動き出したのは
あれからどれくらい経ったのでしょうか。上も下も右も左も前も後ろも、何一つ解りません。幻影魔法を多重にかけられた結果。私は自分の身体も意識も、何がどうなっているのかが理解できなくなりました。
いくら黒炎に幻影魔法に対する耐性があるとはいえ、それは完全にシャットアウトできるようなものではありません。涓滴岩を穿つ。如何に頑丈な岩とて、絶え間なく水滴を受け続けていれば、いずれは穴が空き、そして割れる。私も今、そんな感じなのでしょう。
意識も朦朧としており、周りの声や音は耳に入ってきますが、頭はそれを理解などしていませんでした。
「……ようやく大人しくなったわね。全く、手間をかけさせてくれること。レイメイ、大丈夫か、し、ら?」
「「ハァ、ハァ……は、はい……大丈夫、です。バフォ、メット、様……」」
頭が、痛い。目の前が、はっきり、見えない。
「上出来よ。この状態なら、アタシの幻影魔法で操れるでしょう。んじゃ、フラフラなとこ悪いけど、早速禁呪の儀式をしようかしら。血を用意しなさい」
「「承知、いたし、ました……」」
「「「ぎゃぁぁぁあああああああああああああああああああああああああああああッ!!!」」」
景色が動いています。ただ私の視界では、景色というより何かの色が動いているようにしか見えません。そして、何かの叫び。一人、じゃない? いっぱい、いる?
と言うか、一体ここは何処なんだろう。一体、今はいつなんだろう。私は、どうして、ここにいるんだろう。
「め、メイ……そっちをもっと大きく描いて……」
「わ、わかってるよ……レイ……そっち、こそ……取ってきた血を、無駄に、しないでよ……」
「……よし。魔法陣も敷けたわね。全く……新鮮な血が、しかも人間のが必要とか、禁呪って発動制約が多いから面倒くさいのよねぇ……こちとらサッサと帰りたいのに」
彼らは何を話しているのでしょうか。そもそも、私は今何をしているのでしょうか。そうだ。士官学校に、行かなきゃ。課題はまだ終わってませんし、午後の魔法実技のテストは、苦手な幻影魔法で……。
「……んじゃ、始めるわよ。アンタ達は休んでなさい。お疲れ様」
「「あ、ありがとう、ございます……」」
「……"心中掌握"」
次の瞬間。私の頭の中に誰かが入ってくる感触がありました。まるで細長いメスを脳みそに突き刺された後、メスの先端が内部で丸く肥大化していくような、内側から圧迫される、この感じ。
「あ……あ……」
叫び声を上げたいのに、口は全く思い通りに動きませんでした。
「アタシの言う通りに喋りなさい……」
誰かの声がします。影ができたので、近くに誰かいるのでしょうか。今度ははっきりと聞こえます。しかし頭がボーッとしていて、私は同意することも、拒絶することもできないままにいました。
その声は続けます。
「それは我が身に宿る命そのもの……」
「それ、は……我が身、に、やど、る……命……その、もの……」
声に合わせて、私の口が動きます。何を喋っているのか、全く、理解できません。
続けて、私は意味の解らない言葉を、以下のように続けます。
生命の源たるオドは儚く、
時の流れに逆らえず、
法則に従い、
ただ消えゆくのみ。
回る輪廻に混ざる事を、
今はただ拒絶する。
故にこの命に意味はなく。
全てを吐き出すのみ。
「……禁呪、発動」
「きん、じゅ……はつ、どう……」
やがて、赤黒く周囲が光ったような気がしました。声の主の影はいつの間にか離れており、視界には暗く輝く光しか写っていません。
しかし、以前として頭の中の圧迫感は消えず、私はただただ言われるがままに口を動かすのでした。
「「"内魔抽出"」」
次の瞬間。ビクンっと、私の身体が大きく跳ねました。そして身体中に意志を持った有刺鉄線が巻きついていくかのような痛みが走ります。
あまりの痛みに意識が覚醒したのか、急に視界と思考回路を取り戻した私は、慌てて身体を起こそうとしましたが、それは叶いません。そうだ、私は手術台のような上で、拘束されたまま寝かされていて、それで……ッ!
