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動き出した者たち


『……と、言うわ、け、で。そろそろ頃合いだと思うのよ』


 遠話石から放たれたその言葉に、ヴァーロックは目つきを変えた。その言葉の主は、彼の上司であるバフォメットだ。


 遂に来たか、と彼は気を引き締める。


「了解した。手はずについてはまたこちらでまとめた資料を送って……」


『必要ないわ。アタシの方でもうまとめてあるから』


「……承知した」


 この時の為にと用意しておいた資料の端を、ヴァーロックは握り締めた。


 薄々そんな気がしてはいたが、かと言って何も用意していないと、この上司は怒るだろう。そう思って一応まとめてはおいたが、やはり無駄になったようだ。


 自分の考えが的中して嬉しいやら、資料をまとめてくれた部下に申し訳ないやらで、彼は自然と資料を持つ手に力が入る。


『またアタシからの資料に目を通しておいてちょうだい。あと今どこにいるかは知らないけど、部隊を期限までに指定の位置まで移動しておくこと。急いでよね、どっかの馬鹿がやからした所為で、ホントに時間がないんだから』


「……承知した」


 上司の口から出たのは、おそらく先日の目標に対する魔狼の襲撃の件であろう。


 目標の監視をしていた部下から、消息不明となった筈のカラキが目標の確保に動いていると報告が入って、ヴァーロックも心底びっくりした。


 彼の確保をしたかったが、下手に動いて人国軍に悟られる方が危険であるとして、人国軍に連れて行かれるカラキをそのまま見送ることになった。


 今後尋問が行われれば、こちらの存在がバレる可能性が高い。もう彼らに、時期を見ている時間などなかった。


「必ず間に合わせる」


『頼もしい返事で、す、こ、と。全く。部下の教育もそれくらい頼もしければ、アタシも文句ないのに……』


「……申し訳ない限りだ」


 上司からの嫌味に、彼は耐えるしかない。


 まさかカラキが生き残っているとは思わなかった。そして今回の事件は、彼の性格上ミスを取り返そうと躍起になっていた結果だろうと、容易に想像ができる。


 部下への教育が足りなかった事に対しては、彼に言い返せる言葉がない。


 その時、ヴァーロックの居る部屋の扉がノックされた。彼は上司に一言告げると、ノックしてきた部下を部屋に通す。


 部下の用件は丁度上司からの資料が届いたという知らせであった。


 礼を言って部下を下がらせ、資料に目を通しつつバフォメットとの通話に戻る。


『あら、ちょうど届いたのね。良いタイミングで、す、こ、と』


「……これは……」


 書かれていた内容にザッと目を通したヴァーロックは、顔をしかめる。そこには上司が提示してきたマサト拉致の作戦がまとめられていたのだが、


『……黙っちゃって。どうかしたのかしら?』


「……いや」


 思わず口を閉ざしてしまったことを問いかけられ、ヴァーロックは何でもないと返答する。


 しかし、それで資料に書いてあった作戦内容が変わる訳もない。


「……少々、厳しい作戦になると、思っただけだ……」


『あらあら。何を弱気になってるのかしら。ま、さ、か』


 言葉を濁した彼に向かって、遠話石の向こうから威圧的な言葉が飛んでくる。


『アタシの立てた作戦に、文句でもあるのか、し、ら?』


「…………」


 その問いかけに少しの沈黙を発したヴァーロックだったが、やがて意を決したように、声を出す。


「……いいえ。文句などはない。頂いた作戦、私の部隊が必ず成功させて見せよう」


『……そ。ならいーわぁ』


 部下がしっかりとそう返事をしたことで、バフォメットは威圧的な態度を引っ込めた。


『ちゃんと資料を読んで、必要なものを用意しておいてね。作戦のキモはアンタの部隊なんだから。これは命令よ』


「承知している」


 命令、という軍人であれば従わざるを得ない単語を持ち出される。こうなってしまえば、ヴァーロックに逆らうという選択肢はない。


 上司の命令を聞く、という考えは、先の戦争の時から嫌という程身についているからだ。


『じゃ、今日はこんなとこで。ワタシも色々と用意しなくちゃいけないのよね~……あっ、あとレイメイも呼んでるから、着いたら仲良くしてあげてね。はーぁ、何着ていこうか、し、ら……』


 そう言って、上司との通話は終わった。残されたヴァーロックは物を言わなくなった遠話石を見た後に、再度資料に目を移す。


 そこに書いてある内容を読み解き、また自身の部下達に伝えなければならない。


「……一緒に酒は飲めないかもしれないな、ノーシェン……」


 彼はいつかの手紙にあった、戦友の誘いを思い出す。


 また魔国に戻ったら一緒に飲みに行こうと言ってくれた、あの軽薄な天才。最新の手紙では、オレもその内そっちに行くかもとかあったが、流石に冗談だろう。


 彼の姿を頭に浮かべると、それに呼応するかのようにかつての仕事仲間や上司の姿も浮かんできた。


「……ちょくちょくノーシェンと一緒になってサボってたな、リィ。隙を見せまいとしてても隙だらけだったですよ、ジル様。そして……魔王様。まさか貴方が私より先に逝かれるとは、思っておりませんでした」


 戦争時で本当に大変ではあったが、それでも彼らといたお陰で色々と乗り越えてこれたことも事実だ。


 そんな頭の中の彼らに向かって、ヴァーロックは一人、言葉を紡ぐ。


「…………私も、もうすぐかもしれんな……」


 そうして彼は一度目を閉じると、大きく深呼吸をした。まるで息と一緒に、未練も何もかもを、吐き出すかのように。


「……誰かいないかッ!」


「ハッ!」


 声を上げたヴァーロックに対して、一人の魔狼が返事をして部屋に入ってきた。かしづいた魔狼に向かって、彼は指示を出す。


「作戦内容が決まった。全員を集めて欲しい。今すぐにだ」


「了解いたしました!」


 そうして、部屋を出て行った部下を見届けると、ヴァーロックも動き出した。その歩みに、迷いはない。


 彼らの都合は、既に動き出した。人国で悩む、一人の少年を余所に。

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