「よ……よぉーし、よぉーしよしよし! て、テメー動くなよぉ!? 魔族だかなんだか知らねーが、こっちには人質が……」
そこまでチャッコが喋った時に、不意に誰かが右腕を真っ直ぐチャッコに向けて伸ばしました。手のひらを開いており、先ほどと同じように魔法を放つ姿勢です。チャッコもそれを見て、慌てて小さいオトハを盾にするように彼女を前に出します。
「っ!? な、なんだテメー? 魔法を撃つ気か!? そんなことしてみろ! 先にこのエルフが喰らう羽目に……」
「"黒炎糸(B.F.ワイヤー)"」
誰かがそう呟いた直後、手のひらに魔法陣が展開されました。思わず身構えたのはわたくしと野蛮人、それに魔法陣を向けられているオトハとチャッコです。
「…………。……な、なんだよ、は、ハッタリかぁ!?」
展開された魔法陣がグルグルと回っているだけで、自身の目の前では何も起きていない。そう理解したチャッコが、ニヤリと笑いました。しかし、わたくしには見えています。
「ビビらせやがって! 舐めやがったなぁ! 腹いせにこのエルフを……」
チャッコもそこで気づいたのでしょうか。自身の後ろの空中に展開された、幾重にも重なっている細長く黒い炎の糸に。
「ひっ……ぎゃぁぁぁああああああああああああああああああああああああっ!!!」
気がついた時にはもう遅く、炎の糸に襲いかかられたチャッコは強制的にオトハから剥がされ、身体中を拘束されたまま、空中でその身を焼かれました。少しして魔法陣が解除され、程よく焦げたチャッコがドサッと地面に落ちてきます。こちらもあのクズ野郎と同様にピクピクしているので、おそらく生きてはいるのでしょう。
「す、すげぇ……」
野蛮人が感嘆の声を漏らしています。確かに凄いです。あんな魔法、わたくしも初めて見ましたわ。
「…………」
チャッコが立ち上がれないことを確認した誰かは、ゆっくりとこちらを振り返りましたわ。今度こそこちらに襲いかかってくるのではないか、とわたくしの身体が強張ります。
「…………だ、誰、ですの……貴方?」
辛うじて声に出せたのは、誰かに対する問いかけでした。いきなりやってきて、何故かわたくし達を助けてくれた、この誰か。一体どこのどちら様で、どうしてわたくし達を助けてくれたのか等、聞きたいことは山程あります。
「…………」
わたくしの問いかけに対し、誰かは何も答えてくれませんでしたわ。もう一度周りを見渡した後、身体を沈ませて飛び上がろうとします。
「っ!?」
しかし、誰かは飛び上がる直前に目を見開き、胸を押さえるようにして崩れ落ちましたわ。その身体は震えており、歯も食いしばっています。まるで、発作でも起きたかのように。
「だ、大丈夫ですこと……っ!?」
「っ!」
それを見たわたくしが声を上げたと同時に、オトハが誰かに向かって駆け寄っていきました。
「オトハっ!?」
「っ!」
駆け寄ってくるオトハを見た誰かは、無理やり身体を起こすと飛び上がり、一気に体育館の屋根上に到着すると、そのままマサトが向かった方へと消えていってしまいましたわ。
「……っ! そうでしたわ、あっちにはマサトがっ!」
ボーッとしていたわたくしは、ハッとして声を上げました。突然の乱入者ですっかり忘れていましたが、先ほど体育館の向こう側からマサトの叫び声が聞こえていたのです。
「っ!」
すると、オトハが切られた腕を抑えながら、マサトが向かった体育館の向こう側へと走っていきます。それを見た野蛮人が声を上げました。
「っ! 無理すんな嬢ちゃん! オメーだって怪我してんだから……」
「なんだ! 何の騒ぎだっ!?」
その時、グッドマン先生の怒号が聞こえてきました。ぎょっとしたわたくしと野蛮人が振り向くと、体育館の裏の扉を開けたグッドマン先生が、仁王立ちでこちらを睨みつけています。
「部活をしている生徒から騒がしいだの炎が上がっただのと聞いて来てみれば、なんだこれは!? エドワル! マグノリア! またお前らかっ! 何があったのか、しっかり説明してもらうぞっ!」
「っ……最悪のタイミングで、うるせーセンコーが来やがった……」
それを見た野蛮人が、げぇ、っとした顔をしています。不本意ではありますが、その考えにはわたくしも同意します。
「……説明して欲しいのは、わたくしの方ですわ」
結局、何が何だか解らないまま、わたくしは野蛮人と一緒にため息をつくことになりましたわ。グッドマン先生が手際よく倒れている生徒を見て、怪我をしているわたくし達を含めて保健室に運ぶように指示を出しています。
「先生。向こうの裏にマサトが倒れているはずですわ。腕に怪我しているオトハも一緒のはずです」
「なに? 向こうにもいるのか。おい、誰か!」
連れて行かれる際に、マサトとオトハが向こうにいることも伝えておきました。これで、万が一怪我していても、誰かが保健室には連れて行ってくれることでしょう。
それにしても、ですわ。
(……先ほどのあの魔族は一体……? 何故、わたくしは見たことがあるなんて思いましたの……? それに、あの黒い炎……)
魔族で黒い炎を操る者。昔、お父様に聞いた話が正しければ、そんなことができる輩は一人しかいません。そう、たった一人です。人国内で最も有名と言っても過言ではない、あの魔族。
しかし、わたくしはその考えを首を振って否定しました。何故なら、仮にそれが正しかったとしたら、それこそちゃんちゃらおかしい話なのですから。
だって、わたくしの仮定が正しいのであれば、
(……敵国の長である魔王がこの学校に来て、英雄の娘であるわたくしを助けた……?)
ということになるんですもの……お父様の死に関わっている、あの魔王が……そんなこと、ありえませんわ。




