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今日はもう帰りなさい


「はぁ、はぁ、はぁ……」


「なるほど、良く解ったわ」


 あれからしばらくして。


 ようやく気が済んだのか、フランシスさんはウルさんから離れました。終いには何かの魔法陣まで展開していましたが、ウルさんは大丈夫だったのでしょうか。


 当のウルさんはというと、執拗なまでに耳を調べられ(攻められ?)続けた結果、狼の耳はだらしなく垂れ下がり、目には涙を浮かべ、頬を赤らめ、舌を出しながら肩で荒い息をしています。


 なんですかあの表情、なんか酷く官能的に見えますいけません静まれ我が息子よ。


「あ、あの……」


「……ん? あっ、忘れてた」


 一段落ついたと思った私が恐る恐る声をかけると、フランシスさんからそんな言葉が飛び出しました。


 こんなに近くにいたのに、まさか素で忘れられていたとは。彼女の表情からも、ああそう言えばいたっけ君、という言葉が顔に書いてあるような気がします。


「ちょっと待ってね。ハーフの子についてだけ書き留めるから」


「は、はい……」


「こ、この変態……ッ!」


 適当に拾い上げた書類の裏に書きまとめていくフランシスさんは、ウルさんからの罵声などどこ吹く風といった様子。


 と言うか最早、聞いていないのでは? と思ってしまうくらいです。


 ウルさんも結構マイペースな人ですが、このフランシスさんはそれ以上のもの。


 我が道を行くと言うかゴーイングマイウェイと言うか、本当に自分の興味のあることにしか目が行かないのでしょう。


「……よっし。で、なんだっけ?」


 書き終わったフランシスさんがこちらに顔を向けながらそうおっしゃいます。


 遂にはなんだっけって、いやあの、それを聞きたいのはこっちの方なのですが。


「……あ、思い出した。そうよそうよ。あんた、オトハの事知ってるんだっけ?」


 ようやく話が戻ってきたみたいです。


 めっちゃ脱線してましたが、やっと前に進めるんですね。ただ、詰問されるのが、今度は私になるのが難点ですが。


「……その前に。彼女の事、離してくれませんか?」


「ん? ……ああ、はい」


 拳を前に突き出した体勢のまま動きを止められているウルさんを何とかしてもらおうと思ったら、一度首を傾げた後に、ああはいはいと言った様子であっさりオッケーされました。


 フランシスさんが指を鳴らすと、ウルさんを縛っていた光のロープが消え、彼女は散らかった床にへたり込みます。


 私はそんな彼女が心配になり、側まで駆け寄りました。


「だ、大丈夫ですか、ウルさん……?」


「はぁ、はぁ、はぁ……」


「言っておくけど、また襲いかかってきても無駄だからね。面倒をかけないで」


 まだ息が荒いウルさんは真っ赤な顔をしたまま、キッとフランシスさんを睨みつけました。


 それを全く意に介さない様子で、フランシスさんは続けます。


「んで? マサトは結局オトハのなんな訳? そこの耳が弱いハーフの子も、なんか関係があるの?」


「耳が弱いとか言うなッ!」


「ま、まあまあ……」


 吠えるようなウルさんの声色ですが、自分のした質問に対する回答にしか興味がなさそうなフランシスさんには届いていないみたいです。


 私はウルさんをなだめつつ、何処から話そうか、話してはいけない内容は何かと頭の中で整理します。


「……私は、オトハさんの、初めての友達です」


「…………」


 私の言葉を、フランシスさんは静かに聞いています。


「私は、オトハさんを助けました。そして同時に、彼女に助けられました。何度も何度も。彼女がいなかったら、今の私はありません。それだけは、はっきり言えます。だから私は、オトハさんを返してもらうために、ここまで来ました」