「な、なんですか、これはッ!? ああ、ああああッ!」
「……あら。もう意識が戻ったの? ホント、黒炎の耐性って怖いわぁ~……で、も。一足遅かったわねぇ、マ、サ、ト、君」
聞き覚えのある声のする方に必死こいて首を向けてみると、そこにはニタァっと笑っているバフォメットの姿がありました。
「今更もう手遅れよ。禁呪は発動しちゃったわ。貴方の黒炎のオドは、もう間もなく抜き取られる……スッカラカンになるまでね」
「ああああああああああああああああああああああああッ!!!」
「あんらぁ、可愛らしい悲鳴を上げるじゃな、い、のッ! 抜き取る前に、ちょっとイタズラしてあげても良かったか、し、ら?」
身体中に巻きついた有刺鉄線が皮膚に突き刺さり、そこから更に注射のような細い針が幾重にも飛び出してきて、身体から無理やり何かを抜き取っていきます。
それと同時に、自分の身体が、臓器が、徐々に活動を弱めていっているのを感じました。
「ちょーっと時間はかかるけど……まあ、すぐに終わるでしょ? オドを無理やり抜き取られてる痛みなんて想像もできないけど……ま、どうせ死ぬんだし、ちょっとの辛抱よ」
どうせ死ぬんだし。その言葉が、私の中に絶望感を植え付けました。死ぬ。私はこのまま、死ぬ……?
「にしても、どうしようか、し、ら? このまま待ってても良いんだけど、さっさと魔国にも帰りたいし……別に禁呪はもう発動したんだから、一緒に持って帰っても良いっちゃ良いんだ、け、ど……どうせ魔国に着く頃には死んでるわよねぇ」
その時の私の中にあったのは、恐怖。命を直に吸い取られていき、そのまま死んでしまうという感覚が、ありありと感じられています。
既に手を握る等の力を入れる事は出来ず、目を動かす事すら困難な今。徐々に薄くなっていく意識に、これが切れたら二度と目を覚ます事ができないだろうという、嫌な確信。
「ぁ……ぁぁ…………」
言葉にならない声は誰にも届く事のないまま宙に消え、いよいよ口も動かせなくなってきました。
ふと、自分の胸の上の辺りに、ソフトボールくらいの大きさの透明な水晶みたいな物が浮かんでいるのが見えました。有刺鉄線のような黒い何かが絡みついているその内側には、黒い炎のような何かが少しずつ溜まっていっており、私はそれを本能的に察します。あの中にあるのは、私から抜き取っている黒炎のオドだと。
「この魔水晶が一杯になったら終わりね。さあて、と。アタシは帰り支度でもしましょうか。レイメイ達が起きたらすぐにでも……」
しかしその時。突如として爆発音が響き渡り、建物が揺れました。あまりに急な出来事で、頑張って目を動かしてみると、バフォメットが戸惑いのが表情を見せているのが見えます。
「な、何よ今の? ま、まさかここがバレ……」
「「大変ですバフォメット様ッ! 人国軍が、人国軍が来ていますッ!」」
すると慌ただしい音と共に、誰かが部屋に入ってきました。見えませんが、足音的に二人、でしょうか。
「何ですってェッ!?」
「まだ一部隊だとは思いますが……ね、メイ?」
「ここがバレた事で応援を呼ばれてしまいます、ね、レイ?」
「……ったく、面倒になったわねぇ。んじゃ、やるわよ二人とも」
ああ、良かった。誰かが、ここを、見つけてくれたんですね……もしかしたら。ユラヒでも私を一直線に見つけてくれた、マギーさんの仕業だったり、し、て……。
安堵感が広がると同時に、私は意識を保っていられなくなりました。急激な疲労感で、視界がブレます。その合間にチラリと見えた、胸の上に浮かぶ水晶の中には、黒炎のオドが徐々に溜まっていっていました。
これが、全部溜まり切る前に、誰か、私を、助け……て…………。




