夜の来訪者
「マサト、起きてるかい?」
夜も遅くなってきた頃。
明日はいよいよオトハさんの救出作戦があるぞという前日になって、ウルさんが部屋を訪ねてきました。
「起きてますけど……どうしました、ウルさん?」
「ちょっと話したくってさ。入っていい?」
「どうぞどうぞ」
特に断る理由もなかった私は、寝間着姿のウルさんを部屋に招き入れました。
そそくさと入ってきた彼女は、迷いなく私のベッドに真っ直ぐ向かうと、ボフッと身体を投げ込みます。
「あ~、柔らかい~……いい匂いがする……」
「いえ、どこの部屋でも同じだとは思いますが」
「ボクにとっちゃここが特別なんだよ」
よく解らないことを言っているウルさんです。人のベッドが特別とか、どういう意味でしょうか。
まさか私に、今日は床で寝ろとでも? いけませんよ、明日は大事な日なんですから。
「そんなことよりさ、ちょっと聞きたいことがあって……マサトは、どうする気なんだい?」
「はい?」
「オトちゃんを助けた、後のこと」
ベッドで寝転がったまま、ウルさんはそう聞いてきました。
近くの椅子に腰掛けた私でしたが、イマイチ彼女の質問の内容が解りません。オトハさんを助けた後どうするのか、ですか。そんなもの決まっています。
「どうするも何も、無理やり連れていかれたオトハさんを返していただいて、エルフの里から逃げます。それは決まっているでしょう」
「……本当に、それでいいのかな?」
私の言葉に対して、ウルさんは少し顔を不安げにしています。本当にそれで良いのか、とは。どういう意味でしょうか。
「どういう意味ですか? オトハさんはエルフの里で酷い目に遭って、逃げてきたんです。そこを無理やり連れ戻された。本人もここに帰ってくるのは不本意だった筈です。なら、私が連れ戻したって別に……」
「エルフの里がオトちゃんを諦めるとは思えない」
当然と言わんばかりに話していた私の言葉を遮って、ウルさんはそう割り込みました。
「エルフの里の偉い誰かさんは、第二神とかよく解らない神様のために、オトちゃんを監禁してたんでしょ? 魔国に捕まって死んだと思われてたオトちゃんが実は生きてたって知って、無理やり拉致してきた。例え明日の作戦でオトちゃんを取り返せたとしても……今度は向こうが取り返しに来る。
ボクが聞きたいのは、オトちゃんを取り返したその後、具体的にどうするつもりなのかってこと」
「そ、それは……」
ウルさんの懸念は、確かにその通りでした。オトハさんの存在を知って、拉致という強引な手段でもって連れ戻しに来たエルフの里。
それはつまり、エルフの里にとって彼女という存在が、必要不可欠なものであるということです。
「このままだと、取り返して、人国に連れ戻したとして……また連れて行かれる」
「こ、今度はもっと多くの軍の方々に厳重に警備していただければッ!」
「それをすると、オトちゃんの事情を他の人に話すことになると思うけど……」
「あっ……」
そうだ。オトハさんの事情についても、知っているのはノルシュタインさんらの一部の方々だけです。
第二神とやらがどんなものなのか解らない私としては、オトハさんの事情の重大さがイマイチ解っていないのですが、それでもノルシュタイン達の様子を見るとただ事ではないことくらいは解ります。
その情報についても絶対に口外しないように、と固く言われている身であり、更には同じ軍の方でも、ノルシュタインの紹介ではない人には言わないで欲しい、と言いつけられています。
と言うことは、今のところノルシュタインの知り合いの方々しかこの情報を知っておらず、その対応に動いてくれる方々も少ししかいない、ということです。
大勢にお願いするのであれば、それだけの人々に事情を話さないといけなくなります。しかしそれは、変に事情を口外しないで欲しいという内容と相反します。
「……ど、どうしましょう……?」
オトハさんを守っていただくためには、今までのままではいけません。事実、護衛をしていたアイリスさんがやられてしまって、オトハさんは連れてこられてしまったのですから。
しかし仮にここでオトハさんを取り返したとして、果たしてその後は。怪我から復帰したアイリスさんがついたとしても、またエルフの方々にやられてしまう可能性はあります。
もちろんノルシュタインさん達のことですから、対策をしないなんてことはないでしょうが。
それにしたって、今後オトハさんはずっと狙われ続け、そして私たちもそれを取り返す日々が続くということです。
つまりはイタチごっこ。奪われて、奪い返して、また奪われての、その繰り返し。
「……オトちゃんを取り返すのが続くだけならいいよ? でもそんなことを何回もしてたら、流石にエルフの里がボク達を危険視して、何か手を打ってくるかもしれない」
ウルさんの言葉に、また悩みます。そうです。やってやられてを繰り返すだけならまだいいのです。
しかし何度もそんなことをしていれば、エルフの里だって対策を講じない訳がありません。
私、ウルさん、果てはマギーさんや兄貴、シマオにまで被害が広がるかもしれないのです。
エルフの里はオトハさんを問答無用で連れ去った相手です。手段を選ばないとなる可能性は十分に考えられます。
そうなると私たちにできることと言えば……。
「…………ん~~~~……ッ!」
頭を捻って捻って、捻りまくって考えますが、全く解決策が思い浮かびません。一体どうすればいいんでしょうか。
