あの人の部下
ウルさんと目を丸くしたのも束の間。私達がいた部屋の扉が破壊され、手甲を付けた魔狼が入ってきました。
「いたぞッ! こっちだッ!」
「な……ッ!?」
魔狼は私を指差して、そう言います。いたぞ、と。こっちだ、と言っていました。
それは、つまり。
(私を……狙っているッ!?)
向こうの狙いが私であると考えた次の瞬間には、その魔狼が私に向かって突進してきました。
いきなりの事に動揺してしまった私は、全く身動きが取れません。
(だ、駄目、です……や、やられ……)
「ハァァァッ!」
「……………………」
「何ィッ!?」
しかし、魔狼の手が私に届く事はありませんでした。二つの影が、私の前に立ち塞がったからです。
「やらせはしねーぜッ!」
「オーメンさんッ!」
一人はよく知っている方。黒髪を真ん中で分け、外側にはねる形の天然パーマを持つ背の高い男性、オーメンさんでした。
そしてもう一人。
「……………………」
女性ですが、アイリスさんではありません。銀色の短髪でオーメンさんよりも背が高く、引き締まった身体をお持ちのこの方。真っ白い仮面をつけたまま、魔狼を睨みつけています。
「……つーか、イザーヌちゃん。居るんなら居るって言ってくれよ、びっくりすんなぁ」
「……………………」
オーメンさんにそう呼ばれたこの女性、イザーヌさんは、全く返事をしてくれません。
チラリ、とオーメンさんの方を仮面越しに見て、すぐに視線を魔狼へと戻してしまいました。
と思うと、彼女は腰に付いたナイフを抜きながら、ダッと魔狼へ迫っていきます。
「チィ……ッ!」
「……………………」
そのまま魔狼との近距離戦。イザーヌさんは無表情のまま、魔狼へ向けてナイフを振るっています。魔狼は魔狼で、その攻撃を自身の手甲で捌いています。
「す、凄い……」
ウルさんが感嘆の声を上げています。確かに、凄いやり合いです。手加減なしの、本気のやり合い……いえ、これが、殺し合い。
「ッシ! 下がれイザーヌッ!」
「…………ッ」
やがて、突然オーメンさんが叫びました。それを聞いたイザーヌさんが距離をとります。
「な、何を……?」
『"光弾"、"操作"ッ!』
「グハァッ!?」
すると、魔狼の背後から聞き慣れた魔導手話が聞こえたかと思うと光の弾が飛来し、彼の頭に直撃しました。
予想外の一撃を受けた魔狼は、そのまま倒れ込んでしまいます。
「ナイス一撃よ、オトハちゃん。みんな無事?」
『マサトッ! ウルちゃんッ!』
そうして姿を表したのは、アイリスさんとオトハさんでした。
『二人とも無事ッ!?』
「は、はい……」
「だ、大丈夫だよオトちゃん……」
『そっか……良かったぁ……』
私達の返事を受けて、オトハさんは本当に安堵した、というため息をついています。
本気で心配してくれていた、と言うことがありありと解りました。
「その……オトちゃん……」
そんな中。ウルさんがおずおずとオトハさんに声をかけます。
「さっきは、その……ご、ごめんなさい! ボク、オトちゃんに、酷い事言って……」
「……………………」
それを聞いたオトハさんは、少しの間黙っていましたが、
『……大丈夫、だよ』
やがてそう言うと、頭を下げたウルさんに近づいていきます。
『大丈夫。うん、わたしは気にしてないから。ウルちゃんだって、辛かったんだもんね……』
「ッ! お、オトちゃんッ!」
そう言って、ウルさんの頭を撫でてくれたオトハさん。ウルさんが堪らず、彼女を抱きしめました。
良かった。仲直りできたみたいで。オトハさんの懐の深さには、本当に驚かされてばかりです。
「……何ッ? ノルシュタインさんがッ!?」
「そうなのよッ! あの人、また一人で向かっちゃって……」
「クソッ! 相変わらずだよ、あの人はッ! 俺は援護に行く、アイリスはこの子達を頼むッ! ……今後については、あの手筈で……」
「……解ったわ」
そんな私達の隣で、オーメンさん達がお話されています。ノルシュタインさんの話が出ていましてが、あの人がどうかされたのでしょうか。
「俺はノルシュタインさんのとこに行くッ! マサト君、アイリスの言う事をちゃんと聞くんだッ! いいなッ!?」
「は、はい……」
「良し。クッソ、間に合えよ畜生……ッ!」
なかなかの剣幕でオーメンさんはそう言うと、戸惑う私をそのままに走り出しました。