「……ふーん」


「……お願い、します」


 そして、私は頭を下げました。バカ正直で冴えない私は、最早潜入してオトハさんを密かに連れ出そうとしていたことも忘れ、フランシスさんに頭を下げて懇願していました。


「オトハさんは私の大切な人です。彼女ともっと、一緒にいたいんです。お願いします。オトハさんを、返してください……お願いします」


「……返すも何も、元々こっちにいたんだけどね」


 それを聞いたフランシスさんは、頭をかきながらため息をつきました。


 目を閉じているその表情からは、彼女が何を考えているのかイマイチ掴み取ることができません。


「それであの子のために、わざわざこんな所まで来た、と……ふーん。あの子に男を誑かすような甲斐性があったなんてねぇ……」


「た、誑かすって……」


 そんなことされた覚えは……ない筈ですが。


「それで? そっちのハーフの子も同じな訳?」


「……ボクだってオトちゃんの友達だよ」


 すると今度は、フランシスさんがウルさんに話を振ります。貴女はどうなんだ、と。


「ここまでマサトがぶっちゃけちゃったから、ボクももう隠すこともないけど……」


 それについては本当にすみません。


「オトちゃんは、こんなボクでも友達って言ってくれた。あの子と一緒に居て楽しかった。そんなオトちゃんが嫌だって言うなら、ボクだって動くよ。ここが嫌なら、無理やりにでも連れ帰ってみせる。だってオトちゃんは、ボクの大事な友達なんだから」


「……友達って、そんな重い意味の言葉だったかしらね?」


 ウルさんの言葉を聞いたフランシスさんが、再度ため息をつきました。


 呆れているような、そうでもないような。本当に何を考えているのかが測れない方です。


「……今日はもう帰りなさい」


 少しして、フランシスさんはそう口にされました。今日はもう帰れ、と。


 いやいや、そんな訳にはいきません。と言うか、口ぶりからして確実にフランシスさんはオトハさんのことについて何か知っています。


 この反応をされて、知らないなんてことはないでしょう。


「あ、あの! フランシスさんはオトハさんについて何か知ってるんですか!? せ、せめてそれだけでも……」


「もう一回言うわ。今日はもう帰りなさい」


 それを聞かないと帰れない、そう思った私が食い下がりましたが、フランシスさんはそれを遮るように被せて言ってきました。


「そこのハーフの子を調べさせてもらったお礼よ。通報したりしないし、今なら何もなしに帰してあげる」


「き、聞くだけ聞いてやるだけやっておいて、それはないんじゃないのかい!?」


 取り付く島もない感じにそう言い捨てるフランシスさんに向かって、ウルさんが食って掛かります。


「こっちのこと好き放題しておいて、自分は何も話さないなんてそんな……」


「あら。私のラボに勝手に入り込んだのはそっちでしょ? 不法侵入者として軍に突き出してもいいところを、何もしないで大人しく帰してあげるって言ってるんじゃない。これでも慈悲深い方だと思うけど?」


「うっ……」


 確かに、フランシスさんの言う通りです。彼女の研究所に勝手に侵入したのはこっちです。


 本来なら有無を言わさずに軍に突き出し、一方的に取り調べを受けてもおかしくない身分なのが、私たちです。


 見逃してもらっているのはこちら。立場的にも弱いのはこちらです。この場で力に訴えたところで、先ほどのように簡単に捕まってしまうのでしょう。


 それこそ黒炎を解放すればそんなこともないかもしれませんが、流石にそこまで強引な手段を取る場合でもないと思います。


「……ウルさん。今日はもう帰りましょう。許されてるのは、私たちの方です」


「……わかったよ」


「……あ。部屋の入り口に施設入場証があるから持ってってね。それがあったら正面玄関から出られるから」


「……ありがとうございました」


 最後まで配慮してくれているフランシスさんにお礼を言いつつ、私たちはゆっくりと部屋を後にします。


 散らかっている部屋で物や書類を踏まないように歩くには、ゆっくり足場を確認しながらしか歩けなかったからです。


「…………」


 フランシスさんは私たちが部屋を後にするまで、一言も喋りませんでした。


 部屋を出る際にチラリと顔を見てみましたが、相変わらずの無表情でこちらを眺めており、何を考えているのかが一切解りません。


 先ほどお話があった施設入場証とやらを二人分取ってから一度、フランシスさん会釈をした後に、私たちは部屋を後にしました。

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