この奪って奪われてのループを抜け出し、なおかつオトハさんに普通の生活をしてもらうためには……。
「……もしボクがいなくなったら……マサトは、こうやってボクの事も考えてくれたり、するのかな……?」
必死に頭を捻っている私の横で、ウルさんが何かをつぶやいています。
「ん~~~~~…………ハッ! ウルさん、何か言いましたか?」
「な~んにも」
既に頭痛がしてきそうなくらい考えてる私を見ながら、ゴロゴロと寝転がっているウルさんです。
その姿を見て、少しイラッとしてしまいました。全く、こちらはここまで頭を悩ませているというのに。
「……そんなにゴロゴロしていないで、ウルさんも考えるの手伝ってくださいよ」
「ん~……い~けど。ボクも考えた結果なんにも思いつかなくて、マサトの所に聞きに来た訳だしさ。オトちゃんを助けるぞ、って意気込んでたマサトなら、その後のことも考えてるのかな~って思ってたんだけど」
ご期待に添えなくて本当に申し訳ありませんが、全く考えていませんでした。なんならウルさんに言われるまで、考えもしなかったような内容です。
しかし、本当に困りました。
ただ単純にオトハさんを連れ戻せば全部元に戻ると思っていたのですが、世の中はそこまで甘くないようでして、一体この状況をどうしたら……。
「……マ~サト」
そうだこうだああだこうだと頭の中で考えを回していたら、ウルさんがこちらへどうぞと言わんばかりに手招きをしました。
「……呼びました?」
「うん、呼んだ呼んだ。こっちこっち」
「はい?」
「……全く」
そうして首を傾げる私に業を煮やしたのか、ウルさんはベッドから起き上がってくると私の首に手を回し、そのままベッドに向かって一緒になって倒れ込みました。
「うわっ!」
二人してベッドに横になりました。目の前には、私の首に手を回したままのウルさんが、こちらを見つめています。
いきなりのことに私の胸の心拍数が増大。彼女の顔が近くにあって、心拍数が更に増大。寝間着の間から見える彼女の胸の谷間が目に入って、更に更に心拍数が増大。
ついでに身体の他の部分も増大傾向。静まれ、我が息子よ。
「う、ウルさんッ!?」
「……一回、忘れちゃお?」
戸惑う私に向かって、ウルさんは優しげに笑います。
「考えさせたボクが言うのも変だけどさ……考えても解らないことなら、一回忘れちゃおうよ。多分これ、ボク達じゃいつまで考えても解らないことだと思うよ」
「そ、それは……」
ウルさんが言うことに、私は変に納得してしまっていました。
確かにこれは、私達ではいくら考えたところで結論なんか出なさそうな案件です。
一学生が少しの知識を振り絞って頭を悩ませたところで、一人の女の子の将来の安否なんて、早々ひらめくようなものではないのでしょう。
「だ、だからって考えないって訳にはいかないじゃないですか! オトハさんが今後元の生活に戻れない可能性も……」
「そうだね。だからそれは、専門家に相談しようよ」
専門家にお願いしようよ、というウルさんの言葉に、私は目からウロコが落ちる思いでした。
「解らないことは解らない。なら、解りそうな人に相談しようよ。ノルシュタインさんでもオーメンさんでもいいからさ。だからボクらは、そんなに悩まなくてもいいって」
「そ、そうかもしれませんが……」
「それに……」
首の後ろに回されていた右手を戻すと、ウルさんはその人差し指で私の眉間をツンと突きます。
「マサト、ちゃんと寝てないでしょ? クマが出来てる」
「うっ……」
ウルさんのその言葉に、私は返答に詰まってしまいます。
ベルゲンさんからも体調を大事にとは言われていたにも関わらず、オトハさんを心配して眠れない日々が続いていました。
特にこちらに来てからは酷く、近くに彼女がいるかもしれないと思うと、居ても立っても居られなくなり、夜中にこっそりと抜け出して一人で探しに行ったりもしていたのです。
まあ結局、なんの手がかりも見つけられなかったので無駄骨でしたが。
「オトちゃんが心配なのは解るけど、だからってマサトが倒れてどうするのさ」
「……すみません」
ベルゲンさんに言われたことを今度はウルさんに怒られてしまいました。解ってはいる、解ってはいるんです。
それでも私は、連れていかれたオトハさんが心配で心配で……。
「……♪~、♪~」
すると突然、ウルさんが歌い始めました。
「……えっ?」
「マサトが寝ないなら、寝るまで子守唄を歌ってあげる。こ~見えてボク、結構歌は上手い方なんだよ?」
「い、いや、あの。流石にそんなことされないと寝られない程子どもでは……」
「♪~、♪~」
そんな私の言葉は知らないと、ウルさんは無視して歌い続けています。不味い。これで私が寝てしまえば、彼女の思う壺です。
やっぱり子守唄がないと寝られないんじゃないか、と笑われる未来が見えます。
フッ、見切りましたよ。私がそんな魂胆に乗る訳ないじゃないですか。
ここは寝たフリだけして、実は起きてましたと驚かせてやりましょう。ああ、驚くウルさんの表情が目に浮かびます。
そう思った私は目を閉じて、彼女の歌声に耳を傾けました。異世界に伝わっている子守唄。どんなものなのかと、実はちょっと気になっているのです。
そんな好奇心もあって、私は聞き逃さないように集中しました。
「…………zzz」
綺麗な歌声、柔らかい歌詞。
そう感じていた私は良い心地になってしまい、優しい夜にお休み、という歌詞を聞いた辺りでいつの間にか、眠りに落ちていました。