「…………失礼。連絡が」
すると、倒れた魔狼を縛り上げていたイザーヌさんが不意にそんな声を上げ、遠話石を取り出しました。
初めて聞いた彼女の声は、まるで鈴が転がったかのような凛とした声でしたが、抑揚があまりなく、何処か無機質に感じられます。
「…………はい、ベルゲン様」
しかしそれを、彼女は耳元へと持って行ってしまい、向こうの声がこちらに聞こえてきません。
ベルゲンさんとお話されているらしいので、この方がベルゲンさんの部下だと言う事はわかるのですが。
「…………現在は宿泊している旅館に友人らと共におります。私もすぐ近くに。しかし今、旅館に魔狼の一部隊が押し寄せて、占拠を始めております。現状、私を含めオーメン、アイリスらと共に応戦しましたが、まだ敵の本隊は無傷。それに、魔狼ヴァーロックの存在も確認しました。現在、ヴァーロックについてはノルシュタイン大佐が応戦中です。オーメンがその援護に向かい、現在こちらにいるのは私とアイリスのみです」
どうやら現状報告をされているみたいです。ベルゲンさんは、今どちらにいらっしゃるのでしょうか。
「…………承知いたしました」
指示を受けたのか、イザーヌさんはそう頷いています。そして少しの間の後、彼女は再度、承知いたしました、と繰り返しました。
「……ベルゲン大佐は、今どちらに?」
遠話石での通話を終えたイザーヌさんに、アイリスさんが問いかけます。
「…………街の入り口です。現在こちらに向かっておりますので、少々お待ちください」
「……解ったわ。とりあえず、みんな」
やがてアイリスさんが話し始めました。
「まずはこの旅館から出る事が先決よ。メインの入り口の方は、ノルシュタインさんが敵の大将とやり合ってて出られないわ。裏口から逃げましょ。敵が出たらお願いすることもあるかもしれないけど、基本的には私とイザーヌで対応するから無理しないこと。解った?」
「……………………」
「あと、イザーヌはいい加減仮面取ったら? 子ども達がびっくりしてるじゃない」
「……………………」
アイリスさんがそうおっしゃる横で、イザーヌさんは仮面を取りました。
そこから現れたのは、細い目を持つ目鼻立ちの整った綺麗な顔の女性。しかしその顔には、仮面と同じように表情がないままでした。
「わ、わかりました。アイリスさん、イザーヌさん、よろしくお願いします」
『お二人とも、お願いします』
「よろしく頼むよ〜」
「よし、良い返事ね……イザーヌも、何かないの?」
「…………よろしくお願いする」
表情を変えないまま、イザーヌさんはそうおっしゃいました。
「あーもう! 相変わらず無愛想なんだから! 心配しないでね。この人、こんなんだけど、腕は確かだから」
「は、はあ……」
「……………………」
そんな彼女の言葉にも、イザーヌさんは何も言いません。表情筋が全く動かないので、本当に何を考えていらっしゃるのかが解らない方です。
「……んじゃ、行くわよ」
先頭をアイリスさん。最後尾にイザーヌさん。私達がその合間にいる形で、動き出しました。目指すは、魔族達の網を抜けての旅館からの脱出。
しかし、私には一つの心配がありました。
(……もしかして。もう魔国には私の事がバレている……のでしょうか……?)
先ほどの魔狼の言葉からして、この襲撃はおそらく私の身を狙ったもの。それはつまり、魔族が私の事を知って取り返しに来た、と言う事です。
(……もし。この場を切り抜けられたとしても……今後、私はもう、元の生活には……)
『……マサト』
「……マサト」
すると。私の右手をオトハさんが。左手をウルさんが握ってきました。驚いた私は、お二人を交互に見やります。
『……大丈夫。わたしがいるよ』
「……ボクも、君を助けるからさ」
「オトハさん、ウルさん……」
余程顔に出ていたんでしょうか。心配そうに、でも笑顔でお二人はそう言ってくれました。
「……ありがとうございます。とりあえず、まずはここから逃げましょう」
『うん』
「そ〜だね」
私は彼女らに返事をすると、再び周囲を警戒しながら歩いていきました。不安はまだ拭えてはいませんが、とにかくまずは、目の前の危険から逃れる事が先決です。
そうしなければ、その後もへったくれもないのですから。
「……………………」
私達のそんな様子を、最後尾にいるイザーヌさんは何も言わずに見ていました。




